フォーク界の巨匠、高田渡先生のベストショット!

怒りとダンディズムを心に秘めながらも、吉祥寺の行きつけの
居酒屋で見る高田渡先生の風貌には、感嘆させられるものが
ありました。この優しき人をいたわる目指しには、彼の人生の
奥義を垣間見る思いがしたものでした。とても好き好き。

21世紀の時代は再び高田渡さんを追い求めていた


2010年2月24日、NHK教育番組「知る楽」では、高田渡特集の第4回(最終回)が放映された。生涯最後というライブ映像も映し出されていて、とても貴重な映像など面白く視聴したのである。

高田渡さんをテーマにした映画「タカダワタル的」は、おいらも公開すぐに映画館に足を運んだユニークな作品であった。1年間という異例のロングラン上映だったという。渡さんを崇拝する監督の柄本明は、本物のフォークを謳う高田さんの生き様を通じていろいろなことを知らしめたかったと語っていた。古くてかつ新しい高田渡さんの生き様は、若い層にもひたひたと浸透していた。この映画が高田さんの再評価に寄与していたことは特筆される。個人的な思い入れを映画という公共のメディアに載せて知らしめるというやり口は、ほかに知ることが無いくらいである。

生涯を吟遊詩人として旅していた高田さんの最後のツアーは、北海道の白糠町であった。亡くなった最期を記すことになった、ゆかりの地なのだという。その日、悪性の風邪を患い40度の高熱をおしてのライブだったという。何百回聴いていた「生活の柄」だが、最後のライブとて記録された映像は圧巻であった。

「全部が新しいし、凄いんです。響くものは響くんです」となぎら健一がコメントしていた。人間の普遍的な日々の生活を歌にし、疾風怒濤の生涯を駆け抜けた高田さんに乾杯なのである。

受け継がれるべき高田渡さんの語り

高田渡のトリビュートアルバム「石」を聴いている。シンガーソングライター・こうもとあいさんがカバーする「私は私よ」のコケティッシュな高音の歌声が心地よく響いてくる。とてもこまっしゃくれた歌詞なのだが、高田渡さんの稀有な世界観、女性観を覗き聴かせてくれてジーンとくるのだ。かつて何処かのライブ会場で、渡さんが低音を響かせたこの曲を聴いていたはずなのに、どんなうたい方をしていたのか想い出せない。けれどとても懐かしく響くのである。こういう現象をデジャヴとでも呼ぶのだろうか。

高田渡の後継者を自任するなぎらけんいちは、例えば「生活の柄」を歌わせたら自分の方が上手いのだが、どうしても渡さんには敵わないということを語っている。渡さんの持ち味は「語り」の持ち味に凝縮されている。渡さんの「語り」はそれくらい人を魅了する力を持っているのだ。

研ぎ澄まされた音楽世界に身を置きつつ、全国を放浪行脚して大勢の高田信者を増やしていた彼はまさに、放浪詩人に値するだろう。TV界や芸能産業などから自ら距離をとりつつ、全国各地でのライブ廻りを続けていた渡さんだが、各会場で接した人々のみが受け取ることができた何かが、渡さんの語りの中にはぎゅうぎゅうと詰まっていたのである。彼の語りはユニークであるが、とても親しみやすいものでもあり、皆が真似をしたがる。けれども実際、真似することはとても難しいことを実感するのだ。

本日これから放映されるNHK教育の「知る楽」のテーマは「反骨人生 時代に背を向けて」となっている。「反骨」という看板を掲げて勧誘活動やらサークル活動、友達ごっこをする風潮はたえて消え去ることはないが、渡さんが全国を廻って伝えていた反骨の姿こそ、そんな風潮とは真逆のものであり、もっとも尊いものと思うものなり。渡さんの歌を歌い、彼について語るときごとに、益々それを実感するのである。

高田渡の特集番組、4週連続放映

NHK教育の「知る楽」では、高田渡の特集番組が4週連続で放映中である。先週の第1回放映を見逃していたので、本日は早朝目覚ましで起き、5時35分からの再放送番組を視聴した。「随想 吉祥寺の森から」の杉本さんより番組情報を提供していただいていた。

http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/52082820.html

第1回放映では、高田渡さんの少年時代にスポットが当てられていた。裕福だった岐阜での幼少期とは裏腹に、破産して東京に逃れ着いてからの一家の生活は、とても苦しいものであった。飯場の労働者たちと接しながら育った渡さんのの少年時代の環境が、彼の音楽性に甚大な影響を与えていたことは想像に難くない。

高田渡さんと云えば、かつておいらが西荻窪の「ほびっと村」にて二人写真展を行った際、祭りのライブ会場で渡さんを撮影した写真の展示許可をもらうことやご挨拶などから、彼の住む吉祥寺を訪ねたことがある。南口改札前で待ち合わせた渡さんは、とても静かに現れて、とても想い出深い面会となった訳である。かねてからの行きつけであるハーモニカ横丁でのお付き合いを願い出たところ快く応じてくれたのである。ビール、焼酎と杯を重ねながら、奥さんが写真関係の仕事をしていて渡さんも写真に関心が深いことや、息子さんのことなど、とても熱っぽく語ってくれたことを昨日のことのように思い出すのだ。その日はおいらも少々深酒してしまい、帰宅するなり妻にじっくり叱られたという、ほろ苦い想い出もあったりするのである。

本日はこれから、第2回目の放映がある。テーマは「“日本語フォーク”の先駆者 」となっている。フォークシンガーの中でもとても異色であった彼の音楽が生み出された背景や必然や、その他諸々のドラマが展開されるだろうと期待しているところである。

高田渡作「自転車に乗って」を口ずさみつつのサイクリングは格別なり

途中下車して駆け込んでみる酒場の光景も悪くない。通りすがりの者ですがと、注文しながらやり取りする会話が盛り上がることもあれば、他所者扱いされて白けるケースも少なくない。地元意識が強い小さな駅前の一杯飲み屋などには、その傾向が強いだろう。中央線沿線の「西荻窪」などはその典型だろうか?

今宵はふと、探検家気分になり、西荻窪にて途中下車してみたのであります。西荻窪と云えば、南口を降りて徒歩3〜4分のところには「ほびっと村」というユニークなカルチャー施設がある。1階は自然食栽培にこだわった八百屋である。2階が食事処である。そして3階は本屋とイベントスペースで占められている。本屋といえどもここには、どこにでも売っている種類の本はほとんど置いていない。独特な品揃えが特徴のオンリーワン書店である。かつてこの書店にて「とろん」の本を購入したことがあった。そしてとろんの口利きで写真展を開いたこともあった。

http://www.nabra.co.jp/hobbit/hobbit_mura.htm

もう10年も昔の話になるが、この施設の踊り場スペースを借り切って、彼女と二人展を開いたことがあったのである。展覧会タイトルは確か、「祭りで出遭ったアーティストたち」。とろん、きらきら、高田渡、花&フェノミナン、エトセトラのアーティストたちを撮影した写真を展示したのだが、初日のオープニングパーティーには、2階の食事処を埋め尽くすくらい大勢の参加者でごった返したという想い出がよみがえってくる。オープニングパーティー後のアキンと某同窓生との二次会では、西荻駅前の赤提灯酒場で酒を喰らい、酔ってトイレに出たが最後は迷い続けてしまい、手荷物も置いたままほうほうの体で自宅に彷徨い帰ったという苦々しい想い出も、ぎゅうぎゅうに詰まっているところなのである。ちなみにおいらにとっては大切だった手荷物を、わざわざタクシーで遠回りして届けてくれたのは、アキンではなく某同窓生であった。感謝、多謝、謝謝なのである。


高田渡「ごあいさつ」についての勘違い

本日、職場の話題豊富な某女史が、ある問題提起していたのである。「『お世話になっております。』という言葉を、手紙の最初に記したほうが良いのか否か」と…。おいらもその時には、「それはコミュニケーションを丸く収める言葉遣いだから、書いたほうが宜しいのだ」というようなことを述べたのだった。そして付け加えたのが、高田渡さんの名曲『ごあいさつ』についての解説である。

「高田渡の名曲『ごあいさつ』にも、『どうもどうもいやどうも』といって、コミュニケーションを丸く収める様子があるじゃないか、云々かんぬん」…と。だが先ほど帰宅して、「ごあいさつ」を聞き直していると、大きな思い違いをしていたことが判明して、些かおいらもバツの悪い状況なのである。

♪どうもどうもいやどうも

 いつぞやいろいろこのたびはまた

 まあまあひとつまあひとつ

 そんなわけでなにぶんよろしく

 なにのほうはいずれなにして

 そのせつゆっくりいやどうも

この「ごあいさつ」は、バツの悪い相手に対して発せられた、拒絶のボキャブラリーであり、いわば諧謔にも似た響きを奏でているものだ。であるからして、この曲をして「コミュニケーションを丸く収める言葉遣い」といった説明は、全然正しくなかったのである。

ちなみに名曲「ごあいさつ」の作詞は、谷川俊太郎さんが手がけております。これまた今日知ってびっくり!