「イカ焼き」は一夜干しが美味い

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イカの焼き料理は多種類があれども、普通のイカの焼き物はと云えば、一夜干しを焼いたものが美味いのである。殊に東京の居酒屋で喰らうイカ焼きは、生イカよりも一夜干しのイカに限ると云ってよい。生よりも、あるいは相当日干しされたスルメイカの類よりも、一層のイカの味覚が凝縮されるのが、一夜干しイカの焼きメニューなのである。

ところで日本人は世界一「イカ(烏賊とも書く)」を食べる国民であると聞いて誰も驚かないが、日本の魚介類の中で「いか」が一番食べられていると云われたならば、多少意外な感じがしないであろうか? マグロやアジやカツオといった魚類は、料理店やスーパーマーケットの鮮魚棚には大量に並べられ、日本人の口から胃袋へと運ばれているのだが、イカの多くはスーパー、料理屋、魚屋で売られる以上に、コンビに等で売られている「スルメ」「サキイカ」「イカ軟骨」等の加工品、酒のつまみとなって日本人の胃袋に運ばれているものとなっている。コンビニで目にする加工品とは少々違い、グルメに好まれる酒のつまみが「イカの一夜干し」である。八戸や房総や北海道の産地にて取れたイカを、その土地で一夜干しにされるものが大変美味なのである。生で焼いたイカの場合は少々独特なえぐみがあるのだが、それが取れてしかもしっとり柔らかなる豊穣な味わいは、まさに「イカの一夜干し」ならではのものである。タウリン、亜鉛等の必須成分を多く含み、EPA、DHAという血栓予防の栄養素を有しているから、もっと注目されて良い食材である。

世田谷美術館の「難波田史男の世界」展に圧倒された

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現在、世田谷美術館では「難波田史男の世界 イメージの冒険」という企画展が開催されている。

■世田谷美術館
東京都世田谷区砧公園1-2
TEL 03-3415-6011
月曜日および年末年始は休館

■難波田史男の世界 イメージの冒険
2014年12月6日~2015年2月8日

難波田史男という美術作家に強い関心を持ったのはつい最近のこと、桐生の「大川美術館」で彼の作品に接したことがきっかけだった。難波田龍起という抽象美術家の次男として育ち、32歳で不慮の事故に依り早世したという境遇とともに、何よりもそのペン画の自由闊達さ、固定観念に縛られないイメージの飛翔感、そして生涯に残した膨大な作品量、等々に魅了されたのである。

今回の特別展を観てまわり、その思いは一層強まった。特に彼の20代前半の作品群、「モグラの道(11点組)」「イワンの馬鹿(12点組)」「サン・メリーの音楽師(7点組)」には圧倒される思いがした。

久しぶりの「ヒラメの刺身」に舌鼓

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「左ヒラメに右カレイ」の修飾語で有名なヒラメの刺身を味わった。透明な白身の中には、白く繊維質の紋様が現れているのだが、其の独特の触感はまさしくこの繊維質に依るものである。

数ある白身魚の中で、繊細で蛋白で奥深い味わいが特徴的な高級魚であり、刺身で味わうにはもってこいの魚であり、おいらも久しぶりに口にしていた。

このヒラメの旬はと云えばこれからの冬季なのであり、冬の季節の到来の味わいなのではあった。

「根菜の生姜味噌煮込み」でほっこり

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冬の野菜と云えば、大根、山芋、南瓜、そしてほかほか食材の生姜と云った根野菜が旬であり美味しいのである。そんな冬の根野菜をたっぷり使って「根菜の生姜味噌煮込み」をつくったのだ。冬季の季節料理と云えばこの冬野菜根菜をふんだんに使った「根菜の生姜味噌煮込み」にとどめを刺すのだと云ってよいくらいなのである。根野菜に加えて椎茸、ホウレン草という冬野菜が味の奥深さを醸し出している。冬の根菜類をじっくりと煮込んだ根菜の煮付けは、まさに寒い冬の身体を芯の中から温めてくれる料理、冬の定番的常備食となっている。大降りにカットして煮込んだ人参の味わいが滋味豊かに味覚を潤している。少々多めに作っておき、後で蕎麦のタレ汁にすればまた2度美味しいのだ。これから我家の常食のひとつになっていくだろう。

シクラメンは、其の香りより独特の花弁の表情に惹かれる

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花屋の前を通る度にシクラメンの鉢植えをよく見かける。高校生の頃にはよくこの鉢植えを買い求め、油彩画のモチーフにしたものである。石膏デッサン、人体デッサン等と共にこうしたポピュラーな静物の素材は、写実的描写力を培うのに格好のアイテムであった。何年ぶりかでシクラメンを購入したのだ。この花弁は独特な形態をしている。一見チューリップの花弁の様でもあるがボリューム感はほとんど無く、目を近づければ蝶の羽根の様でもあるが、規則性もまるで無い。つまりシクラメンをシクラメンらしく描くことは結構なコツを必要とする。ボリューム感だけを強調すればそれはシクラメンとは云えない。とたんに別種の代物になってしまうのだ。ところで、失恋を歌った有名な曲に「シクラメンのかほり」がある。云うまでも無いが1975年に布施明が歌ってヒット、その年のレコード大賞を受賞した曲である。布施の甘い歌声が世の中の特にギャル層に浸透し、当時のTV、ラジオで流れない日は無いというほど、毎日のように聞かされていたことを回想する。曲のヒットに連れて、世間一般からは「“かほり”ではなく“かをり”だろう」という疑問の声が沸き上がる。歴史的仮名遣によればどうしてもおかしいのだが、小椋佳の妻の名前が「佳穂里(かほり)」ということから、正しいものとしている。詩の内容が失恋のものなのに妻の名を出すこと自体、矛盾だ。さらに指摘されたのが、「シクラメンには香りと呼ぶものが発せられない」ということだった。こちらの方も妻の名前で誤魔化されたという印象が拭えない。まあいちいち目くじら立てる問題ではないが、歌謡史の中でも特異な事例として記憶に刻まれている。時々マスコミ媒体では、フォークの名曲だとして紹介、解説がされるが、誤りである。曲の提供者が小椋佳であることがその理由のようだが、本人や周りの取り巻きの思い込みはともかく、日本のフォークミュージシャン、アーティストのほとんどは、小椋佳がフォークシンガーであることを認めていない。現にフォーク解説の第一人者ことなぎら健壱の「日本フォーク私的大全」では、小椋佳の名前さえ取り上げられていない。メディア等の産業と結託した商業レーベルの曲には、フォークの魂が宿っていることなどは無いのである。

出世魚のブリを「ブリ大根」で味わう

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出世魚の代表ことブリは冬が旬だ。今年もブリがうまい季節になった。冬のブリのうまみを、これまた最大限に生かした料理は「ブリ大根」ということになる。

旬の魚のブリと冬の大根とのベストマッチが冬季の定番メニューとして定着している。新鮮な日本海のブリと大根が在れば、そう難しい調理をすることなく旬の定番メニューが出来上がるのである。今宵はそんな新鮮な日本海ブリの頭と切り身と大根がゲット出来たので、久しぶりに我が家でも「ブリ大根」を調理することとなっていた。

「ブリ大根」の基本とは、大きくカットした大根にブリの旨味を吸わせて味わうということになる。大根は大きくカットせねばならないのであり、薄切り などにされた大根では此の味わいは体験出来ないのである。そしてそれなりの調理時間を必要とされる。大根の煮時間も20分は下ることがなく、決して簡単レ シピではあり得ない。そんなこんなの条件を満たしつつ「ブリ大根」を調理。新鮮なブリの切り身を用意した以外は、取りたてての調理法を使った訳ではなかったのだが、程よいブリのあまさがおいらの喉を唸らせるに充分なる出来前ではあった。冬季の酒のつまみ的料理として、これ以上の 奥深い味は無いものだと実感させるに充分である。

立川で珍しい「馬モツ煮込み」に遭遇

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立川で買い物をした帰り道に立ち寄った居酒屋「でん助」で、珍しい馬のモツの煮込み料理を味わったのだった。以前から立川には「でん助」という美味くて安い居酒屋があると、知人から聞き及んでいたのであり、そんな噂の店に向かうおいらの足取りも軽かったといえよう。まずは噂の「馬モツ煮込み」とともに、来客者のほとんどが口にしていたおでんの盛り合わせを注文。馬のモツの煮込みというメニューは、よくある豚や牛のそれとは少々異なって、そのモツのヒダがピンと立っていて、神々しいくらいの見た目のインパクトを与えていた。ヒダが神々しくあるくらいのモツの味わいはといえば、あまり豚や牛のそれとの違いは詳らかにしにくいが、柔らかくて程よい食感のモツの身の味わいは美味であった。

■ひだりうま でん助
東京都立川市錦町1-5-28 谷野ビル 1F

八王子「小太郎」の美味い豚の串焼きにて一献

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八王子の焼き鳥店の名店といえば「小太郎」が先ず挙げられる。そんな「小太郎」にて一献。小太郎とは地元の串焼き店での有名店であり、一番の呼び声も高い。今年に入って店舗が移動しており、より広い場所にて営業が開始されている。八王子駅南口からすぐの新しい店舗では、地元の酔客で賑わっている。それはそうとして、美味い焼き鳥、モツ焼きを味わうならば「塩味」よりも「タレ味」だろう。ここ小太郎のタレは甘くなく、炭火で焼くにつれて鳥や豚のモツ肉にじっくり染み込んでいく、ナイスな仕上がりである。炭火とタレとの相性が絶妙なのだ。塩焼きで焼くモツも悪くはないが、タレ焼の持つ特別なハーモニーを感じることは出来ないのだ。以前に掲示板上で議論に上ったこともあるが、人気ある店の「タレ」にはそれぞれに個性的な工夫が存在するものである。甘ったるかったり水っぽかったりするタレ焼は論外であり、そんな店の焼き鳥は2度と食べたいとは思わない。換言すれば、美味いタレ焼を出している店は、それが故に常連としてしばしば足を運んでしまうことになる。それくらいに「タレ」とは重要な味の要素、店選びの肝となるものなのだ。

■小太郎
東京都八王子市子安町1丁目2-1

湘南海岸の味こと「生シラス」を食した

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「生シラス」にありついた。生で食する機会はなかなか無いという、天然カルシウムの宝庫である。某居酒屋にて食した「生シラス」は、見るからに鮮度も抜群。湘南産だということであり勿論冷凍ものではなかった。そして、見るからの透明度には魅了されていた。白く透明な、海の宝石のようでもある。

シラスとは魚の稚魚を指して云うが、流通されて食卓に上るのはほとんどが鰯の稚魚である。イワシの稚魚を「シラス」と呼び、湘南地方ではとても珍重されている。否、湘南地方のみならずの全国的な旬の食材として、とても貴重であり、味わい深いものとなっている。その姿はまるで白く透明な、海の宝石のようでもある。

関東風「串かつ」は関西の串揚げにはない美味

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普段の居酒屋にて串かつを食した。そもそもおいらは串カツが大好きである。豚肉のカツと揚げられたネギの甘味と香ばしさとの調和した味わいは、串カツならではのものであり、関西的ジャンクフードこと串揚げの比ではない。串揚げには断然勝っていると云ってよいのである。由緒正しき関東の「串かつ」とは、大阪界隈のジャンクフードの串揚げとは似て非なるものであり、串かつのネギと豚肉のハーモニーの絶妙さを思えば串揚げなどは邪道的フードとしか思えない。おいらは串カツが大好きである。豚肉のカツと揚げられたネギの甘味と香ばしさとの調和した味わいは、串カツならではのものであり、関西的ジャンクフードこと串揚げの比ではない。串揚げには断然勝っていると云ってよいのである。かねてから思うに、串揚げを食べてもなかなか満足できないものがあったのだが、しかしながら、あえて限定すれば関東風の串カツ口にしたときの感動や満足感は、他を圧倒していたものなのである。関西ジャンクフードの限界とともに、関東圏の食文化の歴史を改めて感じ取ったという訳なのだ。関西的串揚げには無くて串カツに有るものとは何か? まずはその豚肉とネギとの相性の良さであろう。豚肉の質、ランクはそれ程良いものを求めなくても、豚カツとネギ揚げとの相性の良さで、串カツの美味さは決定付けられると云っても良い。

「ブリの照り焼き」は旬のメニュー

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「ブリの照り焼き」という料理にありついた。寒い季節にはいっそうに脂が乗って旨味を増すブリは、照り焼きの材料としてはこれ以上ないくらいなのだ。甘過ぎるくらいの濃い目の味付けも、ブリ照り焼きならば納得である。食べる途中に箸を置いて眺めると、黒光りするブリの存在感に目を奪われていた。煮詰めた照り焼きのタレは黒々として照りを表現しているかのようだ。照り焼きとは、醤油に砂糖や味醂等の甘み成分を加えたタレを塗りながら艶を出して焼き上げる調理法也。オーブン等で上からじっくりと時間をかけて焼く調理法が一般的である。照り焼きの調味料はつやを出しあたかも照りを生むかのごとくであることから照り焼きというネーミングが生まれた。そもそも照り焼きという調理法自体がブリの為にあるくらいにベストマッチングなのだから外せないのだ。食べる途中に箸を置いて眺めると、黒光りするブリの存在感に目を奪われていた。煮詰めた照り焼きのタレは黒々として照りを表現しているかのようだ。

「〆鯖(シメサバ)」は今が旬だ

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秋から冬にかけて、鯖も脂が乗って美味くなる。主に酢に漬けて「シメサバ」として提供されているが、中には生のサバに薄酢に浸したくらいの新鮮なものまである。そもそもサバは足が早いのでシメサバが定番となっているのだが、シメサバか刺身かにはこだわらず、新鮮なサバであるにこしたことはないのだ。青魚らしい鮮青色の身は秋から冬の魚の中でも特筆すべき味覚を主張している。このたび地元の八王子界隈で食した〆鯖もまた、〆鯖の醍醐味を味わうに足る逸品であったのだった。先ずは大切なことだが、決して塩辛くも酸っぱくも無いということ。大量の塩で〆めた〆鯖は日持ちはするだろうが決して本来の〆鯖の美味さを有してはいないのだ。決して塩辛くは無く、酢の酸味が喉を潤してくれる。青魚でありながら鯖の紅い身の色合いがまた食欲を誘っている。この時期にこそ食べたいメニューであることは間違いない。

「やまたまや」の山芋で根菜煮込みを作った

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八王子駅前の地産品店「やまたまや」で先日購入した山芋を使って、根菜煮込みを作ったら、この山芋が期待以上に美味かったので、煮込み料理の定番にしたいと考えたのだった。山芋以外に、南瓜、牛蒡、蒟蒻、葱、等々の冬期の野菜類をふんだんに使っていたので、これこそ和風の根菜煮込みの原型であると云えよう。

「牡蠣のチーズ焼き」に舌つつみ

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寒さが身に染みる牡蠣が美味い季節になって、牡蠣料理を味わう機会が増えたが、「牡蠣のチーズ焼き」はやはり欠かせない逸品である。謂わばグラタン料理の一アイテムだが、他のグラタンにはない愛着を感じさせるメニューなのだ。

そもそも海のミルクとも云われる牡蠣に、たっぷりのミルクやチーズを用いて調理するものだから、ミルクの風味がたっぷり至極の料理なり。気持ちや身体が震えているかのごとくの昨今のおいらには、たっぷりと温まれるメニューなのだ。

秋深き「井の頭恩賜公園」の幽玄的風景

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午前中の雨も上がって都内に散歩に行く途中で、ふと吉祥寺に立ち寄りたくなった。南口から数分の喧騒の道を通り過ぎると、いつの間にか井の頭恩賜公園へと打ち当たった。ある意味で都内の紅葉の見納めを期待したが、そぼぬれた樹々の葉は重く暗くて紅葉というにはまるで叶わぬものではあった。

それでも此の場所は何度来ても趣き有るが、冬日の中の不安定な天候も相まって、本日は蒸気が滴る極めて幽玄的な風景に遭遇することとなっていた。晩秋の井の頭の風情もまたよいものである。

「大川美術館」の難波田史男作品に注目

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難波田史男と難波田龍起の共作「海神の詩」

先日訪問した大川美術館では、企画展としての難波田龍起展の他に、同美術館が収蔵する作品からの常設展示室があるのだが、中でも難波田史男作品には特に強い感銘を受けていた。

難波田史男氏とは難波田龍起氏の二男であり父同様に絵画の世界に入ったが、32歳の若さで早逝している。其の作風はシュールリアリズムやアンフォルメルの影響を受けているが彼独特のオリジナリティが高く、自由闊達なイメージの飛翔感は父の龍起氏を凌いでもいるようだ。二男を亡くした龍起氏は、悲しみから一時画筆を起ったとされたが、其の後哀悼の祈りの気持ちを込めて、幽玄漂う抽象作品を制作している。「海神の詩」は史男が描きかけたキャンバスをもとに龍起が絵の具を重ねて完成させたものとされる。注目の一点である。

桐生大川美術館の「難波田龍起展-Tコレクションを中心に」訪問

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群馬県桐生市の大川美術館にて開催されている「難波田龍起展-Tコレクションを中心に」を訪問した。桐生市内の小高い丘に建っている大川美術館では、常設展のコーナーに加えて難波田龍起という作家の作品群が多数展示されている。数年ぶりの訪問であったが、常設展の作品達への再会を含めてとても価値ある訪問となっていた。

■大川美術館
〒376-0043 群馬県桐生市小曾根町3−69

http://okawamuseum.jp/

難波田龍起という作家は、一般にはあまり知られていないようだが、1905年に生を受けたアーティストであり、日本の画壇の中では現代美術史の特別なる地位を有している。それはたとえば戦後の世界の現代美術に対する造詣が強く、クレーやポロック達の画風を真似た作品やらが沢山見受けられていて、西洋の現代美術の伝道者的な一面を持っていたことがしのばれる。つまりは日本の画壇ではとても西洋の現代美術に精通していた作家の一人である。

「ハガツオのトロ刺身」を食した

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「ハガツオ」いうのはカツオの一種で、其の歯が強いことから命名されたとされる。下顎は厚くがっしりとしていて、顎には鋭い歯が並ぶ。カツオよりも身体が細長めであり、サバにも似通った体型をなしていることから、「サバガツオ」という呼び名で扱われているところもある。

その身はカツオに比べて薄い赤色の、ピンクが入った色彩を被っている。見た目は刺しの脂が入った肉のようだが、肉類の味よりもやはり魚類のカツオに近い。個人的な好みの問題が関係するが、カツオの鮮赤色の色よりも軽いので、味わいもカツオを軽くしたような印象を受けていた。

立石「二毛作」のおでんでほっこりなのだ

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葛飾区の立石駅周辺を散策した後に、「二毛作」という居酒屋にて一献。隣がおでんの練り物店で、其処の店のおでんを提供しているのだから、二毛作という店名なのか?

■おでん二毛作
東京都葛飾区立石1-19-2
http://www.nimosaku.com/

ともあれ隣の練り物店から仕入れているおでんで一献となっていた。酒類メニューはワインや洋酒等多かれども、おいらの口にはちょいと合いそうもなかったので、とりあえずビールを注文。其のスープというのだろうか、おでんの出汁はとても淡くて関西風にて、練り物のおでんの具の上品さを引き立てていると云っても良いほどである。

スープがおでんの味覚の邪魔をしていない。これはもしかしたら特別な嗜好性に依るものなのかもしれないなと、そんなことを思いつつ、ほっこりとしたおでんに舌鼓を打っていた。