今頃になってのこのことマスコミに出てきた佐村河内守が謝罪会見をしたというニュースに接しておいらは、この男の精神分析には此後は特に関心を持って見て行きたいという思いを改めて抱くこととなった。謝罪会見の全てを目にした訳ではないが、一つにはこの男は自分自身の脳内空間には己の自己満足的完結にしか関心の的がないのではないかということだ。自己完結させた謝罪やら反論やら、新垣隆氏に対する恫喝めいた発言等々、まさに矮小な世界観を露わにしている。こういうものを滑稽至極と呼ぶのもまたさもありなんということなのか・・。
「八王子夢美術館」にて「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」を鑑賞
「八王子夢美術館」にて開催されている「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」を鑑賞したのだ。
http://www.yumebi.com/
昨日から開催されている「八王子画廊散歩」のイベントで、八王子市内9軒の画廊、ギャラリーをスタンプラリーで巡り、参加画廊全てのスタンプがたまると「八王子夢美術館」での鑑賞券が無料になると云ったイベントを利用しての鑑賞であった。本日の夢美術館におけるテーマは「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」ということである。あまり気乗りはしなかったが、無料鑑賞券を求めて夢美術館の会場へと足を運んだ。
夢美術館の会場では、江戸時代の美人画の大家とされる喜多川歌麿を中心にして、彼の弟子や同時代の江戸期における浮世絵師の作品約120点が展示されている。これだけの点数の浮世絵師たちの作品を一堂に会して鑑賞したことはこれまで無かったことであり、けっして無駄な時間を費やしたということではない。これはこれで価値ある企画展ではある。
喜多川歌麿や彼の弟子たちによって描かれた浮世絵やら錦絵やらの女性は、顔は下膨れであり目元はぱっちりとは云い難い、云わば江戸時代にのみ通用する美人の条件ではあり、とても現代における美人の其れとは一致することが無い。下膨れの目元切れ長でどんより、その他多くの条件において喜多川歌麿の時代と今現在という時代とは、隔世の感がある。そんなことを印象深く抱いていた。
今年も恒例の「八王子画廊散歩」がスタート
毎年3月になると開催される八王子のアートイベント「八王子画廊散歩」が本日スタートした。今回おいらが作品出展しているのは「ことのは」というギャラリースペースである。
■第17回八王子画廊散歩
3月6日(木)〜3月11日(火)
開廊:11:00〜19:00(最終日は17:00まで)
https://www.facebook.com/garousanpo
■ことのは
東京都八王子市万町38-2
地元八王子の美術作家の多くが参加するイベントであり、毎回少なからずの刺激を受けている。作品を前にして批評し合うやりとりもまた楽しいものだ。
映画「小さいおうち」の黒木華さんの演技にドキドキ
http://www.chiisai-ouchi.jp/index.html
山田洋次監督による映画「小さいおうち」を鑑賞した。この映画では家政婦を演じた黒木華さんがベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞したこともあり、ひっきょう初めから最後まで黒木さんの演技にドキドキ、ウキウキなのだった。けっして美人顔ではない黒木さんの独特な存在感、役柄に同化しきったプロ根性といったものには惹き付けられない訳にはいなかったのである。山田洋次監督の丁寧な演出に感心しつつ、黒木さんの役柄は彼女ならではのドキドキ感を感じさせるに充分なものだった。
物語の時代背景は支那事変から太平洋戦争へと突入する近代日本における暗黒の季節なのだが、戦争の足音をさりげなく小市民の生活感によって描いているのが秀逸である。プロパカンダにけっして陥ること無く、時代の生活感を皮膚感覚までに昇華して表現することに成功している。
物語の後半部分で、黒木さん演じる女中がはじめてと云ってよいくらいに唐突に、若妻こと松たか子に意見するシーンがある。困難な時代においても自らの恋心を抑えきれずに若妻を難詰する。緩やかに進行していた物語のトーンが一挙に緊張感を有して行く場面である。
小さなおうちに行き交う人々の愛と憧れ、そして若き人妻と美大出身の若き男との不倫関係、若妻に仕える黒木さん演じる女中と若妻との魂の交流や葛藤、等々のテーマが渾然一体となって、良質な映画らしい映画に仕上がっているのである。
春夏を告げる「空豆」の焼きを味わったのだ
春から夏を告げる巨きな青い豆が「空豆」である。通常は茹でて味わうものだが、焼いても旨く、少々硬いが身が締まっていてかえってその野趣を味わうことができる。特に弱火でじっくり時間を掛けて焼いた空豆には頬が緩んでしまうくらいだ。さやごと火に掛けるので焦げたさやを目の前にするとグロテスクではある。それでも手で裂いてみれば、鮮緑色のはじけるような豆の生命感を感じるのであり、そんな豆の身を見るにつけ漸く春の季節の到来を実感することとなった。
見た目も青々としていて、豆類の中では大降りの存在感を示すのが、この季節の「空豆(そらまめ)」である。名前の由来は、豆果が空に向かってつくため「空 豆」とされたという説が有力である。これからの季節には、「空豆(そらまめ)」が酒場のメニューにのる機会が増えるのであり、チェックも怠り無くなるのだ。空豆については豆の大きさが特筆されるが、大きいことは良い事だということばかりではないのである。押しの強い見た目に加えて、ビタミンB群をはじめとす る栄養素豊富であり、食感もまた他には得がたいものがある。豆の生豆として味わうならば、空豆を第一番に推奨するのが常識的でもある。
Windows XPパソコンが急激なパワーダウン
おいらが愛用しているXPのノートパソコンが、最近になって急激なパワーダウン。長い付き合いのマシンであるが、此れまでサクサク動いていたマシンが、まるで何かの病気に罹ったかのような状況なのだ。ネットサーフィンさえままならなくなった急激なパワーダウンの原因は何なのだ?まさかとは思うが、この4月だかにXPサポートを終える為のマイクロソフトのパフォーマンスなのではないかと疑ってしまう。
村上春樹さんの「独立器官」という不思議な小説(1)
「月刊文藝春秋」誌に掲載されている村上春樹さんの「独立器官」という小説を読んだ。同雑誌における「女のいない男たち」というサブタイトルを冠したシリーズの4作目である。このところ文藝春秋誌を開けば村上春樹さんの連作作品に遭遇するのであり、些か此のパターンも飽きが来ているところである。
今、春樹さんが此処という状況の中で軽い連作を手がけているのかは、ほとんどぴんと来ることが出来ない。ノーベル文学賞候補作家であるならば、今此の状況下において、他にすべきことが大切な事柄が甚大に存在するのだろうと考えているからである。例えば「1Q84」の4章目、BOOK4の執筆である。オーケストラの大作が完結を迎えるには四楽章のスタイルを必要としていた。三楽章ではまだまだ大いなるストーリーを完結させるには不足なのである。これは特に、ノーベル賞関係者が多く棲息する欧州圏にて顕著なのであるからして、村上先生もそのところをじっくりと理解して対策を踏まえるべきであると考えている。
それはともあれ、小説のプロットは「渡会」という名の整形外科医と「僕」という物書きによるやり取りによって進行していく。この作品の冒頭では、渡会という外科医の人格的形容を「内的な屈折や屈託があまりに乏しいせいで、そのぶん驚くほど技巧的な人生を歩まずにはいられない種類の人々」と説明がされている。女性関係においても極めてクールで計算高く、独身主義を貫いている人物だという設定だ。食うには困らないという形容以上に芳醇な経済力を持ち、女に困ったことが無いという安易な遊び人以上の恵まれた異性関係をものにしている。主に既婚者や決まった恋人のいる女性とのアバンチュール、不倫関係に限った関係を続けていた。
そんなプロットが、途中でひっくり返ってしまうのだ。まるで読者が作者によって裏切られてしまうくらいに、一気にやってくる。そんな作品「独立器官」後半についてのあれこれについては後の稿にゆだねることにする。
キムチ鍋と稗そうめんはとても相性が良い
旨いぬか漬けを口にすれば弱った胃腸も甦る
寒ブリのアラを「ブリ大根」にして味わった
長い冬が漸く終わろうとするころ、地元のスーパーで、目つきも鋭列な印象の美味しそうなブリのアラを発見。早速買って帰り、ブリ大根を作ってみたのだ。ブリの脂が大根に染みて、こんな大根料理はブリにしか作れないなと妙に納得なのだった。
出世魚の代表ことブリは冬が旬だ。冬のブリのうまみを、これまた最大限に生かした料理は「ブリ大根」ということになる。「ブリ大根」の基本とは、大きくカットした大根にブリの旨味を吸わせて味わうということになる。大根は大きくカットせねばならないのであり、薄切り などにされた大根では此の味わいは体験出来ないのである。そしてそれなりの調理時間を必要とされる。大根の煮時間も20分は下ることがなく、決して簡単レ シピではあり得ない。そんなこんなの条件を満たしつつ「ブリ大根」を調理。新鮮なブリの切り身を用意した以外は、取りたてての調理法を使った訳ではなかったのだが、程よいブリのあまさがおいらの喉を唸らせるに充分なる出来前ではあった。冬季の酒のつまみ的料理として、これ以上の 奥深い味は無いものだと実感させるに充分である。
たまに味わいたい逸品の「川海老の唐揚げ」なのだ
瑞々しい「初カツオのっけもり」を味わった
瑞々しい「初カツオのっけもり」を味わったのだ。初カツオの刺身にミョウガ、レタス、青ネギ、ショウガ、等々の薬味をあえてポン酢味に調理したのっけもり。四国地方で食される「土佐作り」も此の料理に似ている。初カツオのさっぱりした海の幸と初春の薬味の若々しさがとてもマッチしている。
「目には青葉 山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)」という山口素堂の有名な句に象徴されるように、「初ガツオ」といえば春を告げる味として有名だ。いや春というより も、現代では5月から6月にあたる、初夏に近い季節の味として広くいきわたっている。今年は早くもフレッシュなる「初ガツオ」に出くわしたのだった。カツオはたたきよりも断然に刺身が上だが、それに薬味をくわえることで特に旬の季節料理の有力メニューに昇華されたのだ。
八王子「弘福」の蒸し餃子はおすすめ
地元の中華料理店の「弘福」で、餃子ランチを食した。餃子専門店ならではのメニューは、焼き餃子の他に蒸し餃子があり、此の蒸し餃子の餡も様々な種類があって、いろいろと楽しませてくれるのだ。
ランチに食したのはニラと鶏肉の蒸し餃子。一般的な焼き餃子よりも一回り大きくて皮ももちもちとして厚めである。蒸し餃子ならではのもちもち感がぐっと迫ってくるので食べ応えも満点の印象。箸で皮を破れば餡から滲み出た肉汁がじわっとした姿を現し、其の姿こそが中華点心料理のトレードマークかとさえ思わせる。あまり肉料理には関心が持てないおいらでも、この蒸し餃子から滲み出される肉汁には唸ってしまうのだ。
■弘福
東京都八王子市小門町1-3
高崎市美術館にて「石澤久夫の仕事―自然への語らい」展が開催
群馬県出身の画家こと石澤久夫氏の個展が高崎市美術館にて開催中である。
■石澤久夫の仕事―自然への語らい
高崎市美術館
群馬県高崎市八島町110-27
電話 027-324-6125
彼の出生地は旧群馬郡だが現在は高崎市に編入されており、高崎工業高校を卒業するなどと特に高崎市に馴染みが深い。となり町だが同じく群馬県出身のおいらにとっても非常に気になる作家の一人だった。
この度高崎市美術館の同展覧会に遭遇し、一堂に会された石澤久夫氏の作品に接することができたのだ。ある種のアンフォルメル絵画にも似ているが、抽象絵画の範疇には属さない。それが石澤氏の自然との語らい、対話にあるとされている。原風景として接した上州の自然に触発された作品の数々がとても新鮮であった。
自然との語らいの中で生ずるイメージの数々には、女性の様々な裸像が深く刻まれている。原風景との語らいの中には性の目覚めとそれにまつわるエピソードが含まれている。
美術館に併設している「旧井上房一郎邸」には、石澤氏のパトロン的な役割を担っていた井上氏の個人的なコレクション作品が展示されている。題名は「森にある恋」という。井上氏はこの作品を「パーフェクト」だと称して絶賛していたという。
十条の名店「斎藤酒場」にて一献
JR埼京線「十条」駅にて途中下車。駅前商店街の「斎藤酒場」へ向かっていた。下車して数分、其処には北区十条地区の下町ならではの商店街にマッチした風情の「大衆酒場 斎藤」という暖簾が待ち構えていた。重厚な趣ある暖簾の奥には更に重量感ある木製の引き戸をぐいっと引いてみると、中には大勢の酔客が陣取っていた。夕日が落ちて間もない5時くらいだというのに此の様は何だ! 酔客達の聖地と読んでも良いくらいの現場に足を踏み入れていた。中島らもが愛した今では数少ない酒場であることが一瞬にして諒解されたのである。下町の酒場にしておくには勿体無いくらいの存在感である。
メニューはそうは多くなくて所謂居酒屋における定番メニューだらけだ。マグロのブツ、串揚げ、ポテトサラダといったメニューが運ばる度に、いちいちとこの美味しさやあるべき存在性について感じ取っていたくらいなのである。例えばある種の哲学的表現を借りるならば、意識が存在を規定するのではなく存在が意識を規定するという、まさにそんな存在を目のあたりにして立ち竦んでいたということなのだ。
特に常連と思われる中高年の呑兵衛たちは必ずと云ってよいほどポテトサラダを注文している。居酒屋メニューでありながら家庭的なメニュー風の要素も在る。だからからこそ家庭的メニューの一端をポテトサラダ、略称ポテサラが担っているのだというとなのだ。家庭内における食生活の乱れが招いた現象と云えるのかもしれない。
「生姜挙げ」は関東にはない関西ならではのメニュー
昨晩の「モツ煮込み」を「モツ煮込みカレー」にリメイク
昨晩作った「モツ煮込み」料理はちょいと作りすぎたきらいなどあり。そのままカレーのルーと一部香辛料などを加えて「モツ煮込みカレー」にリメイクしたのだ。そうしたらば想像以上、期待以上の仕上がりに満足至極なのである。
一般的なカレーの食材とは異なり、大根、牛蒡、蒟蒻、等々の冬野菜はカレー味が染みてだいぶ味わい深くに美味しく味わうことが出来たのだった。煮込んだモツと其の出汁が効いていることが此の料理の奥行きを作り上げる条件の一つであり、しかも昨日の味噌味が此の特製モツカレーの隠し味として効いているのである。
居酒屋メニューの定番料理こと味噌煮込みとともに、和風出汁の効いたカレー料理もまた日本人にとってのソウルフードであることを再認識させていたのだ。
モツ煮込みの翌日はモツ煮込みカレーというパターンがこれから益々増えていくことと思われる。
寒い夜には冬野菜根菜をふんだんに使った「モツ煮込み料理」で温まるのだ
第百五十回芥川賞受賞作品、小山田浩子さんの「穴」
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先日発表された第百五十回芥川賞受賞作品、小山田浩子さんの「穴」を読んだ。月刊文藝春秋誌では150回の区切りの受賞作品として大々的にピーアールしているようだが、読了してみたら、いまいちピンとこない印象に捕われてしまった。
物語の出だしは夫に転勤の辞令がくだり夫の実家の隣の借家に引っ越しをするという、若い夫婦の極めて日常的なエピソードから始まる。妻はそれまで勤めていた職場を辞めてフリーになるが、新しい土地での居場所が定まらないままに、いかにもありがちな若夫婦のエピソードを重ねていく。「転勤」「辞令」「異動」「再就職」といったテーマが並ぶのがまるで安っぽい社会派小説のような進行なのである。表題の「穴」とは、若妻が謎の小動物を追っていたら偶然に「穴」に落ちてしまったというエピソードを示している。中段に至って漸く純文学的なエピソードが現れるかの流れとなるのだが、それはまるで典型的な「非日常」「異界」「幻想」等々の修飾を可能にするかのような代物であり、余計な白々しささえ覚えざるを得なかったというべきなのである。
読書中には何度もミステリー作品に対するかのような期待感さえ惹起させたのだが、そんな大衆文学の要素さえ裏切ってしまう。こんな作品が本当に芥川賞なのかという思いさえ抱かせてしまうのである。