新宿区下落合の「中村彝アトリエ記念館」と「おとめ山公園」

tsune01

tsune02

昨日は「佐伯祐三アトリエ記念館」を出た後、おいらはそこから徒歩で10分ほどの「中村彝アトリエ記念館」へと向かっていた。中村彝といえば、佐伯祐三の11歳上の先輩洋画家として活躍していた。彼もまた新宿下落合界隈に住居兼アトリエを構えていたのであり新宿区にゆかりのある画家であった。

ところで中村彝記念館は本年3月17日にオープンされたばかりのフレッシュな記念館だが、アトリエの母屋は中村彝さんが暮らしていたそのままのにより近い姿を再現している。同記念館関係者によれば、絵画制作時に飛び散った絵の具で汚れた床や天井などが当時のままだという説明であり、当時の面影をより色濃く残しているのである。佐伯祐三邸より以上の広さと優雅さを備え、芝生の敷き詰められた庭には、梅、椿、ひば、金木犀、等々のこだわりの花壇によって彩られていたのである。晩年は病気にさいなまれて送ったという中村彝さんの、人生の集大成としての目撃的アイテムが、あすこにもここにもといったように点在していた。

■中村彝アトリエ記念館
東京都新宿区下落合3-5-7

 

そしてその後に「中村彝アトリエ記念館」を去った足で向かったのは、おいらにとってとても想い出深い「おとめ山公園」だ。その公園は、かつておいらが画学生のころには画材の詰まったバッグや20数号のキャンバスをかかえてスケッチにと赴いていた場所である。何作か作品を手掛けていたのであり、自然美溢れる風景には特別なる思い入れを抱いていたものである。

otomeyama01

otomeyama02

「おとめ山」というネーミングが、相当昔、画学生だったころのおいらには「乙女の山」だと連想させており、おいらはスケッチに励んでいたのであったのだが、「おとめ山」は実は「御留め山」だということを知り、ずっと足を遠ざけていた場所でもあった。今回はおそらく数十年ぶりの訪問であった。

江戸時代にはこの一帯が徳川の狩猟地で一般人の立ち入りが禁止されていたことからこの名前がある。戦後のその後に公園として開園し、自然美が残る都会のオアシスとして残されることになっている。

■おとめ山公園
東京都新宿区下落合二丁目10番

新宿区下落合界隈の「佐伯祐三アトリエ記念館」を探索

saeki01

saeki02

saeki03

saeki04

西武新宿駅から西武新宿線に乗り、「下落合」駅にて下車すると、近辺には佐伯祐三や中村彝といった天才画家たちの記念館が散在しているのに出くわすのだ。

先ずは下落合駅から北に徒歩で10分くらい進んだところにある「佐伯祐三アトリエ記念館」を目指した。左に聖母病院、右に聖母大学を目にしつつ、車が入れないくらいの狭幅の小道を歩くと、行き当たった先が記念館だった。緑溢れる木々とともに白くてとがった三角屋根の木造建築が迎えてくれた。

佐伯祐三と云えば我が国の洋画界のみならず美術界の中でも数少ない天才作家であり、しかも30歳で生涯を閉じたという夭折の天才である。夭折の天才という称号は、我が国美術界においては佐伯祐三をおいてほかにはないといってよいのである。おいらの実家の押入れか物置には佐伯祐三画集が眠っていたのであり、それと同じ画集が同記念館にも鎮座されていたことがまた、この記念館に対する親近感をいやがおうにも高めていた。

かつてはアトリエであったという部屋に足を踏み入れると「下落合風景」という作品が在った。佐伯祐三さん自筆による、レプリカではない本物であり、おそらくは同記念館での唯一の本物作品であった。荒々しくかつ繊細なタッチで描かれた風景画は、戦前における同記念館の周囲の有り様を描いており、フランスのパリを描いた風景画を超えるくらいに親近感を感じさせるのであり、画家の天才的筆致に瞠目させるにあまりある。

洋風のアトリエの北側には採光のために、大きな窓ガラスでおおわれており、豊かな北向きの陽光をアトリエに注いでいる。古き良き時代のアトリエの姿を彷彿とさせ、そのデザインがまた佐伯祐三さん流のオリジナリティーを感じさせている。

■佐伯祐三アトリエ記念館
東京都新宿区中落合2-4-21
TEL 03-5988-0091
休刊日 月曜日(休日にあたる時はその翌日)

小室等さんが歌った「雨が空から降れば」を口ずさみつつの地元散策

土曜の休日ながら生憎の雨模様の1日となった本日は、雨傘をさしつつ地元の散策三昧であった。小室等さんが歌っている名曲「雨が空から降れば」を思わずに口ずさんでいた。吉田卓郎、及川恒平、松山千春らがカバーしているが、オリジナルの小室等バージョンにはけっして適うものではない。

駅を出て左側、イベント通りと目される西放射線に伸びるユーロードでは、エコカーの展示会などが開催されていて、祭り好きの八王子市民にとっては些か興醒めであったであろう。八王子市の公式ホームページの案内にも載っていないというイベントであるからにして、そのイベント自体の白けムードは、通りを歩く市民の多くが抱いていた思いであったに違いない。

富士森公園のベンチも雨でずぶぬれであり、「公園のベンチで一人♪」と、耽ることも出来ないままの散歩ではあった。

美食1位に選ばれたタイ南部の「マッサマンカレー」をつくった

matsaman03

matsaman01

「マッサマンカレー」をつくった。タイ南部が発祥のカレーで、CNNGoの「世界の料理の美食ランキング50」では1位にランてクされている。タイカレーの中では辛味が抑えられ、じゃが芋、人参、鶏肉などの野菜の甘味が効いている。南部のイスラム教徒によって広められたとされ、タイ料理の中ではマイナーなご当地料理のひとつである。

ある売り場にて偶然に「マッサマンカレー」のカレーペーストを見つけていたのだが、ペーストの原料には、赤唐辛子、小玉ねぎ、にんにく、香辛料(クミン、コリアンダー、シナモン、チャイニーズスターアニス、メイス、カルダモン)等々と記されている。使う食材は日本のカレーとさほど変わらない。カレーペーストがあれば比較的簡単に調理できるメニューである。今回はタイの調味料であるナンプラーが使えなかったが、次はナンプラーを使用して本場の味に近づけたい。

http://matome.naver.jp/odai/2131156101322152101

http://www.excite.co.jp/News/product/20110731/Directvanqex_field_news_8clgUvcFG.html

 

小金井「百薬の長」の「松前風百薬漬け」はナイスな味わい

hyakuyaku01

武蔵小金井駅から数分の大衆居酒屋「百薬の長」に久しぶりに立ち寄って一献。何時もながらに呑兵衛のけたたましい声が店内にこだましている。鮮度の良い同店のもつ焼きは、その種類も多いが人気の部位は早めになくなっていくのであり、常連客は日もまだ暮れない夕刻からこの店へと足を運ぶのである。常連が陣取る店内のちょっとした隙に案内されて、いつものホッピーを注文した。

先ずはもつ焼きを塩で注文。豚のカシラ、ハツ、等々の鮮度の良いモツ類は焼いた後でサクっと歯で紙切れる。歯の悪いおいらでもその違いは歴然として感じ取ることができる。

モツを食べ終わった後でメニューを眺めたところ、充分に記憶している訳ではないがたしか「松前風百薬漬け」というものを見つけて注文してみたところ、これが意外にもナイスな味わいだったのであった。

北海道松前が発祥とされる松前着けはいまや全国区の漬物として人気であり、グルメ誌等で主に報道されているのは高級食材の「数の子」がふんだんに用いられているが、おいらが昔からつくって味わっていた松前漬けにはそのようなものはなく、昆布とするめのダブルなネバネバ食材をつかったシンプルかつ奥深いものである。

そんな「松前漬け」に新しい風味を与えていたのは、この店の「松前風百薬漬け」なるメニューである。そしてその新風の所以こそ切り干し大根という食材なのだ。冬の寒い季節に収穫した大根を細切りにし、広げて天日干しする。春には切干大根として流通しているのであり、それを水でもどせば新風的「松前漬け」の素材が完了する。

冬に収穫された大根の鮮度を保ったままの切干大根は、ツンとくる生大根の刺激をも感じさせている。松前漬けのニューウエーブとして、おいらの自宅にも常備していきたいメニューなのである。

■もつ焼き百薬の長
東京都小金井市本町5-12-15

春の魚と書く「鰆(さわら)」の刺身を食した

sawara01

春の魚と書いて「鰆(さわら)」と読む。実は春ばかりに生息するということはなく年中に回遊する魚である。瀬戸内海などの近海にサワラが産卵にやってくる時期が春ということからこの漢字が用いられたという説が有力だ。

鯖(さば)の仲間であるが、生食には鰆のほうが柔らかく癖も無いので好都合なのである。白身魚のようでいて、DHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)という青魚の成分が豊富という。メニューに載っていたらついつい注文してしまうひとつなのだ。やはり春以外の季節にその姿を見ることは稀であり、刺身などにありつけたらラッキーと思うべしなり。

この時季の「あさり炊き込みご飯」がすこぶる美味い

asarigohan02

asarigohan01

asari03

炊き込みご飯は旬の食材を使うのが鉄則だが、この時季に美味い鉄板的炊き込みご飯といえば「あさり飯」なのだ。

先日までのゴールデンウイークには、日本全国の遠浅海岸に出かけてあさりを収穫するという、潮干狩りなるイベントが行なわれていた。なかなかそんなイベントには参加できないおいらは、この時季になると、無性にあさり料理が恋しくなる。

ここはシンプルに、あさりの炊き込みご飯づくりと決めて、早速調理にとりかかっていたのだった。

地元のスーパーの海鮮コーナーには旬のあさりが大量に並んでいる。料理に使う食材は、鮮度の良いあさりに加えてネギと油揚げ。この食材の取り合わせこそは下町発祥の「深川飯」のそのものであり、これで充分に満足できる。

土鍋ご飯専用の土鍋に具材を投入し、薄めの出汁と醤油と味醂で味付け。あさりは殻つき生のまるごとを投入していた。これで充分な味わいに仕上がったのだ。久しぶりの「あさり炊き込みご飯」がすこぶる美味かったのである。

岩手県軽米町が舞台の、山田洋次監督映画「息子」の風景に見惚れていた

山田洋次DVDマガジン Vol.8として発売され書店に並んでいた「息子」を購入視聴し、その舞台となった岩手県軽米町の風景に、改めて惹きつけられ、目を釘付けにされ、見惚れていたのだった。

[エラー: isbn:9784060680839:l というアイテムは見つかりませんでした]

公開当時の思い出と相俟って懐かしさがこみ上げてくる。映画公開当時のおいらは、主演の和久井映見さんのファンであり、スクリーンに映る映見嬢の演技に見惚れていた記憶があるが、二十数年のときを経て鑑賞した「息子」にはまた違った印象を強く持っていた。

映画撮影の舞台となった軽米町は岩手県の北端に位置している。亡くなった妻の出身地であることから、おいらも何度も訪れていたが、改めて当地の風景の美しさや貴重で稀有なる存在感を感じ取っていたという訳なのである。

山田洋次監督の映画「息子」は、1991年に公開され、同年の第15回日本アカデミー賞や第65回キネマ旬報ベスト・テンなど、数多くの映画賞を受賞するなどして話題を集めた名作である。丁寧に撮影された駒のあれこれの美しさの表現は山田洋次監督の得意とするところであり、同作品でもそんな特長がふんだんに散りばめられており、久しぶりに鑑賞した「息子」の余韻で一杯になってしまった。

軽米町の冬のシーンは豪雪に見舞われていて、それ自体が歩き回ることもままならないという閉ざされた町民の生活を映し出している。そして夏の季節では、緑が目映いくらいに鮮やかな丘が舞台で、父と子とがタバコの葉を収穫しながらの会話シーンが収録されている。何度か訪れていて知っているはずの風景ではあるが、記憶に保存されているものを遥かに超えたインパクトを与えてくれていた。日本の原風景の姿がこの風景のあちこちに散りばめられていることを発見していたのである。

「八王子古書まつり」にて埴谷雄高さんの「闇のなかの黒い馬」初版本をゲットした

furuhonn01

furuhonn02

八王子のユーロードでは、6日(月)まで「八王子古書まつり」というイベントが開催されている。

http://blog.hachiojiusedbookfestival.com/

今年第8回の合い言葉は「ふるいのも、あたらしいのも、キラキラできる」というもの。公式サイトにては以下の様な説明がある。

―――――
「八王子古本まつり」の合い言葉(キャッチコピー)は、これ。

古くから代々この町に住んでいるひと。新しく家族で移り住んできたひと。ひとだけじゃありません。文化、環境、年中行事、信仰、価値観などなど、古いものと新しいものがいっしょにある町、それが「八王子市」だと思います。

「八王子古本まつり」は、この町の古いもの・新しいものそれぞれの魅力が、いっしょになって、キラキラとかがやいてくれることを夢見ています。
-――――

そんなイベントに足を運んだところ、思いがけない掘り出し物の1冊に遭遇、購入したのである。その書物は、埴谷雄高さんの 闇のなかの黒い馬」という名著である。埴谷雄高さんと云えばおいらが思春期から青春期のころにかけては、「死霊」という圧倒的な作品群に格闘した思い出が顕著であり、この作品「闇の中の黒い馬」も何時かは知らないが触れていたはずである。埴谷作品の中でも屹立した存在感を備えており、どこかで読んでいたはずだが、然しながらに手元には無いという特別な一冊であった。表紙および挿画には駒井哲郎さんの作品が用いられており、出版された1970年当時の面影を伝えている。

立川の「だるま」で赤々として美味い「タコ酢」に出会った

takosu01

タコは茹でると赤くなるが、酢漬けにするとよりいっそうその赤味を増していく。以前はこの「タコ酢」なる料理に遭遇してその異様なる姿かたちを目の前にして、いささか閉口していたものではあったが、今ではとんと気にならなくなり、それどころか却ってこの鮮紅の色合いに対してとても親近感を感じ取っている。食欲をそそられるくらいなのだ。なんとなればその赤紅の発色は天然のものであり、近頃の中国産食材の危ない添加物の色々の類いとは一線を画しているし、その相貌はまるで酔いつぶれる前の充血して赤ら顔になった呑兵衛を彷彿とさせるのであるからにして、おいらもかなりの愛着を抱いている料理のひとつだ。

立川の「世界堂」に画材の買い物で訪れた帰りに立ち寄った「だるま」という居酒屋にて一献傾けた際に、おいらは久々にタコスならぬ「タコ酢」という懐かしいメニューを口にしていたのであり、好き好きとの思いを益々に累乗させていたのだったという訳なのである。

余談になるがこの立川の「だるま」という居酒屋には、近くに場外馬券を取り扱うビルがあることから、競馬ファンが昼間から集って酒をあおっている。とくに土曜日曜の日には、競馬の生中継をするテレビの前には競馬マニアの団体が陣取ってたむろしているというすこぶる珍しい光景に立ち会うことになる。店内で堂々と競馬新聞を広げるカップル。向かいの集団では競馬新聞をテーブルに広げてあれやこれやの競馬レースの検証が行なわれている。ギャンブル好きの呑兵衛の会話は聞いていると飽きないものがある。

「男のひとは可愛いわね。赤ちゃんといっしょね」とは、競馬ファンと思しき中年女性の声。続いて聞こえてきた言葉は、「でもねえ、競馬にのめり込むのは趣味だから赦せるわよ、お小遣いの範囲でやっていればだけどね。でもね、こっち(指を立てて女のことをアピール)のことは駄目ね。絶対に駄目。そんな女に払う金があるならば、もっと生活費を入れてよっていいたいと思うわよね‥」と、大声で説教していた光景はとても印象的だった。家族もちの有閑マダムなのかも知れない。

■だるま
東京都立川市柴崎町3-2-14

坂口安吾さんの原作映画「戦争と一人の女」を鑑賞

http://www.dogsugar.co.jp/sensou.html

東京都内では、坂口安吾さんの原作を題材にした「戦争と一人の女」という映画が公開されていると聞き、おいらも休日を利用して、都心の公開映画館「テアトル新宿」へと足を運んでいた。新宿駅東口を降りて、数分歩いて行くと、「新宿ぴカデリー」というメジャー映画を公開する映画館があり、其処を超えて行くと「テアトル新宿」に辿り着いた。

戦争によって自堕落に生きる安吾さんを連想させる「先生」とその愛人を演じたのが江口のりこさん。主演女優の江口のりこさんについては、過去にはテレビドラマの「時効警察」や映画「ジョゼと虎と魚たち」等にて覚えていた。

別段に美人でも可愛くも無いが、彼女の存在感がこの映画でも抜群であり、この映画には無くてはのキャストであった。戦時中真っ盛りの時代を背景にして、エロスに生きる作家こと安吾さんを、永瀬正敏が演じている。巨匠の安吾さんを演じるにはいささか役不足の感も無くは無かったが、力深くてけっこう良い味を出していたのであり、役者の評価を見直していた。

自堕落に生きて堕ちた坂口安吾さんには実はこんなに魅力的な愛人が居たのかとも想像していて動していた。そして尚更には、この戦時下という時代の戦争犯罪と、日本という国家の脆さと、更には国家的な不条理とを身に染みて感じさせていたのだった。過去に浴びた数々の虐待から不感症となっていた女主人公をめぐる人間模様の背景で、多くの日本の映画には無くなっていたとても重々しいビートが演奏されている。主演の江口のりこさんはじめとするキャストたちに留まらずに、監督、等々のスタッフたちの息遣いを感じる、大変な力作的映画に遭遇したという思いである。

この季節の新じゃがを使った「肉じゃが」はほくほくと皮まで美味い

shinjaga01

shishitou01

今が旬を迎えた「新じゃがいも」を使って「肉じゃが」を作ったのだ。肉じゃがはといえば、若い男女の間で少し前には「モテ系」の代表的メニューとして尊ばれてきたが、この季節の新じゃがを使った肉じゃがこそは、うまくいけばその「モテ系」のトップアイテムにも値するものである。

今が旬を迎えた「新じゃがいも」は、通常の年を通して流通されるものに比べてみれば、まずは皮が薄く柔らかく、大きさは小振りである。固い殻を纏う前の、いくぶん無防備な姿かたちを印象に写し取る。半面で見ればそれだけ瑞々しい細胞に満ちていることでもある。

肉じゃがのケースに限らずこの季節の新じゃが料理は、カットすることなくそのまま丸ごと使う。しかも皮も剥くことなく丸ごと使用するのが定番である。角が無く丸い姿かたちの新じゃがは煮崩れすることもなくて、丸ごとほくほく。こんなメニューは春ならではと云ってよい。

通年的なじゃがいもの皮はアクが強いためになかなか口にすることは難しいのだが、丸ごと調理に向き、薄皮もまた野性味溢れて味覚を刺激してしまうのだから食べない手は無いくらいなのである。皮が薄く瑞々しい新じゃがには出汁や肉の旨味が奥深くまでに染み込んでいくのであるから、通年食材としてのじゃがいもでは作れないという逸品として通用するのだ。

新じゃがいもの相棒食材には、豚肉に加えて、人参、椎茸、獅子唐をノミネートしてみたら、この相性もまたグッド良好なのであった。特に味の染みた獅子唐はまた思いがけなく食欲をそそる料理に仕上がっていた。

赤羽「まるます家」は好感度高い希少な居酒屋だった

marumasu01
marumasu02

先日は上州の実家に帰省した帰りに赤羽駅にて途中下車していた。目指したのは「まるます家」という居酒屋。赤羽駅から4~5分歩くとその「まるます家」に到達する。
いつものように「恋のあらい」を先ずは注文。するとピンク色にお化粧された逸品的な鯉料理がテーブルに運ばれてきた。何ヶ月ぶりかに味わうその味は、上州こと群馬県の特産品のひとつなのであり、同店の鯉も群馬県から仕入れている。おいらとまるます家との接点は、意外と深いものがあるのかもしれない。

ともあれ、途中下車しても立ち寄りたいという気持ちを惹起させる名店の一つが、赤羽の「まるます家」だということは確かなようである。

■まるます家 総本店
〒115-0045 東京都北区赤羽1−17−7

日高屋ナンバー1人気の「野菜たっぷりタンメン」

tanmenn01

仕事場に程近い場所には「日高屋」という中華食堂がある。おいらも時々この店に足を運び昼食をとることが多いのだが、そこでの人気ナンバー1メニューは、「野菜たっぷりタンメン」である。あるときそのことを知り、それ以来は、どうもこの店に来ると「野菜たっぷりタンメン」というメニューを注文する癖がついてしまった。

別段にこの店のタンメンの味に嵌まったという訳ではない。中華麺料理の中でのおいらの好みは、味噌ラーメンであり、タンメンの好意度は、醤油味、豚骨味にも及ばないものなのでもある。然しながら、何故ゆえにタンメンを注文してしまうのか? それはおそらく、野菜類に対する飢餓の思いがあるからなのだろう。

今流行のサプリメントの類では代用できない、生野菜がかもす味わいを求めているからなのだろう。モヤシ、キャベツ、人参がたっぷり入って、炒めて煮込んだ野菜を口にしていると、どこかで安らかな気持ちにひたってしまうのだから、これが良いのか悪いのかはわからないのだ。

衝動的に「ニラ玉子」が食べたくなったのだ

niratama01

niratama02

無性に「ニラ玉子」が食べたくなって、玉子とニラと、そしてシメジ茸を買って帰ったのだった。

シメジ茸は石つきをとってさらに半分にカット、ニラは2~3cmほどにカットして、玉子とあわせる。日本料理で用いられる出汁類は使わない。玉子とニラの味わいが無性に恋しくなっていたからであり、それ以外の食材は茸くらいで充分であったということだ。

ニラの香りは独特であり、玉子という濃厚食材に対しても充分的に対応してくれる。玉子料理とよく似合う食材として、もっともポピュラーだと云えるのかもしれない。

出汁の味で煮込んで作る「ニラ玉子」という料理もときどき散見されるが、ニラの旨味を引き出しているとは云い難いのである。

伊坂幸太郎著の「残り全部バケーション」を読んだ(1)

[エラー: isbn:9784087714890:l というアイテムは見つかりませんでした]

「残り全部バケーション」という著書を先日購入して読了したところなのである。

実はおいらはすでに「残り全部バケーション」の第1章のくだりを読み終えていた。実業之日本社がかつて発刊した「Re-born はじまりの一歩」という書籍に触れてこの一つの章を前もって読み終えていたのだった。だからにして尚更しんに、この「残り全部バケーション」のそれ以降の経緯には深い関心を持っていたのである。

ぽっかり口を開いた「ハマグリのバター蒸し」が食欲をそそるのだ

hamaguri01

二枚貝の中では大きな部類であり、アサリに比べて食べ応え、噛み応えも大きなものがある。

吸い物、鍋の具材、等々と様々な活用法があるが、とてもシンプルで味わい深いのが「ハマグリのバター蒸し」である。調味料としてのバターがハマグリ料理に独特のコクを与えている。バターの他に酒蒸しというものもあるが、ハマグリにはバター蒸しに敵わないといえよう。

栄養的にはビタミンB2を比較的多く含むので、動物的タンパク質ともあいまって、身体に優しい味わいに満たされるのである。

この時季の「野蒜(のびる)」は、キムチ漬けにしても美味しい

nobiru02

先日から、野手溢れる「野蒜(のびる)」の魅力に取り憑かれている感のあるおいらである。先日は久々に口にした興奮などを交えて野蒜(のびる)をレポートしている。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=7650

野蒜と漢字で書いてあとでかっこ付きのルビを振っているのは、漢字では難しすぎるし、かといってひらがなの「のびる」では全然すっきりしないことから、仕方なくそうしていることをおくみとりいただきたいなと思っている次第である。

さて本題に入るが、野蒜(のびる)という野生食物は生で口にする以外に、キムチ漬けにしても、格段に美味いのだということの発見について述べたいのだ。爽やかな鮮度あるピリリ感を保ったままに、キムチ漬けしたピリ辛の「野蒜キムチ」は、いつになく満足な味わいのキムチ料理であった。

ネットを検索すれば、味噌漬け、キムチ漬け、等々のメニューがヒットしているが、確かに生野蒜(のびる)に負けず劣らずの旨味を主張するべき価値がある。生で驚き、漬物にしてさらに舌鼓を打つ。これぞ野蒜(のびる)ならではの存在感。もっと注目されてよい食材であることは確認できたのである。

生垣に生える躑躅(つつじ)の花が、都会の潤いをもたらしている

tsutsuji01

tsutsuji02

tsutsuji03

桜が散った春の都市の風景に、躑躅(つつじ)が花を咲かせている。ここ数日街並みを歩けばつつじの花に目が吸い付けられている。生垣からピンクの花弁を広げるつつじの花は、都会のモノトーンに潤いをもたらしてくれるようでもある。

先日は、自転車のペダルを漕ぎつつ路地裏の小路を走っていたおいらの視界に飛び込んできたのは、真紅な花弁を咲き猥らせている、さる瀟洒な庭の花壇の一隅に咲き誇っていたつつじなのだった。躑躅という花の咲き誇った様子に、自転車の歩を止めて見入っていたのだ。

東京都心の歩道を歩けば、瑞々しいつつじの姿に目を止めて印象に留めてしまうのがこの時期のつつじなのである。

地元禅寺の和尚さん逝去の手紙が届いた

我家が檀家でもある、地元上州の禅宗寺院の住職をされていた和尚さんが、先月亡くなったという手紙が届いて、悲しみにくれている。昨年末に法事でお寺を訪れた際には、元御住職が小脳に関する難病を患っているという話をお聞きしていた。国立の群馬大学医学部病院でも治療できない難病だと言われていたそうであるが、こんなに早く逝かれるとは予想もできなかった。そのときにもっと早く病院にお見舞いをして、これまでの感謝を伝えたかったこと、それが出来なかったことを悔いている。

先祖からの菩提寺である東京都内の某禅寺から上州のそのお寺に引き継いでいただくために訪れたとき以来、とても気さくに接していただき、禅の教えも身近に感じることができていた。「般若心経」を朗読するようになったのも、和尚さんからその経典をいただいてからのことである。はじめは「御住職」と堅苦しく接していたのに、何度かお会いするうちにいつの間にか「和尚さん」と呼んで接することが出来ていたのも、そのお人柄のゆえなのだろう。先月に亡くなった和尚さんは密葬を済ませたとのことであり、来月には本葬にあたいする「津送の儀」が執り行われるとのことが、手紙に記されていた。常人とはまた違う天国への道のりをたどっているということなのかもしれない。あらためて和尚さんのご冥福をお祈りしたい。