コラーゲン豊富な「牛すじポン酢」

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「牛すじポン酢」などという奇妙なメニューが目に付いたので注文してみたら、何のことはない、牛筋の煮こごり的なものであった。

一般的な「煮こごり」といえば、魚のゼラチン質を集めて冷やしてゼリー状に固めて提供されるものを指している。今回の料理の食材は魚ではなく牛筋であったということで、至極もっともなるメニューの一つだ。牛筋の煮こごり的なものはかつて様々な状況で遭遇し目にしていた。主に牛筋を扱った料理の残り物的なものとして目にしていた。それをたまたま口にしたら美味だったという記憶が残っている。

ならば牛筋を使った煮こごりがあって然るべきであったのだが、巡り合ったメニューは牛すじの煮こごりではなく「牛すじポン酢」というのだから、何とも複雑な心境にとらわれてしまった。まるで「煮こごり」が魚限定のメニューとするべき業界的な談合があったのではなかろうかという思いが頭を掠めた。

それはそうとして、煮こごりの成分にはコラーゲンが多く含まれている。魚類であれ牛筋でありその他の食材であれ共通に、なのだ。近頃では鍋料理の具として「コラーゲン」の塊が出されることもある。だかそんな人工的なるコラーゲン玉より以上に、牛筋からとったコラーゲンが有り難く、健康にも寄与することは云うまでもない。

門前仲町の「魚三酒場」で魚三昧

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地下鉄「門前仲町」駅を出てすぐのところにある「魚三酒場」に足を運んだ。新鮮な魚介類を手頃な値段で出してくれると評判の居酒屋である。

大きな看板が迎えたそのビルは、1階から4階までがすべて「魚三酒場」の店舗であった。夕方の5時少し前に訪れたときには店内は酒と魚好きの客たちで一杯であり、賑やかな会話が飛び交っている。入ってビールを飲みつつしばらくするころには、店の外で待つ人の行列が出来たくらいの人気店なのだ。

店内は「コの字」に設置された下町居酒屋ならではのつくりに目が奪われた。最初に注文したのは「マグロの中落ち」。多くの常連客に支持されているという人気メニューである。マグロの中骨にこびりつくようにして存在する赤身の部位であり、マグロ好きには特に食べたいという希少で美味しい部位である。邪道な回転寿司店などでは此れに脂身やネギを混ぜて「ネギトロ」等と称しているのだが、鮮度の良い「中落ち」にけっしてかなうものではない。鮮度がものを云うのだろうか、300円という価格と釣り合わないくらいの満足感がおそって来るのだ。

次に注文したのは「えんがわ」。カレイやヒラメのひれにつながる筋肉の部位を指しており、寿司店などでは高価な部位である。なかなか注文するのを躊躇してしまう部位だが、今回の同店では来る前から食べたかったメニューの一つだ。運動量豊富な筋肉部位であり、白く締まった魚の筋肉だという希少性もさることながら、魚の身でありながらコリコリとした独特の食感が魅力である。想像以上に大きくカットされたえんがわを頬張ると、また新しい魚の味わいに魅了されたと云っても過言ではない。

その後、アワビ等の追加注文をしつつおいらは、おいらにとってはあまり相性の良くない深酔いのもとでもある久しぶりの日本酒に手を出してしまっていた。旨い海鮮類には旨い日本酒が似合うということを思い出していたからなのだが、ほろ酔いで帰路に着くはずの時間は、けっして幸いとは云えない時間なのであった。

■魚三酒場 富岡店
東京都江東区富岡1-5-4 1F・2F・3F・4F
03-3641-8071

尾崎コレクションこと「MY FIRST OZAKI」を視聴した

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尾崎豊が亡くなって20数年あまりがえる今年この先日に尾崎コレクションこと「MY FIRST OZAKI」というDVD&ブック本が発刊された。

「尾崎豊は、なぜ今も支持さされているのか?」

ということをテーマにして出版されている。尾崎豊のディレクターとして活躍した須藤晃という人のイントロ的文章「尾崎豊という人」が胸を打つ。

「尾崎豊は転げ回って 傷つく自分を音楽で表現しようとしました。全身全霊むをかけて。」

表題は初めて接する尾崎豊のファンをターゲットにしているかのようだが、古くからの尾崎豊のファンにとってもとてもビビットに感動させてくれた。

其の映像は、尾崎豊の15曲のビデオを収録されている。現在の映像的レベルと比べればとても劣った映像だが、カメラマンや映像ディレクターたちの真摯な熱情が伝わってくる。そしてなによりの、尾崎豊に対するリスペクトした心情が伝わってくるのだ。

ノーベル文学賞作家、アリス・マンローの「ジャック・ランダ・ホテル」(村上春樹訳)を読んだ

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今年のノーベル文学賞作家、カナダ人アリス・マンローの「ジャック・ランダ・ホテル」を読んだ。翻訳したのは村上春樹さん。本年9月に刊行されたばかりの「恋しくて」中の10作品の中の1作として収録されている短編である。

カナダ人女性作家アリス・マンローは、誰もが認める短編小説の名手だという評価が定着している。「現代のチェーホフ」等という最大級の評価もあるという。カナダ人としては初めての受賞であり、米国の隣の衛星国的な立場のカナダ国民にとっては非常に歓迎すべき受賞であったに違いない。村上春樹さんを差し置いて今年のノーベル文学賞を受賞した政治的背景には、カナダ人作家だと云うことが大きく影響していることが推測可能である。

一読した感想としては、まずは、男女の物語にしてはとてもテンポの良い成り行きや、乾いた表現の中に埋め込められている会話表現のユニークさなのだ。会話には直に顔を直面した音声的なものの他に、手紙の遣り取りとしての会話があり、実は後者が其の重要なポイントとなっている。

「ジャック・ランダ・ホテル」は、読み始めてのところではさっぱりといった遣り取りが続くのだが、実は別れた男と女の会話が、特別な文書の遣り取りの中で展開していくというストーリーである。翻訳者の村上春樹さんをして「まるで壁に鋲がしっかりと打ち込まれるみたいに。こういうのってやはり芸だよなあと感心してしまう。」と云わせたくらいな希有なる名人芸的な描写が活きていた。

前橋文学館にて「書物にみるアートの世界」が開催中

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前橋文学館にては現在「書物にみるアートの世界」という企画展が開催されている。

萩原朔太郎など郷土の文学者にかかわる書籍・雑誌を、表紙、文字組み、製本など、ブックデザイン面から紹介しているという企画展である。朔太郎さんの書籍の多くがブックデザインにおいても観るべきものが多いということであり、そんなブックデザイン、即ち装幀における一流の展示物を観ることが出来て満足であった。

朔太郎自身が描いた猫のイラストが黄色い表紙に印刷された詩集「定本青猫」は出色の出来栄えである。

朔太郎さんの「月に吠える」の復刻版はおいらも所有しており、其の表紙の装幀の素晴らしさには以前から瞠目していた。同書以外にも様々な朔太郎さんの書籍における装幀の見事な仕事ぶりに接すると、当時のアナログ的出版物に関わる装幀家たちの見事な仕事ぶりに脱帽してしまうのである。

http://www15.wind.ne.jp/~mae-bun/
■前橋文学館
群馬県前橋市千代田町三丁目12番10号
027-235-8011

豚の街前橋の今日的B級グルメ「tonton汁」を食した

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前橋市内の「モモヤ」というレストランで「tonton汁」というメニューを食した。「豚汁」ならぬ「tonton汁」である。豚肉を使用した味噌汁仕立ての料理だが、豚汁よりもはるかに具沢山でかつ手が込んでいて一つ一つの具材に驚きが存在する。

ゴボウ、ジャガイモ、大根、コンニャク、等々の根菜類に厚揚げや小麦粉の練物等が加わって、食覚や味覚のバラエティーが広がっている。豚汁という地味目な料理が逸品的B級グルメとしての存在感をアピールしていることを実感させられる。

近頃の前橋市内の飲食店が盛んにピーアールしている「tontonの街」の豚肉料理の一つとして地元ではポピュラーなメニューとなっているのだ。

「tonton汁」を名乗るには幾つかの条件があるという。その条件とは下記の通りだ。

1. 群馬県産の豚肉と豊富な野菜を使い具だくさん。
2. きのこをバターソテーしてから入れるため、味はまろやか。
3. 白と赤の合わせ味噌使用のため、コクがありちょっと洋食風。
4. 〝豚のつみれ〟や〝ねじっこ〟(すいとんのようなもの)が入った昔懐かしい味。

■パーラーレストラン モモヤ
前橋市千代田町2-12-2
027-231-5017

名画がじっくり味わえる上州桐生の「大川美術館」を訪問

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上州群馬の桐生市内「大川美術館」を初訪問したのである。中央前橋駅から上毛電鉄というローカル線に乗って終点の西桐生にて下車。そこから急峻な丘に続く道を歩くこと十数分で「大川美術館」に辿り着いたのだった。

■大川美術館
群馬県桐生市小曽根町3-69
TEL 0277-46-3300
http://www.okawamuseum.jp

到着した其の同美術館の入り口はそっけないくらいに地味な佇まいだが、その館内はと云えば想像以上にすこぶる充実した展示空間が広がっていた。

現在の展示テーマは「大川美術館の軌跡」となっている(10/5(土)~12/15(日))。開館以来積み重ねてきた収集・展示活動の成果を振り返ることがテーマとなっている。これまでに開催してきた特別企画展からそのエッセンスを抽出し、収蔵作品を、「顔」「街」等々のテーマに分けて展観する、とされている。おいらが今回初めての訪問したにしたことに鑑みれば最もラッキーな展示テーマに遭遇したといえるのかもしれない。

改めて説明するならば、同美術館の収蔵作品の充実量は地方の美術館の一般的推量を遥かに超えて充実している。松本竣介、萬鉄五郎、野見山暁治、等々の日本人から著名な西洋人画家達にいたるまで、当館開館時の大川栄二コレクション1,200点あまりが収蔵されているのだから驚きではある。

日本の洋画家たちの代表的な作品群が収蔵展示されていることに加えて、ピカソ、ブラック、ユトリロ、たち巨匠の作品に巡りあえた悦びに舞い上がることにもなった。例えばピカソの作品は「卓上」といったカテゴリーに仕切られた部屋ブースにて展示されていたのだが、巨匠の作品ということが一目で感じ取れるオーラに導かれており、思わず知らず凝視して立ち竦んでしまったというのが実態であった。

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紅葉一歩手前の赤城山の覚満淵は、赤城本来の素の姿なのだった

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上州赤城山へとバスで向かった。終点の「赤城山ビジターセンター」で下車すると、すぐのところには「覚満淵入口」の表示板が迎えている。赤城の観光地として「大沼」と「小沼」の間に位置して知名度は低いが、湿原に生息する植物や綺麗な湖沼に息付く小魚等々の生息地として注目が高い湿地帯である。其処は標高約1360mに位置する極めて希少な湿原帯である。別名「小尾瀬」という名称も、尾瀬万歳の上州人の一人としてのおいらにとっては納得なのである。

もう少しの時間が経過すればこの一帯は紅葉で覆われることになるだろう。けれどもそんな紅葉の色彩が乱舞するような風景は残念ながら感受されずにいた。だが却って、今日の綺麗な湿原の空気と沼地の凛として澄んだ佇まいが、より一層に強く感じ取れていたのだのだった。紅葉ありきの秋季の観光地ではなく本来の赤城山の姿が其処にはあったと実感することができたのである。紅葉の時季は迫っているが、これからそんなピタリの紅葉に遭遇できるかどうかは判らない。だが今現在の目にした赤城山の風景こそは、本来の赤城の素の姿なのだと感じられたことはラッキーでもあった。

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散策の後で立ち寄った食事処では、十割蕎麦を味わうことができた。しかも丁度いいタイミングで新蕎麦だということなのであった。上州蕎麦の味付けそのままに濃い味だったので新蕎麦の風味を味わうという訳にはいかなかったのだが、パサパサとして途切れる独特な食感の蕎麦は、此処でしか味わうことができないものだったといえよう。

豚モツの中でも逸品の「コブクロの刺身」を味わう

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コブクロの刺身を食した。豚の子宮をボイルしたものをニンニク醤油で味わった。食感はと云えばおいらが大好きな種類の、適度にもっちりそしてまた、コリコリとして、噛み応え充分ありである。刺身とはいえども実際は、ボイルされて提供される。数あるモツ刺しの中でもおいらの好きなメニューである。

そもそもコブクロ(子宮)とは、人間を含めて女性の哺乳類における生殖器のひとつであり、これを食すると云うことは女性器の一つを身体に含めると云う行為を指しているのであり、これはおいらも含めて男性人にとっての、所謂一つの女性ホルモン摂取の行為ではないかと考えている。男子たるべき人間が、簡単に味わってはいかんという構えは持っていたはずだが、ついつい欲に任せて注文してしまうのだ。ところではてな、女性人はどうなのだろうか? あまり焼肉、焼トン店にて女性が「コブクロ」を突付いている姿は記憶に無いものである。

SNS発信でプライベート丸出しというTV番組を観て考えた

日本TV(関東圏での4ch)にて本日放映された番組「あのニュースで得する人損する人」では、フェイスブック等のSNS発信でプライベート丸出しが行なわれており、様々な事件の温床となっているということが放映されている。SNS発信でプライベート丸出しとなったというTV番組である。

確かにフェイスブック、ミクシィ、ツイッター、等々のSNS的メディアが関係して、一世代にはなかった事件が頻出していることは確かな事実なのだ。つい先日前には、吉祥寺近くの某閑静な住宅街にてフェイスブックがきっかけで知り合った男女の刃傷沙汰が起こったばかりではあった。被害者の鈴木沙彩さんが、フェイスブックで知り合った男によって殺害され、未だに彼女のプライバシーばかりが拡散されつつあることは、SNS的メディアの負の存在を明らかにしている。おいらも事件の流れをネットで追求する中では、被害者のプライバシーに関する記述に遭遇していた。その多くは第三者にとって晒されるべきものではないはずである。そしてこんな事件がなかったならば被害者の将来はもっと明るく開けていたはずである。

おいらもSNSメディアに関しては、露出する部分を限定しつつ投稿をしている。つまりはそれくらいにプライバシー的な表現については控えているということである。

瑞々しい「生湯葉の刺身」はTV東京の観光番組の湯葉よりも美味しい

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「生湯葉の刺身」を食した。通常「生湯葉」と云えば、日光などの観光地の地域活性化的料理であり、豆乳から箸で丁寧にすくったものを思い起こすが、本日の其れはと云えばそうしたイメージとは目の前に異質に出て来たそのメニューに目をみはっていた。ちょうど本日は奥日光の観光地を巡るTV番組が放映されているので、ことさらに生湯葉への愛着を強くしていたと云えよう。

食した「生湯葉の刺身」は、湯葉の薄い刺身を何重にも重ねた様な様態であり、あまり他では見られないものであった。何しろこれまでに接した湯葉刺しに比べて最も瑞々しくあって、食感もぬるっとして宝玉のごとくではある。

ちなみに同番組では「湯葉そば」等の映像が放映されていたが、おいらが食した「生湯葉」ほど美味くはなさそうである。その瑞々しさにて本日おいらが味わった生湯葉に軍配が上がるのではないかと思われる。

大衆魚と云い難くなった「イワシの刺身」を味わう

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近頃は大衆魚と云い難くなった「イワシの刺身」を味わっていた。日本近海には多く生息するとされている「イワシ」なのだが、最近はそうとばかりは云えず、稀少な魚とも見なされつつある。とくに我が国の愛好家には親しみ深いマイワシは1988年をピークに漁獲が減少し、値段が高騰しているというのだ。気象温暖化により特徴的な長期的な気候変動とそれに伴うプランクトンの増減によるということが其の最も大きな原因とされている。

そもそもイワシは、青魚としての健康成分こと「EPA」「DHA」が豊富なことから、注目が高まっている。世の中に出回っている「EPA」「DHA」といったサプリメントの多くがイワシの刺身を原料としている。

カツオやマグロやその他多くの大型魚の食料となっている魚類種なのであり、今後にイワシの生息量が減少することは即ち、魚類全体の生態系に影響を与えていくことが必至なのである。

 

大きい「つくね」には、焼き鳥屋の裏メニュー的趣がある

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つくねは大きければ良いというものではないが、近頃食べるつくねは大きいものが主流とみえる。鶏肉に軟骨や他のモツ部類を加えてミンチにしてから団子状にして焼き上げる。タレと絡まった鶏肉類の香りがとても食欲を刺激していた。

団子は一つの塊であり、食べ応えは極まりなくジューシーであり、其の肉汁には頬が落ちてしまうくらいだったのである。

大きい「つくね」には、あたかもまるで料理屋におけるまかない料理の様な、焼き鳥屋の裏メニュー的趣があるということを感じ取っていた。

料亭のように新装となった吉祥寺の「いせや」公園店を訪問

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吉祥寺の焼きトンの名店「いせや」の井の頭公園店を訪問した。昨年には古き良き風情をかもしていた旧店舗の取り壊しが行なわれ、新装となってからは初めての訪問となっていた。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=6234

久しぶりに訪れた同店は新装となっていて、公園から眺めた外見はまるで高級料亭かと見紛うほどの奇麗なつくりである。懐かしい店舗の姿をイメージしつつ訪れたのだが、些か想像以上の変わりようであった。

休日だということもあり、店内に入るには行列に並ばなくてはならなかった。待つこと10分程度で、店内に踏み入れることが出来た。こ奇麗な店内は以前の雰囲気を残しつつ、カップルや家族連れが大部を占めていた。

そしておいらはかつてのメニューを懐かしむかのように、串焼きとシュウマイを注文して頬張っていたのである。

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味は以前と変わらずのまま。1本80円という価格もそのままである。串焼きのタレはサラサラしていて素材のワイルドさをそのまま活かせている。店員の心意気はかつてのままであったということを目にしていたのであった。

久しぶりの「アワビの刺身(肝付き)」に舌包み

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寿司屋で一献やっていたところ、「アワビの刺身(肝付き)」があるというので注文してみたら、10cmはあろうかという大きなアワビの貝殻に乗って出てきた刺身と肝にはびっくり。久しぶりに味わう味もまた満点だったのである。

普段よく食べているアワビの身は下湯でしたものがほとんどであり、硬くてコリコリとした印象だったが、このアワビの刺身はとても柔らかくてコリコリというよりもサクサクとした食感が印象的だった。

そして珍しく食したその肝はと云えば、軽くボイルされていたようだったが、鮮度の良い内臓の苦味がまた味覚を刺激していた。イカ墨や秋刀魚の肝らの旨さを簡単に凌駕するくらいのパンチのある旨みに魅了されていたのであった。

アワビの餌は昆布やワカメなどの海草類が主体であり、海の幸の恵みが凝縮されていることがよく理解されたのである。

現在上映中映画の原作だという「凶悪 ~ある死刑囚の告発~」を読んだ

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書店に立ち寄った際に「凶悪 ~ある死刑囚の告発~」という文庫本が目に付いて購入。何気なくページを捲っているうちにいつの間にか読了していた。現在上映中の映画の原作本だということである。多少だが映画づいているおいらの関心が、この文庫本をとらえるきっかけとなっていたのかもしれない。

さてその文庫版書籍の内容であるが、最終ページの佐藤優氏の「解説」が特段に面白かった。

「資本主義社会においては、すべてをカネに転換することが可能である。保険金殺人犯で人間の命をカネに換える「死の錬金術」が現実に存在するのだ。しかも、その主犯が法の裁きを受けずに市民社会の中で平穏に暮らしていく。このピカレスク小説のような話が現実に存在したのだ。」

以上のような佐藤優氏の解説から、この事件が特別な意味合いを持っているということを認識したのだった。ちなみに佐藤優氏といえば鈴木宗男氏との関係で拘留された経験を持つ人物である。それ故に一段とリアルな拘置所におけるやり取りがビビットに受け取られていくこととなっていた。と

それに伴いおいらもこの原作や上映中の映画に関しては多大な興味関心を惹起されたというべきなのであろう。近いうちにこの映画を視聴してみたいという思いを強くさせていたのであった。

近いうちに映画「凶悪 ~ある死刑囚の告発~」を鑑賞しようと思っているしだいである。

「マグロの山かけ」は夜の居酒屋メニューとしても逸品の味わい

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地元の居酒屋にて「マグロの山かけ」を食した。海の幸と山の幸とがドッキングしたメニューとしては、これ以上のものがないくらいに逸品的なるメニューである。これまでランチメニューとして摂取することが多かったが、酒の肴としても相性良しであり、栄養価も高いとあっては度々は注文したくなる。

今宵もそんな通常の酒の肴ではあったが、この相性の良さは筆舌に尽くし難きものがある。

ぶつ切りにされた赤身のマグロに大和芋を刷ったものをかけて提供される。味付けは醤油味だが、上にわさびが乗って提供されるのが一般的である。

「マグロの山かけ」は、昼のランチのおかずのみならずに夜の居酒屋メニューとしても逸品の味わいである。

禅宗僧侶であり芥川賞作家、玄侑宗久さんの「中陰の花」を読んだ

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先日は禅宗僧侶であり作家の玄侑宗久さんによる第125回芥川賞受賞作品「中陰の花」を読んでいた。「死とは何か」「魂とは何か」を見つめ追求した作品であり、いわゆる「死後の世界」を主なテーマにおいている。

それより少し前には、瀬戸内寂聴さんとの対談をまとめた「あの世 この世」という文庫を読んでいたのであり、読了後はずっと、「中陰の花」のことが気になって仕方がなかった。「あの世 この世」の中ではときに寂聴さんが聞き役となって、あの世とこの世の超常現象的な事象に関する解釈を玄侑さんに質問するシーンも散見されている。まるであの世の伝道者か死後世界を示し導く教授かのような振舞いをする玄侑さんが、はたして「死後の世界」をどう解釈して作品上で描いているかが甚大な関心を抱いていたのである。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=8378

中陰(ちゅういん)とは、仏教で人が死んでからの49日間を指すとされる。死者が生と死・陰と陽の狭間に居るため中陰という。小説の「中陰の花」では、禅宗臨済宗の僧侶である玄侑宗久さんが実世界で出会った、死後の魂との交歓が、様々なシチュエーションにて描かれている。そんなエピソードの夫々は、市井の人間の一人としてのおいらにとってはピンと来るものも在るが、現実感のないシチュエーションも多々描かれている。

おがみやのウメさんが自分の死期を言い当てた、つまりは予言が的中したというエピソードには引き込まれていったのだが、それ以降のエピソードに関しては、残念ながら知的な興味関心以上の引付けを感じることができなかった。

美しく装飾されたそれらの光景をそのまま実感として受け付けることは最後まで出来かねていた。そのような意味においては些かがっかりな気分も捨てきれなかったのである。

「iPhone5c」の使用感は予想以上に好感触だった

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先日「iPhone5c」を機種変更にて購入してから1週間が経過している。じつを云えば購入の日には「iPhone5s」を購入するつもりだったのであり、それが叶わなかったことで、失望にちかい思いを抱いていたのだ。だが1週間が経過した今になって思えば、ダサいデザインを我慢すれば「iPhone5c」のほうが正解だったとさえ思えるのだ。

実際そのデザインはダサいというよりは凡庸と云うべきものだが、凡庸さが今のこの時期にてはかえってオリジナリティーを主張するような状況だとも思われる。「iPhone5s」のような煩い主張は消えていて、かえって使用感もアップするかのようなのだ。

それにしてもこの1年数カ月間の「Android」を使っていた期間の違和感は何だったのだろうか? ネットサーフィンすれば反応が鈍い。内蔵電池の消耗が激しすぎていつ使用不能になるかと思わせる。しかも電話をかければ反響音が煩わしくて会話に集中できない。…等々と、元「iPhone」ユーザーとしては可成り苛立ってたと云えよう。やっと本来的のスマホに再会したというくらいの思いであり、それが購入前の予想以上に好感触だったのである。

とてつもなく憂鬱な、水槽の鯵の姿に出逢う

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近頃は減ってきていたが、海鮮料理店等々にて時々「鮮魚」が泳ぐ水槽を見かける。先日もまた海鮮居酒屋にてそのような水槽を見かけていたのである。

水槽の中に泳いでいたのは、主に鯵の数匹であった。そもそも鯵といえば日本人に食される大衆魚の代表的な魚であり、その活き活きとして泳ぐ姿が魚好きの目には印象的に染み付いているのであるからこそ、魚好きの味覚を満足させてきているのだ。

それなのに此の水槽の中で泳ぐアジの姿を見る限り、とても活き活きした姿には見られなかった。逆にとても憂鬱な魚の姿に接してしまったというべきであろう。

脂が乗った鯵はこの上なく旨いのだが、この水槽の中での運動不足的にメタボ化された鯵というのは其れとは別物であった。

鯵の旬のシーズンというには残念な出会いだと感じた次第なのである。