「オータムポエム辛子和え」が美味い

autumnpoem01某居酒屋でのある日の会話にて…。
「ねえ、お姉さん、オータムポエムって何だい?」(初老の一見客)
「それは菜の花みたいな野菜のことですよ」(アルバイト1年めの女子学生)
「違うちがうよ! 菜の花とは違うんだよぅ!」(ベテラン女将)
「はっはっはっはっはっ…」(常連客達)

近頃になって度々目にする野菜に「オータムポエム」がある。一寸見は菜の花に似ており、菜の花と同じく食用になる。黄色く愛くるしい花を咲かせ、花弁が食用になる。だが菜の花との最大の違いはこの時季こと秋になって収穫を迎えるということだ。菜の花に比べて苦味が弱くて円やかな風味が特徴。そして品種も、アブラナ科アブラナ属とされており、アスパラガスの親戚だということで、菜の花とは異なっている。

そんなオータムポエムを辛子和えの料理で食したのだった。菜の花の辛子和えにも似ているが、やはり円やかで優しい食感が嬉しい。ピリリとくる辛子の刺激もまた良い按配である。

寒い日には「刀削担々麺」の辛味が欲しくなる

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大きく硬い小麦粉の生地を、くの字型に曲がった特別な包丁を用いて削り落として作られるのが刀削麺。八王子にもこの刀削麺を提供する中華料理店が少なくない。太く厚みのある麺は歯応えもよく、独特の触感が生まれるのであり、細麺中華とはまるで別種の料理と云えるだろう。もともとは中国山西省が発祥の麺とされ、辛味の効いた担々スープとの相性がとても良い。寒くなった昨今では身体の中からの発汗を求めて口にすることが少なくない。「刀削担々麺」の辛味が欲しくなるのである。

「マテ貝」の珍味度

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マテ貝のバター焼きを食した。そもそもマテ貝の形状が異様であり、珍味的味わいの一品ではあった。体長は10cm前後の、棒状の二枚貝。貝を開くと幾つもの関節を有した長筒状の、まるでタケノコの身にも似た独特の身が現れる。その代表的な産地は九州長崎県の五島列島界隈であるという。マテ貝固有の巣窟が、砂浜の各地に存在するのだといい、そんな特別の巣窟を見つけ出して捕獲するのが地元漁師の技となる。

こんなに特別なる個性的なマテ貝なのだが、其の味わいと云えば、癖のない二枚貝的なのであって、バター焼きの調理法にも全く違和感がない。むしろバター焼きには好相性な食材なのだった。

今年の「ボジョレ・ヌーボー」の行末

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本日「ボジョレ・ヌーボー」が解禁直ぐの日だということで、地元のスーパーにも特設コナーが設けられていた。毎年のことではあり購入して、一献かたむけていたという訳ではある。今年のフランスのヌーボー事情は、天候的陽溜りも良くて最高の年にも匹敵する出来栄えであるということであり、早速的に飲み干してしまっていたのだった。いつものワインに比較してフルーティーで新鮮であることはもちろん、イベント的な効果も手伝って、酔い心地もひとしおなのではあった。

「銀杏炊き込みご飯」に舌鼓

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台所の奥に眠っていた土鍋ご飯器材を引っ張り出して、炊き込みご飯作りに没頭したのだ。今回の主素材に選んだのは銀杏である。銀杏とはそもそもイチョウ木から育てられた果実のことである。イチョウの木が黄色く輝く季節も間近である。都内での実が熟するには少々時が早いはずなのだが、銀杏もどこかで静かに実を蓄えている。これから秋全開の実りの季節が非常に待ち遠しいとも思えるのだ。

ところで旬の食材であるぎんなんについてはよく、匂いと苦いのが気になるという意見がある。ネット上のコメントにも、そんな発言が散見される。苦いというより「エグイ」と云うのが真っ当なる表現だと思うのだが、そんなエグミこそは銀杏の持ち味、個性ではあり、個性を開花させるべき銀杏料理には注目度満点なのである。炊き込みご飯の中で存在感のある銀杏の実は、程よく円やかに調理されていて、秋の味覚を味わうに充分であった。

寒い季節のブリは「ブリの照り焼き」が美味い

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ブリ料理と云えば、ブリ刺し、ブリのアラ煮、ブリ大根、等々の豊富なメニューが挙げられるが、忘れてならないのが「ブリの照り焼き」。冬に近づくにつれ日本海のブリには脂がのって旨さを増していく。

寒い季節にはいっそうに脂が乗って旨味を増すブリは、照り焼きの材料としてはこれ以上ないくらいなのだ。甘過ぎるくらいの濃い目の味付けも、ブリ照り焼きならば納得である。食べる途中に箸を置いて眺めると、黒光りするブリの存在感に目を奪われていた。煮詰めた照り焼きのタレは黒々として照りを表現しているかのようだ。

照り焼きとは、醤油に砂糖や味醂等の甘み成分を加えたタレを塗りながら艶を出して焼き上げる調理法也。オーブン等で上からじっくりと時間をかけて焼く調理法が一般的である。照り焼きの調味料はつやを出しあたかも照りを生むかのごとくであることから照り焼きというネーミングが生まれた。そもそも照り焼きという調理法自体がブリの為にあるくらいにベストマッチングなのだから外せないのだ。

「川海老唐揚げ」がもっと浸透することを希望する

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川海老を素揚げにして提供されるのが「川海老唐揚げ」。酒の肴としては一級品であり、おいらも時々口にしている定番メニューの一つである。天然のカルシウムが味わえる美味なる酒の逸品的つまみである。

其の文字のごとくに川海老とは川で棲息する海老の事を示している。だが日本の食卓にはこれまではあまり登場しない食材であった。ちなみに、川にて棲息する海老のことを「スジ海老」と呼ぶところもあるようなので要チェックである。その姿形がとても小さいという存在感からか、主にはシンプルな唐揚げにして食される。油で揚げることにより海老の殻が柔らかい食感で提供されているのだ。そもそも海老の殻は天然のグルコサミンが豊富であり、高齢者たちのグルコサミン不足を補ってあまりあるくらいの代物なのである。川海老ここにあり、というくらいに希少な食材なのである。

「鳥の水炊き」は鶏の旨さが凝縮されている

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鳥の水炊きの鍋料理を味わった。鶏の色々な部位を素材具材にして水から炊き込むということから「水炊き」という名称が備わったという、数多ある鍋料理の中でも特筆されるメニューではある。

新鮮なる鶏の部位を水から炊いていくことには特別な法則が存在するに相違ない。おいらも以前からそんな特別な法則を理解すべきと努力を重ねていたのではあった。やはり水から炊かれた鶏の身は、特別なものではある。

水からじっくりと時間をかけて炊き上げられた鶏のスープは、鶏肉由来のコラーゲンが豊富にあり、其のスープだけでも馥郁たる味わいであり、しかも鶏肉の身を炊き込むことでより一層の鶏料理の奥深さを感じ取るのに充分ではある。

寒い季節の到来を感じさせる「白子ポン酢」

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寒い季節の到来を感じさせる白子のポン酢あえを食した。白子とは主に鱈(タラ)の精巣がその身の食材である。ポン酢でしめたこのポン酢和えが一般的な料理ではある。近頃では鍋料理にもこの白子が使われるというが、勿体ないことこの上なく、やはり白子はポン酢に限るのである。つるつるっとした食感に、奥深いほんのりとした甘さと旨み。たんぱく質が豊かであり、ビタミンDやビタミンB12といった成分も豊富な食材である。たんぱく質が豊かであり、疲労回復の為の成分も豊富な食材である。最大の 難点は「プリン体」が多いということで、通風もちのおいらにとっては鬼門的食材なのだが、それでもたまには口にしないとおさまらない。年間に数回くらいは良いだろうと口にしたのだが、有り難くもあり危険 でもある、扱いが難しいことこのうえないのである。

マグロの握りの美味に天晴

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マグロの握りの美味に天晴だった。先日はおいらもビジター達との交流館に訪れていたのだが、おいらの語学力では正しい言葉の遣り取りは中々難しいものがあった。マグロの握りというメニューは、国際的なベイシックであり、カウンターの板前の上に置かれただけでも此等のメニューは格別な思いにもって置かれたとも云うべきであるる。

「江戸東京たてもの園」で「ジブリの立体建造物展」に遭遇

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小金井市の「江戸東京たてもの園」を久しぶりに訪れた。「江戸東京たてもの園」には数回訪れていた。ちょうど此処では「ジブリの立体建物展」という企画展が開催されていたので、それを見ることも一つの目的だった。

ジブリの人気は相変わらずに高いとみえて、大勢の20~30代の若者達の姿が会場に集っていた。ジブリ映画に特別の関心や思い入れがないおいらではあるが、若いアニメファン達と同じ場所にて立っているだけでも様々な触発を受けるに充分ではある。先ずは彼ら、彼女らの眼差しの多くが、セル画に集中しており、ひとえにアニメファンならではの光景の一つである。然しながらおいらはそれら以上に、所謂エスキースの鉛筆画等々の下書きのスケッチに興味を注がざるを得なかった。それら設計図としての下書きスケッチ達の中にこそ、ジブリの監督たちの発想の原点が凝縮されていると思えたからであった。

最も興味を唆られたのが「油屋」という建物の図である。「千と千尋の神隠し」の物語の舞台となった、架空の宿泊施設であり、群馬県四万温泉の「積善館」がモデルとなったとされている。積善館についてはおいらも少し前に宿泊したこともあり、日本最古の湯宿建築としての評価が高まっている。其の建築物の古色蒼然として角の立った粋な佇まいといい、其の場所としてのつぼ的シチュエーションといい、其れ等に稀有な存在感を漂わせる図に対する思いも強く感じ取ることができたのだ。

■江戸東京たてもの園
〒184-0005
東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
042-388-3300(代表)
http://tatemonoen.jp/

たっぷり野菜の餡掛けが乗った「サンマー麺」

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地元の中華専門店で「サンマー麺」を食した。この料理は別にサンマが乗っているわけでなく、漢字では「生碼麺」或いは「生馬麺」と表記する。生きのよい具材(碼)の餡掛けが乗っていることがその由来だとされている。大量のモヤシ、玉ねぎ、ニラ、キクラゲ、等々の新鮮野菜が醤油味のとろみ餡掛けに溶け込んで、喉にも胃袋にも優しい味わいなのである。一般的に野菜が用いられる中華としては、タンメン、広東麺などがポピュラーだが、それら以上にこのサンマー麺の味付けがおいらは好きなのだ。

「炒り銀杏」で秋の味覚を味わう

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秋の代表的な味覚の一つが銀杏である。おいらが住む地域にもイチョウの並木がその葉を黄色く染めており、黄色いイチョウからは秋の味覚の銀杏が産出されているのであり、すなわち黄色いイチョウの葉を眺めれば銀杏の秋の味覚を思うのである。イチョウと云えば今のこの時季に銀杏の実が結実するという特別な樹木なのである。

旬の食材であるぎんなんについてはよく、匂いと苦いのが気になるという意見がある。ネット上のコメントにも、そんな発言が散見される。苦いというより「エグイ」と云うのが真っ当なる表現だと思うのだが、そんなエグミこそは銀杏の持ち味、個性ではあり、個性を開花させるべき銀杏料理には注目度満点なのである。とは云っても銀杏のエグミをもっとも十全に味わうには、おそらくは「炒り銀杏」を凌駕するものは無いのであろう。炒るという調理法がピタッと嵌る料理は「炒り銀杏」以外に示すことが出来かねるのである。

「タラ鍋」は主役級の美味なり

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冬が近づけば鍋が恋しい。今年も色々な鍋に接する機会が増えてきたような気がする昨今であるが、本日は「タラ鍋」というメニューにありついたのだった。

一昔前のおいらの食生活では、タラという食材は、世間一般的には「湯豆腐」の添え的助演的役割が期待されている。つまりはそれが主役の料理にはなかなか成り得なかったのである。それがいつの間にかタラが主役の鍋料理が目の前に出てきたのだから少々の驚きだったのである。

食したタラの鍋は味噌ベースのスープだった。あまり馴染みが無かった味噌スープとタラの取り合わせは、意外ながらに相性良し。それまでは脇役だったタラが主役級に格上げされるというイメージさながらの出会いであった。

何の面白み、メリットの無い「グノシー」を最短削除

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昨今、TVCM等では盛んに宣伝されている「グノシー」アプリを先日はついついの出来心でインストールしたのだが、本日は最短で削除した。数日使ってみて、何の面白味もメリットも無かったからというシンプルな理由からの行動ではある。どこらからか引用してきたニュースネタが網羅されているが、それらの切り口は極めて恣意的であり、ジャーナリズムのスピリットの欠片も見て取ることは出来ない。寄せ集めの情報の中から極めて恣意的かつ侵略的だ。様々な個人情報にアクセスしようとする。望んでもいないのに、facebook、Twitter等のアカウントと連携させようとするのはそんな侵略的意図の現れではある。さらに加えて本日は毎度のことながら故郷に帰省していて普段よりも我がスマートフォンの電池の消耗が激しいのに気付いていた。朝、昼、夕、晩、と望んでもいない更新情報を送りつけてくるグノシーアプリの影響であることは明らかであった。そんなことからおいらのスマートフォン人生では最短のアプリ削除となっていたのであった。

変わり餃子系「棒餃子」に出会ったのだ

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変わり餃子を見かけるとついつい食べたくなってしまう近頃のおいらである。中華料理店で一献やろうとしていて「棒餃子」なるメニューを見かけてつい注文してしまったのが、上の写真。その名の通り、大き目の餃子の皮を使って棒状に包むのが棒餃子。

皮の包み方は春巻きに近く、そもそも中国ではこの料理を餃子とは呼ばずに、鉄鍋餃子などと称されるという。日本でも「鉄鍋餃子」はしばしば見かけるメニューである。

中のあんがはみ出ないくらいにしっかりと包むので、肉汁がたっぷりと味わえる。特に最初の一口目にガツンとして餡の味が染み渡ってきたのだった。

「ギアラ(第4胃)」の歯応えは特筆されるのだ

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地元の焼肉店にて久しぶりに「ギアラ」を食した。牛の第4胃部位である。別名「赤センマイ」「アカセン」とも呼ばれ、コリコリとして歯応えがあるのが特徴である。噛み応えも抜群なるギアラは、例えてみれば、脂の乗ったスルメイカが素材とされる特別なスルメにも匹敵されるべきものではある。

そもそも牛という哺乳類は、4つの胃袋を持っている。「ミノ(第1胃)」、「ハチノス(第2胃)」、「センマイ(第3胃)」、「ギアラ(第4胃)」の4つである。草を主食とする草食動物でありながら、このような独立した胃袋を持つということは即ち、人知が及ばぬ自然の叡智が働いている一つの実例であると考えられる。生命を維持する機能の細分化については、人間が他の生物をおいて断トツだ等という説は、説得力を持たない俗説の一つとして取り扱われるべきである。それはさておき、4つの胃袋の中では「ハチノス(第2胃)」、「センマイ(第3胃)」の2つがモツ焼き屋の人気メニューとなっているのは、それらの独特の見た目、派手なルッキングのパフォーマンスによっていると常々考えていたところだ。それに引き換え「ミノ(第1胃)」、「ハチノス(第2胃)」の2つは、胃袋としての重要な機能を担っているのであり、ある種の地味なこの2つの胃袋が有する機能とともにその味わいもまた特筆されるのだ。「ミノ(第1胃)」はピチピチの歯応え抜群であり、「ギアラ(第4胃)」の方は見た目は悪いが奥深い味わいが楽しめる。新旧世代のある種の特徴が、この食材についても云えるのかも知れない。

秋からの寒い季節に「カキフライ」が美味しくなる

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秋からの冬期になって、牡蠣が恋しくなる。今宵は「カキフライ」を口にして、やはり旬の時期ならではの美味に酔い痴れていた。おいらはあまり揚げ物が好物ではなく、特にフライものはほとんど望んで口にすることはない。だがこの季節のカキフライは別格なのである。この冬の時期の牡蠣は「マガキ」という種類が流通している。粒は大降りであり、磯の香りの風味も満点。衣に包まれた瑞々しい牡蠣の身が目に触れて、箸を付ける瞬間はとてもドキドキとときめかせてくれる。そして口に含んだときの牡蠣の味わいは鮮烈であり、期待を裏切ることもない。

旬のカキフライはこの時期ならではのものなのである。たっぷり分厚い衣の間から身を見せる牡蠣の仕草は、ブクッとしていて肉厚である。さらには濃厚な牡蠣本来の香りを漂わせている。子供の頃からカキフライは秋冬の季節料理の定番となっていたのであり、洋食はあまり好きではないおいらがこの時期こそと競って食べ歩いていたという逸品のメニューではある。これは最早洋食の範疇を超えて日本食の一つとしての地歩を築いたと云えるのではないか。

八王子の個性派「壱発ラーメン」を食した

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久しぶりに「壱発ラーメン」に赴いてラーメンを食した。同店は八王子市内の、所謂「八王子ラーメン」の範疇に入らない独特のラーメンを提供している有名店である。

そのスープは白濁するくらいに煮込まれた背脂醤油スープ。見た目はこってりしつこそうだが、口にしたそのスープはまろやかであり、個性的な味わいなのだ。麺は中太の麺でスープとの絡みもよろしく基本的なラーメンの条件を満たしている。基本の醤油ラーメンでも、たっぷりの自家製チャーシューに加えて、若布、海苔、メンマがたっぷり。食べ応えも満喫できる。残念なのは塩気が強くて食後の胃袋には些かきつかったことである。

ちなみに同店の一押しのメニューは「ねぎとろチャーシューメン」である。味付けされた白髪ねぎととろろ芋、そして丼を覆い尽くすくらいのチャーシューがトッピングされているものだ。店内に入る客に一々声を掛けては、「お勧めはねぎとろチャーシューメンです。迷った人はこれをご注文ください…」等々の声を掛けて促すのだが、数回聞かされた客にとっては、個人的な感想ではあるが、些か鬱陶しいのだ。それでも常連客で賑わっているところを見ると、客もそんな煩い掛け声を容認しているのだろう。

■壱発ラーメン八王子店
東京都八王子市万町19-1
042-626-9948
http://ippatsu.co.jp/

「タコの活刺身」はタウリン豊富な秋の名物

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通常はタコの刺身といえばボイルされて赤くなったものだが、ボイルせずに提供されるタコの刺身が、活刺身という。もともとタコには抗酸化成分としてのタウリンが豊富なのであり、成人病予防のための必須の食材の一つである。タウリン成分は疲労回復のための成分として、様々なサプリメントにも活用されている。もともとタコから抽出される成分であるからタコの刺身から摂取するのに越したことは無いのだ

タコの活刺身というものはといえば、通常的に食べている茹でダコの食感に比べて格段に、コリコリとした食感がとても食欲なりをそそぐのである。

タコは食材として、様々に加工されるべき可能性の凝縮した存在である。だからと云って茹でたものを「刺身」と称する商法は少々問題であろうと思うのである。