2)どーして「無い人」が「有る人」から泥棒しちゃいけないの?

 ボクは岡山県倉敷市の瀬戸内海に面した水島、という港町で生まれ育ち、高校を卒業するまで住んでいた。今では大工業地帯になって空気も汚れ愛すべきイグサ(畳おもての材料だよね)も育たなくなり、岡山の癌細胞に成り果てたけど、ボクが小さい頃はね、人は真っ当、港も真透明の海で、海水浴場もきれいだったし、潮干狩りの風景なんかが今も忘れられないよ。一体誰が誰の許可を得てこの海や空気や人の心や風景を踏みにじったのだろう? 少なくとも、ボクはイヤだった。でも多くの住民達は大企業やその下請けで働いて生計を立てていたので、大喜びし感謝さえしていたからなあ。実際ボクの住んでいた家も三菱の社宅だったし、勤続年数が長くなると安くその社宅を譲ってもらえたから、ボクの父親(とーちゃん)なんかは「自分は幸運だ」といつも会社を絶賛してたしね。その父親のおかげでボクは生まれ育ち、学校にもゆけたし今のボクが在るのだけど、ボクは大きくなるにつれ、そんな工業化してゆく町や労働者や自分の家庭が生理的にイヤになってきてね。

 国が戦時中だったら人を平気で殺して自慢さえし、国が発展中だったら平気で海や空気を汚して感謝さえするような人間や世間が酷くイヤ、だった。フツーの人間はそういう事がフツーだったから、ボクはフツーなものには絶対巻き込まれたくない、と強く感じてたしね。ボクが小学生の頃、経済的にはボクの家はとても貧乏で、バナナやチョコレートやハムなどはめったに食べれなくなって、なんだかいつもお腹が減ってたな。それと貧富の差が激しくって学校ではいつもみじめな想いをしてたし、だからこそ小さくてわけのわからないこのボクは金持ちの同級生の子分になんかなってたしね。

 町一番の百貨店があってね、ボクはそこでよく万引きしてたよ。こんなに大きなビルの中にこんなに食べ物がある、と子供ながらに仰天してたよ。ふだんは絶対口にする事ができなかった薄くスライスした丸大のハムとか、勿論チョコレートとか、子供の小さなポケットに入るものだ。本当はバナナ一房とか欲しかったんだけどね。マーブルチョコレートなんかは日常的に万引きしていて、よく弟にもあげてたしね。一度店員に見つかって酷く責められたけど、それからは他のアチコチの店に通うようになっただけで、全く、一度も反省とかしなかったしね。ボクのような「無い人」が「有る人」から盗んで悪いとはちっとも感じなかったし、ボクは弟や同じ貧乏の仲間に分けてたから、善いことをしてると感じてたしね。こういう感じ方というのは48歳の今も全然変わってないしね。

 物の手の入れ方、お金の得方はね、数え切れない位人それぞれあっていいと想うし、その人にとって一番無理のない自然な方法がいいんじゃないかなあ。人を騙したり嘘をつくのが上手な人は詐欺師とか教祖になって大金を得ればいいし、縄張り意識や支配管理欲の強い人はヤクザや政治家が向いているし、体力に自信のある人は土方や野球選手がピッタリだし、SEXが3度の飯よりも好きな男女は売春ふ、あるいはアダルトビデオの俳優になって、うんと気持ちのいい目に会いながら一日何万円も稼ぐといいし、運転気違いの人はタクシードライバーや長距離運転手が気楽だし、自己顕示欲が人一倍強い族(やから)なら俳優とかミュージシャンになればスッキリするし、自分の心の襞を百パーセント言葉で表現できる人は詩人とか文筆業がうってつけだし、大切なことはね、無理しないで楽しみながら楽な気持ちで暮らしてゆけるアンタだけの道を歩いてゆく事だよ。それが一番自分の為人の為世の為、だからね。世間から卑しく見られていようが社会から違法だと決めつけられていようが、そんな事、全然気にしないで自分の道に入って真っ当に暮らして欲しいよね。

 もし本当にアンタが泥棒に向いていると想い「有る人」から物や金を盗む事を選ぶのだったら、気持ちよく仕事してほしいな。ボクもインドでゆく騙されたり盗られたりしたし、タイのバンコックでは全財産を集団詐欺に逢ってしまったし、日本でも泥棒に入られた事もあるけど、みんな、気持ちよかったよ。騙されたおかげで盗られたおかげで、その後にもっと得たものがあったしね。「有る人」から「無い人」に物や金を流しゆく美しい技と能力を、ボクはもっともっと磨きたいな。

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