往年の人気作家こと松浦理英子さんの新作「寄貨」を読んだ

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書店で松浦理英子さんの「寄貨」という新作を目にし、迷うことなく購入していた。おいらの世代の文学愛好家にとってはおそらく、松浦理英子さんという名前には相当な畏敬の情を抱いているであろうと思われる。以前に掲示板上にて、博覧強記な某執筆者との会話などにてそのことを確認したという記憶が存在する。芥川賞も直木賞も受賞していないが、却ってそのことが当作家の経歴に箔を付けているかのごとくである。「ナチュラル・ウーマン」「親指Pの修行時代」等の代表作品により、変態的性癖を抱く登場人物達を独特の筆致で描く彼女の作品は、ファンである読者にとっては純文学の可能性を示唆していたのである。寡作な作家として目に触れなくなって久しかったのだが、本年8月には新作を発表していたということであり、実力派作家の活動再開に拍手を送りたい気分でいっぱいなのではあった。

先ずはこの作品中を流れる語彙の使用法に、おいらも懐かしい時代性を感じさせていた。昨今の流行作家達の使わない、ある種古色蒼然とした類の語彙が随所に散りまぜられている。若手作家のよく使う独りよがりの語彙は消えて、日本人の血脈を受け継いだ言葉によって物語が紡がれている。扱っている素材、テーマが女性の同性愛や変態的男性の関わりであるにせよ、言葉の紡ぎ方が、おいらの世代の文学愛好家達には心地よく響くのだ。

「奇貨」とは珍しい資質を持った人間存在のことを指しており、もとよりこうした希少な人材を手元に置いていくことで戦を有利に進めるべきだという故事の由来に依っている。だがこの作品中における「奇貨」というそんざいは、通常の人間関係においては成り立ちにくい関係性を有する存在であるということ。そんな「奇貨」を相手にしつつ、もう一人の主人公が人間存在の糧、云わば実存をかけて相対している。その関係性はとてもスマートであることが今風物語の限られた証拠の一つであると云えるだろう。

練炭が調理の決め手である「モツ焼肉」を喰らう

練炭が調理の決め手である「モツ焼肉」を喰らった。炭火の焼肉、殊にモツの焼肉は炭火で完成する。実は練炭料理の究極こそ「モツ焼肉」なのではないかと思っているところだ。モツに練炭は不可欠であり、モツ焼肉を美味しく食するのに練炭こそは必須のアイテムとなっているのだ。

職場の若手女子は先日「練炭を使った料理が食べたい」と、口にしていたので、興味津々のおいらは訊ねていた。

「練炭を使って何が食べたいの?」
「秋刀魚とか、焼き魚が食べたい」
「だったらガスコンロで焼けばいいだろ」
「ガスで焼くと煙が出るので、マンションで禁止されているの」
「そうか…、だから練炭が必要なのか…」

そんなこんなの会話を経てからと云うもの、美味しい練炭料理にありつくことを願っていたところ、思いがけなくも地元のモツ焼き料理店にてこの料理に出くわしていたという訳である。たしかに練炭が無ければ味わえない逸品メニューに違いないのである。

手帳の魔力と重み、軽みについてのエトセトラ

本日、2013年用の手帳を購入した。かといって其れは特別なものではなくて、何の変哲も無い普通の文房具店に並べられていた代物である。

話題の「ほぼ日手帳」やその他有名どころのシステム手帳に食指が動かなかった訳ではないのだが、結局のところで購入したのは、ダイゴーという会社製のポケットサイズの其れであった。

この手帳の基本的仕様はと云えば、月間及び週間のスケジュール記入欄が主を占めているということだ。シンプルに1週間のスケジュール記入欄が基本に置かれている点が何よりの好意的ポイントだ。

先ずは来月2013年1月の旅の日程を書き込んでいた。旅人の旅情を味わうには手帳の一言が何よりの定番的根拠ではある。そして少し先になるが、3月中の地元がステージとなる美術展のことも書き加えた。

日々の予定、スケジュールを立てるにあたり、週単位で思案することが多いのであるが、そんなおいらの基本的行動様式を形成している、云わば週単位的行動術を、この手帳に記入していくことから生じる将来的予測さえ立てることが出来るのではないかと念じているところだ。少なくともTV番組でのくだらない星座占い等よりは余程の根拠ある希望的観測である。

マヤ文明の終末予言は当たらなかった今日、おいらはしとどに酔っ払ってしまった

http://matome.naver.jp/odai/2133253091276802801

ニュースネタにもなっていた、マヤ文明の終末予言報道だが、その教えの終末のときは競うも無い。多少はおいらもこの予言のことを気にしていたので、心の平静をもたらしたいという思いを抱きつつ、途中下車をして、昔行きつけの居酒屋にていつもより長い時間を過ごしていたので、何時もよりは多少オーバー気味に、酔っ払ってしまっていたのだ。

しかもネットで調べれば、マヤ文明の教えは本日が終末ではなくて、新しい時代の始まりだなどと主張されるサイトも散見されており、何が何やらわからなくなってしまいました。
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↓新しい時代の始まり?
第5の時代が終わると言う事は、2012年に第6の時代が始まることを意味しているとも解釈できるのです。
より便利で人々の暮らしを変えるようなテクノロジーが生まれる可能性もあります。
2009年12月31日が終われば新たに2010年1月1日が始まるように。
時代の移ろいを示しているに過ぎないのかもしれないのです。
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具は「サメ(フカひれ)」だという「煮こごり」

魚類の身から溶け出したゼラチンが偶然固まって、そんな偶然に出来た料理が美味かったことから「煮こごり」という料理が誕生したという説明を以前に聞いていたが、昨今の「煮こごり」のレシピはそれとはちょっと違い、ゼラチンの元や寒天を加えて作るのだそうな。具もまた最初からゼラチンの出易い食材が選ばれるという。そんなことから昨今の「煮こごり」とは、「サメ(フカひれ)」を原料として作られているのだ。フカひれと云えば高級素材でなかなか口にする機会は少ないが、煮こごりの具材としてのフカひれならば、結構ポピュラーな酒のつまみであり、おいらもゼラチン補給食材として、度々食しているものなのでは在る。見た目からして透き通った琥珀色の入れ物に高級食材のフカひれが充溢しているとあれば、食欲を刺激すること、他に例を見ないくらいである。

牡蠣の独特のコクが引き立つ「牡蠣の黒豆四川炒め」

冬は牡蠣が美味しい旬の季節であり、おいらも牡蠣鍋、牡蠣フライ、牡蠣グラタン、等々いろいろ食して来たが、本日は中華四川の牡蠣料理「牡蠣の黒豆四川炒め」なるメニューに遭遇、想定外の出会いにしては予想以上のインパクトある味わいに、些か幸運の思いを強くしていた。

揚げた牡蠣を、黒豆を元にした四川の辛味調味料「豆豉(とうち)」を用いて炒めた料理だ。牡蠣の独特のコクが引き立っていた。ラー油、唐辛子の輪切り等々、辛味調味料も用いられ、四川料理の王道的味わいに満ちていた。これからの寒い季節にはもってこいの逸品なのだった。

気鋭作家、平野啓一郎さんの最新作「空白を満たしなさい」を読了

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気鋭の若手芥川賞作家こと平野啓一郎さんが著した新作の「空白を満たしなさい」を読了した。最初はみるからに人生訓的な匂いを発する同書の表題に引かれて手に取り、目次等に目をやりつつ、そのまま購入することとなっていた。

家族としての最も近しい身内の死や、関係する身内近親者の死者への対応等がテーマである。そもそも人間の「死」については、おそらくは人間である限りは誰もが考えあぐねる究極的テーマであり、この究極的テーマの設定に加えて、SF的エンターティメント的な設定に、最大限の興趣をそそられていたのであった。

何しろ購入したもう一つの重大な要素は、「復生者」、すなわち一度は死んだ後に生を受けて復活したという人々の集団が、重大なプロットとして設定され、ドラマが織り成されていくことが想定されていたからであった。生き返った男が、ドラマの重大な物語的設定の中で生きて、本来的な生者たちの心を掻き毟っていく、のである。エンターティメント的設定としては、これ以上無いくらいに満タンに整っている。

主人公的登場人物であり、死から生き返った設定の土屋徹生は、自分が自殺によって死んだということに納得できないでいた。事故死でもなく、殺人であるはずだという思いから、自分を殺害した殺人犯を追及していくのが前段である。然しながらその思いは打ち破られていき、自分が自死、自殺を図ったことを確認して唖然とするのだ。残された妻と子供に対する懺悔の気持ちと共に、自らの死について、検証しながら自問する日々が待っていた。

中盤の設定としては、自死した自分自身の葛藤に煩わされつつ、家族との絆を取り戻そうとしてもがく主人公がいる。人生訓的表題に対応する展開ではあるのだが、当該的展開は非現実的要素に満ちてあり、プロットも中だるみのロットも印象がぬぐえない。

終盤に来て物語は最後の盛り上がりに達し、其処でこの物語が示した世界観を、厚い筆致と共に受け入れることとなっていた。前段、中段の物語のプロットが非現実的夢想的であったことを残念に感じたものだが、終段の展開に心躍らせていたのだった。

鶏肉に塩麹を漬け込んで味わう「塩麹鶏鍋」にほっこり

昨日は一時のブームだった「塩麹鶏鍋」をつくって食した。外食で食べたことはあったが、調理したのは初めて。スーパーにて「塩麹鶏鍋」のセットと云うのが並べられていたのを見て、是非ともこの鍋を試してみたくなったという訳である。大降りにカットされた鶏のモモ肉に塩麹を30分程度漬け込む。話題の塩麹調味料を口にしてみると、予想したほど塩辛くも無く、しっとりした滋味を感じることができた。麹そのものを奥深い味わいを付与した趣きだ。

そしてその後は、普通の鶏鍋を調理する要領で、鶏肉を下に敷き、白菜、椎茸、等々の野菜を乗せて火にかけた。出汁は中華の基本である鶏がらベースの白湯スープ。スープも極く薄味である。塩麹に浸けた鶏と野菜が鍋の主役となるべき状況は整っている。カレーとかトマトとかいった色物的鍋料理ではないことは確認できたのである。鶏肉はよく云われるように柔らかくなりふわっとした食感を味わうことができた。塩麹の魅力が伝わってきたのである。鍋の〆は細うどんを入れて、喉越しよくつるっと味わった。完成度が高い鍋ではある。

野田佳彦はじめ野田内閣関係者の猛反省を望む

暗澹たる今宵は、我が家で初めての「塩麹鍋」で温まっているところである。塩麹は鶏肉を柔らかくさせ、ほっこりと温まっているのではあるが、そのあれこれは別日のブログで記していきたい。

総選挙当日の本日は、昼間は仕事や私用に追われつつ夕方の5時ごろ、地元の小学校の投票会場へと足を運んでいた。20代のころはずっと棄権し続けていた選挙に、これだけ思い入れをこめて投票したのはこれまでなかったことだ。そして大多数のマスコミの予想通りの自民党圧勝という選挙結果を、テレビ報道にて目にし、暗澹たる気持ちに満たされているという状況だ。満たされて良いのは幸福な思いであり、けだしこうした暗澹たる思いに満ちた今宵というのは、さしずめ、民主党代表の野田佳彦に対する絶望的な失望感に依っていることは強調しておかねばならない。鳩山内閣、或いは菅内閣に対してはこのような思いを感じることは無かったが、野田内閣になっての状況、成行に対しての失望感は甚大極まるものであった。この現実を野田が先ず受け止めて、反省することを望む。代表辞任は当たり前のことではあり、野田内閣の総反省を望むのである。

「第18回NANTO(ナント)販売展」別名「世界一小っちゃい?!ミニ絵画展」開催

「第18回NANTO(ナント)販売展」こと別名では「世界一小っちゃい?!ミニ絵画展」が、東京駅八重洲口近くの「ギャラリー八重洲」にて開催されている。

知人が出展していると案内をくれたのがきっかけで、昨年に続いて出かけたのだった。

漫画家、イラストレーター、画家、作家など、およそ100名程度の出品者がそれぞれに10点程度の作品を持ち寄って展示された、ユニークな展覧会なのだ。戸川昌子、杉田五郎、などの見覚えのある名前の作家による作品も目にすることが出来た。

作品が小さいというのが特徴であるからして、じっくりと観て回らないと何にもならないのだが、それが故に、作品に対しての集中力がましていく。好きになった作品に対しては、所有欲にも駆られたのであり、こうした小品を購入してみるのも悪くは無いと思った。

■第18回 世界一小ちゃい!?ミニ絵画展
ギャラリー八重洲・東京
2012/12/10(月) ~ 2012/12/23(日)
〒104-0028 東京都中央区八重洲2丁目1番
八重洲地下街中1号(外堀地下3番通り)
時間     開始:10:00終了:20:00
備考:最終日は16:00まで。
TEL:03-3278-0623

酒のつまみに意外といけた「にら納豆」

にらのお浸しに納豆を加えたシンプルなメニューが「にら納豆」。これが意外や意想外に結構いけたのである。

そもそも納豆大好きのおいらではあるが、酒のつまみに納豆という取り合わせの発想は、これまでほとんど無かったものではあった。謂わば未経験的取り合わせであったのであるが、此れににらのお浸しが一品目加わったことで、見事な酒のおつまみとして主張することとなっていたのだ。出されたメニューは丁寧にも、葱の微塵切りや鰹の削り節、生卵がトッピングされていて、なかなか深い味わいである。卵が入ったら粘り気は程よく中和するのであり、これまた納豆を旨くしている。これからおいらの好物になること間違い無しの逸品であった。

「動かすのは、決断。」という選挙公約をばら撒く野田佳彦の虚言

 

今回の選挙戦において民主党が最も資金的に潤っているのであろう。「動かすのは、決断。」という、気色悪い野田の顔面のアップの画像が迫って来るのであり、何とも合点がいかないどころか、まさしく屑的人間野田の屑的パフォーマンスを尻目にし、耳にして、途轍もない失望感にとらわれていたのであるが、そんなマイナス要因の心根も、ようやく決別のときを迎え得たようである。

改めて考えるに、民主党と云う政党への、たとえ一時的であれ支持していたおいらの誤り、やるせなさが込み上がってくる。何とも云いようのない想い出はあるが、今後の政治状況を想像するに、一時のやるせなさを悔いる気持ちの今日このごろなのである。

別名「バクダン」とも呼ぶ「ニンニクの唐揚げ」

「ニンニクの唐揚げ」を食した。メニューには唐揚げと銘打っていたが、丸ごとに素揚げしたものである。別名「バクダン」とも呼ぶ「ニンニクの唐揚げ」だが、予め底の部分に切り込みを入れて揚げる。バクダンのように爆発することもあるのだと云う。

生ではとても口に出来ないニンニクも、油でじっくり火に通すことにより、まろやかに甘みさえ感じさせる。ひと房まるごと、袋にして10個以上のニンニクは、この唐揚げくらいでしか食べられないであろう。精が付くことこの上無いくらいのスタミナ料理である。

自民+維新&民主の大政翼賛を許すな

総選挙は終盤に差し掛かっており、多くのマスコミ媒体が自民党の圧勝を予測している。それそれ獲得議席数の多寡に一定の幅はあれども、自民党の勝利という点においては一致している。対する民主党のほうはといえば、惨敗必至。維新と3位の座を争っているという体たらくである。そもそも今回の総選挙はやる必要の無いものを野田佳彦が我欲、我執をもとに引き起こしたようなものであり、民主党の惨敗は誰が見てもの織り込み済みである。それを代表という地位に居る野田が認識していないようなのであり、救いようも無いのである。鳩山さんや菅さんが党代表で居た頃には未だ期待が持てた些少の要素も、完全に砕け去っている。民主党を裏切った張本人の野田にその自覚が無いのであるから、大惨敗による報いを受けるがよい。2度と政界に復帰し得ないくらいな大惨敗が相当であると云って良い。

自民党の比較1位は揺るがないにしても、これから惹起するであろう政界メルトダウンが及ぼす影響とその対策については準備万端怠り無くしていくべきであろう。予想される悪しき政治状況として、自民+維新による連立政権が想定されている。1位の自民と3位の維新が連立を組んで、日本の国政を牛耳るという構造である。民主ごときはここにおいては協力政党の感を成してしまうのであり、まさしく日本政治の「大政翼賛政治」の土壌が成立することとなる。こうなってから日本の政治を立て直すことは不可能のなである。今こそそんな大政翼賛政治に対してストップをかけるための政治行動を起こすべきである。

第二の旬を迎えた「カワハギの干物」を食した

某釣りきち関係者によれば、今どきは「カワハギ」が狙い目の旬なのだそうな。フグの親戚で身もたいへんに美味だという。夏によく取れるが、この時季こそいわゆるカワハギの第二の旬であり、この時季の身が一年で一番旨いとの熱弁を繰り返していた。そうした事情もあり、近頃のもっとも関心度が高まっていたカワハギであるが、カワハギの干物というメニューに接したことから兎に角も一度は口にしたいと注文したのである。

まず目にしたところ、白身の干物としての珍しさや艶に興味を強くされた。生のカワハギではないが、何となく生魚の珍重さを感じ取っていたし、口にしてからもまたその思いは変わらなかった。味付けは味醂干しの上品な味わいであった。

都道府県別魅力度ランキングで「47位(最下位)」の群馬県民のプライド

妻の13回忌法要のために帰省した。ローカルな両毛線の駅を降りると強烈な北風に見舞われていた。上州名物とも称される「からっ風」に出迎われていた。吹きっさらしの乾いた強烈な疾風が、赤城山の方角から、関東平野最北部地域の一帯を襲う風のことを、群馬県民はある種の親しみを込めて「からっ風」と呼んでいる。おいらも親愛の気持ちを込めて上州の「からっ風」を記述している。すなわち群馬県民の多くは「からっ風」の厳しさを好意と共に受け止めているという県民性が存在するのだ。

ところで今回帰省して改めて感じたことは、「群馬県民」のPR不足が全ての県民にとって気になっているということではあった。都道府県別魅力度ランキングで「47位(最下位)」というニュースが、腑に落ちない不条理のものとして突きつけられていたということを物語っている。事実、お寺の御住職やおいらの両親も、群馬県の人気度の低さについてはほおって置けない事情のように語っていたのだ。

http://777news.biz/n/2012/09/23/14443

群馬県が最下位ということには、相当の意味があるのであろう。魅力度が無いというのでは決して無い。だが、自らの魅力についてを発信することの非力さ、自らの土着的文化を展開出来ない非力、等々が、群馬県のイメージをマイナス的に定着させていたのであろうことを感じとつている。

だがたとえ最下位であったとしても、おいらには群馬県人としてのプライドは持っている。冬の凍える上空には青々とした空と白い雲があり、空気はとても澄み切って清清しかったのである。百年前も、或いは百年後も、そう違わない風景の恩恵にあずかれるのであろうとしみじみ感じ取ることとなっていた。東京、大阪等の大都会圏については、風景自体が異質となってしまっているから、決してこうはいかない。

群馬県人の誇りはまだ色々あるので、機会があれば今後も記していきたい。

ワカサギはフライより天ぷらにかぎる

ワカサギが旨い季節となった。冬のワカサギは厚い氷の下にひっそりと生息し、脂も旨みも充分に乗っている。このワカサギも多分、上州の榛名湖の湖底に生息していたものたちであろうという想像をたくましくしつつ箸を運ぶと、湖底のエキスさながらの苦味のエキスが口腔内を取り囲むように広がっていくのだ。「ワカサギの天ぷら」というメニューを見かけて注文したときに店員から返ってきた言葉は「フライもありますけど…」というものだった。絶対にフライなどにはして欲しくないおいらは、ちょっぴりむきになって強く「天ぷらが良いです」と伝えていた。ワカサギはフライよりも天ぷらにかぎるのである。

偶然に出喰わした「すっぽんの煮こごり」と「すっぽん鍋」



都内下町の繁華街にてある日一献やっていたところ、隣客のテーブルに「煮こごり」が載っていて、その姿形が奥床しき風情であったのであり、おいらはメニュー表にも見つけられなかったその「煮こごり」を注文していた。後から判ったのは唯の煮こごりではなくして「すっぽんの煮こごり」であったということであった。すっぽんの皮や卵が具にあてがわれており、すっぽんの皮やらすっぽんの卵やらをあまり強くない出汁にて調理されているものであつた。それだからこそ、すっぽんの味わいを少量ではあれ味わった「すっぽん鍋」のメニューは逸品であった。

絹豆腐のつるっとした食感が活きる「揚げ出し豆腐」

職場にいる若手女子は「揚げ出し豆腐」が大好物なんだそうな。繊細な食感と味付けがたまらないようなのである。

絹ごしの豆腐がつるっとした食感が何倍にも累乗される稀有な料理だと云えるだろう。

この料理に関しては「絹ごし豆腐」が必須の食材であり、すなわち「木綿豆腐」を用いることはありえないのだ。

何度か食した「揚げ出し豆腐」の旨い店では、時々忘れたものを思い出すように注文している。「揚げ出し豆腐」の特長は何より、絹ごし豆腐の魅力を数倍に高める料理であるということなのである。

総選挙公布で俄かに岐路に立つ「第三極」勢力と無党派の行方

衆議院選挙が昨日公布され、俄かに選挙モードとなっている今日此の頃である。一般大衆マスコミが念を押すまでも無く、おいらは選挙に投票することを決めているが、今回の選挙ほど「無党派層」の動きが投票行動に対しての大いなる重みが認識されている選挙は無いと云える。

さて、かつては「ノンポリ」というのは無党派層に対する侮蔑的呼称ではあったが、今ではそんなことは云っていられない、上客としての政治的ターゲットとなっているのである。無党派層が顧客となる第三極陣営の動きで、今回の選挙の帰趨が決定されると云えそうなのである。こんな重大な局面において、大手数社マスコミの責任回避は異常とも取れるくらいに尋常ならざる事態に直面しつつある。

複数のマスコミ報道によれば、「維新」の勢力はかつての勢いにブレーキがかかり、「未来」が追いあげているが未だ差はついたままと云うような状況である。橋下と石原慎太郎の主義主張の矛盾が露呈されているが、それを批判するマスコミなどは皆無である。やはり、「週刊朝日」に対する維新側の攻撃が、ある一定の効果を発揮しているという、マイナスの要素が明らかとなっている。橋下維新に対するまともな批判も出来ないマスコミに対して、橋下+石原慎太郎の「維新」側は、更なる攻撃目標を明らかにしている。即ち、第二極となることによって、自民+維新の連立政権樹立であり、ここにきてそんなありうべからざる状況は現実味を増しつつあるのだ。だからこそ今回の選挙が、今後の我が国の将来に対して決定的な影響を与えてしまうであろうことを憂うとともに、何としても維新の排斥は最重要的政治行動であると云えるのだ。

現在の時点で考えられる最も危惧し排斥すべき政治的状況とは、自民と維新による政権獲得である。その間に公明が入るかも知れぬ、或いは民主が極めて馬鹿げたクッションの役割を担っていくのかも知れない。

消費税法案成立で負い目を負った民主がやりそうな選択である。出来るだけ早く民主は最低の野田を解任しなくてはならない。

此処は相撲におけるうっちゃりであれ、肩透かしであれ、あるいはとったり、けたぐり、であれ、維新に対して一矢報いる必要があるのである。その他色々あるけれども今宵はこのくらいにて、グッドナイト。