下町の名店葛飾立石の「江戸っ子」でほろ酔いなのだった

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先日は立石の「鳥房」にて「若鶏唐揚」に舌鼓を売って以来、下町的立石グルメにはとても味をしめていたのであり、その影響もあり立石界隈を散策探訪していたのであった。訪れたのは「江戸っ子」というお店。もつ焼きや煮込みが美味いと評判の地域定番的居酒屋である。

近頃は少々もつ焼きに飽きていたおいらは、先ずは煮込みを注文した。白モツを中心に鮮度の良いモツをじっくり塩味で煮込んだモツは、さっぱり感覚で食欲を刺激していく。同店オリジナルの「ボール」というハイボールの一種と思われるアルコールで喉を潤していれば、食欲は益々充溢していて、結局は同店の売りメニューであるもつ焼きを注文することになっていた。

一皿4本というのが注文の基本となっていて、おいらはタンとレバーのセットを注文していたのだが、とてもボリュームが有り、食べるに時間がかかっていた。葛飾区内下町呑兵衛の聖地たるにゆるぎのない名店であったのである。

■江戸っ子
東京都葛飾区立石7-1-9
03-3694-9593

やはり秋刀魚は焼き秋刀魚に限る

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本日は朝から2020年の東京オリンピック開催決定のニュースで喧しい限りだが、東京の目黒では「目黒のさんま祭り」が行われ大盛況だったということである。

http://www.asahi-net.or.jp/~xq7k-fsm/sanma.htm

目黒まで赴くことができなかったおいらは本日、まるでテレビTVニュースに観る映像に釣られ引かれる様に焼き秋刀魚が食べたくなり、地元の食事処で秋刀魚の焼き魚を味わっていた。

東北近辺の海水の温度が高くなったために、東北地方の秋刀魚の収穫は最低だということであり、北海道沖で水揚げされた秋刀魚が目黒のイベントを支えたのだという。本日食した秋刀魚が北海道産であるかは確かめなかったが、おそらく北海道で水揚げされたものであろうと推察される。

目黒へ行った気になって食べた秋刀魚ではある。内臓の肝が詰まった秋刀魚は苦味が迸っていて秋の味覚が充分である。やはり秋刀魚は焼き秋刀魚に限るということを思い起こされたのである。

昔懐かしの「鯨の焼肉」を味わった

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鯨の肉と云えばおいらが幼少のころには今のような特別な食材ではなくポピュラーな食材であり、給食にも出ていたものと記憶している。房総半島の南部や特別な地域において提供されている鯨肉は、とても昔食していたものとは程遠いということは、以前から感じていた。すなわち鯨の刺身や鯨ベーコンなどの料理は、昔から食していた鯨料理とは異質のものではないのかと。

昔懐かしの鯨料理と云えば、シンプルに鯨肉を炒めて出されるものであった。それが先日は、願いが叶ったりの如くに出くわすこととなったというわけなのである。生姜、醤油などで下味をつけて焼かれた鯨肉の焼肉である。個人的には牛肉よりも愛着が沸くような懐かしい味わいではある。

美味い秋刀魚の刺身を味わった僥倖

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今年の秋刀魚は漁獲量が少なく、価格も高騰模様というニュースが駆け巡っている。スーパーマーケットではぼちぼちと生秋刀魚が並んでいるが、やはり例年に比べると量も少なく見栄えもしていない。

そんな環境が影響してかあらぬか、秋刀魚の刺身に遭遇する機会は今年はほとんど無く、先日は偶然的に訪れていた酒場で秋刀魚のメニューに発見して、注文していたという訳なのである。

実際に秋刀魚の刺身を目の前にすると、その名の如くに秋の刀を連想させる。秋の刀は湾曲を描いた刀に違いないが他の季節との違いは判然としない。

ともあれ秋刀魚の刺身といえば、その切れ味鋭い切れ身の厳かさに感動すること多かれど、その味わいはそれぞれの時季において異なる感想を抱きつつあったのである。

これから秋本番を迎える今の時季にあって、秋刀魚の刺身の貴重なことはこれからますます伝達されていくことなのであろう。それでも貴重な秋刀魚の刺身にありつけたことは僥倖の一つであると云わざるを得ないのである。

初挑戦の「山なめこシチュー」に舌鼓

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幼少のころから数年前までのずっと長き間、なめこと云えばそのネバネバしたぬめりとその小粒のプリプリした食感が魅力であり、未だその思いは続いている。最近になって出会った「山なめこ」というのは、以前に属していた一般的ななめこに比べて大振りであり、そのネバネバ感は薄い。だが「山なめこ」という名が体を表すかの如くにワイルド感があり、所謂野趣があふれている。

だがこの山なめこという食材の調理法は限定されていた。いつもは味噌汁の具や蕎麦の付け汁に加える具材として使用していたのだったが、もっと色々と利用するべきメニューはないかと模索していたのだ。

今回初めて挑戦したのは、シチューの具材として用いるというもの。洋風レシピにもこの山なめこは似合うと判断していたからではある。そしてその予測的判断は正しかったようである。

シチューに代表される洋風メニューには、牛乳等の乳製品が主要な地位を有しているのであり、和風料理には見られないものだが、山なめこを和風料理にばかり限定させていては勿体無いのであり、敢えて洋風のシチューに用いてみたのである。酒のつまみとしてもナイスであった。

何ということない呑兵衛のメニュー「ポテトサラダ」を見直した

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お酒の友としてのつまみは多々あれども、「ポテトサラダ」こそは日常的に口にする。云わば定番的ポピュラーなメニューの代表格とも云えるのだ。

茹でたポテトことじゃがいもを崩して柔らかくして、刻んだキュウリやハムなどを加えてあえる。味付けはマヨネーズが一般的である。ポテトサラダとしては最もシンプルであり味わい深い。呑兵衛にとっても欠かせない定番メニューであるということを再認識し、見直していたのである。

口当たりが良くて酔いを緩和させる効果がある。あまり積極的に注文することはないが、ふんだんに呑んだ後などで、口直しに注文して口にすることが多々あるのである。やはりありがたいメニューのひとつであることには違いない。

みどり企画HPの「みどり企画ギャラリー」を更新しました

久しぶりに「みどり企画ギャラリー」を更新しました。

http://www.midori-kikaku.com/gallery/

新しいデザインを採用しつつ、新規画像を2点追加しました。

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「古里の富士と湖の記憶 Ⅰ」と「古里の富士と湖の記憶 Ⅱ」はともに、幼きころから親しんでいた地元古里の田舎富士とそのふもとの湖と所謂逆さ富士等々のイメージを造形化したものである。

ちょうど先日は富士山が世界遺産に登録されたことに触発されたことが、制作のきっかけとなった。

瀬戸内寂聴さんと玄侑宗久さんの対談をまとめた「あの世 この世」

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公開中の映画の原作本「夏の終り」(瀬戸内寂聴著)を探したが、残念なことに地元の書店には置かれていなかった。それでその代わりに購入したのが、作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴さんと玄侑宗久さんの対談をまとめた「あの世 この世」であった。

第1章「あの世はあるのでしょうか」から始まって、仏教と信仰について、お釈迦さまの生涯について、仏門に入るまでのこと、この世の苦と楽について、そしてあの世とこの世…等々のテーマを遡上に載せて、縦横無尽に語り尽くしている。

「極楽への道案内」だと解説にあるが、それほど明快なビジョンが示されているわけではない。ときに寂聴さんが聞き役となって、あの世とこの世の超常現象的な事象に関する解釈を玄侑さんに質問するシーンも散見されている。理知的な玄侑さんの説明に対し質問を加えつつ、人間の驚異の情念を描ききった寂聴さんが自らを納得させるビジョンを求めているようにもみえる。

畑のキャビアこと「マグロとんぶり」で一献

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呑み屋でとんぶりのメニューを見るといつも食べたくなり、注文してしまう。別名「畑のキャビア」とも呼ばれ、秋田県が日本一の主産地である。

キャビアのようなプツプツした食感が楽しめるが、味はそれほど高くはないし、個性的でもない。それかあらぬか、いつものとんぶり料理はといえばその脇に納豆やら大和芋添えられている。それらのが脇役をかき混ぜて食するのが一般的なのだ。

今回食したのは「マグロとんぶり」。マグロの切り身がとんぶりを盛った容器の奥深くにマグロが顔をのぞかせている。

まずはかき混ぜてみる。すると生きの良いマグロの赤身の風味が鼻腔を刺激していた。プツプツ食感のとんぶりは味わい控えめで、より一層に、アカザ科ホウキギ属 の一年草であるホウキギの成熟果実としてのとんぶりらしさが漂ってくる。いつも以上に酒が進むおつまみとなっていた。

瀬戸内寂聴さんの原作映画「夏の終り」を鑑賞

 http://natsu-owari.com/

瀬戸内寂聴さんが原作を著した映画「夏の終り」を鑑賞した。本日から全国ロードショー公開されている。先日は予告編を目にしていたのであり、待ちに待った映画鑑賞となっていた。

寂聴さんの初期の代表作である「夏の終り」は、自叙伝的内容が詰まっていて、尚且つ私小説的スタイルでぐいぐいと読者を引き込ませていく。この映画もそんな原作の持ち味を最大限に活かし得た、脚本、演出の巧みさが詰まっている。

さらには主役を演じる満島ひかりの存在感には圧倒されていた。女一人に男二人の三角関係、等と云ってしまえば残念さが付きまとう。年上作家を小林薫が、激しく一途な年下男を綾野剛がそれぞれに演じており役柄的にもはまっているが、満島ひかりにはそれ以上の存在感が満ちている。映画としての「夏の終り」の存在感は、満島ひかりさんにかかっているといっても過言ではない。

瀬戸内寂聴さんが記したコメントが印象的だ。

「作者としては生々しさに圧倒され肌に粟を生じて見た。」

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上野駅「ラーメン粋家」の食べおさめなのだ

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上野駅と云えばおいらが帰省するときや、関東・東北旅行に旅立つときには必ず立ち寄る旅立ちのステーションである。其処のラーメン屋としてよく利用していた「ラーメン粋家とと」が、8月いっぱいで閉店だということであり、驚いていたのだが、偶然ながらにそんな「粋家ラーメン」の食べおさめとなった訳である。

白菜の甘みと豚バラの旨みがぎっしりつまった特製スープ、というのが当ラーメンの特徴である。スープはあっさりとしていて白菜を主とした野菜の旨みがにじみ出ていて、胃袋にはとても優しいので、おいらも時々立ち寄って贔屓にしていた味なのである。

白菜たっぷりのラーメンはおいらは好きだったが、一般のラーメン好きには似合わなかったということなのであろうかと推察している。

当店が立つ上野駅中央改札口に近い十番台という場所もまた印象深いのである。かつて東北岩手出身の石川啄木がうたった名句によって顕現されるのが、上野駅中央改札口に近い十番台のホームであるが、そんな名句の上野のホームに在るラーメン店として記憶に明瞭でありこれからも記憶に残り続けていくことであろう。

■ラーメン粋家
東京都台東区上野7-1-1JR上野駅構内

豊作の今年の池袋「帆立屋」の帆立焼きで一献

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今年は帆立貝が豊作だという。捕れる量の多さに加えて身が大きくて甘みが強い。北海道沖の海ではプランクトンが豊富に生育しており、そんな豊富な餌を食べている帆立貝が丸々と太ってしまっているという訳なのだ。

そんなニュースに接して、池袋北口から少しの「帆立屋」に訪れていた。地元の呑兵衛に人気の居酒屋で、名店の名に恥じることなく、昼からオープンして賑わっている。

食した帆立焼きは想像した通りの大振りであり、焼き色が付いてこんがりとしたそのメニユーはとても食欲をそそるに充分であった。

貝柱はふっくらとして瑞々しくて、生身の帆立にひけをとらないくらいだ。肝もまた味わい深く、磯の味とでも云うべきである。

■帆立屋
東京都豊島区西池袋1-34-5

アナログの「CONTAX」フィルムカメラで撮影続行中なり

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先日からふと思い立って、昔のアナログカメラを取り出して撮影を始めている。アナログカロラというのはフィルムを使用するもので、現在主流のデジタルカメラを使い慣れてしまった人にとっては煩わしい工程を踏むことになる。さらにはフィルムには大別して、ネガとポジとの2種類あって、それぞれの写りの手触りというものを再確認しているところである。

これまで出版関連で数多の撮影に関わってきたおいらだが、撮影に用いられていたのはほとんどが日本光学こと「ニコン」の一眼レフカメラである。時代により「F3」「F4」「F5」と推移したが、出版マスコミ界で使用されるカメラは「ニコン」と決まっていたような情勢であった。対抗馬としては「キヤノン」があるが、レンズの精度やらボケ味やらその他諸々においてニコンには遅れをとっている。

さて実際に昨今のところおいらが使用しているアナログ写真の機材だが「CONTAX」カメラを用いている。コンパクトタイプの「CONTAX T vs」はこれまでおいらがデジタルをメインで使うようになる以前には、万能的カメラの1台として機能していた。

みどり企画ホームページを開設するにあたっての、高田渡さん、とろんさん、等々の取材や撮影に用いたのは、そのほとんどが「CONTAX T vs」であった。

だが今回はもう1つの1台である「CONTAX G1」に「Biogon 28mm」レンズを主的1台として使用することにしたのだ。

「CONTAX」は、ニコンレンズにひけをとらないばかりかそれ以上の味わいを表現する、カール・ツァイスのレンズが魅力である。世界最高のレンズでフィルム作品を撮影するという行為に、只今のめり込んでいるのだ。

武蔵小金井「大黒屋」の煮込みは毎日でも食べたい逸品

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武蔵小金井の名店「大黒屋」に立ち寄って一献。同店に立ち寄ってまずほとんど注文するのが「もつ煮込み」である。

居酒屋の定番メニューの筆頭格であるが、大黒屋の煮込みは他店と少々違い、優しい味わいがする。

モツの量はほどほど控えめに。そして、豆腐、コンニャク、ジャガイモが取り入れられている。特にジャガイモは、この煮込みに無くてはならない必須の食材と云えるくらいに存在感を示している。半分くらいは煮崩れて形をなさないジャガイモ崩れだが、そんなジャガイモ崩れの甘さが優しく舌を包み込んでくるようだ。まるで和のシチュー感覚なのである。和の居酒屋メニューとしては想定外のメニューと云わざるを得ないのかも知れない。

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そしてもう一つのおすすめが「あしたばのおひたし」だ。「あしたば」とは漢字で「明日葉」と書く。今日に摘んでも明日になれば葉をつける。それくらいに生命力に溢れた植物なのだ。大島などの伊豆諸島を主な生息地としている。伊豆諸島に旅したときにはこの「明日葉」を食べないという手は無い。というより、どの旅館、民宿を訪れても明日葉料理のオンパレードだそうだと聴く。東京で居酒屋メニューとして食べているくらいが、ほどほど結構なりということの様でもある。

■大黒屋
東京都小金井市本町5-17-20-101 1F

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月島に「魚仁」ありの個性的酒場を訪問したのだ

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東京の月島といえばもんじゃ焼きばかりが注目されているが、呑兵衛にとっての目的地は他にある。「魚仁(うおじん)」という海鮮三昧の酒場である。数多のもんじゃ焼き屋をスルーして訪れる価値は充分にある。

何しろ注文してから提供されている刺身の量が膨大だ。量の多さは度を越していると思われる。マグロやカツオが売り切れていたこともあり頼んだのはハマチであった。1人前500円。大きな皿にはてんこ盛り以上のボリュームで提供されている。こんな量を口に押し込めるかと、ふと不安がよぎっていた。

隣り向かいに座った客たちは一人客たちであった。そういう客らと会話を交わすうちに、此処で提供される鮮魚の多さと大雑把さと羽振りの良さとを感じ取っていた。地元の呑兵衛たちに支持されるべき条件を兼ね備えている。夕方過ぎの時刻に呑兵衛が集まってくることは必然ではあさっぱりとしたる。

多すぎるかと思われたハマチの刺身盛りは、じっくり時間を掛けて食したのだが、胃袋に負担などかけずに後味ではあった。肉類を食した後ではけっしてこうはいかないことは明らかであった。

■魚仁
東京都中央区月島3-12-5

イタリアンの王道にも匹敵するのが「イカのワタ炒め」なのだ

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イカのワタを使った料理としては「イカスミパスタ」ばかりが有名だ。イタリアン料理にとってのイカワタの重要さは日本人が考える想像以上ではある。だが怯むことはなくて、日本料理にもそれに匹敵する料理はあるのだ。「イカのワタ炒め」というメニューがそれである。

新鮮なイカを輪切りにした身を、イカ墨たっぷりのイカワタで炒めるというとてもシンプルなメニューである。今回の食したメニューでは、たっぷりのもやしと小葱が脇役として脇以上の味を添えている。

イタリアンの調味料とばかりに評価されているイカスミだが、日本のイカスミ料理もまんざらではない。特に炒め物と、蒸し物といったべーしっくな日本料理のメニューの中にもイカワタの王道料理が存在しているのである。

イタリアンの王道にも匹敵するのが「イカのワタ炒め」なのだ。

藤野可織さんの芥川賞受賞作「爪と目」を読んだ

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遅ればせながら、今年の第149回芥川賞受賞作品である「爪と目」を読んだ。作家の藤野可織さんは、京都出身で同志社大学で美学芸術学を専攻したといい、これまで幾つもの文学賞を受賞したという注目の作家である。彼女の可憐な風貌とあわせて興味をそそられていた。

冒頭の数行を読むだけで、同作品にはユニークな文学的企みが込められていることに気付かされる。「わたし」が「あなた」に対して二人称で語りかけるのだが、その「わたし」とは生まれて間もない幼少の私であり、「あなた」とは父親の愛人から同居することになる義理の母親である。あやゆい関係性のなかでの二人称というスタイルを採用したことが、この小説を際立たせて個性的なものに仕立てている。

一方で、最初の導入からミステリー仕立てで推移する物語が、最終的にはミステリーを捨て去ってしまったかの結末として収束されていくのだ。ミステリーとしての展開を期待して読み進めていた読者を軽く裏切る結末ではある。ミステリーマニアでは無いおいらにとっても些か拍子抜けする結末ではあった。特別な深読みをするのでなければ、この物語のストーリーを評価すべきポイントは見つけることはできない。それでも芥川賞を受賞した作品なのだから、選考委員の面々もいろいろと評価してのことであろうと推察する。

横尾忠則さんの「日本の作家222」展が、京橋の南天子ギャラリーにて開催

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如何わしい画壇等からは距離を置く、我が国の本物の巨匠こと横尾忠則さんの「日本の作家222」展が、京橋の南天子ギャラリーにて開催されている。

http://nantenshi.com/exhibitions/2013-yokoo130805.php

■「日本の作家222」

期間:2013年8月19日(月)~9月14日(土)
10:30am~6:30pm(日祭休廊)
場所:南天子ギャラリー
〒104-0031 東京都中央区京橋3-6-5
TEL: 03-3563-3511 FAX: 03-3535-5648

横尾忠則氏が描いた名だたる222人の物故作家の肖像画が、そう広くないギャラリー内に所狭しと展示されている。

レアリズムと横尾流個性的タッチとが渾然的に一体となったスタイルは、相変わらずに健在である。「時間ですよ」と云う往年のTV番組で初めて横尾忠則さんの作品を目にしてインパクトを受けたのが、つい最近の出来事であったかの如くに、新鮮でピュアな感動が蘇ってくる。

加えて円熟の境地を示すかの如くに肩の力が抜けたというのか、肩肘張らないというのか、間の抜き方というのか、或いは横尾流の融通無碍的筆致とでもいうのであろうか、そんなタッチがとても感動を誘ってしまったのである。

妙にポップ調の原色が似合う吉本隆明さんや、よく見る安部公房さんの独特のグレー的色彩に着色された肖像画に接したときに、先ずは新しい作家を照らすビジョンが写り照っていたのであり、妙に似合っていた。そしてさらには既成的な作家のイメージを革めるビジョンを提示させていたとでも云うべきなのであろう。作家に対するビジョンを累乗化させる試みでもあると云えるのだ。

美術展と連動して同名の作品集「日本の作家222」が、日本経済出版社から出版されるという。見本書なのか、会場で同作品集を手にとってペラポラとベージを捲っていたのだった。オリジナル作品に接した後だったからか、ページ構成やレイアウトが些か厳か過ぎるのに対しての違和感を感じていた。受け取り方は夫々なので、厳かな美術書を批判している訳ではない。高価であるが興味ある方は購入されたし。

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甲子園野球で「前橋育英」の初優勝には驚いた

甲子園野球では「前橋育英」が初出場で優勝したというニュースが駆け巡っているのであり、驚きの気持ちで一杯である。

http://www.yomiuri.co.jp/sports/hsb/2013/news/20130822-OYT1T00574.htm

前橋育英高校といえばおいらの母校ではないが、我が出身地こと群馬県前橋市内に存在する高校なのであり、興奮と驚きや些かの興奮と共にニュース映像に接していた。帰省するたびに「前橋育英」が甲子園出場したのぼりやポスターで満ちてはいたがまさかの優勝である。初出場でありながら初優勝というケースは22年ぶりなのだといい、ニュース性は高いとみえる。

何度かニュース映像を視聴してみたところ、2年生エース高橋光成投手の卓越した投球術や野手たちの守備力に依るところが大きいようだ。だがそれだけで甲子園優勝などという栄誉に浴することは不可能であり、私立高校ならではのスカウトその他の活動があった。

「群馬のダルビッシュ」とも称される高橋光成投手は群馬県北部の利根郡の出身であり、普通であれば田舎の公立高校に進学したであろうところを県都の私立校に通うこととなっていた。まだ高校生だというのにネット界隈では高橋光成投手のプライバシーに注目が高まっている。これまた驚きの事象と云えよう。

東北復興のシンボルこと「ほやの酢物」を味わう

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東北復興のシンボルこと「ほやの酢物」を味わっていたのであり、特別な今季の日なのであった。数年前のあるときにはいつもの居酒屋で「ほや酢」のメニューが数ヶ月ぶりに再登場していた。その前にずっと東北の大震災以来、このメニューは無くなっていたのだった。東北の漁港や加工工場、その他諸々の施設が壊滅的な被害にあい、「ほや」を漁することがずっと出来なくなっていたという事情があったのである。く「ほや」も入荷が出来て居酒屋メニューに再登場していたのだから感激もひとしおだったのである。

日本における主な生息地は東北の北東部であろう。一部では「海のミルク」などと称されることもあるようだが、決してミルクのような味わいはないだろう。むしろ、磯の香りがぷんぷんと漂っていて、とてもはじめての人にとっては箸を付けたくないような、そんな香りの肴なのである。

ほやの身と肝が溶け合って、何ともいえない風味を奏でていた。肝には少々の酢で締めてもらったほうがより身がぎゅっと締まって引き立つのである。このメニューには東北の料理家達の研鑽の跡を見ることが出来るのだ。