これから冬にかけてこそ味わい深い「ホタテの醤油バター焼き」

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急激な寒さが関東を襲っているが、冬が近づいて旨くなるものの一つにホタテこと帆立貝が挙げられる。丁度そんなことを考えていたときに遭遇したのが「ホタテの醤油バター焼き」。口にしてみたらやっぱり期待を裏切らない美味なのだった。

二枚貝であるホタテを遠火の炭で焼き、醤油とバターで味付けをしたメニューであり、日本料理の王道的調理法でありながら、なかなかこの味は他の食材では生むことが出来ないものである。やはりこの時季からの帆立貝ならではの味わいだ。

しかも帆立貝と云えば栄養的にみて、低脂肪かつ高タンパク、低カロリーなのであり、日常的にダイエットに気を使うおいらにとっても特別な食材だということになる。

ホタテの貝殻に乗せられた引き締まった貝の身が見た目もそそる。これから冬にかけては逸品の、殻付きでこそ食べたいメニューなり。

「里芋と鱈の子の炊き合わせ」にほっこり温まった

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地元の居酒屋ではおすすめ的メニュー欄に「炊き合わせ」というメニューが載っていた。その食材等を聞いたところ里芋とあれこれということだったので、注文して味わったのである。

提供されたのは里芋、人参と、鱈の子供であり、所謂「たらこ」であった。おいらのような通風持ちには禁忌的な食材なのであった。幸いにおいらの身体には今までのところ異常が起きていないので、ラッキーであったというべきであろう。

我が家でもついに「NAS」システムを導入

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先頃から気になっていた「NAS」というシステムを、ついに我が家でも導入したのだ。「NAS」とはネットワークアタッチトストレージ(Network Attached Storage)の略称である。ネットワークに接続して使えるハードディスクドライブのことを指し、Wi-Fiシステムの普及とともに注目されているシステムである。

ハードディスクとネットワークインターフェース、OS、管理用ユーティリティなどを一体化した単機能サーバという位置づけから導入には専門の知識やノウハウが必要とされていたが、いざ導入に際してはそんな心配も無用となっていた。

通常のファイルサーバと同様、共有ディスクとして使用することができるのが特徴である。今や必需品的アイテムとなったスマホやノートパソコンからも容易にアクセスすることが出来る。「NAS」ならではの設定を活かせば自宅内のネットワークのみならず、外出先にてWebを活用してアクセスすることも可能になる。またひとつ、新しいITの活用手段が広がったということになるのだろう。

白子料理はポン酢にかぎる「白子ポン酢」に舌鼓

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冬が近づく今頃の季節になると、「白子ポン酢」というメニューがお目見えする。主に冬に収穫される鱈(タラ)の精巣がその身の食材である。ポン酢でしめたこのポン酢和えが一般的な料理ではある。見るだけで冬の到来を感じさせる。

近頃では鍋料理にもこの白子が使われるというが、勿体ないことこの上なく、やはり白子はポン酢に限るのである。

つるつるっとした食感に、奥深いほんのりとした甘さと旨み。たんぱく質が豊かであり、ビタミンDやビタミンB12といった成分も豊富な食材である。

最大の 難点は「プリン体」が多いということで、通風もちのおいらにとっては鬼門的食材なのだが、それでもたまには口にしないとおさまらない。有り難くもあり危険 でもある、扱いが難しいことこのうえないのである。

「マグロのユッケ」の美味さを発見

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牛肉のユッケは食べる気にならないが、マグロのユッケと云う興味深いメニューに遭遇し、注文してみたところ、これが意外や意外の当たりなのであった。

叩いたマグロの身を辛めのタレにつけて、その上にウズラの卵の黄身が乗っている。いつものマグロ刺身とは一風変わってマグロ料理の新しいハーモニーを奏でていたのを発見したのだった。卵の黄身はマグロの身をまろやかにさせてマグロの甘みを際立たせている。

朝鮮料理の調味料にはユッケダレというものがあることは知っていたが、まさか生マグロに似合うとは知らなかった。生マグロとこのユッケダレがあれば家でも簡単に出来る料理らしい。今度は家で調理してみたいと思わせるメニューなのだった。

第二の故郷こと上州「たくみの里」を散策したのだ

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おいらの出生は上州の都こと前橋なのであり、さらにその出生をたどるなれば、上州の旧新治村の「たくみの里」ということになる。

夏休みやその他定例の休暇があればよくこの場所に通っていたものである。夏休みの一時には必ず其の地に居を得ていたのだ。其れくらいにおいらと母の出身地であるたくみの里との繋がりは深いのである。

 

萩原朔太郎の処女作品集「ソライロノハナ」に出会った

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群馬県前橋市の「前橋文学館」では「詩壇登場100年 萩原朔太郎、愛憐詩篇の時代」という企画展が開催されている。

萩原朔太郎さんが詩壇に登場して100年の記念を込めての企画展示だということなのだが、些か無理強いしいの感がぬぐえないものがある。副題では「開館20周年記念」とあるが、実はこの記念展としての企画なのではないかと疑いたくもなる。

展示会場で初めて出会った展示物の中では「ソライロノハナ」という、朔太郎さんの初期作品を集めた自筆の歌集が目に留まった。朔太郎さんが本格的に試作を始めた時期に出版された、云わば処女作品集なのであるからそれなりの注目を浴びて然りではある。

その「ソライロノハナ」という作品集には、詠み捨てた千首の中から忘れがたいものや思い出深いものを集めて編んだという。初期の萩原朔太郎作品を知り理解する上での貴重な資料ともなる一冊である。

内容は序詞「空いろの花」「自叙伝」「二月の海」「午後」「何処へ行く」「うすら日」等々の短歌が書き込まれている。

ところで「ソライロノハナ」という朔太郎さんの詩集のタイトルが引用されて「カゼイロノハナ」という美術館の企画展が同時開催されている。同じ群馬県前橋の企画展ではありあまり批判等したくないのだが、郷土の巨匠の作品集のタイトルを一文一文字変えて別の企画展に援用するのはどう考えても合点がいかない。朔太郎さんへのオマージュ、尊崇を表すには、一文字変えるようなふざけた行為は慎むべきである。

老後本も使いようかと初めて「定年後のリアル」(瀬古浩爾著)を読んでみたのだ

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老後や定年後をテーマにした書物は今や書店に溢れるほど在るが、これまでまともに読もうとする気にさせるものは皆無であった。それは例えば五木寛之先生や今や亡き過去の伊丹十三先生の書物等を含めても読む気にさせなかったのだった。

そして今回、おいらが初めてまともに手に取り読了した本がこの「定年後のリアル」であった。これまでずっとマスコミ関連の雑誌、ムック、等々の内容はたびたび立ち読みにて把握していたのだが、老後の資金がウン千万円、生命保険の使い方、等々と云った内容には些か眉唾的な対応を禁じえなかったのであり、そんな内容に対するアンチ的なものを読み取って同書を手にしていたからなのでもあった。

読了した一読者としての感想を率直に述べるならば、とても薄っぺらい一冊であったというしかないくらいである。何の役にも立たない一冊である。何でこんな本を手にとってしまったのかという後悔さえ生じさせ得る位に役立たない内容がほぼ全編を埋め尽くしているといってよい。

一つの反省として、これからは「老後」「定年後」等々をテーマにしている書物を検証してみようではないかという気持ちにさせていた。やはりこれからおいらをはじめとして誰もが訪れる「老後」「定年後」を無視しては人生が成り立たなくなってしまっている。誰もが理想の人生を送れるわけでもなく、もはや誰もが老後の生き方には注視せざるを得ないのである。

寒気染みるころになると「アン肝」が美味くなるのだ

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寒さが主張しだす秋から冬にかけてはアンコウ並びにアン肝が美味くなる季節である。殊にアン肝が夜の食堂、居酒屋にお目見えすることとなる。すなわち冬が近づくとは、「アン肝」か美味い季節になることを意味している。早速今晩は今季初の「アン肝」を頂く機会に遭遇したのだ。

アン肝とは、そのもの文字通りに、鮟鱇の肝を蒸したりその他の調理を施して提供される。仏料理に欠かせないフォアグラにも匹敵するくらいに濃厚な味わいが、まさに依存症的虜にさせること請け合いなのだ。

冬に美味くなるアンコウについては、冬の王者たる魚類に相応しいのであり、Wikipediaにも興味深い記述があった。

―――――(以下、Wikipediaより引用)
アンコウは主に小魚やプランクトンを捕食するが、種によっては小さなサメ、スルメイカ、カレイ、蟹、ウニ、貝などを捕食するものもある。さらに、たまに水 面に出て海鳥を襲うこともあり、食べるために解体したら胃の中にカモメやウミガラス、ペンギンなどが入っていたという報告もある。
―――――(引用終了)

冬の王者ことアンコウとはまるで冬の海では雑食的な巨魚である。寒い冬の海にもまた冬に相応しいドラマがあったということなのだろう。

秋の季節の「マグロの二色丼」に食欲満点

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我が国の刺身の代名詞であるのがマグロの刺身。そんな一般的なマグロの赤身と、ビンチョウマグロとを二色に丼にあしらえて提供したのが「マグロの二色丼」である。

一般的なマグロの赤身に加えてビンチョウマグロという二種類二色のマグロの旨味を丼に押し込めたというべき、絶品の味わいではあった。

東京都内で天然の虹を見た

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秋の季節の乱れ頃かと思われる本日、降ったり止んだりの雨模様の間の、一瞬の雨上がりの空には天然の虹が掛かっていたのを発見し、しばしの間見とれていたのだった。

眺めていた虹はと云えば虹色と云われる7色の光彩が弧を描いており、得も云えぬ光景だった。都会の空に見た虹は十年以上なかったことなのである。

虹を見た想い出としてはっきりしていたのは、かつて「いのちの祭り」が開催されていた長野県大町地区でのものだった。調べてみたら2000年8月の開催だったから、13年以上昔のことになる。

http://www.ultraman.gr.jp/peace/

雨模様だったその日の、一瞬の間に現れた日の光に照らされるかのように、奇麗な虹が掛かっていた。天空から地上への架け橋にも見えていたものである。

たまには東京という大都会にも、天空から大地への架け橋の様な一筋の虹がかかる。ささやかでひそやかな願いを込めて虹を見ていた。

寒さが染みる季節に「ブリの照り焼き」は旬の味わい

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冬に近づくにつれ日本海のブリには脂がのって旨さを増していく。ところでブリ料理と云えば、ブリ刺し、ブリのアラ煮、ブリ大根、等々の豊富なメニューが挙げられるが、忘れてならないのが「ブリの照り焼き」。

照り焼きとは、醤油に砂糖や味醂等の甘み成分を加えたタレを塗りながら艶を出して焼き上げる調理法也。オーブン等で上からじっくりと時間をかけて焼く調理法が一般的である。

照り焼きの調味料はつやを出しあたかも照りを生むかのごとくであることから照り焼きというネーミングが生まれた。そもそも照り焼きという調理法自体がブリの為にあるくらいにベストマッチングなのだから外せないのだ。

寒い季節にはいっそうに脂が乗って旨味を増すブリは、照り焼きの材料としてはこれ以上ないくらいなのだ。甘過ぎるくらいの濃い目の味付けも、ブリ照り焼きならば納得である。

食べる途中に箸を置いて眺めると、黒光りするブリの存在感に目を奪われていた。煮詰めた照り焼きのタレは黒々として照りを表現しているかのようだ。

「アーツ前橋」グランドオープン。「カゼイロノハナ 未来への対話」スタート

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群馬県前橋市の「アーツ前橋」が10/26にグランドオープン。開館記念展として「クゼイロノハナ 未来への対話」展が開催されている。

「地域にゆかりのある美術作家、文学者、音楽家や科学者など幅広い分野の人たちが歴史的に積み重ねてきたクリエイティブな仕事を、現代の芸術家たちが再解釈して作品をつくりあげます。これらの作品は、時代やジャンルを超えた対話によって私たちの未来を切り拓く新たな価値観を提示するものです。館内の展覧会のほかにも、館外に広がる地域アートプロジェクトなどもぜひお楽しみください。」(アーツ前橋HPより)

会場に足を運んでみたところ、いささか総花的ではあり、会館関係者たちの意図が伝わるかは疑問だが、司修さんのペインティング作品が展示されている等々の見どころは存在する。

■アーツ前橋
〒371-0022 前橋市千代田町5-1-16
TEL027-230-1144

http://artsmaebashi.jp/

上州前橋の「魯炉家(ろかや)」のユニークな薬膳カレーライス

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上州前橋の古里では先日来から「魯炉家(ろかや)」という看板などとても面白い店が気になっていて、ランチタイムに訪問し、一押し的「薬膳カレー」を食べたのだった。

見た目は普通の日本的なカレーライスだが、朝鮮人参などの薬膳的食材が用いられている。メニュー表には朝鮮人参のほかに、丁子、冬虫夏草、クコ、サンザシ、等が用いられているという。朝鮮人参とクコの実くらいしか食べた記憶がないが、やはり薬膳特有の苦くてピリリとした舌触りを感じていた。

ちょうど古里の気候も午前中の台風がらみの雨足が遠ざかったときでもあり、その「薬膳カレーライス」の仕業か否かは判然としないが、何やら身体の中からホカホカ、ポカポカとしてきたことは確かではある。

古里でまた面白い店を見つけたようである。

■魯炉家(ろかや)
群馬県前橋市南町3-42-5
027-243-7042

秋田のオリジナル駅弁「うめどー まず け!」を味わった

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秋田への旅行中は、地元名物の稲庭うどんばかり食べていた。つるつるとしてのど越しの良い稲庭うどんはさっぱりしていて何杯でもいけそうなくらいであったが、炭水化物ばかりの食ではさすがに飽きが来る。帰りの列車に乗る前に購入した駅弁の「うめどー まず け!」は、そのネーミングの面白さも相まって愉しませてくれた。

そのネーミングの意味はと云えば、標準語では「美味いけど不味い」という連想さえ掻き起こすが、愛知の方言で云うところでは「おいしいので、とにかく食べてみて!」という意味だという。まったく逆の意味をもじったような云わば逆転の発想的なネーミングの駅弁ではある。

そしてその味わいもまたご飯が冷めて食べることが基本としての駅弁の基本的要素を逆手にとって、満足できるものだった。秋田フキの炊き込みご飯や、いぶりがっこのピカタなどの、10品あまりを詰めた素朴なものだ。ご飯はあきたこまちそのものの美味さを味わえる。

この駅弁は、秋田デスティネーションキャンペーンのオリジナル駅弁コンテストで金賞を受賞したということでも注目されている。

秋田の乳頭温泉郷で紅葉三昧

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秋田県「乳頭温泉郷」への旅に出た。長かった夏も終わったはずだというのに、東京都内では一向に秋の気配を感じない。ならば紅葉を追いかけての旅も一興と思い、発作的に新幹線のチケットを手に入れていた。予想は的中して期待以上の紅葉の絶景的風景を堪能することができた。

田沢湖駅から田沢湖湖畔までは黄色に滲んだ樹々が目についたが、田沢湖から山道を進むに連れて赤々とした樹々の群れに迎えられることとなっていた。地元の人の話では今年の紅葉は例年より遅く、色づき始めたのは1周間ほど前からだったといい、今が真っ盛りのピークだということである。

目指したのは乳頭温泉郷の中で最も奥深い場所に位置する「黒湯温泉」。もう少しして11月中旬を過ぎるころになるとこの宿は、雪に閉ざされ休館してしまうのであり、投宿は今ならではのチャンスだった。バスを降りるなり冷たい風に吹かれたが、露天の湯に浸かれば身も心も温まることができた。涼しい風は肌に気持ちよく、秋の季節ならではの温もりである。

「恋しくて」に収録された村上春樹さんの書き下ろし作品「恋するザムザ」を読む

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先日紹介した「恋しくて」には、村上春樹さんの「恋するザムザ」という作品が収録されている。最新の書き下ろし作品であり、小品的短編ではあるが、何よりも現在時点での春樹さんの立ち位置を示した作品として注目に値する。

「目を覚ましたとき、自分がベッドの上でグレゴール・ザムザに変身していることを彼は発見した。」

という書き出しで始まるこの作品は、改めて解説するまでもなく、フランツ・カフカによる名作「変身」がベースの元ネタになっており、「変身」の続きを連想させるかのように物語がつむがれていく。村上春樹さん自らのあとがきには、

「遥か昔に読んだぼんやりとした記憶を辿って『変身』後日譚(のようなもの)を書いた。シリアスなフランツ・カフカ愛読者に石を投げられそうだが、僕としてはずいぶん楽しく書かせてもらった」

と記されている。「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」といった長編大作をものにした後の息抜き的作品だと捉えたなら春樹マニア失格であろう。

もともと同作品は「恋しくて」という些か甘っちょろいタイトルに依存するかの如くのラブストーリーを網羅して仕上げたアンソロジーである。春樹さんが選者、訳者となって編まれていても、その甘っちょろさはどうしようもないくらいだ。

書き下ろしの春樹作品「恋するザムザ」は、甚大な影響を受けたであろうカフカの作品イメージとは少々異なっていて、シンプルで突破的なものが通底に流れている。相当略して云えば、単純なものの強みとでも云おうか…。

整理して述べてみれば、村上春樹さんはノーベル文学賞受賞に向けて自らの立ち位置を示すために敢えてこの小品的作品を発表したのだ。そしてその立ち位置はノーヘル文学賞受賞者としてマイナスには働かなけれども、決してフラスの要因をも生むことがない。カフカに迎合することが村上春樹の世界にとって有効であるはずがないのである。

この数年間が村上春樹さんの旬だと云われている。旬が過ぎれば春樹さんのノーベル文学賞などは泡と消えるのである。旬を過ぎて老いぼれた村上春樹さんなどおいらは見たくもないし、そんな老いぼれた後の彼の作品などは読みたくもないのである。

今の此の出口無き状況を突破するには、以前からおいらが何度も提言しているように「1Q84」の第4章、即ち「1Q84 BOOK4」の世界を新たに描ききることしかないのである。春樹さんははたしてそれを判っているのだろうか? はなはだしく疑問なのである。

「あさりバター」で甦るあさりにまつわる想い出

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「あさりバター」を食した。酒浸りの身体にとっては肝臓に優しく、二日酔い予防にもなる。二枚貝の有り難さを感じ取ることこの上ない。数ある魚介類の中で「あさり」は、おいらにとっても、幼少の頃から最も身近な食材であり、つねにことある毎に口にしてきたものではある。それなのに日常的にはあまり存在感を感じることがなかったのは、ある意味では残念なことなのだった。

薄れた記憶をたどれば、小学生時代に1〜2度は千葉県内の遠浅海岸にあさり刈りに出かけたことがあった。内房総のどこかであるが其の詳細は未定のまま也。慣れない手つきであさり狩りを行なった記憶がこびりついている。何処かであさり狩りが特別な体験だと刷り込まされていたのかもしれなかった。

上京してからはあさり料理もよく食した。あさりの味噌汁、あさりの酒蒸し、そしてあさりバター、たまには中華料理の老酒漬けやイタリアンのあさりパスタ、等々のメニューがおいらの胃袋を満たしていたのである。だがなぜかその存在感は薄いままであったのだ。

世間一般的には肝臓の友として「しじみ」の効用が蔓延しているからなのかも知れない。だが「あさり」はそれ以上に優しい想い出として染みじみとした想い出とともに感じ入るのである。

「生姜の酢漬け」を試してみた

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両親が高齢なこともあり、毎週帰省している。食事を一緒に摂ることも少なくないが、先日89歳になった父親が好む食卓の隅には「生姜の酢漬け」が乗っている。鮮度の良い生姜を酢に漬けて、そのまま丸かじりするといった代物である。あまりつきあいたくない、つきあおうという気持ちをそぐかのごとくなメニューだが、妙に気になってしょうがなかった。そんなところで同様の居酒屋メニューがあることに気づいて試しに口にしてみた。

居酒屋では「谷中生姜」「谷中」などという名称でも提供されている。茎が長くてピンと張っているのが特徴であり、鮮度の良さが視覚的にも実感出来る。まずピリリとした刺激が舌を刺し、喉を行き交い胃袋に送られるところのものは特別な存在感を示して通り過ぎる。胃袋に働きかける食材としては最良のものかも知れない。弱った胃袋には意外に効くかも知れないのである。

今季の初の鍋料理は「牛のもつ鍋」だった

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今季の初の鍋料理は「牛のもつ鍋」だった。云わば初めてのもつ鍋は、もつが少なくて其の分野菜のエキス、旨味といったものを享受することができたのでラッキーだったのだ。とても温くさせていたのだ。今季初の鍋としては例年になくラッキーなメニューであったというべきである。