あぶったイカこと「剣先するめ」を頬張りつつ、しみじみの一献

「剣先するめ」というメニューを注文して待つこと十数分間。おいらは焼き場の炭火の上に乗せられたするめが体を捻っていくその姿に見惚れていた。

思わず知らずに「舟歌」の歌詞を口ずさんでいた。嫌いな演歌歌手の八代亜紀の姿までもを脳裏に浮かべており、大変に迂闊な所業であったと思う次第だ。

演歌は好きではないが、時と場所と+αにて、途轍もなく深い心情を仮託させるものとなっていくのであり、まさに八代亜紀の「舟歌」こそはその最たるものだと云えよう。かくまでに演歌が、其のメロディーと共に染み込んでいたのは驚きであり、演歌恐るべしなのである。


お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり ともりゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

この日のおいらはぬるめのお燗を憧れつつも、燗に手を付けることはなかった。燗に手を付けたが最後、自宅に戻ることなど不能となって飲んだくれてしまいそうであり、その場を凌ぐのが、いわゆるひとつのおいらの理性の発現であると思われた。それくらいに演歌の世界に引き込まれていた。

一夜干以上に干されたイカの身はからからと、見た目は薄っぺらかったのだが、一口二口と口に含めるにつれ、その奥深い味わいにうっとりとしている。イカの身は横に繊維が走っており、ここが頗る見事なのだが、その繊維にそって手でさばいて取り分けることが出来る。丁寧に取り分けたイカの身を口に頬張るのだが、唾液がイカに絡まるまでには多少の時間が要するので、すぐに飲み込んだりすることは出来ない。それがかえって、あぶりイカの奥深い味わいを、味わい抜く技を提供しているとさえ思えてきた。

石原伸晃の「福島第一サティアン」発言が意味するもの

自民党の総裁選挙に立候補して以来、にわかにマスコミへの露出が増え脚光を浴びている。ニュースステーションはじめ、数多のTV番組への出演において、軽薄の発言を繰り返している。

そんな中で論難の的となっているのが、「福島第一サティアン」発言に関するあれこれである。

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20120914-1016643.html

曰く、東京電力福島第1原発事故で汚染された土壌の保管先に関し、「福島原発第1“サティアン”しかない」と、オウム真理教の関連用語に例えたのだった。

おいらはこれまで特別に石原伸晃をウォッチしてきた訳ではないが、この男の失言癖は生来的なものと思われる。「北方領土」と「尖閣列島」とをごちゃまぜにした発言は某TVでの生番組にて目にしたが、まるで小中学生が大切なキーワードを取り違えてしまって、周囲の番組関係者が慌てて取り繕うといった光景が垣間見られていた。これに類する事柄は枚挙にいとまがないものだと思われるのだ。

石原伸晃によるそれらの間違いを、単なる思い違い、考え違いだと判断するのは間違っている。「福島第一原発」を「福島第一サティアン」と取り違えたのは、普段日常的にこうした比喩を口にしていることが先ずは推測が可能とされる。ごく身内の仲間同士の発言に手はいつもこの比喩が口にされていたという推測である。

そしてマスコミにおいてもむ同様の発言が2度以上にわたって繰り返されたことは、前述した推測の根拠を補強するに充分なものではある。

「庶民」「市民」と称される日本国民の大多数を見下して、石原伸晃という男は政治活動を日々履行していると云ってよい。こんな男が日本の最高権力者となった暁には、これまでにない災難が日本国民の上に覆いかぶさってくるだろうことは容易に想像可能なのであるからにして、支持していない他党の出来事としては決して見過ごすわけにはいかないのである。

ピリ辛サルサソースが残暑バテに効く、沖縄料理の「タコライス」

沖縄料理店にて久しぶりに「タコライス」を食した。

ご飯の上に甘辛く炒めたひき肉、チーズ、トマト、レタス、そしてピリ辛の赤々サルサソース等々がトッピングされている。それを食べる直前に皿の上で混ぜて食べる。あまり混ぜ過ぎずに、具とご飯をざっくりとかき混ぜて味わうのが好みだ。サルサの刺激も舌をピリリとさせ、残暑で弱った身体に活を与えてくれるようだ。

南米メキシコの郷土料理の「タコス」の具をご飯に乗せてみたのがこのメニュー誕生の由来だとされるが、ご飯の上に乗せられた具に違和感はない。唯一のミスマッチ具材がチーズだが、適度に撹拌することで、ご飯に溶け込んでいくのだ。

野田佳彦の再選必定という民主党代表戦のあほらしさ

民主党の代表戦が告示されているが、日本国民としての観客として対応するならば、これほど興醒めな戦は無いと云って良い。

思い込みばかりが強く、即ちそれは野田という凡々野郎の自己満足を満たすばかり的政局を、これからも続けるのかという、あまりにも無残な希望をぐじゃぐじゃにする思いに漠然とするばかりである。

些少なりとも希望を抱かせたのが、数日前における民主党ずいいつのイケメン政治家こと細野豪志氏の野心に対するものであった。すべからく我が国の政治家(政治屋)たちは日本国総理大臣を目指すのであるからして、凡々野田の後塵を拝することなど潔くせずに、野心を発揮してほしかった。だがそんな観客の希望も、ぐじゃぐじゃと瓦解されることとなってしまった。

これにて野田の再選が決定的な規定路線となってしまった。対立候補の原口一博などは、反TPP等々、口先三寸では真っ当なことを述べてはいるが、かつて小沢の傀儡政権に乗っかろうとしてうごめいていた輩としては、誰も信用する人間、政治家には値しない。他の候補たちはまるで知名度も落ちた泡沫候補ではある。

「ほぼ朝だけダイエット」で、半年間で約5kgのダイエットを達成

おいら自身のダイエットの記録である。

翻って確認すると、本年の2月の某日から、自らのダイエットに励んでいたおいらである。某健康指導医の女医さんに「3ヶ月で3キロ体重を落としましょう」と云われて、1ヶ月に1kg程度を目安にダイエットを行なってきた。3ヶ月で目標の3kgのダイエットを達成し、その後も2kgの減量に成功しているという訳である。

ダイエット法は百花繚乱ではあるが、基本的には、以下の3点に集約されるだろう。

1食物の量を減らし、摂取カロリーを控える。
2運動量を増やす。
3代謝的な身体作り。

この中での「1」のポイントに焦点を当てたのが風本真吾ドクターが提唱する「朝だけダイエット」である。

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「先ずは、朝食を抜きましょう」と云い、それで一般的な朝食のカロリー量の400キロカロリーを減らすことが出来るというのが基本的な論拠となっている。朝食をとればダイエットにも効果的、等々と云う世間一般の常識とは一線を隠した、掟破りのダイエット法だという印象もある。

然しながらおいらはこのダイエット法を一部的に取り入れて、実際にダイエットに成功した。記すならば、「ほぼ朝だけダイエット」の実践であった。

平成の明智光秀こと石原伸晃が最高権力者になるのか(1)

政治家という職種の人間はほど知らずに権力欲に長けているとようであり、ことに総裁選、代表戦といった類の、数年に一度のメジャー級合戦に臨むときこそその本領をあらわにするものだと見える。

自民党の石原伸晃などは其の典型とも云え、父親譲りの奇異なレトリックを駆使しつつ、虎視眈々と最高権力の奪取には余念が無い。自民党の「ポスト谷垣」の座がすなわち我が国の最高権力者の座に直結するわけであるから、その言動にはのっぴきならないものを感じさせている。

現自民党執行部のNo.2の座に座っていながら、よほど座り心地が悪かったのであろう、一番の親分こと谷垣総裁に対し「谷垣さんのためにやってきた訳ではない」と、反旗を翻して立候補表明を行なった。それが原因の一角だろう、谷垣が立候補断念を示したことで、石原伸晃への評価が渦巻いているのだが、特に副総裁が述べたとされる「平成の明智光秀のようだ」というコメントが、火の燃料を注いでいた訳であり、一定の定番的評価として浸透している。

石原伸晃という政治家を積極的に評価しようという国民は、たぶんごく少数であろうが、それでもなお石原陣営は勢いがあり、自民党総裁選の本命と目されるほどになっている。自民党の総裁選びが石原支持に働く、石原伸晃支持に収斂するのであれば、知見のある多くの国民ははなはだ惨めな立場に立たされることになる。

魚の逸品加工品の「イワシの丸干し」焼きメニュー

魚の加工品的食材の中には「丸干し」と云うものがあり、イワシやサンマを天日干しや機械乾燥などで乾燥させた食材を指している。

特に好みなのは「イワシの丸干し」であり、先日は干し加減が良好で10cm程度の大ぶりのそんなメニューにありつけていたという訳なのである。

丸干しと云う加工魚食材の特長は、半生的な魚の良さを引き立てていることである。生の食感や味わいには遠いが、開きもの等の乾燥ものには有り得ない魚特有の苦みやアクを味わうことが出来る。

決してスマートな味わいではないけれども、却ってそれが魚独特の味わいを強調しているとも云えるのである。

居酒屋のつまみで出会した「豚のすき焼き」

日本の鍋料理の代名詞として「すき焼き」に勝るものは無いであろう。そんな「すき焼き」を此の残暑厳しい初秋の今の季節に食する機会に出くわしたのであった。

鍋を構成するその基本的具材は、豆腐、糸蒟蒻、葱、白菜、とそして豚肉。いつもの定例の定番的素材ではある。主役が牛肉ではなく豚肉だというのが、此のレシピの肝ともなっている。

豚肉は堪能したが、豆腐はいまいちであった。木綿豆腐か焼き豆腐を使用するのが定番であるのに絹豆腐が使われていたからである。すき焼きに絹豆腐は決して似合わない食材なのであり、邪道であった。

出汁を充分吸って味の染み入った「黒おでん」

静岡ではポピュラーなのが「黒おでん」。黒い出汁でおでん種をじっくり煮込んで、たっぷりと味を染み込ませている。

黒いのは「黒はんぺん」のみならず「大根煮」も充分に黒いのだ。

黒い出汁の基本は、牛筋からとっているので、コクがあり且つコラーゲンも豊かに息づいているのであり、東京でもしばしば見かけるようになってきている。ローカルな地域グルメがいよいよ全国区の予感なのだ。

細野豪志の民主党代表選出馬は、悪くない選択だ

民主党の代表選挙に所謂イケメン政治家こと細野豪志氏の出馬がとりざたされている。最低の野田の後任であれば誰でもましだ、誰でも良いだろう、等々という退廃的な気分を払拭する契機に成り得る。他にポスト野田の真っ当な戦略を描き得ない民主党の選択としては、悪くは無い戦略ではある。

何よりもまずは、駄目総理の野田再選の芽は早めに摘み取っていくことが肝心なのだ。

次の選挙では、民主党が第一党から退き自民党が比較第一党を得ることがほぼ必定と云われる状況の中で、細野豪志がはたしてどのような戦略をとるかについても関心は継続されていく。ここで野田的大連立のストッパーとなっていくことは細野豪志にとっては最も重要なスタンスなのである。

メニューには「抹茶サワー」とあったが実は「青汁サワー」という味のお酒に酔っている

久しぶりにJR中央線「阿佐ヶ谷」駅に降りてぶらぶらとガード下を散策していた。ちょっと右に逸れて横丁に入ったところで懐かしい赤提灯の姿につられて一献傾けていた。

豚系の串焼きや黒おでんなどが売りの大衆居酒屋であって、まずは当たりの予感ではある。注文した串焼きや黒おでんなどは旨かったが、レモンサワーやその他の酒類がいまいち。ちなみに今時の首都圏居酒屋にて「ホッビー」がメニューに無いというのも腑に落ちないのではあり、果たして此処は当たりなのか外れなのか? 些か心ふるえる展開となっていたのだ。

そんな状況にて目にしたのが、隣の人々がこぞって注文していた青緑色した焼酎割り。メニュー表には「抹茶サワー」とあったが、飲んでみればやはりと云うのか、「青汁サワー」という味のお酒であったのである。

もっと深い味わいを期待していたときの気分からは拍子抜けだが、決して不味くはなかったし、健康にも良さそうではあり、青緑のお酒に舌鼓をして帰ってきたという今宵なのではある。

かつて日本的ポップアートの代表として発信された奈良美智作品は大きな変貌を遂げていた

横浜美術館にて開催されている奈良美智氏の「君や僕にとょっと似ている」展は、2001年に開催した国内初の大規模な個展以来、横浜美術館では11年ぶりの個展開催となる。

おいらが初めて奈良氏に注目したのがその展覧会だったのであり、横浜美術館と奈良氏との間にはよほど強い関係性が生じているのであろう。

奈良氏の描く少女像はある意味でポップであり、さらに言を繋げるならば、コミック的シンボルとしてのイメージが強烈について纏わっている。

横浜美術館にてメジャーデビューした当初の奈良作品について、コミック作家的浅薄イメージの思いを強くしていたが、この10数年で、奈良作品は大きくその印象や価値観を変貌させてきたと云えるだろう。

かつて日本的ポップアートの代表として発信された奈良美智作品は大きな変貌を遂げていた。

もはや奈良美智氏の描く作品世界を「ポップ」だという形容で称することはできなくなってしまったという訳である。

横浜美術館で奈良美智の「君や僕にとょっと似ている」展が開催

横浜美術館にて開催されている「君や僕にとょっと似ている」展を鑑賞した。

http://www.nara2012-13.org/exhibition/

現代美術家奈良美智氏の、大小あわせて109点もの作品が展示されるという、個展という域を超えている展覧会となっている。

訪れてみてその作品群のとても大量な量に圧倒されていた。展示作品のすべてが11、12年の2年間にて制作されているのであり、とりわけ今年こと2012年作品が圧倒的な存在感を示している。

顔や瞳が大きな独特の少女像が、何点も重ねてイメージされており、観客(オーディエンス)に対する浸透力は絶大なものがある。自分自身や近くの友人等々に重ね合わせて「どこか似ている」感が感染していく。その感染力は只者ではないと感じさせるのだ。

おいら流の「断捨離」を実施中(1)

思うところあって、おいら私的私流の「断捨離」を実施しようとしているところだ。

通常、今日の日本において、この様な所業を「断捨離」と呼んでいるようではある。そんな慣わしが一般化しているのであり、おいらもそんな風潮に乗っかろうなどという思いはまったく無かったのだがそれにしてもとても抵抗感が強くあった。

何となればこの我が国における「断捨離」ブームを巻き起こした某女性が、よく判らない商売を行っているからではある。もともとは仏教禅宗の教義からの教えである「断捨離」が、まるで我が国における商的キーワードのごとくに流通している。こんなことは断じて看過すべきではないことを、敢て記しておきたいと思っていた。

先ずは蔵書の整理から始めていた。それほど多くない蔵書を選別していくうちに、手にしていくべきではない書物の輪郭が、何となく浮かび上がっていた。先ずは「図書館にある書物は手におかない」、そして「アマゾンで入手できるものは持つべきではない」¨。

等々の思いを巡らせつつ、おいらの蔵書は時間とともに減っていく毎日なのではある。

Android版、ドコモ的スマホの使い心地(3)「Dropbox」等クラウド対応はとてもスマート

Android版、ドコモのスマートフォンを使用し始めて2ヶ月近くが経過した。iPhoneに比較すれば、未だ完成度の低さや煩わしさは否めないが、それでもその使用にも慣れ、違和感は薄れつつある。

なかでも心地よい使用感を感じさせるのが、クラウド的システムこと「Dropbox」とのスマートな連携だ。スマホのカメラ機能で撮影した画像データが、何の操作も加えることなくして「Dropbox」内「カメラアップロード」というフォルダに自動アップロードされてしまうのは驚きでもあった。iPhoneではこのようなスマートな連携はあり得なかったからである。

iPhoneのシステムはMacintoshの其れを基本としているので、クラウドと云えば「iCloud」との連携を優先しているのであり、「Dropbox」との連携は後回しとなっているようなのだ。そんな縄張り的意識の関与しないところでの、AndroidとDropboxとの密な連携には流石と唸らせるものがあった。これからは、Android版ドコモ的スマホで撮影した画像データは、おいらの手を煩わせることなくパソコンデータとして保存されていくのであるから、そのスムーズさは想像を超えているのである。

琥珀色した浅草神谷バーの「電気ブラン」

浅草の名店「神谷バー」にて電気ブランを飲んだ。独特な琥珀色した佇まいにまずは魅了された。

昔々に新宿ゴールデン街にて飲んだ電気ブランで悪酔いしてしまったことがあった。基本はブランデーベースだというがゴールデン街のそれは違っていた。飲み方が悪かったのかもしれないという思いをずっと抱いていた。

浅草「神谷バー」の「電気ブラン」は、アルコール度30%という程の強さを感じさせぬにとてもまろやかであったのであり、添えて出された氷水の助けを借りることもなかった。

夏バテ防止の昼食には「沖縄チャンプルそば」がお勧め

昨日に引き続き、沖縄チャンプル料理の話題をひとつ。

昼のころにふと沖縄専門店に立ち寄ったらば「チャンプルそば」というメニューに出くわしたのでした。昨日の話題に引き続き沖縄パワーがおいら近辺にて充満していることを、充分に納得させる状況ではある。

ゴーヤをはじめとする夏野菜を充分に炒めてから沖縄のそば(ソーキそば)の上にかけて提出される。ソーキそばの上にゴーヤチャンプルの具が乗ったというかたち、格好となっている。

野菜がどっさりと沢山乗っていて、一目見ると長崎の「ちゃんぽん」を連想させていた。「ちゃんぽん」と「チャンプル」の関係は、今ここでつまびらかにすることは不可能だが、何らかの関連性が存在することは明らかではあり、チャンプルあってこその「長崎ちゃんぽん」なのかなと夢想していた次第なり候。

夏料理の定番「ゴーヤチャンプル」は極めて日本的な料理である

夏になって夏野菜のゴーヤが実るころから「ゴーヤチャンプル」は日本人の国民食となっている。そのルーツは云うまでもなく、沖縄の郷土食としてのチャンプル料理の歴史は長いのではあるが、今となっては日本全土に亘る郷土食と云っても過言ではないだろう。

台湾や中国本土に近いという地理的背景から、「ゴーヤチャンプル」があたかも中華料理の亜流と捉える見方が無い訳ではない。けれども決して中華の亜流では無いことを、その味わいやら食材やらが物語っている。

まずその出汁の基本が、鰹の削り節からとられていること。沖縄での肉は「SPAM」等のランチョンミート、本州等の他県では豚肉の切り身が用いられている。そしてカツオ出汁に卵とじの行程で全体が一つの料理として交わっていくのであり、チャンプル料理本来の円やかさが広がっていく。最後に削り節をたっぷりとかけて皿に盛られる。更にと云うべきカツオの底力が皿一杯に広がっていくのである。

八王子で口にした至極美味なるフランスパン

八王子駅南口の再開発事業で南口界隈は様相が一変した。ビッグカメラが入ったビルに寄り添うような現代的モダンなロータリーが中心に陣取っていて、おいらは実はあまり好きな風景として感じ取ることは出来ないでいる。

それでも度々足を運んでいると、とても魅力的な店舗等のスペースが在ることに気づいていだ。

南口を歩いてすぐのところにある「Delifrance」という店舗はフランスパンの専門店であり、フランス人観光客が大勢訪れていることを目にするくらいに本格派のフランスパン専門店なのだ。おいらが好きなのは季節の食材をトッピングした限定メニューなのだ。

シメジや椎茸、エノキ茸、等々のきのこ類が大量にトッピングされた秋の季節のフランスパンなのだった。とても柔らかい生地の中から、鮮度も満点のきのこ類が顔をのぞかせている。きのこきのこがとても美味いのだということを、ストレートにアピールしている。
フランスパンよ、侮れないとの心持ちなのだ。

■Delifrance 八王子店
東京都八王子市旭町1-17 セレオ八王子2F

夏の終わりに逸品的「鱧の湯引き」料理にありついた

まだまだ残暑が厳しいがときはもう夏の終わりである。こんな夏の終わりの時季に味わったのが、夏の季節感を漂わす鱧料理なのだった。確かメニューには、鱧の湯引き梅肉添え等とか書かれていたようだ。その味わいは繊細で淡白な独特なしろものではあり、他の高級食材等の白身の魚であってもこんな味わいは出せないのだろう。

全長1mくらい、もっと巨きいものでは2m以上はあるという巨型魚の鱧は、ウナギ目・ハモ科に分類される魚の一種だという。鰻ほど脂は乗っていないので、その栄養素については軽視されているが、実はこれがとても生命力溢れる魚の一種なのである。鱧の顔はその顎と歯の発達した形相において特徴的である。同じ魚類の中では獰猛且つ個性的な種類として特筆できるのであり、その生命力から得られる食材としてのパワーについては注目に値するものなのである。

そもそも鱧の湯引きと云うのは、関西地方ではポピュラーだが、関東地域に於いてはとても特殊なメニューとなっている。新鮮な鱧の身を湯引きする前にとても繊細な「骨切り」という調理工程を必要とする。この骨切りを上手に出来る調理人は関東地域にはあまり多くはないのだろう。だからこそ本日の鱧の湯引き料理には何時になく満足感を味わっていたのだった。