トピックス: 2011年11月
月刊文藝春秋に「尾崎豊の『遺書』全文」が掲載 (2011年11月17日)
先日発行された「月刊文藝春秋」に「尾崎豊の『遺書』全文」と題されたレポートが掲載されている。副題には「没後二十年目 衝撃の全文公開」とある。筆者は加賀孝英。 出版直後からセンセーショナルな話題となっているが、内容は、尾崎豊の「死」の真相を婉曲的に「自殺」と断じた内容となっている。その根拠とされているのが、尾崎豊が死の前に書き綴ったという2通の「遺書」の存在である。 遺書とされるその2通の内容について、今回初めて「公開」されたという形でのレポートなのである。ただしその物理的な証拠となるべき「画像」等については一切公開されてはいないのが、非常に残念であり不可解でもある。 ーーーーー 先立つ不幸をお許し下さい。 先日からずっと死にたいと思っていました。 死ぬ前に誰かに何故死を選んだか話そうと思ったのですが、 そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。 (略) あなたの歌が聞こえてきます。 まだ若かった頃のあなたの声が、 あなたのぬくもりが甦ります。 さようなら 私は夢見ます。 ーーーーー 引用した文章を「遺書」と見るか否かについては見解が異なるところだ。アーティストであり生来の詩人であった尾崎豊が、気まぐれに、あるいは思い付きで記した言葉だととることも可能である。レポートの筆者はこの文書をもって繁美夫人への「遺書」だと断じるのだが、いささか無理筋の論理展開ではないのかと思う。 以前からおいらは、繁美夫人が尾崎豊の死に影響を与えた等々という「推理」には与しないし、死の当日のあれこれを聞き及んでいる人間としては、彼の死が不遇なアクシデントの積み重ねによる極めて不幸な死であると感じているものなのである。それだからこそ、ここに来ての尾崎豊の「自殺」論の主張には大いに首を傾げざるを得ない。自殺する人をおいらは決して否定しないが、尾崎さんについては、彼はまだまだ生に対する執着が強かったであろうし、おいそれと「自殺」という幕引きを演じることなどは決して無かったであろうと確信している。 いつか改めて、加賀氏のレポートの論理矛盾について記していきたいと考えているところだ。 尾崎豊の実父も彼の「遺書」に疑問を呈している 尾崎豊の死因が「自殺」だったという月刊文藝春秋の記事に疑問符を呈したばかりだが、其れを裏付けるように、彼の実父による「自殺ではない」というコメントが紹介されていた。http://www.news-postseven.com/archives/20111118_71059.html 「豊は気分が落ち込んでいるときに、突発的に遺書のようなものを書くことがあった。亡くなる3年前に自殺を考えたことがあるらしいが、そのときに書いた可能性もある」 このようなコメントは、身内でなければ発し得ないものだ。実父の発した疑問であれば、それなりの重みがあるはずである。 「いまとなっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺じゃない。豊じゃないからわからないけど、なんで死んだんだって…いまでも思ってます」 他殺説を実父は封印した。そしてなおかつ、尾崎豊さんの死に関する疑問符は付きまとってしまう。稀な存在感を持ったアーティストであったが故の宿命であったのかもしれないと考えている。この「宿命」という語彙にはもちろん、豊さんへの多大なリスペクトが含まれているのだが…。
写真・言葉・書で時代を飾る、藤原新也さんの「書行無常展」が開催 (2011年11月08日)
11月の5日より27日まで、藤原新也さんの「藤原新也の現在 書行無常展」が開催されている。 ■藤原新也の現在 書行無常展 2011年11月5日(土)~27日(日) 東京都千代田区外神田6-11-14 3331 Arts Chiyoda http://3331.jp かねてよりおいらも注目しているアートのスポット「3331 Arts Chiyoda」が会場となっている。 たしか昨年の頃より、雑誌「プレイボーイ」誌にて連載されていた新也さんの「書」にまつわるアート活動がテーマとなっていて、これまでのどんな展覧会にも似ていないつくりになっているという印象をもった。 テーマは「諸行無常」ならぬ「書行無常」である。新たに「書」というテーマを引っさげて行なった展覧会なのか? 或は関係者が企画して新也さんに提案して実現したものなのかは定かではない。 はっきりしていることの一つは、以前の新也さんのどの写真展とも異なっているのは、写真家から行動家へと少しばかり、依って立つ立ち位置を動かしたということだろう。写真家・新也さんとしての顔以上に行動家、活動家としての顔が前面に出て来ているのであり、新しい出会いであったという印象を強く抱いている。