太宰治原作の映画「人間失格」を鑑賞した。けれども「あれ、こんなんだっけ?」 という印象を、映画が終わるまでずっとぬぐえなかった。名作の名を借りてリメイクされた風俗映画と云わざるを得ないのだ。原作の「人間失格」は太宰治の代表作でありしかも彼の思想性が際立った純文学作品である。この側面が映画では、すっぽりと抜け落ちていて甚だ腑に落ちない。原作に太宰治さんの名前を冠しているのだから、もっと真面目に制作してもらいたいたかった。
主役を演じた生田斗真はじめ石原さとみ、坂井真紀、寺島しのぶ、伊勢谷友介らの俳優たちはそれぞれの持ち味を出していて悪くない。問題があるとすれば、脚本と監督の資質である。酒と女と薬に溺れて堕落していくというストーリーはとてもステレオタイプである。原作には居ない中原中也なる詩人まで登場させて、ストーリーをごちゃごちゃにさせていく。戦前昭和の文壇なりを描いたつもりだろうが、風俗を通り抜けて通俗の極みである。猪瀬直樹原作の太宰治映画「ピカレスク」に出てくる中原中也に比べれば実在感は上回っているのだが、そのぶん太宰先生の存在感が薄くなっていることを、脚本家なりはどう考えているのだろう。
ネガティブなことを書いて筆を(キーボードを)置くのは気がひけるので、吾なりにこの映画の見所を書いておこう。まず、石原さとみさんが主人公を誘う笑顔が可愛い。坂井真紀さんの主人公を惑わす仕草が前時代的である。主人公に誘惑されていく室井滋さんの自堕落な様が哀愁をそそる。主人公に身も心も肩入れしていく三田佳子さんが艶かしい。つまりは太宰さんがモデルの主人公を取り巻く、女性たちの有り様が、この風俗映画の物語を潤わせているのである。女優陣の演技は見て損は無いだろう。
太宰治の昭和を理解するには、
高峯秀子主演の昭和10年代の
ビデオを探すことです。ちょっと入手困難ですが。もちろん私は太宰なんかまったく興味がなくて、高峯秀子の当時の映像を見ると、ジャズのリズムと後楽園スタヂアムの異様な巨大さに圧倒されるわけ。
東京の深川の洲崎球場あたりにいくと、
戦前、堺しゅんじの名前を連呼する
頭のおかしな、ホームレスのおばさんが
いたらしい。戦災でそのおばさんは
行方不明になったか。(色川なんとかのエッセイに書いてある)
アトラス軍の応援団長・高峯秀子映画に出てくるアトラス軍監督役の千田コレヤ(芸名の由来は千駄ヶ谷の韓国人)はドイツ共産党員で俳優座をつくった人。アトラス軍のエース役で灰田勝彦が出てくるけど、灰田勝彦歌う劇中歌「きらめく星座」は戦前、太宰がもっとも愛唱した歌であって、太宰は巨人ファンじゃなくてアトラス軍のファンかな。ちなみ坂口安ゴは西鉄ライオンズファン。
高峯秀子の戦中映画を見れば、
太宰より高峯秀子や杉村春子に
興味が移動するでしょう。
21世紀になったいま
銀座が似合う男っていったら
テクノポップバンド
東京お見舞いプリンで
鍵盤弾いてた
山口たけも君です。
銀座並木座支持者のひとり。
ムーンライダースに顔が似てる
山口たけも君に会いたい人は
ミくしぃをあたって見てください・・
太宰治が生きていたら
カラオケできらめく星座をうたったん
だろうけど、井の頭線“新代田”下車
中級ユーラシア料理店
日の丸軒で、よく
きらめく星座がかかってます。
小林よしのりのゴーマニズムにも描かれていたけど、戦災で東京が昭和15年のレベルに街並みが戻るのに15年かかった。昭和30年ごろの東京と昭和15年ごろの東京は街並みが似てる可能性が高いです。
千田これやは、昭和30年ごろ
東宝映画「美女と液体人間」で
大学教授役で出てるから、見てみると
いいです。
ちなみに昭和20年代の東京を観察するんだったら、エノケンのホームラン王がベスト。
あまり野球映画ばかり紹介すると
野球脳と思われてまずいので
高峯秀子映画を探るなら
「秀子の車掌さん」あたりから
入門するのがベターです。
逍遙って
坪内逍遙や二葉亭四迷って
三流中学(三流高校)
洋学校卒じゃん。
本当に知能指数の高い人間は
洋学校じゃなくて
国学、漢学に強い
明倫って学校に通ったんですよ。
明倫にいくような頭だったら
わざわざ学校いかなくても
外国語をマスターするわけです。
下手に外国語学校通うと
欧州やロシアの
スパイになって刑務所のお世話になる。
一犯一語学の大杉栄みたいに。
一種の き★がいになってしまう。
かもめの舎弟の名前なんていったかな
トン間だったか。
洋学校っていうのは
酒と喧嘩と女にあけくれたバカ学校
大正時代にいろいろ改革したから
洋学校の連中もかなりましに
なったみたいですが。。
洋学校にいくような連中
たとえば大杉栄なんか
シチズン時計・後藤新平の
使いパシリだったわけでしゅ
真鍋かおるとオツムのレベルは
たし算だけじゃなくて
割り算もちょっとできる程度で
たいしたことない
「逍遥」というのは坪内逍遙ではなく、藤原新也の「逍遥遊記」(遊の字はもっと難しい字だが変換できない)からとったものです。それから眞鍋かをるさんを馬鹿にするのはいけませんです。