久しぶりの「蓮根ハンバーグ」にホクホクなのだ

久しぶりに「蓮根ハンバーグ」を調理して食したのだった。

先ずは新鮮な蓮根を荒めに研いで、同様につなぎとしての山芋も研いで、合わせてフライパンでじっくりと焼いていく。片面に焦げが付いたところでひっくり返して逆面を焼き、さらに焦げが付きかかったところで反転、という行為を2~3回繰り返してもちもちハンバーグの完成。ソースもまたマクロ流にて、冷蔵庫に残っていたほうれん草のあんかけ風に仕上げていた。

久々に食したマクロビオティック流「蓮根ハンバーグ」は、胃に染みてホクホクとした食感を味わうことが出来たのであった。

普通の「コロッケ」は確かに「メンチ」よりも旨い


じゃがいもたっぷりの普通のコロッケを食した。揚げ物と云えば脂っこい料理の代名詞とも云えるのであるからして、おいらはたまにしか口にすることが無いのではある。然しながら「コロッケ」については特別なOKメニューであり、度々口にすることが多いのだ。

小さい幼少の頃にはコロッケとミンチカツの違いがよく判らなかったものだが、今ではコロッケとメンチカツの違いこそ、おいらがコロッケを優遇して愛する理由が存している。即ちコロッケという大地の恵みをこくと味わいを付加して立派なメニューとなっているのだから、特別なのだ。

「花茶サポニン」の得も云われぬ香りに刺激される

 

「花茶サポニン」にお湯を注ぐと、可憐な花弁が開いていき、コケティッシュな香りと共にえもいわれぬ快感に襲われていく。目で見る限り、花弁のひらひらはとても繊細に蠢いているのであり、その繊細な仕草はまさに、浮世の人生そのものではある。

地元の居酒屋で食べた寄せ鍋の後の饂飩にほっこり

行きつけの地元の居酒屋で寄せ鍋を食した。店名を冠して「一平鍋」というメニューである。

■一平
東京都八王子市東町11-5

店名を冠したものであるからして、如何にもの気合が乗っており、牡蠣、鮭、鱈、海老、蛸、等々の定番魚類に加えて、白菜、豆腐に茸類等々が盛り沢山にてんこ盛りされている。スープの味付けは白味噌仕立てであった。鍋料理の中では素朴でポピュラーな、優れて部類のメニューである。

ほかほかと温まった最後には「饂飩」を注文していた。出てきたのは太目の噛み応えのあるもの。具材のエキスを吸って濃縮されたスープは多少の塩辛さが気になっていたのだが、太目の饂飩がスープのエキスを吸っており、想像以上に濃厚な味わいがグッドなのではあった。

秋への惜別と共に舌鼓を打った「炒り銀杏」の味わい

秋の終わりは例年、イチョウの落葉とともにやつてくる。少し前には「八王子いちょう祭り」にて黄色く色づいた光景に接していたのだが、此処へ来て秋への惜別の情念と共にイチョウ葉の落葉を眺めることが多くなってきている。イチョウの落葉とは即ち、銀杏の収穫を表しているのである。旨い銀杏が食堂や居酒屋等のメニューに上り、そのエグミに舌鼓を打つ機会が増えているのだ。

ところで旬の食材であるぎんなんについてはよく、匂いと苦いのが気になるという意見がある。ネット上のコメントにも、そんな発言が散見される。苦いというより「エグイ」と云うのが真っ当なる表現だと思うのだが、そんなエグミこそは銀杏の持ち味、個性ではあり、個性を開花させるべき銀杏料理には注目度満点なのである。

とは云っても銀杏のエグミをもっとも十全に味わうには、おそらくは「炒り銀杏」を凌駕するものは無いのであろう。炒るという調理法がピタッと嵌る料理は「炒り銀杏」以外に示すことが出来かねるのである。

子供のころから取れたての銀杏を前にすると、銀杏をフライパンの上に乗せて蓋をして炒るというこのシンプルな料理に何時に無い食欲を刺激されてきた。パチン! という殻が弾けた音が合図となって蓋をとってフライパンの中を覗くと、何時でも独特のこの季節のエグイ味覚が鼻を突いた。こんな味への思いは秋への惜別と共にあった。

海の幸を感じる「桜海老のかき揚げ」

居酒屋のメニューにて「桜海老のかき揚げ」に出くわし早速注文してみると、最近に無くヒットなのである。

桜海老と云えば、その多くが静岡県の由比ガ浜近辺で漁される。漁場がほとんど駿河湾沿いに集中しており、地元の名産品となっている。春季の4月から6月までと共に、10~12月のこの時季がまた漁期だ。だからこそ口に含んだときの独特な香りが広がってくるのである海の幸を。まさに感じ取れる逸品なのだった。

フレッシュだった嘉田由紀子滋賀県知事による「日本未来の党」結党宣言

27日の、嘉田由紀子滋賀県知事による「日本未来の党」結党宣言にはとても驚いていたのであった。此処に来ての、日本維新をたじろがせるほどの第三極の主導権をうかがえるパフォーマンスであり、そもそもこれまでは嘉田知事という政治家が、それほどの政治的実力を有していたとは考えていなかったからである。裏舞台で工作していた小沢一郎一派の動きがあったにせよ、今回の結党パフォーマンスは嘉田さんの存在を抜きにして語ることが出来ないものではある。小沢一郎政治屋一家による裏方家業については、マスコミ報道により流布されている以上の情報にはおいらも知りえていないのではあるが、然しながら、嘉田氏の地方主権を主張してきた政治的な営為については関西圏からはほど遠い、関東圏に住居を構えるおいらではあれども、尊敬の念と共に認識をしているのだ。

余談にはなるのだが、此処へ来て橋下維新の勢力分布には、様々な要因が因果となって、急激なストップの力が働いているようである。石原慎太郎を代表に迎え入れたことは、当初はプラス要因としてマスコミ報道がされていたが、実際にはさにはからん、様々な好戦的発言が問題視されて維新側が図ったような好転の兆しは無い。いまこそ反維新の主張やムーブメントを発信していかなくてはならないときが差し迫っている。嘉田知事たちによる反維新的第三極の動きには大いに期待を抱いているのだ。

ところでさらに余談を延長するのだが、橋下維新は石原慎太郎の加入によりその存在感を希薄化させているのである。そもそも我が国日本国の核武装を確乎たる信念とする石原慎太郎が、脱原発を受け入れることなどは無いのであり、それを知ってか知るまいか、たとえ一時の戦術的パフォーマンスであったにせよ、石原と組んだ橋下維新の政治的矛盾は今後は同維新の将来に対して首を絞めていくこととなっていくであろう。

寒い日々の身も心も温める「牡蠣のグラタン」

美味しそうな牡蠣を買って家に帰り、牡蠣グラタンを作ったのだ。そもそも海のミルクとも云われる牡蠣に、たっぷりミルクやチーズを用いて調理するものだから、ミルクの風味がたっぷり至極の料理なり。気持ちや身体が震えているかのごとくの昨今のおいらには、たっぷりと温まれるメニューなのではあった。

牡蠣とともに合わせたもう一つの重要な食材が「ほうれん草」である。鉄分が豊富で赤血球の維持には不可欠なものなのであり、これからの寒い冬に掛けては積極的に摂っていくべきなのである。牡蠣とミルクとほうれん草と云ったトラィァングルこそは寒い冬の日常の日々の、必須栄養素なのではある。こんな必須栄養素を美味しくとれる牡蠣グラタンにブラボーな思いなのではあった。

プリプリの食感が魅力の「ハツ炒め」

様々あるモツ料理の中で鶏の心臓が具材の「ハツ炒め」はある種のマイナーなメニューに属するが、このプリプリの食感が他には無いものなのであり、おいらも好きなメニューの一つとなっている。塩と胡椒だけの味付けの炒め料理で、此れだけの魅力や存在感を発揮するメニューは珍しいと云えよう。

だがよくあるもつ焼きにおいてもハツ(心臓)という部位はそう珍重されることもなく、メニュー表の片隅に地味的に存在しているような存在なのだ。そのギャップを思うに、ハツ炒めというメニューの個性が際立って見えてくる。

炒め物にする際のハツのさばき方が、此のハツ炒めと云うメニューの肝ともなるのであり、いい加減なさばき方を行なってはこのレシピの良さを発揮することなど出来ない。あくまでもシャープに、プリプリした食感を際立たせてこその料理なのである。

日常の日々の、何もしたくないという特定の行動についての一考察

日常の日々の、何もしたくないという特定の行動についての一考察である。本日はまるで何もない様な一日の普及的時間が蔓延していたというような一日ではあった。月に1回の休日デッサン会にも足を運ぶこともせず、いたずらに時間を浪費してしまっていた。

寒くなってこのかた、高い山にも登ろうという意欲などもないのであり、これからの冬においては、冬ごもりの支度をすることぐらいしか思い浮かばないのだ。やはりこれも加齢のもたらす現象の一つなのかと思いを抱きつつあり。

「火鍋」には「餃子」がよく似合う

冬の鍋の中でも「火鍋」はやはり、身体をほかほかに温めてくれる最も有力なメニューではある。唐辛子をはじめとする香辛料をふんだんに使用した鍋料理であるからして温まらないはずはないのだ。

具になる材料は韮、白菜、モヤシ、春雨、葱、等々の野菜中心の出汁が出たスープに、豚肉や牛肉、ラム肉をしゃぶしゃぶするようにして食する。中華料理の基本スープは鶏がら出汁だが、ナツメ、花椒、桂皮、八角、松の実、クコの実、等々の香辛料がスープの深みを与えていく。別名で「薬膳鍋」とも呼ばれる所以である。

ところで先日食した「火鍋」の具に「餃子」を追加注文してみたら、これが大正解であった。スープ餃子よりも奥深いスープに、唐辛子、花椒、八角、等の辛味調味料のエキスが加わって、通常のスープ餃子以上の美味いスープ餃子を味わうことが出来たのだ。大変にお勧めの具材ではある。

温泉地で男女の機微が非日常で解け合う吉田修一さんの「初恋温泉」

男女の機微が非日常で解け合う吉田修一さんの「初恋温泉」を読んだ

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吉田修一さんの「初恋温泉」を読んだ。温泉地での男女が紡ぎ合う、掌編の短編ドラマ集といった趣の一冊である。作家は「悪人」の著者として有名な吉田修一氏。「悪人」とはまた異質な、男女の機微を縦横に織り込んで物語が紡がれている。

混浴評論家の宮地めぐみさんが、たしか彼女が著した某書籍にて、温泉混浴の愉しみは異性との出合いや会話だと書いていたが、温泉の旅人には、非日常的な特別な愉しみが付きまとうのであり、それは換言すれば危ない香りと云ってよいかもしれない。男と女が温泉地で展開するドラマは絡み合う日常の結び目をほどき解き放すようなシチュエーションを基盤にして、物語の想像力を十二分に解き放っているようなのだ。

小品連作集といった同書に掲載された作品には、不倫の心情が温泉宿泊の底流に流れているだけであっけなく終わったというがっかりな作品も含まれてはいたが、温泉旅行と絡まった様々なシチュエーションにて紡がれていく男女の機微が、とても興味深くて一気に読み進むことができたのだった。

ぷくっと膨らんだ姿が見た目もそそる「山芋の磯辺揚げ」

山芋を海苔でくるんで揚げたというシンプルなメニューである。粘々の山芋が油にくぐらすとぷくっと膨れて見せている。滑稽でもあり、愛嬌もあり、見た目にも愉しませてくれる。家では揚げ物はなかなか作り難いから、外食メニューで時たま口にすることになる。見た目にもふっくら感のある美味しい磯辺揚げに接すると、見ただけで涎が垂れてくるのを感じるくらいだ。

揚げて食べれば、粘々感は消失するのだが、味は濃厚になり、山芋のふっくらとして大地の恵みさえも感じさせてくれるのだ。

裏切り者の野田佳彦に、民主党の看板を背負う資格など無いのだ

元首相の鳩山由紀夫さんが政界引退を表明した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121121-00001017-yom-pol

「TPP参加」等々の不条理な踏み絵を強制されたからの、それを拒否することからのもっともなる選択ではあった。鳩山由紀夫さんにはもっともっと、不条理極まりない民主党の党内に居て闘って欲しかったのだが、それも叶わなくなってしまったのは残念の限りである。

そもそもに、民主党の公約を裏切って、自民、公明との3党合意などと云うものを推し進めてきた野田佳彦には、民主党の代表者として候補者に踏み絵を迫る資格など無いのである。それを野田と云う馬鹿者が代表者の権限で強いるなどと云うのはとんでもない振る舞いであると云わざるを得ない。そもそも野田に公党としての民主党を代表する資格など無い、ぼんくら政治家であったのである。

今回の衆議院選挙において、民主党に投票するという選択は完全に無くなったと云って良い。野田佳彦が今後の政界で生き延びていくことなどを支持することは皆無であり、野田佳彦については悪化崩壊した民主党もろとも消え去って欲しいものである。

野田が民主党を裏切ったつけについては、政治家を廃業した後にもきっとずっと付きまとうものであり、裏切り者としての野田は自らの不届き極まる行為を恥じるべきではある。恥を知る資質も資格もない野田にこんなことを求めても無駄であることは承知しているのだが、野田の厚顔的悪行に対する怒りは収まらないのである。

そもそもは政敵から「嘘つき」呼ばわりされたが元で、馬鹿逆切れ解散など引き起こしてなお、自らの裏切り行為の反省もない、云わば屑政治家のなれの果てであると云って良い。

 

蓮根大好きなおいらがついつい注文してしまう「蓮根はさみ揚げ」

冬の根菜類の中でも最も味わい深い食材が蓮根(レンコン)である。おいらは蓮根大好き人間であるからして、煮物、炒め物、焼き物、等々の蓮根料理を見る度に注文するのが所謂一つの癖とも云えるくらいである。普段は健康のためにもほとんど口にしない揚げ物である「蓮根はさみ揚げ」も、ついつい注文してしまう。ほんとに悪い癖の一つだと云えよう。

先日食べた「蓮根はさみ揚げ」もまた、いかにも脂が乗った見掛けの衣の中に、ひき肉のエキスを吸い込んで旨みの増した蓮根が顔を出し、そのサクサクとした食感と共に稀に見る食の満足感に浸ることになっていた。

蓮根料理は意外に奥が深く、おいらも得意とする「蓮根ハンバーグ」等はマクロビオティック的料理の一つとして評価の高いメニューである。このところ作る機会を逸していたのだが、今度は「蓮根ハンバーグ」を作って食べて、不健康的揚げ物メニューのマイナスポイントを取り返そうと思っている次第なのである。

「八王子いちょう祭り」で見た落葉葉の瑞々しさ

昨日は八王子にて「八王子いちょう祭り」が開催されていた。八王子市内甲州街道沿いの追分から西八王子駅前を経て高尾駅前から多摩御陵へ向かう沿道の5km超を歩くという趣旨のイベントらしいのだが、おいらは自転車を使って行き交う人々の群れの中を走っていた。

八王子市民自慢の銀杏並木はと云えば、約90パーセント程度の黄化なのだがしっかりと黄色が深まり、普段例年見ていたイチョウの葉に比べて濃い色に注目していた。例年よりも遅い黄化だったようだが、しっかりと色づき見応えも充分なものであった。落葉して降り積もっていた葉は、寒い冬風の中でも、充分に瑞々しく光彩を放っているように見えたのだった。

古書への拘りと執着がテーマの「ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~」

「ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~」を読んだ。
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古書に対する異常な拘りや執着を持つ登場人物たちが、おやっ? と思わすくらいに結果的には納得させる事件やそれに対する解決策を展開していくという、そんな稀有なシチュエーションにて展開される事件簿である。

舞台は北鎌倉駅周辺の「ビブリア古書堂」という古書店である。そこの似合わないくらいに、巨乳美人の女性店主こと栞子さんと、同店にはひょんなきっかけからアルバイト店員として働くことになった、俺こと五浦大輔がダブル主人公として物語を紡いでいく。

そして此の物語中にて端役として登場しているのが「漱石全集・新書版(夏目漱石著・岩波書店)」、「晩年(太宰治著・砂子屋書房)」と云った古書たちである。

老夫婦の愛と裏切り的シチュエーションが広がっていくかと思えば、中年夫婦の愛の再認識的展開が、一冊の古書を媒介として惹き起こされていく。たかが古書ながらのされど古書と云うべき作家の思い入れが伝わってくるのは、古書に対する薀蓄が一段落したころの、同書中盤の展開にかけての流れからである。

旬の冬野菜の「バーニャカウダ」という料理に出合ったのだ

生野菜を調理した料理は、日本ではほとんど「生野菜」「生サラダ」等のメニュー名で括られるのだが、イタリア地方ではこの冬の時季の生野菜が主体の料理の名を「バーニャカウダ」と呼ぶらしい。その意味を調べたところ、「熱いソース」を意味する。つまりは冬の旬野菜を熱いソースにつけて食する食べ物の名称である。

注文して出てきたのは、人参、蕪、南瓜、セロリなどの野菜の薄切りと温かいソースのセットだった。トマト、キュウリと云う夏野菜まで盛られていたのであるから、本来のイタリアンにおける「バーニャカウダ」では無くなってしまっているのかもしれない。

ともあれ、冬季生野菜の薄切りを温かいスープに漬けて食するというメニューは、まるで洋風ハイカラなメニューであったことは紛れもなく、こんな新しい冬野菜の食しかたもあるのかと、新鮮な驚きをもって食していたのである。

秋冬の時季の代表的味覚である「里芋(さといも)」の煮付け

この時季、秋冬が深まりつつある時季において、「里芋(さといも)」はその食材としての特別な意味を持ってアピールしている。

芋科の中でも最も粘り気ある触感が、その触感のみならず有意な健康成分の存在を示しているのであるから特別的にも注目に値するのだ。

この時季は山形県内の里芋の煮込みが時宜を得てピークであるようであり、こんな山形名物の食材を、関東在住のおいらをはじめとして全国隈なく味わい尽くすべきであるという主張を込めて、此処に美味しい里芋煮込みの写真を掲示していこうと思ったのである。

この時期のカキフライは洋食と云うより和食の定番だ

秋冬のこの時期に牡蠣料理は外せないのであり、牡蠣鍋の次に来るのが「カキフライ」ということになろう。

たっぷり分厚い衣の間から身を見せる牡蠣の仕草は、ブクッとしていて肉厚である。さらには濃厚な牡蠣本来の香りを漂わせている。

子供の頃からカキフライは秋冬の季節料理の定番となっていたのであり、洋食はあまり好きではないおいらがこの時期こそと競って食べ歩いていたという逸品のメニューではある。これは最早洋食の範疇を超えて日本食の一つとしての地歩を築いたと云えるのではないか。