先日は映画「アナと雪の女王」を鑑賞したのだった。おいらにとっては子供の頃には大いに興奮した想い出のある久しぶりのディズニー映画であった。実際にこの映画もディズニーらしさが至る所で展開されていていた。独特のテンポあるストーリー展開はディズニーのDNAを思い起こさせていたのであり、アニメーションの先鋭的なテクニックにも酔い痴れるに充分なものである。アニメーションの可能性を追求するという姿勢には、おそらく世界一の評価が与えられるであろう。
だがおいらの心中には釈然としない一抹の違和感が蔓延っており、これまでずっと其れらを消化できずにいた。それは一つには、女王の資質、接するものたちを凍えさせてしまうという悪魔的な資質を、素直に肯定することが出来かねていたからではある。
映画の中の雪の女王は閉ざされた城を出て、その喜びを歌い上げている。
♪ありの~、ままの~、姿見せるのよ~♪
女王であれ人間であるからには誰もが素直な自分自身の姿を、ありのままに見せ、生きていくことなどは当たり前のテーゼではある。ただしながら雪の女王には他者を凍えさせるという、悪魔的な特別な能力があったのであり、即ち自己を主張することが周りの人たちへの加害、攻撃に繋がっているという状況のなかで、そのままで肯定することは難しい。特別な能力を持つ人への不信感か、或いは人間存在の条件を超えているものへの距離感があるのだろう。そもそもは余計なる言葉だけの希望、現実味の無い妄想なんていうものは無い方がいいのである。