岡本太郎グッズに注目なのだ
全国的なものかどうかはさておいて、東京国立美術館「岡本太郎展」における岡本太郎さん人気は凄まじい勢いを呈しているようだ。会場前に設置された通称「ガチャガチャ」と呼ばれるグッズマシンでは、大勢のマニアが競うように行列を作って、太郎グッズを求めていた。
「岡本太郎アートピースコレクション」と名づけられたそのシリーズは、全部で8種類あり、8種が揃ってコンプリートということになる。どれが出るのか判らないが故に何十回もガチャガチャを続けるマニアが登場する始末なのだ。彫刻作品のミニチュア版レプリカであり、手元に置いておきたいというマニア心を刺激する。
おいらは収集マニアではないのでそこまではしないが、あの顔のグッズはぜひ欲しい。また機会があったらチャレンジしてみるつもりだ。
http://www.kaiyodo.co.jp/taro/index.html
敏子さんあっての岡本太郎だったことを、改めて思う
本年が岡本太郎さんの生誕100周年と云う事情もあり、岡本太郎がおいらにとってのマイブームとなっている。
我が国の美術家たちの中でも太郎さん以外に好きな作家は数多存在しており、青木繁、佐伯祐三、福沢一郎、司修、等々と挙げればきりがないくらいだが、中でも岡本太郎さんくらいにストレートにその生き様に憧憬を抱かされた芸術家は居ないだろう。
上手にマスコミを利用し、操り、ときには道化の役割を担いながらも、彼独自の強烈なメッセージを発し続けた、そんな太郎さんの生き様は、些かも薄れることなく現代にその光彩を放っている。
[エラー: isbn:9784334783563:l というアイテムは見つかりませんでした]
本日読んでいたのは「日本の伝統」という一冊。おいらも思春期の頃に熱い思いで読み込んでいた一冊である。元本の「日本の伝統」(光文社刊)の出版が1956年と云うことであり、ゆうに50年以上の月日を過ぎているが、そのメッセージは色褪せることがない。太郎さんが45歳のときの、日本文化全般を扱った名著である。
改めて読み進めるにつれ、言葉の表現力の多彩さ、強烈さ、ユニークさに圧倒させられていた。そしてその陰には、岡本敏子さんというパートナー、実質的な夫人の存在の重みが強く感じられたのである。
敏子さん、旧姓平野敏子さんと太郎さんは、太郎さんが36歳の頃に出会い、それ以来、実質的な妻としての敏子さんの陰日向における活躍があった。太郎さんの難解で突拍子もない言葉の意味を理解しながら、それを一般市民へのわかりやすい言葉として翻訳していく。更にそれのみならず、活き活きとした息遣いが増幅された言葉として、紡ぎだされていたのである。よくある「ゴーストライター」としての仕事を遥かに超えている。まさしく敏子さんあっての岡本太郎のメッセージだったのであった。
余談になるが、何故太郎さんは愛する敏子さんと結婚しなかったのだろうかという疑問が存在している。晩年に敏子さんは太郎さんの「養女」として、岡本籍に入ることになったのだが、何故に妻ではなく養女だったのかという疑問だ。フランスナイズされた「独身主義」を通すためだとか、母親(岡本かの子)の存在が理由であるとかの解説がなされているが、それだけで了解できるとは云いがたいものがある。
仏蘭西滞在時代の太郎さんは相当なプレイボーイであり、ガールフレンドの数はとても多かったという。そして帰国してからの生活はといえば、ガラっと変化してしまったのかもしれない。一人の女性に満足できずにいた太郎さんの姿がイメージされる。
それでも二人は永遠の同士だったのであろう。太郎さんの思いを何倍、何十倍にも増幅させて、敏子さんが言葉を紡いでいく。驚くほど深く強固なパートナーシップであった。
岡本太郎さんの青春が投影された「青春ピカソ」
[エラー: isbn:4101346216:l というアイテムは見つかりませんでした]
岡本太郎さんの生誕100年記念の今年、書店のブックフェアにて「青春ピカソ」を購入し、読了した。
「ピカソに挑み、のり超えることがわれわれの直面する課題である。」という、巨大な意志を持って制作活動を行なった太郎さんによる、極めて個人的なピカソ論となっている。「個人的な」という意味は、ピカソを超えたいという太郎さんの切実な思いに加えて、ピカソという愛するべき存在に自分自身のありうべき姿を投影しているからだろう。
太郎さんは生涯に2度ほど、絵の前に立って涙を流したという。その一つが「セザンヌ」であり、もう一つが「ピカソ」だった。そのときの岡本太郎さんが放ったという言葉が凄い。
「ピカソの作品は私とともに創られつつあるのだ。」というのだから。
その後の太郎さんの活動はまさに、ピカソとともにあったのだろう。果たしてピカソを超えることが出来たのかは不明、否定的であるが、太郎さんだからこそ挑んで花開かせた世界がそこにあった。
東京国立近代美術館にて「生誕100年 岡本太郎展」開催中
昨日も述べたように、今年が岡本太郎さんの生誕100周年に当たることから、数々の記念展が企画進行中である。中でも目玉となるのが、東京国立近代美術館にて開催中の「生誕100年 岡本太郎展」である。大地震の影響で一時開催が中断されていたが、3月19日(土)より再開された。
http://taroten100.com/index.html
同展は、プロローグ、エピローグとあわせて9章の展示室によって、それぞれに独立したテーマ性を持たせた展示方法がとられている。岡本氏が生涯にわたって追求したテーマのそれぞれが、それぞれ具体的迫真的な作品群とともに検証されていくわけであり、成程よく練り込まれて企画開催された堂々たる展示会となっている。
おいらが今回の展示会にて特別なインパクトを受けたのが、最初の展示ルーム「ノン」である。そこでは12体の彫刻作品が展示されているのだが、それら彫刻作品がものとしてのもつ存在感、躍動感、呪術性、神秘性、それに加えて岡本氏個人のオリジナリティーが充満しており、岡本ワールドを象徴しているようであった。
岡本太郎さんの数ある作品の中でも、完成度の高さと云えば、彫刻作品がダントツである。もし太郎さんが「ゲイジュツ家」としてではなく「彫刻家」として活動を行なっていたならば、日本国内の評価は変わっていただろうと思われる。太郎さんが忌み嫌った「わび・さび」の文化圏内において、もっと高評価が得られたであろうとともに、数々の文化勲章等をものにしていたことだろう。ここまでは、反語的な意味で書いていることを理解していただきたい。
太郎さんへの評価、関心は高まりこそすれ衰える兆しは無い。喩え世間の評価が衰えたとしても、おいらの評価はうなぎのぼり状態である。今年はとことん、岡本太郎という稀有な存在に拘って、当ブログおよび「みどり企画」関連の活動も続けて行きたいと考えているところなのである。
とりあえず此処では、同展示会の会場の中で岡本作品に出会っていただいて、岡本太郎をあらためて体験することを勧めておきたい。伝説的なモニュメントのレプリカもあり、彼の芸術論が展開された書物の展示もある。岡本ワールドの全貌を体験するにはもってない機会であることは間違いない。
同展示会の出口付近には、太郎さんのメッセージを受け取るというイベントコーナーがあった。ひとり一つずつのメッセージが「太郎の言葉」として提供される。ちなみにおいらが受け取った言葉は、下記のとおりであった。個人的に心を揺り動かされた言葉だったということを記しておこう。
――――――――――――
何でもいい。
見物人ではなく、とにかく
自分でやってみよう。
動いてみよう。
――――――――――――
■生誕100年 岡本太郎展
会場/東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)
会期/~ 5月8日(日)
開館時間/午前10時~午後5時
休館日/月曜日[3月21日、3月28日、4月4日、5月2日は開館]、3月22日(火)※明日は休館です!注意してください
核の時代のメッセージを込めた岡本太郎の「明日の神話」
今年は亡き岡本太郎さんの生誕100周年にあたるとして、幾つかの記念展が開催、企画されている。書店では「岡本太郎コーナー」が設けられ、どこも足を止めて画集や著作本を開く人々で賑わっている。
本日の今にして改めて思うに、岡本太郎という芸術家の存在はまさに「核の時代」と云うべき今日の姿をモチーフ、テーマにして、旺盛な制作活動にあたっていたのではないかということだ。
渋谷駅ターミナルの内部には「明日の神話」という巨大なる壁画が展示されている。否々、展示等という一時的なものではなくして恒久展示としてのその壁画は、公共施設の心臓部に存在している。この壱事実をもって、岡本太郎という存在の重さを感じ取ることは容易である。それに加えて公共アートというものに対しての逸早い取り組みを、太郎さんは日本の誰よりも先駆けて行なっていたということを感じ取るのである。
些か前書きが長くなってしまった。3/11の東日本大地震がきっかけとなって発生した、原子力発電所の爆破事故という重大な現実に遭遇して、岡本太郎さんのかつて発したメッセージが心に響いていたというわけなのだ。特に「明日の神話」に込められたものこそ、今の現代人が受け取るべき大切なものが込められていると考えている。
壁画の中央にはのたうちまくっている骸骨が、そのとき(核の時代)の尋常ならざる光景を如実に示している。そして、それこそは、今の現実に引き起こされている光景でもある。
人間が自然界の全てを支配しコントロールしようとしてきたその結果が、核兵器の存在や核施設の建設へと邁進へと繋がってきた。そして今まさに、その崩壊が引き起こされている。
今こそ「核開発」などという悪しき言葉に惑わされることの無い、人間としての日常を取り戻すべきときなのであると思うのである。
「腐っても岡本太郎」の岡本太郎記念館はおすすめ
岡本太郎さんといえば川崎に大きな「岡本太郎美術館」があるが、まずは青山の「岡本太郎記念館」に足を運んでみることをお勧めする。表参道の駅から徒歩7~8分、閑静な住宅街を歩いたところにその記念館は存在している。住宅街の中には「PRADA」「Cartier」といった高級ブランドショップビルディングが軒を並べていたりしており、ただの閑静な街ではないことが見て取れる。実はこの場所こそ、岡本太郎さんが生前に創作活動の拠点としていた、いわゆるひとつのホームベースなのであり、アトリエや居住空間がほとんどそのまま残されている。岡本さんの私生活を追体験してみたと感じ取っても良いくらいに、生活観を、創作の匂いを残しているのだ。
この記念館では写真撮影が自由だということで、いろいろ記念に撮らせてもらった。撮影OKなどというのは当然のことだが、勿体つけてか何かは知らぬが、「撮影禁止」の四文字に慣らされていたことのこれまでの美術館鑑賞が詰まらないものとさせてしまう。我が国の美術界に対して岡本イズムが今後とも関わっていく余地は、まだまだ存在しているのである。
入場料は大人600円なり。受付スペースには関係書籍類やグッズが多数揃っているが、初めての人には「今日の芸術」(岡本太郎著/光文社文庫)をお勧めしたい。戦後間もなく発行された同名著書の復刊を望んだ横尾忠則さんが、自ら序文を書いている。余計な解説は不要だろう。以下に一部を引用しておきます。
「去年より今年、今年より来年みたいに新しい概念と様式ばかりを求めた結果、今や現代美術は完全に閉塞状態で息もたえだえである。これみよがしのアイデアだけの作品が多い。もうそろそろ頭脳的な創造から、個の肉体を取り戻そうとする生理的な創造に一日も早く帰還すべきではないのだろうか。そのことに気づけば、自ずともう一度岡本太郎の書をひもときたくなるはずだ。」(横尾忠則による序文「岡本太郎は何者であるか」より引用)
東京都港区南青山6-1-19
tel 03-3406-0801
紹介した青山の「岡本太郎記念館」では、かつて岡本太郎さんが居住と創作とをともにしていたハウスをそのままに、大量の作品を展示している。と いっても元アトリエに仕舞ってあったりする作品の数も多く、美術館の特設展示場ほどには、そのボリュームを感じ取れないかも知れないのだが、昨日も述べた ように、この記念館でしか体験できない貴重な出逢いに遭遇できるかもしれないのでお勧めなのである。
彼の生作品にまみえることのできた人は、その荒々しい筆致が目に焼きついてしまい離すことが困難となる。「今日の芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」という、有名な太郎さんのフレーズは、彼の作品に痕跡を記した生の筆致に触れてこそ、より深い理 解が可能となる。美術の教科書に載っている岡本太郎の複製画や諸々の画集などを眺めているだけでは得ることができない感動が、そこには存在しているのであ る。
3月3日から6月27日までの間、常設展示のほかに「岡本太郎の眼」という企画展示が開催されていており、太郎さんのあまり知られていない一面に接 することができる。一言で云うならばカメラにとらえた作品群である。だが、写真ではない。解説は、太郎さんの母親であらせました岡本敏子さんの言葉で締め くくろう。
「写真ではないのだ。岡本太郎の眼、岡本太郎の見たもの、
岡本太郎その人がそこに浮かび出る。
動かし難い存在感、造形的な構成力。
決定的瞬間などという言葉がヤワに聞こえるほど、きまっている。
がそれは、まさに一瞬の、一瞥の火花。深い。」(岡本敏子)