世界遺産の「富岡製糸場」に立ち寄った

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上州に帰省した帰りに、本年に世界遺産に登録されたという名勝地の「富岡製糸場」を訪れたのだ。一見すれば世界遺産というほどの迫力は無かったのだが、我が国における製糸業の典型的なスポットとなる遺産が残されていることが、世界遺産決定の決め手となったようである。群馬県出身のおいらとしてはとても喜ばしいことは云うまでも無い。もう何十年ぶりかという久しぶりに上信電鉄に乗って、上州富岡を目指した。所々に散見する田園の風景は、此の土地ならではのものではある。田舎と地方都会とが入り乱れていてとても稀有なる思いを強くしていたものではある。

(此の稿は続きます)

ジトジト雨模様に日々に「紫陽花(あじさい)」が見事に咲いている

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ジトジトして鬱陶しい雨模様の日々が続くが、活き活きした紫陽花を見ると思わず足を止めて見とれてしまう。雨がちょうど紫陽花を彩る化粧油のようだ。年間を通してこの時期ほど町の裏通りの景観に思いを寄せることはないだろう。ただ緑の植え込みだとして見過ごされるものが、色々とりどりの花やガク等を開いて人々の目を釘付けにするのだ。こんな景色はやはり散歩しながら求めていくしかない、季節の風物詩なのだろう。

漢字で紫の陽の花とは書くが、紫色のものばかりとは限らない。赤いもの、ピンクのもの、白いもの、赤青混色のものなど色とりどりである。一般的によく見かける手鞠に比せられるものは「セイヨウアジサイ」という品種だ。花弁のように見えるのは実はそうではなく「ガク」に当たる。本当の花弁はもっとずっと奥深くに隠れている。最近良く目に付く種類が「ガクアジサイ」と呼ばれる品種だ。花弁に見えるガクが取り巻いているその中央部分には細かな花弁が密集していて、生き生きとして微小に咲き誇るその様は見るものを釘付けにしてしまう。紫陽花の花言葉とは「移り気」「高慢」「辛抱強い愛情」等と云うことだが、場の状況や時間の推移とともに花の色を移り変えていくということからも「移り気」というのが最も的を得ているように思われる。何しろ「七変化」と云えば女性の心と紫陽花の花弁と考えていたほうがよさそうである。紫陽花とはこの季節でしかまぐわうことのできない花なのであり、特別な興味関心を持って追求していきたいと思うなり。

野々村竜太郎という馬鹿兵庫県議の泣き喚きパフォーマンスに関する考察

まるで馬鹿な駄々っ子の泣き真似のような会見模様。この泣き喚いていたのが野々村竜太郎という西宮選出の県会議員なのだそうである。この2~3日、ニュース番組を見れば当パフォーマンスビデオが席巻しているかのごとくである。馬鹿県議の会見パフォーマンスに過ぎないものがこれだけニュースネタとなって飛び交っていることは、当の馬鹿県議も予想だにしなかったに相違ないだろうが、これくらいに馬鹿の壁を目の当たりにするニュースネタはこれまで無かった代物のように思われる。東京都民だから関係ないことではあれ、あまりにも馬鹿げたパフォーマンスには一考の根拠もまた有りということである。通常はこの様な嘘泣きパフォーマンスに関してはある種の意図を感じとるものだが、おいらは今のところ、その意図が計り取れない。それくらいに計算されたパフォーマンスであるはずもなく、まるで馬鹿県議の一人玉砕なのかもしれないと今は分析するしかない。此のニュースネタは海を隔てたヨーロッパ各国にも配信されているという。馬鹿な県議の行状がまるで日本人の馬鹿さ加減を示すようなものではあって欲しくないのは当然だが、どんな国にもこの様な馬鹿の壁的人間は存在するのではあり、日本人の一人としては思いっきり笑い飛ばするのがまともな対応だとも考えるのである。海外にニュース配信されているからといって、此の馬鹿県議が日本人を象徴しているなどということは有り得ないのだ。お笑いタレントの面々としては大きなネタが出来たと見えて、アンガールズの物真似などが脚光を浴びているようである。馬鹿なネタは笑い飛ばすに限るということは真実の一端を示すのであり、もっと面白いお笑いパフォーマンスにも期待が高まっているのだ。ところで、馬鹿県議当人は滑稽至極ながら、当パフォーマンスにおける「言い訳」のあれこれには、多少の知恵を感じさせる。すなわち外部関係者からの入れ知恵といった類の代物の存在だ。記者団からの質問に対する当事者の答えが全く噛み合わなかったことと、外部関係者による入れ知恵の存在は関連付けて考察すべきではある。云いたいことを云うために、すなわち外部関係者からの入れ知恵による発言をするべく、当県議が馬鹿げたパフォーマンスに打って出たのだろうという推察が可能である。

バカ貝こと「青柳」のぬたを味わう

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青柳とはアサリやハマグリに似た二枚貝だが、いま一つマイナーな貝である。別名「バカガイ」とも呼ばれており、二枚貝の殻の中からオレンジ色の身を覗かせており、あたかも馬鹿な貝が舌を出している様子からこの呼び名が付いたとも云われている。今日はそんなバカ貝こと青柳のぬたにありつくことが出来たのだった。刺身でも食される此のバカ貝は食感もまたつるっとして独特の風味を感じさせてくれる。決して侮れないこと請負である。二枚貝の外見はと云えば、蛤にも似ており、其の昔は江戸前寿司ネタの主要アイテムであったと云うことだが、最近はそんな姿を隠してひっそりとしており、マニアックな食通の舌を唸らせるかのごとくである。

今回のぬた料理は、酢味噌を和えて食するメニューだということが特徴なり。ネギとワカメが添えられていて、三位一体の食材的ハーモニーがその旨味を際立てている。ぬたの調味料としての酢味噌はおいらにはとても甘いように感じ取れたが、バカ貝やネギなどの食材が此の甘味によく似合うということなのである。とろりとした甘い酢味噌味のおかげで、バカ貝が季節の旬のメニューに生まれ変わったと云えるのかも知れない。

美味い「カツオの刺身」に日本的薬味は必須

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本年はカツオが不漁というが、幸運なことに本日は美味いカツオにありついた。其のカツオの赤身がキラキラとしてまぶしく感じられるくらいである。カツオの赤身は透明感があり重々しくない、清々しいくらいのことが何よりの特徴である。こんな美味なる色味はマグロなどでは決してみることができないのだから、カツオの美味しさの希少性を示しているとも云える訳ではある。フレッシュさみずみずしさ至極であり、此の季節の食欲を謳歌させる食材にもってこいであった。

そして美味しいカツオを食するもう一つの条件が、薬味の存在。茗荷、大葉、葱、という日本的なる薬味の存在が、カツオの刺身をより美味しくさせる。カツオの刺身が逸品のメニューとなるためには此の薬味の存在は欠かすことが出来ないのである。本日のカツオ刺しにはこの薬味がたっぷり添えられていたのであり、たっぷりと美味しく味わうことが出来た。

マグロよりも小ぶりではあるが上品な味わいであり、人間の健康生活に必須の成分であるところのEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)の含有量が多いと云うことが挙げられる。しかも季節の旬を味覚で味わいつつ季節を愉しめるのだからこのうえも無い食材だと云って良いだろう。

意外な当たりだった「榛名ポークの角煮」

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分厚い豚(ポーク)の肉をじっくり時間をかけて煮込まれた角煮。角煮料理はその脂っぽいところが少々苦手で、おいらはあまり脂ぎった角煮という料理を食べることはないのだが、上州に帰省中に立ち寄った食堂では「榛名ポーク」というメニューに引かれて注文。久しぶりに角煮料理を食したのだった。

食べてみたらこれが意外や意外の当たりであった。そして何より「榛名豚」というブランドの地元食材に感心が高まっていた。

榛名山の山麓で生育した豚を指すということは以前から知っていたが、榛名豚をそれと意識して味わったことは無かったようなのだ。調べて見たところ、榛名山麓の加藤牧場で生育されている豚のことで、ランドレース、大ヨークシャー、デュロック、の3種豚の掛け合わせ。大麦主体の餌にもこだわりがあるのだとか。以前に食べた豚角煮に比べて脂身のしつこさがほとんどと云えるくらいに無い。赤身肉の味も煮込んだ甘辛味との相性が抜群だ。これならばギトギトした豚のしつこさなど気にならない。

豚の角煮は榛名ポークに限ると云ってよいだろう。

「ホタテ焼き」は酒の肴に持って来いの逸品的味わい

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殻付きのホタテを炭火で焼いて出てきたのが「ホタテ焼き」だった。

注文して焼き場をチェックしていたところ、殻付きのホタテが殻を開ける瞬間のパフォーマンスには魅了された。帆立貝の味わいがパックリと殻を開けて顔を見せたような、そんなパフォーマンスなのであった。実際に其の逸品的酒の肴的メニューを口にすれば、磯の香りを含んで味わい深いホタテの食感が喉の奥の味覚の園たちを刺激してたまらなかったのである。

貝柱は太くてコリコリとして、薄味ながら磯の香りが漂っている。寿司ネタとしては捨てられてしまうホタテの肝とくれば、その味わいは絶品である。ホタテの身は酒の肴としても逸品的メニューなのであった。

養老孟司著「『自分』の壁」は期待外れの一冊

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養老孟司氏の近著「『自分』の壁」を読んだ。「バカの壁」というベストセラー作品を持つ著者の作品ということで些少の期待をもって読み進めたが、特に目立った主張、分析や切り口などはみることができず、期待外れに終わってしまった。

帯に示されている「『自分探し』なんてムダなこと!」というフレーズからも読み取られるように、同書の成り立ちは著者の企画ではなく編集者による企画による。世の中に蔓延る「自分探し」といったムーブメントに対するアンチのメッセージを発するということを一義的に目的とされ、企画から執筆、発行にまで至っている。事実、同書の「まえがき」「あとがき」以外の原稿執筆はゴーストライターによるものだということを著者が暴露している。

学者・研究者としてのエピソードを随所に散りばめているのだが、細かな事柄ばかり突くスタイルは大きなメッセージを発信することは不可能であり、養老本のある種の限界を明らかにしている。

自家製の「牛筋煮込み」でほっこりなのだ

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地元のスーパーマーケットで新鮮な牛スジを仕込んでいて、自家製の牛スジ煮込みづくりにチャレンジしたのだった。購入した牛スジを3〜5cmにカットして、その他、人参、牛蒡、そして干し椎茸の具材を用意して、圧力鍋にて煮込んだのだ。味付けは少量の醤油と塩と生姜の細切れのみであり、牛スジから滲み出る出汁とコラーゲンが味の決め手となっていた。

おいらが好きな「煮込み」と云えば、一般的なモツ煮込みよりも「牛スジ煮込み」である。牛スジのゼラチン質や繊維質が豊富であり低カロリー、しかも馥郁とした出汁が味わえるというのであり、どこぞの酒場に足を運んだときには先ずは此の牛スジ煮込み料理を物色している。美味い牛スジ煮込みは其れくらいに求むべき酒のつまみでもある。一般的に「煮込み」という料理には「もつ煮込み」と「筋煮込み」が双璧をなしている。おいらの好みはといえば筋の煮込みの中でもとりわけ「牛筋煮込み」ということとなっている。牛筋とはアキレス腱の部分や腱がついた肉の部分を指しており、にはゼラチン質が豊富に含まれており、脂身は少ない。ホルモンの部位とは異なり、あまり小売 店のショーケースには並ぶことが少ないと云う。専門店での調理法が映える部位なのである。名店の「牛筋煮込み」は、ほぼ飲兵衛たちの支持によって長い命脈 を維持しているのだと云っても良いのだろう。近頃の好みは〆として素麺にかけて食べることだ。これも文句なしにGoodだった。

饗宴のあとさき

日本国民の多くがそうであるようにおいらも寝不足気味で体調不良である。早朝の5時に起きてサッカー観戦に興じてしまったのだから仕様がないのだが…。ワールドカップサッカーは数週間の饗宴を経て本日のグループリーグ戦敗退で、その宴を閉じた。マスコミの前評判が良かっただけあり、此の結果には落胆の思いを強くしていた。敗戦の要因は色々挙げられようが、攻撃的にパスを繋いで得点するという日本サッカーが、世界には未だまだ通用しなかったということだ。本日の試合の前半では攻撃的パス回しが機能していたが、見せ場を示すことなく、泣く泣く終わってしまった。

謝罪がパフォーマンスとなる此の国の行方

昨日から本日にかけてのニュースには、石原伸晃環境大臣の謝罪行脚とセクハラやじ゛都会議員の謝罪会見の映像で持ちきりの様相だ。謝罪がニュースになるのだから日本の国は平和なのかもしれないが、それでも謝罪者当人政治家たちのインチキさには怒りを覚える。石原伸晃は自らの子分とも称するべき政治家たちへの形式的な行脚をもって謝罪を終わらせようとしている。侮辱をし傷付けた東北の人たちへの直接の謝罪はパスしての謝罪行脚にはパフォーマンス的な意味合いしか持ち合わせていないのは明らかである。こんなパフォーマンスを見させられるくらいならば謝罪行脚など無くて宜しい。時間の無駄も甚だしいのである。そしてもう一人の謝罪パフォーマーの鈴木章浩には、呆れる以外の印象を有しなかった。この地方政治家に至っては、謝罪の意味さえもが取り違えられており、パフォーマンスの内容は非条理な自己弁護と下らない強弁に終始していた。謝罪がパフォーマンスに終始している此の国の行方に赤信号が灯っていることを痛感したのだ。

「金目鯛の一夜干し」というメニューについての謎

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おいらは金目鯛が好きである。高級食材としての希少性とともに上品な白身魚の味わいが類を見ないのであり、此れを口にしたときこそ食の醍醐味を感じ取ると云えるくらいだ。金目鯛を煮付けや刺身で食するのは王道だが、そんな機会は滅多に訪れることが無い。たまに金目鯛の開きを買って焼き魚として味わうくらいがいいところなのかも…。そんなところで「金目鯛の一夜干し」という奇妙なメニュー札を目にして思わず注文してしまったのは必定と云えるのかもしれない。金目鯛の頭とともに炭火で焼かれて提供されたのは、開きの半身の如くの外見ではあった。味もまたたまに食してきた金目の開きに似ていた。美味しいことには違いがないのだが、何か釈然としないものを感じていた。もう一つの半身はどこへ行き、果たしてどの様にして調理されているのか? という疑問に直面していたのである。所謂ひとつの謎なのではある。

赤羽「まるます家」の「鯉の生刺し」に舌鼓

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帰省していた帰りに赤羽で途中下車。目当ての「まるます家」に向かった。赤羽駅から4~5分歩くとその「まるます家」に到達する。赤羽の「まるます家」と云えば、知る人ぞ 知る大衆居酒屋の名店である。都内の多摩地区に住むおいらにとってはなかなか足を運ぶことも難しいのだが、帰省帰りの途中下車のお目当てのスポットでもあり、時間があれば立ち寄っている。

鰻と鯉が美味いと評判の店であり、鰻の肝料理などが食べたいと思っていたのだが、鰻の肝は無しだということで、鯉の生刺しを注文したのである。鯉料理は「鯉こく」「鯉の洗い」などがあり「鯉の生刺し」は同店ではもっとも高価なメニューに属する。洗わず、煮込まず、という鮮度も抜群であり、川魚としての鯉の味覚を生で味わえると評判も高いのである。

鯉の洗いとの違いとは、洗っていないことにより鯉の独特のコクの有る食感を味わえること。そしてにんにく醤油との相性の良さである。鯉をつまみに一献したくなる度に同店に立ち寄ってしまうのだ。ともあれ途中下車しても立ち寄りたいという気持ちを惹起させる名店の一つが、赤羽の「まるます家」だということは確かなようである。

■まるます家 総本店
〒115-0045
東京都北区赤羽1-17-7

ふうふうと汗をかきつつ「石焼ビビンバ」を喰らう

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地元の焼肉店で「石焼ビビンバ」ランチを食した。ビビンバというメニューは韓国一般の混ぜご飯のことである。モヤシ、ゼンマイほうれん草、大根、等々の漬物ことナムルを、コチジャン、胡麻等の調味料とともにご飯に混ぜていただくというのが定番。石焼ビビンバはそんな素材をざっくりと石鍋に盛り、それを火にかけて熱々にしたところでご飯と混ぜていただく。伝統的な家庭料理としては少々ならず贅沢な料理行程を踏むのである。ちゃんとこの行程を踏襲した料理であればこれがいただけないはずが無いのだ。

暑い季節に石焼メニューを食べるには少々の躊躇いがあるが、汗を大量にかきつつふうふうと熱い料理を口にするのも悪くは無い。運動不足のなかでは食事が発汗を助けることにもなるのだから、メリットととらえるべきだろう。家庭料理の王道を行くのが「ビビンバ」であるということはおそらく多くの関係者が認めるところだ。おいらも韓国家庭料理としてのビビンバのメニューを愛する一人であり、時々口にするのを楽しみにして過ごしている。

夏を前にして「自家製カレーモツ煮込み」で晩酌なのだ

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思いがけなく生のモツが手に入ったので、自家製の「カレーモツ煮込み」をつくったのだった。今回の食材は豚の小腸と胃袋。所謂モツとガツといった、謂わばモツにおける定番の部位である。他の食材には人参と玉葱をたっぷり使った。

此れらをもとにして先ずは圧力釜で20分ほど煮込む。圧力鍋を使用することで煮込み料理は短時間でつくれるのであり、この圧力鍋は欠かすことが出来ない。圧力鍋で煮込んで柔らかくなったところへ、カレーのルウを投入してさらに5~6分くらい煮込めば、おおよその料理の完成を見ることとなる。モツはとても柔らかくて歯の悪いおいらにもとても優しい食感だ。さらには玉葱はかたちを止めないくらいにトロトロになり人参もほっくりと柔らかな食感なのである。

カレー味にすることでモツの独特なくさみもスパイスに調和されて食べやすくなり、さらには日持ちもする。これからいろいろな料理に流用可能だ。一献終えたあとには、素麺にかけて締めとする。夏にはこれがたまらないのだ。多めにつくっておけば日々の料理に流用が出来てとても便利だ。

映画「アナと雪の女王」にみる悪魔性についての考察


先日は映画「アナと雪の女王」を鑑賞したのだった。おいらにとっては子供の頃には大いに興奮した想い出のある久しぶりのディズニー映画であった。実際にこの映画もディズニーらしさが至る所で展開されていていた。独特のテンポあるストーリー展開はディズニーのDNAを思い起こさせていたのであり、アニメーションの先鋭的なテクニックにも酔い痴れるに充分なものである。アニメーションの可能性を追求するという姿勢には、おそらく世界一の評価が与えられるであろう。

だがおいらの心中には釈然としない一抹の違和感が蔓延っており、これまでずっと其れらを消化できずにいた。それは一つには、女王の資質、接するものたちを凍えさせてしまうという悪魔的な資質を、素直に肯定することが出来かねていたからではある。

映画の中の雪の女王は閉ざされた城を出て、その喜びを歌い上げている。

♪ありの~、ままの~、姿見せるのよ~♪

女王であれ人間であるからには誰もが素直な自分自身の姿を、ありのままに見せ、生きていくことなどは当たり前のテーゼではある。ただしながら雪の女王には他者を凍えさせるという、悪魔的な特別な能力があったのであり、即ち自己を主張することが周りの人たちへの加害、攻撃に繋がっているという状況のなかで、そのままで肯定することは難しい。特別な能力を持つ人への不信感か、或いは人間存在の条件を超えているものへの距離感があるのだろう。そもそもは余計なる言葉だけの希望、現実味の無い妄想なんていうものは無い方がいいのである。

とろける「白アスパラのチーズ焼き」の食感にうっとり

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フランスでは重宝される食材だが、日本では、生の野菜としてはほとんど流通することのないのが白アスパラである。あまり食する機会は無かったが、本日は「白アスパラのチーズ焼き」というメニューで久しぶりに食したのだった。

口にして先ず感じたのは、何しろ白アスパラのとろけるような食感。まさに感激至極である。土の中に埋めて育てるのが白アスパラの育成方だ。つまり日光に当てないことから緑色ではない白色のアスパラが生産される。日光に当てて育った緑のアスパラに比べてビタミン、ミネラル類等の栄養素は少ないと思うが、それ以上にとろける野菜の食感には感激なのである。

「ウナギの肝焼き」の苦味に夏の栄養価を感じとるのだ

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ここ数年来のウナギの価格高騰にはおいらも気掛かりな事象の一つだ。夏の季節を乗り切る食材としては欠かすことの出来ないものであり、其れが手の届かないものになるなどとはあってはならないと感じている。今年は昨年よりは価格も落ち着きつつあるようだが、それでも国産のウナギの蒲焼きは1匹につき1000円は下らないよう。年に数回の贅沢食材だから美味しい国産ものを食したいものではある。

ところでウナギの料理は蒲焼きにとどまらない。特に肝の串焼きというメニューもポピュラーであり、おいらを含めて飲兵衛たちには身近かでもある。焼き鳥のタレで肝を串焼きにするという料理だ。そもそもウナギの肝とは「肝吸い」として調理されるのが一般的だ。ウナギの部位でも、ビタミンAやアミノ酸、ミネラル等々と特に栄養価が高い。苦味成分こそ栄養価のバロメータ、疎の独特の苦味がその栄養価の現れだとも思えるのである。