本日はカーネーション日和の日であった

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本日は年に一度の「母の日」ということであり、おいらも帰省先の母に逢いに行く途中の道筋にてカーネーションの鉢植えを買い求めていた。高齢の母に対するプレゼントとしては鬱屈した思いもあり些か歯がゆい思いも抱きつつも、母へのプレゼントに決めていた。高齢者の介護施設に入居中の母に対する母の日限定のプレゼントとして、カーネーション以外のアイテムを想像することができなかった。案の定と云うべきか母は「ありがとう」という素っ気ない言葉で受け取ってくれていた。

そもそもカーネーションという花は、こと我が国においては母の日のために在るのではないかとさえ思わせる、稀有な存在感を持っている。薔薇にも劣らず可憐であり、華やかである。花弁の描くグラデーションは繊細であり、薔薇の花を凌ぐほどでもある。其れくらいに華やかなカーネーションが、母の日のお祝いの儀礼に使用されることになった経緯については些か通常以上に強靭な関心が高まっていた。

おいらが買い求めていた深紅の花弁のカーネーションの他にも、ピンク色、白色、黄色、紫色、等々と色彩も多種多様である。赤いカーネーションばかりでないということは、即ち感謝する母の色が一種類ではないということを示しているかのようでもある。