写真・言葉・書で時代を飾る、藤原新也さんの「書行無常展」が開催
11月の5日より27日まで、藤原新也さんの「藤原新也の現在 書行無常展」が開催されている。
■藤原新也の現在 書行無常展
2011年11月5日(土)~27日(日)
東京都千代田区外神田6-11-14
3331 Arts Chiyoda
http://3331.jp
かねてよりおいらも注目しているアートのスポット「3331 Arts Chiyoda」が会場となっている。
たしか昨年の頃より、雑誌「プレイボーイ」誌にて連載されていた新也さんの「書」にまつわるアート活動がテーマとなっていて、これまでのどんな展覧会にも似ていないつくりになっているという印象をもった。
テーマは「諸行無常」ならぬ「書行無常」である。新たに「書」というテーマを引っさげて行なった展覧会なのか? 或は関係者が企画して新也さんに提案して実現したものなのかは定かではない。
はっきりしていることの一つは、以前の新也さんのどの写真展とも異なっているのは、写真家から行動家へと少しばかり、依って立つ立ち位置を動かしたということだろう。写真家・新也さんとしての顔以上に行動家、活動家としての顔が前面に出て来ているのであり、新しい出会いであったという印象を強く抱いている。
千代田区「3331 Arts Chiyoda」にて「写真家60人の『瞬間と永遠』」展開催
千代田区「3331 Arts Chiyoda」にて「写真家60人の『瞬間と永遠』」展が開催されている。
実はこの、タムロンの「18-270mm」レンズはおいらも愛用しているレンズだ。超高倍率のズームレンズでありながら軽量コンパクトであり、一眼レフカメラに装着すればこの1本でほとんどすべての撮影が可能になるという、一時代前ならば夢物語でも語られたような秀逸なレンズである。
ズームレンズは単体レンズの良さに取って代わることはできないながらも、理想的なズームレンズの姿を体現していると云えよう。
殊にぶらりと手軽に出かける小旅行にはとても重宝すること請け合い。実際においらもまた、ニコンの一眼デジカメにこのレンズを装着して撮影に臨むことが非常に多くなってきているのだ。ほぼ9割はこのレンズによる撮影だ。ちなみにそれ以外のレンズを使用するのは50mmのクラシックレンズと、11 ~ 16mmの超広角レンズくらい。この3本でほぼ全ての撮影が可能になっている。
写真展に参加している作家作品の多くは、現役作家として活動を続けており、木村伊兵衛賞受賞者などの高名な作家も含まれている。そして彼らの作品の多くが旅行のスナップで占められている。紋切り型の観光写真もあるが、肩肘張らないで素直に撮影した、ハッとさせるくらいに新鮮な作品も混じっていた。
何時でも何処でも撮影が可能だというこのズームレンズの使い勝手は、想像以上のものがありそうなのである。万能オールマイティレンズの使用感を実感させるのだ。
「土門拳の古寺巡礼」展が八王子市夢美術館にて開催
――――――
ぼくは人生の過半を
カメラを背負って
古寺を巡ってきた
――――――
こう語って古寺を撮影し続けた土門拳氏の「古寺巡礼」展が「八王子市夢美術館」にて開催されている。
これまでに土門拳氏の作品集等にて「古寺巡礼」の作品群については目にしてきたが、今回の企画展にて一同に集った作品群に接し、改めて土門拳の古寺巡礼、即ち此れだけに年月や熱情を傾けて創造され続けてきた「古寺巡礼」の、云わば魂に接することが出来たと感じ取っていた。
巨大なサイズにプリントされた作品群の中にはひっそりと、オリジナル・プリント群が佇んでいたのである。額装された作品には「Domon Ken」という自筆のサインが添えられていた。其れを目にしておいらは作家の思い入れ、強烈なる自己主張の息吹を感じ取らざるにはいかなかったと云うべきであろう。
古寺は日本の文化文明を担ってきた文化財であったと共に、否それ以上に強く、土門拳の捉えた仏像、仏閣の美しき姿形を印画紙に定着させていたのであった。
所謂作家とモデルという関係性でありながらも、作家はモデルに従属することなく「土門拳」を主張していた。写真が芸術として我国にて認められた背景に、この土門拳氏の「古寺巡礼」が果たした功績、光跡は計り知れないものがある。それを何よりも感じさせる写真展である。
「2k540 AKI-OKA ARTIZAN」が9/29グランドオープン
会場のトータルデザインは以前のままだが、御徒町よりにスペースが広がって、店舗数も増えたことから、職人工芸の街並といった印象をより強く植え付けることとなっている。
会場では江戸切子グラスの制作実演が行われたり、その他様々なイベントが企画されている。伝統芸能の制作現場と直に接することができる、都内でも稀なスペースとなった。
尾崎豊ハウスがホーメストの家に建て替えされるという
1992年(平成4年)4月25日に26歳と云う短い生涯を閉じた天才シンガー、尾崎豊。彼が最期の日に倒れていたのを見つけて手厚く介抱をし、病院への搬送を行なっていたのが小峰さんであり、小峰さん宅は今からもう19年と数ヶ月の間ずっと、「尾崎ハウス」と呼ばれ続け、その後小峰さんの家には、全国からの尾崎豊のファンが訪れるようになっていた。
その倒れていた日に運ばれた病院から何故か自宅マンションへと戻された尾崎豊はその日のうちに容態が悪化し、死ななくてよいはずの身であったはずだが基本的な生命維持の治療も施されることなくとても残念な不遇の死を遂げてしまったのである。
そんなファンにとっては忘れられない「尾崎豊ハウス」が改築されるというニュースに接したおいらは、おいらにとっても非常に思い出深い、古くからのそのハウスを目に焼き付けたくなり、訪れていたのだった。京成本線「千住大橋」駅から徒歩で5分程度の下町の住宅地である。近くには「中央卸売市場足立市場」という卸市場が控えている。もっとずっと前からその場所は通称「やっちゃば」と呼ばれる下町の市場であり、「やっちゃば通り」という歴史的街道も近くには残されている。戦時中の大空襲にも焼かれることなく下町住宅地の風情を今なお残している一帯に「尾崎豊ハウス」が在るのだ。
5~6回は訪れたろうか、その場所へ何年かぶりに訪れていた。ドア扉は締め切っており、中には人の気配は無かった。たしか4畳半の部屋の壁面には大きな建築計画の看板が掛けられていた。マスコミ情報によればこの9月末までに旧ハウスが取り壊されるとのこと。そして新しくホーメストの家が建立されることになる。
話はだぶるが、おいらも20年あまりの間に何度かハウスを訪れ、天才尾崎豊を介して、若い人たちとの貴重な交流を得ていた。若いファンがこの場に集どるのは尾崎豊さんだけではなくて、小峰さん家族の人たちの、厚い心により添って集まってくると云うものではあった。若い人、特に甚大な悩みを抱えている人たちをも、小峰さんが受け入れていたのだ。
つまりは此処は、そんな特別な場所だったのである。古き「尾崎豊ハウス」のレクイエムを歌いたい気分でこの場所を訪れ、そしてあとにしたのだ。近くの「やっちゃば街道」添いには地味だが白いユリ科の花が咲いていて来る訪問者を歓迎しているようだった。花言葉は「純潔」という。まさに尾崎豊さんのハウスに相応しい。
インパクトを増した川上弘美さんの短編集「どこから行っても遠い町」
[エラー: isbn:9784101292410:l というアイテムは見つかりませんでした]
文庫版の新刊コーナーにならべられていて、その魅力的なタイトルに惹かれて手に取ったところ、そのまま魅了されて購入して読み進めていた一冊だ。最近のおいらの読書傾向でもあった、途中で読書放棄などすることなく、云わば順調に読了することを可能にし読み終えたのだった。
かつて芥川賞受賞作「蛇を踏む」に接し、川上さんの独特で不思議な作品世界に魅了されて以来、文芸誌等では何度か彼女の作品を読んだことはあったにせよ、まとまった作品集として読み進めたのは稀であった。
今回手に取った作品集は予想以上にわくわくさせられた。尚且つ以前の川上さんの作品から得た手応えとは異質のものであったのだ。
今回の作品集から独特な手応えとして受け止めていたものは、何だったのかを改めて考えてみた。その一つが死者からの視線だ。
この小説集では何人もが死んでいる。何人もの死者が登場するばかりか、死者がいなければ成り立たないプロットで物語が進められていく。連作短編集として重要な某章ではなんと、死者が主人公を張っているくらいなのだから、おいらの分析もなまじ外れているとは云えないのだ。死者と生者との交流といったやや劇薬じみた味付けを加味されながら、実に川上さん一流のドラマが流れていく。そんな物語を追いつつ、読者としての恍惚感やカタストロフィーに浸ることが出来たのだ。まさに傑作短編集に値する一冊だったのだ。
一見日常的な体裁をまとっていながら、実は非日常的なプロットを、作者はそっと提供しつつ、物語を一段と高い人々の日常生活に持っていくのだが、そんな作家の狙いはそれこそまさに川上さんの独壇場とも云えるのだ。
八王子河原敷でのイベント「みんなちがってみんないい」
八王子市内を流れる浅川の河原敷で「みんなちがってみんないい」というイベントが開催された。
http://homepage3.nifty.com/minnatigau/
生憎ちょうど昨日は、自転車がパンクして修理に出していたりした為、距離にして3~4kmほどの道のりを歩いて、その会場に向かうこととなった。秋に入ったとはいえ直射日光は直に川沿いを歩くおいらを襲い、会場に到達する頃には汗がだくだくと流れて止まることが無かった。
これまでも都内への通勤や自転車による駅と自宅との行き来やらではの行動で、一定の身体活動は行なってきているのであるが、改めて長距離の散歩を行なうと云う事態に直面して、健康生活への自覚を深めたものとなっていたようである。
会場に到着した時刻は既に昼時を過ぎていたこともあり、タイ屋台料理の春雨炒めにぱくついたりしていた。その料理は想像以上に刺激的においらの口腔内と喉とエスニックな辛味で満たしていたのだ。
会場には国際色豊かな食べ物を提供する店舗のほか、2箇所に設けられたステージ上での音楽演奏、パフォーマンス、さらには東北大震災を撮影した2人の写真家による展示会など、様々なイベントが息づいていた。
青い空と白い雲の下に広がる河原を舞台にした祭り会場には、家族連れ参加者が多くみられ、綺麗な水の流れる浅川に入って水遊びをする光景が、自然と目に入ってくる。都内にもまだまだこんな場所があるのだ。
改めて書くのもなんだが、このイベントのタイトル「みんなちがってみんないい」は、童謡詩人として活躍した金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」の詩から引用されたものである。時代が移り変わっても決して褪せることのない、生命の尊さが瑞々しく表現されており、おいらも大好きな一編である。素朴でいてわかりやすいこの詩をここに掲載させていただきたい。
―――――
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
「アーツ千代田3331」にて「千代田芸術祭2011」が開催
千代田区の旧練成中学校を改修して昨年オープンした「アーツ千代田3331(3331 Arts Chiyoda)」にて「千代田芸術祭2011」が開催されている。(9/3〜9/19火曜休場)
昨年の「アンデパンダン展」がスケールアップして企画された展示会ということで、1階メインギャラリーでの作品展示に、コミュニティスペースと屋上にて「ステージ」や「マーケット」の催しが加わった。
展示部門のジャンルは設けられておらず、油画、アクリル画、立体作品、写真、ビデオ、その他、多岐にわたっている。広く市民アーティスト達の表現の場として生まれた同会場においてジャンル等々の出展の規制を設けることなどナンセンスであり、会場にはジャンルを超えた表現の息吹が渦巻いていたのであり、企画者達の基本的な目的は達成されていると見える。「アンデパンダン展」を称した展示会であるからしてあからさまな職業批評家達のコメントやらは避けられており、当たり前のことながら風通しの良い展示会と云う印象を与えている。
先述したようにこの会場は元は区立中学校だった場所だ。校庭はそのまま公園として再利用されている。通常こういう場所のことを「廃校」と呼ぶのかもしれないが、こと旧練成中学校に関してはこの言葉は当てはまらない。現役の校舎としてそのまま使えるくらいに、旧校舎と場に関係する人々、あるいは行き交う人々との関係性が密にあるということを感じさせるに充分である。庭の花壇には昼顔が花を咲かせ、ツルが天然の緑のカーテンを形作っていた。
2階、3階は貸しギャラリーとして機能しており、様々な個人やグループによる展示が行われている。階段や廊下を歩いているだけで、中学生の時代にタイムスリップして気分にもなれて、それだけでもわくわくしてくる。おすすめのスポットである。
■アーツ千代田3331
〒101-0021
東京都千代田区外神田6丁目11-14
阿佐ヶ谷から古き良き「ゴールド街」が消えていく
中央沿線沿いの「阿佐ヶ谷」から「ゴールド街」が無くなってしまうというニュースを目にして、慌ててその「ゴールド街」へと向かってみたら、もうそのあたり一帯はもぬけの殻状態に近い様であったので喫驚仰天の心持ちなのである。
阿佐ヶ谷「ゴールド街」と云えば、おいらが10年と少し前に中央線沿いに移り住み着いて以来、幾度となく訪れていた好みの地域である。阿佐ヶ谷駅を降りて東側の信号を渡るとすぐに、その界隈一帯のビルにぶつかっている。そんな足の良さもあってか、あれやこれやの時間帯をその界隈の散策に勤しんだりしていたものである。
ちょっとばかり変てこりんな「葉山房」という居酒屋が在った。店舗内には大きな水槽が設けられており、熱帯魚や金魚みたいな風体をした魚達が泳ぎまくっていた。そんな光景を眺めながらちびりちびりと酒をたしなんでいたものである。だがそんな居酒屋「葉山房」もいつの間にか姿を消していた。つまみを何を食べたとかそんなことはほとんど記憶の埒外に追いやられているが、阿佐ヶ谷を訪れて帰りに立ち寄る場所としては、おいらが最も親しんだスペースであった。そんなスペースが今は無い。
駅から徒歩にして1分未満の場所に位置する2階建てビルであり、耐震構造に問題在るとも思えない。だがJR東日本はここを取り壊して新しいビルに立て直すのだと云う。訪れたビルの2階の店舗街は既に封鎖されていた。風情あるこれまでの「阿佐ヶ谷ゴールド街」は、どこにでもあるようなJR駅中のビルへと様変わりしてしまうのだ。残念至極なり。
古い歴史的建造物は人々の歴史を感じさせるが、新しい駅ビルはただ貪欲な功利主義の欲にまみれふざけ切った出店企業の営利活動の排出物を受け取るばかりであり、それ以上の風情のかけらも無い。
おいらも旨い酒など求めて一献傾けるつもりで阿佐ヶ谷に立ち寄ったのだが、望みも叶わぬまま再びの中央線ホームから乗車し帰路についていた。全くもって徒労の時間だったのである。
横浜「黄金町」ガード下のアートスポットに注目
「ヨコハマトリエンナーレ2011」のあとで、黄金町から日の出町駅ガード下のスポットを訪れた。伊勢崎町の市街地からも近いこの一帯はかつて売春窟として有名であり、犯罪の温床ともみなされていた場所である。2000年代に入ったそう遠くない頃に、古くからの地元住民や警察関係による浄化の運動が展開されてきた。かつての売春宿や違法店舗が消えて空き家になった場所に、アーティスト達が活動や発表の場所として利用している。街ぐるみでアートのスポットとして再生させようと、様々な試みが行われているのだ。
2008年からの「黄金町バザール」は、今年は「ヨコハマトリエンナーレ2011」と合わせてスタートし4回目を迎えた。町興しに日本国内外のアーティストが参加し、今流行の「絆」を深め合おうと云う活動が展開されている。ガード下には新しいスタジオや制作の拠点が生まれており、町の再生という目標を後押ししているとも云えるのだ。
「黄金町バザール」の事務所を兼ねる「竜宮美術旅館」では、古めかしい旅館の建物の場を利用して、松澤有子さんの作品「ひかりを仰ぐ」等の作品を展示している。木賃宿風情の一角には風呂場が設置されているが、その場がアートとして再生されており、希望者が申し込めば1日1組に限り入浴も可能だと云うことだ。場とアートとイベントとが一体化したユニークな試みとして注目される。機会があればおいらも一風呂浴びたいものだ。
その他、ガード下を歩けばアートグッズを扱うショップや、若手アーティストの制作現場に遭遇することとなる。9月からは作品発表の場として様々なイベントが企画されているようなので注目しているところである。