地元の路地で見かけた彼岸花こと曼珠沙華

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曼珠沙華をいつも通り過ぎる都会の路地で見かけた。鋭い真っ赤な花弁が咲きまくるその光景は流石の曼珠沙華である。天晴至極の様相を呈していると云ってよい。ところで曼珠沙華とは別名で彼岸花とも呼ばれており、秋の彼岸の到来を示している。今年の彼岸花の生育はほぼ予定通りの生育的スケジュールにのっとっているかのごとくだ。

ところで曼珠沙華の本場は高麗の巾着田である。埼玉県日高市高麗の「巾着田」を取り巻く地域には、100万本もの曼珠沙華が一帯に咲き誇り、その勇姿を人々の目に焼き付けている。高麗の「巾着田曼珠沙華祭り」はいまがはえどき、今年はちょうど、例年に無くピッタリの満開時期に訪れることができたのだった。家の近くの道端にも曼珠沙華を見かけるが、やはり巾着田のその群生する姿は圧巻である。鮮紅色の花の姿はまるで彼の世の世界からの導きの姿のように魅了しており、思わず顔を近づけてしまう。

「豆苗」は鍋や和食との相性も良し

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鍋料理に「豆苗」を用いたらこれがすこぶる良相性だった。このところ秋に入って、スーパーで「豆苗」という食材を購入する機会が増えている。一言で説明するならばえんどう豆ことグリーンピースの若菜である。主に朝食の味噌汁の具として利用しているが、うどんや鍋料理にあわせる具材としても重宝している。時間をかけて煮込んでもシャキシャキとした食感が残っていて食べ応え噛み応えが充分なのであり、和食の出汁も染み込んでいて相性が良いのである。しかも此の食材は、食べ所としての若芽のところをカットして食用にした後にも、残った根と豆の部分を水に浸するならば再度芽が育っていき再収穫、再々収穫ができる。ビタミンCやビタミンB群も豊富であり、栄養価も極めて高く、日々の付け合わせ的自家製野菜としてとても重宝しているのだ。

「イカ墨水餃子」は果たして美味いのか否か?

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上に示したのはイカ墨粉を生地に練り込んでつくられた水餃子である。イタリアンパスタにイカ墨パスタがあり、それの餃子版なのかとも思われる。イタリアンにイカ墨があるならチャイニーズにもあっていいだろう、といった発想なのかはいざ知らず、イカ墨餃子に接見してしまっていたということなのだった。見るからに黒々としていているが、あまりイカ墨の匂いや味わいは伝わってはこない。これははたして良いことなのか? 或いは悪いことなのか? 今宵の今時点にては判断を保留してしまいたい。

イタリア料理店「GAMバル」の「八王子ナポリタン」

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地元のイタリア料理店にてナポリタンを食した。これが単なるナポリタンではなくて「八王子ナポリタン」という地元のB級グルメだった。じつは八王子という街にはナポリタンの専門店が数多く存在するということを、おいらは以前に知ったのではあった。そんな先入観もあり、地元散歩のかたわら立ち寄ったのが「GAMバル」というイタリア料理店であった。折り紙付きの地元密着型メニューなのだ。

同店のナポリタンには刻みタマネギが乗っていて、これが八王子ナポリタンの条件なのだった。フォークに口をつけて含ませてみると、あまりケチャップらしさ、トマトらしさは襲いかかってはこない。マイルドなミルキーなる味わいなのである。そう気づいて目を凝らしてよく観察してみると、乳化してミルキーな風貌に見とれていた。トッピングされた具材もナス、パプリカ、ジャガイモ、等々と豊かであり、味覚のハーモニーにも魅了された。

八王子の飲食店は近年来「八王子ナポリタン」の普及に力を注いでいるという。「八王子ラーメン」の特徴である刻みタマネギをナポリタンにトッピングするのが一つの決まり事。だがいろいろと其れ等のメニューは試行錯誤の跡を愉しむことが出来るのである。

■GAMバル
〒192-0065
東京都八王子市新町2-16 第四美山ビル1F
TEL 042-631-9045
http://xn--w8j2bxo6d6405b.com/

東京アートミュージアムで「池田龍雄展 -既知と未知と-」開催

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調布市仙川の「東京アートミュージアム」を訪問した。開催中の「池田龍雄展 -既知と未知と-」を鑑賞するためである。戦後のアバンギャルド芸術を牽引した画家の池田龍雄氏については以前よりその名前を見聞していたが、実際に作品群に触れた経験は記憶に無い。それだけ伝説的な存在であったと云えるだろう。今回の展覧会は規模としてはそう大きいものではないが、かねてからの願望が叶えられたという意味においても、貴重なイベントであった。

展覧会の「-既知と未知と-」というサブタイトルは、作品制作の時代が戦後間もない頃のものから極く最近のものにまで亘っているという意味が含まれている。「ドローイング」と銘打たれた1950年制作のスケッチは画家としての初期の息遣いが、遠い時間を超えて聞こえるようである。対してここ2~3年の作品群は基本的な作家のビジョンが大きく羽撃いている姿を彷彿とされる。そのボリューム感とともに圧倒されていたのだ。

■池田龍雄展 -既知と未知と-
2014/9/13~11/30(※開催日は木・金・土・日曜日のみ)
一般500円/大学生400円/小中学生300円

■東京アート・ミュージアム
東京都調布市仙川町1-25-1
TEL 03-3305-8686
http://www.tokyoartmuseum.com/

立川「餃子のさんくみ」の変わり餃子

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変わり餃子がこのところのマイブームとなったおいらである。立川にはいろいろと餃子専門店があるとの情報を得て向かったのは「餃子のさんくみ」。店名にまで餃子を差し込んでいるところなど、とても気合が入っていることが見て取れる。

同店には初の訪問となる今回はまず、「チーズ餃子」と「にんにく餃子」を注文。通常の倍くらいの時間をかけて焼き上げられたそれらは、見た目はオーソドックスな焼き餃子だが、ボリューム感と具材のオリジナリティに目をみはった。その幅は10センチ程度はありそうだ。箸を入れると皮がもっちりとしていて馴染みやすく具材の餡も素材感が満点だ。チーズ餃子のゴーダチーズはトロットして口の中にとろけて妙にまとわりついてくるのが心地よく、にんにくはピリッとした生の刺激と食感とを味わわせてくれた。

■餃子のさんくみ
東京都立川市曙町2-30-1 1F

平茸たっぷりのけんちん汁をつくったのだ

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秋の入り口に辿り着いたら「けんちん汁」が恋しくなっていたのである。御存知けんちん汁とは、鎌倉の建長寺が発祥とされる精進料理の中の汁物料理の一種である。建長寺の汁こと「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったといわれる説が有力である。元々けんちん汁とは、鎌倉建長寺のお坊さんによって考案された精進料理の一種とされている。肉類、魚類を用いるのはご法度と云う制限がある。普段はカツオ出汁を使うところだが、今回は昆布茶の元を出汁代わりにする。椎茸や根菜類から滲み出る天然の出汁で煮込まれるので、とても優しい味付けに仕上がったのだ。

此のメニューはと云えば、牛蒡、人参、蒟蒻、等々の根菜類を主体にして煮込み、醤油味で素朴に味付けをしているのが特長である。根菜類は夏を終えた秋からその存在感を増していくということもあり、秋季の料理の定番的な逸品なのである。人参、大根、牛蒡、等々の根菜類が自然と貯まっていくこの季節。冷蔵庫の中の椎茸、蒟蒻等を合わせて「けんちん汁」にしたのだった。

旬の平茸が手元にあったので、これをいっぱいに入れて煮込んでみたらとても福々しい味わいだったのであり、けんちん汁には平茸がよく似合うということをあらためて実感しているという次第なのである。

「秋鮭白子のバター焼き」に舌堤み

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秋の魚の鮭料理の中で、おいらが楽しみにしている筆頭であると云って良いかも知れないのが「秋鮭白子のバター焼き」である。まさに秋の鮭にのみ宿った希少部位を、バター料理のこくが気にならないくらいに、シンプルかつ鮮度よく味わえる。白子のポン酢もよいが、鮭の白子にはバター焼きが丁度良いのだ。

鮭の白子の部位が低脂肪高たんぱくであり、美肌効果も期待できると云うことから、女性の愛好者も多いと聞く。ともあれこの時期、居酒屋に立ち寄ったらこの鮭白子のメニューを探すべしなのである。

余談だが、最大の難点は「プリン体」が多いということで、通風もちのおいらにとっては鬼門的食材なのだが、それでもたまには口にしないとおさまらないものなのである。

宮部みゆきさん原作のTBSドラマ「ペテロの葬列」の最終回にがっかり


[終]「ペテロの葬列」 最終回 投稿者 neuTigerMask

昨晩はといえば、TBSドラマ「ペテロの葬列」の最終回が放映されていた。眠い目をこすりつつ最終回を視聴していたが、実に残念な結末にがっかりだったのである。

宮部みゆきさんによる原作小説が刊行されたのが昨年2013年12月のこと。まさに旬の作家の最新作が原作ということであり、おいらも少なからずの期待を抱きつつ、シリーズドラマを視聴していた。しかも同ドラマは、主人公こと杉村三郎が素人探偵としてミステリーを解決するシリーズの第2弾でもある。ドラマシリーズの前作「名もなき毒」では、ドラマ主人公に些少ならぬの感情移入していたこともあり、期待はかなり高かったのである。ところがシリーズを視聴していてどうもピンと来ない。ずっとずうっとそんな思いを抱きつつの最終回なのであった。

先ずは視終わって感じたのは、ストーリーの雑さである。物語の初段階では、昭和の時代の大きな詐欺事件絡みの展開があり、其れのミステリーを追及するものだったが、何時の間にやら詐欺事件のテーマは曖昧な「悪」として取り扱われ、「悪は伝染する」等と云った焦点を持たないテーマとなり拡散して、まるで収拾のつかないものとなっていた。漠然として曖昧な「悪意」に対するリアリティや感情移入は影を潜めていき、代わりに蔓延っていたのが、主人公・杉村三郎に対する腑甲斐の無さへの思いである。

杉村の腑甲斐の無さは、例えば本社から広報室に異動してきた井手正夫という人間に対する対応のいい加減さに現れている。よくあるエリートの落ちぶれた中間管理職としての井手の邪悪な振る舞いに対する不甲斐無さにはがっかり至極である。どうして主人公は井手の邪悪に対して真っ当に立ち向かうことをしなかったのか? この様な屑的人間には全霊をもって潰す覚悟と行為が必要であるのにドラマの主人公は何もしていない。くだらない下衆市民の邪悪に対して、流されるように受身に対応していた主人公に対する思い入れや感情移入は消え去っていた。

さらに残念だったのは、愛を誓って結婚したはずの妻に対する対応の拙さ、意気地の無さ、である。妻の1度の不倫に対して、まるで駄々を捏ねる青年のようにしか対応していなかったと、其のように受け取らざるを得なかった。どうして主人公はパートナーの裏切りに、其れを乗り越える解決の道を探ることがなかったのか? 疑問を通り越えてがっかり至極の後味ばかりが残されていた。もっと闘う主人公の生き様を期待していたおいらにとっては、同ドラマに対しての後味の悪さは、期待値が大きかったからこそのギャップではあるが、人間の邪悪な振る舞いに対する抵抗力を失った現代日本人の残念さを示しているのかもしれないのである。

季節は秋になり、秋秋刀魚が美味しい季節である。

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美味しい秋刀魚の塩焼きを食したのだった。季節は秋になり、秋秋刀魚が美味しい季節なのである。

秋の秋刀魚のレシピは多々あれども、やはり塩焼きには他は及ばないのだ。特に生のサンマに塩を振って炭火で焼き上げた秋刀魚の塩焼きは、此の季節に何度も味わうべきメニューであることを象徴している。美味い秋刀魚は秋の季節とともにあり、秋の季節は秋刀魚の塩焼きとともにある。

顔と目と鰓の部分を注意深く観察したところ、気が漲っているその様をイメージとして認識していた。旬と云うには未だ早いが、これこそがまさに「旬」の顔だろうと感じ取るのに充分なアピールを受け取らざるを得なかったと云うべきだろうか。そんな風に旬のサンマとは向かい合っていた。その目はまん丸でいて、これまた大海を泳ぎ続けてきた逞しさを感じ取らされるに充分な代物だったのである。

上州前橋発祥の「ソースカツ丼」を喰らう

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前橋市内の「なかや」という店にて「ソースカツ丼」を喰らった。上州前橋が発祥とされるその「ソースカツ丼」は、豚のヒレ肉を食べやすいくらいにカットしてから揚げたという絶品のカツを揚げ物にして絶品のソースにくぐらせてご飯の上に乗せて完成したという、とてつもなくシンプルでありかつ絶品的カツ丼にありつけていたのではある。

トントンの街の上州豚はそれほど自己主張をすることなくして地元民に受け入れられているのである。「ソースカツ丼」もB級グルメの一級品として評価すべきであり、此れもまた故郷の味の一つとして認定したくなったのではある。

■かつどん なかや
群馬県前橋市千代田町2-5-5
TEL 027-234-6152

鶏料理のニューウエイウ゛「鶏皮餃子」を食した

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変わり餃子をみるとついつい注文したくなってしまうおいらである。「鶏皮餃子」とはいかなるものなのか? と興味半分で注文したのが上の料理である。鶏の皮を餃子の皮に見立てて包んでおり、中身の餡は鶏挽き肉をベースにスパイス等で味付けされている。こんがりと焼かれて出てきたその餃子の皮はパリパリとしてこくがあり、食べ応えも充分。餡の鶏挽き肉からジワッと溢れ出た肉汁と相まって、独特の鶏料理の一品となっている。

たまに「手羽餃子」という料理を見かけるがよく見たところこれとは違う代物である。手羽餃子はある種ポピュラーなメニューになりつつあるが、おいらはこれが中々合点がいかぬ、邪道的メニューとして捉えているところなのだ。鶏皮餃子の照りの利いた鶏皮の食感は、コラーゲン的潤いを彷彿とさせる味わいなのであり、軽く噛み切れるほどの弾力がナイスである。

土鍋で炊いた「平茸栗ご飯」で一献

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土鍋で「平茸栗ご飯」をつくった。冷蔵庫に残っていた平茸と栗とを合わせて炊き込みにした秋のご飯だ。土鍋の蓋から上がる蒸気が溢れると、ほかほかとした甘い香りが部屋中に漂っていく。水蒸気が吹き上がらなくなるころからがほんのりおこげご飯が出来ていく過程なのであり、耳を鍋に近づけて、しっかりと炊き上がりを確かめていく。火を止めてそのまま15分程度蒸したら出来上がり。

日本人でありながらこのところご飯食が減っていると自覚しているおいらである。ご飯が足りないのは日本の食文化の基本を蔑ろにすることと近しいのであり、そんな思いから炊き込みご飯作りに勤しんだという訳なのである。土鍋ご飯専用の土鍋に具材を投入し、薄めの出汁と醤油と味醂で味付け。平茸きのこはまるごとを投入していた。これで充分な味わいに仕上がったのだ。久しぶりの「平茸炊き込みご飯」がすこぶる美味かったのである。

秋の炊き込みご飯で云えば平茸のものがおいらにとっては一番である。

蓮根が上手い季節の「蓮根ハンバーグ」なのだ

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蓮根が上手い季節となった。蓮根を見てつくりたくなるのが「蓮根ハンバーグ」である。蓮根をすりおろして熱を加えると、独特の蓮根らしい食感が生まれる。これが何よりも蓮根が生み出す味覚のポイントである。まずは蓮根をおろし、それを手で丁寧にこねてハンバーグの生地をつくる。蓮根だけでは水っぽくて生地としてまとまらないので、山芋などをつなぎとして加えていく。蓮根と山芋をすっておろしてフライパンで熱を加えて焼いた風味は、しゃきしゃき、もちもちっとして口内にまとわり絡み付くような独特の風味、味わいである。

インターネットで検索するとこの「蓮根ハンバーグ」の具として豚、鶏等の肉類を使用しているのだが、これでは蓮根ハンバーグを十全に味わうことなどできない。この風味と食感を味わうことが蓮根ハンバーグづくりの最大の愉しみなのであり、夾雑物は少なければ少ないほど蓮根ハンバーグの真髄が味わえるのだから、レシピもシンプルに行きたいのだ。合わせるソースは和風のものであるが、その具材には、ニラ、エノキ茸、そして豆苗を使用するのが近頃の定番。和風の出汁やとろみにもよく馴染むのでお勧めなのだ。

肉類を一切使わずに、ほくほくとして味わい深い一品が誕生する。実はこれこそ、マクロビオティックの思想に適っているのだ。久々に食したマクロビオティック流「蓮根ハンバーグ」は、胃に染みてホクホクとした食感を味わうことが出来たのであった。

長かった夏を惜しみつつ「シャリキンホッピー」で一献

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今年の夏は長くて暑さ厳しい、猛暑と云ってもよい夏であった。たまに暑さをしのぐのはかき氷ならぬシャリキンの氷を使ったホッピー。すなわち「シャリキンホッピー」なのである。長かった今年の夏を惜しむかのように、シャリキンホッピーを味わっていた。シャキシャキのカキ氷の中身はといえば全くの焼酎であり、焼酎のカキ氷かきごおりというのが正確な表現である。

稀なるシャリキンホッピーに口をつけると、まず初めには苦味走ったホッピーのほろ苦さが咽をくすぐる。そしてその後に襲ってくるのが、キンミヤ焼酎のキーンと来る刺激なのだ。カキ氷の姿と化したキンミヤ焼酎はグラスの表にぷかぷかと浮かんでいて、口をつけたおいらの唇、舌面、咽越しに、ピリリと刺激を与えていく。ぷかぷか浮かんでいるキンミヤ焼酎カキ氷のアルコール度は結構高いのである。心地よい刺激である。これこそホッピー文化が育んだ呑兵衛にとっての理想郷に近いものがある。

二枚貝料理の代表格「ハマグリの酒蒸し」を食する

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行き付けの酒屋で「ハマグリの酒蒸し」を食したのだった。ハマグリは二枚貝の中では大きな部類であり、アサリに比べて食べ応え、噛み応えも大きなものがある。しっかりした味覚もあり、食べ応えの満足感もまた大きなものである。

ハマグリ料理には、吸い物、鍋の具材、等々と様々な活用法があるが、とてもシンプルで味わい深いのが「ハマグリの酒蒸し」である。他にバター蒸しという料理があり、調味料としてのバターがハマグリ料理に独特のコクを与えている。酒蒸しのほうがよりハマグリのシンプルな味を味覚できるのだからこちらのほうかラッキーだろう。栄養的にはビタミンB2を比較的多く含むので、動物的タンパク質ともあいまって、身体に優しい味わいに満たされるのである。

「アジの塩焼き」に舌堤なのだ

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青魚の代表的な鯵(アジ)の塩焼きを食した。アジという魚は我が国ではほぼ一年中出回っているが、今の季節はより脂が乗って、特に美味を感じることがしばしばである。戻りガツオならぬ「戻りアジ」とも呼びたいくらいにその身は活き活きとして食欲を刺激する。

イワシとともに青魚の代表種であり、此の青魚がもつEPA、DHAという必須栄養素の摂取のためにも定期的に採り入れるべき食材なのだ。血液サラサラにする栄養素としてEPA、DHAへの関心は高まっており、この栄養素を摂取するのに生のアジこそがもってこいなのである。日本で食される青魚の代表でもあるのが鯵(あじ)である。「あじ」という名の由来は一説によれば「味が良い」からだとされている。たしかに魚の特有なこくが程よくのっている、美味な魚の典型ではある。鯵の干物にしても、また鯵の丸干しにしても、魚の脂が程よく染みていて、美味しさが一段と増すのだ。身近すぎることからあまり気付かなかったが、この鯵の恵みをこれまでどれだけ享受してきたことだろうか。

萩原朔太郎先生も好んだというカレー専門「ポンチ」の「オムレツカレー」を味わった

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上州国の前橋にはカレーの名店と云われる店舗が数店舗存在しており、そんな中でも旧市街地に在る専門店の「ポンチ」のカレーは、特別なる懐かしい思いに囚われてしまうのだ。
同店ではあまり食べた記憶が無い「オムレツカレー」を食したのだが、流石に懐かしい。今は亡きかつての前橋出身の詩人こと萩原朔太郎先生もかつてはこのポンチのカレーを好んで食していたということなのであり、おいらもそんな郷土の巨匠のエピソードに接して余計に味わい深く感じていたのだった。本日は何が其の要素だろうかと考えていたのだが、上州人はもちろんのこと日本人にとっての懐かしい日本のカレーが受け継がれていると云うことなのであろう。今回はおおよそ半年ぶりの来店だったが、やはり懐かしい思いは格別であった。

■レストラン ポンチ
群馬県前橋市千代田町3-3-18
027-231-2333

上州水上町の「おっきりこみ」はとても懐かしい味だった

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遅い夏休みをとって上州水上町を訪れた。JR水上駅を降り立ってすぐの前には「いわなの天ぷら」をはじめとしたいわな料理の看板があっ! と目を引く。店内を覗くと飄々とした店主らしき小父さんから「おっきりこみが美味いよ」との掛け声がかかる。いわなはおろかまだ食物にはありつけなかったのだ。気を取り直して駅から水上温泉街を散策していた。おいらが少年の頃の一時期には相当栄えた歓楽街であったが、今では其のような面影は、昔式の射的場などに微かに残すのみであり、寂れた温泉街の様相を呈している。食堂と云える店舗はラーメン店、うどん店、等々に行き違っていたが、何だか食欲が沸かないままに、温泉街を一周していたのであり、昼時には駅前の気になる店舗に舞い戻っていた。

店暖簾を潜ると本日二度目となる店主からは「おっきりこみが美味いから是非食べていって」と、いきなりのアッピール。おっきりこみ♪ のフレーズには弱いおいらは、いわなの前に上州郷土の名物「おっきりこみ」をいただくことにした。鉄鍋で煮込まれて出てきた其のおっきりこみの料理とは、ごん太い平麺のうどんがベースで、葱、南瓜、大根、牛蒡、きのこ、蒟蒻、等々の野菜類に加えて上州豚の出汁が効いた甘目の醤油味スープとも相まって、とても懐かしい味なのだ。夫々の食材が素朴に主張しており、ボリューム感も満点の味わい。似た料理に山梨の「ほうとう」があるが、上州の「おっきりこみ」の方がより素朴な郷土食だと云って良いのである。ちなみに同店の看板に在った「いわな」については、この時季は川が暑くて釣ったらすぐに死んでしまうとのことで、いわなのメニューはお休みしているとのこと。またいつか夏以外の季節に水上辺りに旅したら、いわなが食べたいという、一寸ほろ苦い思い出を温めていた。

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八王子「一平」の「自家製厚揚げ」で一献

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厚揚げとはどこのスーパーにも置いてある日常的大衆メニューであり、取り立てて騒ぐこともないのは重々承知なのではある。だがしかし、この自家製厚揚げは特別なものなのだ。八王子の大衆居酒屋「酒蔵一平」では「自家製厚揚げ」というメニューが人気だ。外はカリカリでいて中身はジューシーな絹漉し豆腐の温かく旨い食感が舌を刺激する。群馬の田舎では、厚揚げのことを「生揚げ」と呼んでいる。生のままの絹漉し豆腐をそのまま油に潜らせる。10数分を経て揚がり上がったほくほくのものを、葱、生姜、鰹節をのせ醤油を掛けていただく。まさしくほっかほっかの豆腐の旨みに加えてカリカリとした殻の食感がたまらない旨さのハーモニーを醸し出すのである。

■酒蔵一平
東京都八王子市東町11-5