パプアニューギニアで出会った
「おしゃれな」人たち


パプアニューギニアはいま開発途上。人々の生活も先進文明の波に洗われつつあり、中にはユーモラスな姿も目にできる。

町や村を結ぶ小型飛行機を初体験で

パプアニューギニアへは、シンガポールを経由して着いたので、東南アジアと似たような国なんだろうなと思っていた。
が、国じゅう森におおわれ道もなく、ほんとうに未開の国だった。道がないので、村や町を6人乗りのセスナがつないでいることが多い。同国第2の都市レイからワウまで、このセスナに乗った。
小型飛行機は初体験だったので、期待で胸がわくわくだった。若くハンサムな金髪のパイロットが操縦しているのを、すぐそばでみれた。
セスナ機はジェット機ほど高度を上げずに飛ぶので、地上がよくみえる。その代わり揺れが激しい。ジェットコースターに乗っているようで、恐いと感じたとたんに眠くなってしまい、せっかくの景色を堪能しないうちに、ワウに到着した。
最初の1週間は知人と一緒で、心配なかったが、これからは一人だ。ほんとうに大丈夫だろうか。不安で胸が締めつけられる。時おり、この国にきたことを後悔した。まだ見ぬものへの期待があったので、不安をごまかしつつ旅を続けた。
首都のポートモレスピーでは、空港から近くのホテルの売店まで歩いていったら、欧米人ツーリストに危険だと注意を受けた。バスのなかで、強姦にナイフを突きつけられたという話も聞いた。
ワウには、ワウエコロジー研究所があり、ゲストハウスを完備している。ここなら一人でも地球最後の楽園といわれる秘境パプア(以下略)を堪能できるとの知人の勧めで、ワウを選んだ。

イモ暮らしも楽しからずや

ワウは2千メートルの山々に囲まれた盆地の町。山に囲まれた小さな田舎町で生まれ育ったわたしには、妙に懐かしさを感じ、落ちつけるまちだった。
センター内のゲストハウスは、基本的に自炊。まずやることは町の中心にある市場での買い物。土地の人が、山から採ってきた野菜と果物を中心にした出店が、約30〜40並ぶ。
パプアが属する太平洋の島々といえば、お相撲さんも生んだ地。あの大らかな巨体を育んだ食べ物といえば「イモ」である。代表的な食事は、イモと野菜をココナツミルクで煮込んだもの。都市部ではこれに、鶏肉が入る。
わたしも市場で食材を買い、作ってみた。ココナツは、エコロジーセンターに住み込む地元の家族に、削ってもらった。それを絞りココナツミルクを得る。あとはそのココナツミルクで野菜を煮るだけである。味はまあまあだった。
市場では、野生のアボガドをみた。乾燥させたタバコの葉や、それを手作りで紙に巻いてタバコ状にしたものも売られていた。普段お世話になっている野菜・果物は、もともとはこういう姿だったんだと、感慨深いものがあった。パプアは、日本に南方系の文化が入ってきた源流ともいう。
センターの人をガイドに雇い、近くの村を尋ねてみた。家々の屋根など、妙に懐かしさを感じる光景にたくさんめぐりあった。

ゴールドラッシュの夢の跡

旅の最大の喜びは、人によって、またその旅によって違うだろう。わたしの場合、ヒトとの出会いが大きな喜びになることが多い。センターのゲストハウスで、家族と離れレイの工業大学で鉱山学を教えるマイクさん(オーストラリア人)と出会った。
調査にいく彼の車に同乗させてもらい、カナダの会社が経営するイーディクリークという鉱山、そして地元の人々が一攫千金を狙って小さな渓谷を掘る現場を2日にわたりみることができた。
家族から離れ人も住まない場所で、地球の地表面を相手に、大がかりに金を掘削する欧米系の人々。男だけの世界で、西部劇に出てくるようなラフな雰囲気。森を焼いたり、地表を削ったりと、金採掘は地表面を変えていく作業。携帯電話にも使われているという金だが、金のために、環境が破壊された面もあるんだなと思った。
マイケルさんは、わたしのこの国に対する好奇心に、自分の生徒に教えるように丁寧に応えてくれた。未知の国を写し取りたいというわたしの熱意が伝わっていたのであろうか。こうした出会いを一期一会というのだろう。

マウント・カェンディで会った人々

ワウでの滞在も残すところあと1日。マイクさんと車で登ったカェンディ山に、ガイドを頼み、徒歩で登ってみることにした。車が巻き上げる土埃を避けながら登り続けると、いろいろな土地の人とすれ違う。作ったばかりの刈り用の弓を抱えた若者。野生のコーヒー豆を入れた袋を背負ったおじさん。捕まえたばかりの小鳥を手のひらにかかえた女性。
小川では、土地の人が洗濯やお風呂代わりに水浴びする姿がみられた。パプアでは小川が洗濯機であり、お風呂場なのだ。
道が張り出した見晴らしのいいところに出た。すぐ下には5〜6軒の集落がみえる。高いところからの景色に見とれていると、頭に草を飾った子ども達が、下から走ってかけのぼってきた。
見知らぬ日本人が珍しいのか、好奇心にかられとても楽しそうに走ってくる。その表情や楽しそうなエネルギーに触れ、わたしも楽しく幸福な気分になった。草や木の葉を身につけるのは、わたしたちのお化粧と同じ意味があるという。そうだとするとパプアでは、男の人もとてもおしゃれである。そのエキゾチックな装いに魅了された。
お金を出せば何でも買える都会の便利さに慣れたわたしには、辛いことも多いパプアの旅だった。しかし言葉は通じないながら、いろいろな現地の人との出会いが、宝石箱を開けた時のように、キラキラした印象を残した。

戻る