NHK教育の「知る楽」では、高田渡の特集番組が4週連続で放映中である。先週の第1回放映を見逃していたので、本日は早朝目覚ましで起き、5時35分からの再放送番組を視聴した。「随想 吉祥寺の森から」の杉本さんより番組情報を提供していただいていた。
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/52082820.html
第1回放映では、高田渡さんの少年時代にスポットが当てられていた。裕福だった岐阜での幼少期とは裏腹に、破産して東京に逃れ着いてからの一家の生活は、とても苦しいものであった。飯場の労働者たちと接しながら育った渡さんのの少年時代の環境が、彼の音楽性に甚大な影響を与えていたことは想像に難くない。
高田渡さんと云えば、かつておいらが西荻窪の「ほびっと村」にて二人写真展を行った際、祭りのライブ会場で渡さんを撮影した写真の展示許可をもらうことやご挨拶などから、彼の住む吉祥寺を訪ねたことがある。南口改札前で待ち合わせた渡さんは、とても静かに現れて、とても想い出深い面会となった訳である。かねてからの行きつけであるハーモニカ横丁でのお付き合いを願い出たところ快く応じてくれたのである。ビール、焼酎と杯を重ねながら、奥さんが写真関係の仕事をしていて渡さんも写真に関心が深いことや、息子さんのことなど、とても熱っぽく語ってくれたことを昨日のことのように思い出すのだ。その日はおいらも少々深酒してしまい、帰宅するなり妻にじっくり叱られたという、ほろ苦い想い出もあったりするのである。
本日はこれから、第2回目の放映がある。テーマは「“日本語フォーク”の先駆者 」となっている。フォークシンガーの中でもとても異色であった彼の音楽が生み出された背景や必然や、その他諸々のドラマが展開されるだろうと期待しているところである。
高田渡ジュニアは悪魔の音楽YMOファンらしいです。高田渡が海外録音したときヴァンダイクパークスが参加したそうです。ヴァンダイクパークス“ハイコイン”をカバーしたバンドだとウエストコーストポップアートエクスペリメンタルバンドが有名ですが、このバンドはいいバンドなので絶対聴いたほうがいいです。
なんて書きましたがピンキーとキラーズの影響が強い私にとってフォークは遠い存在です。ひょっとして“おかみさーん痴漢ですよ”に出てた天地真理の弟役≒山本コータローと高田渡って武蔵野タンポポ団つながりで親密だったのでしょうか。
デマブログでおなじみ、かもめ氏の舎弟が高田渡信者だって噂があります。
西荻って国際電話の仕事をやったことがあるのですが、同じ中央東線だったら“ありがとう”の舞台になった東中野もおもしろそうです。それとピンキラのキラーズのエンディ山口が女性ふたりと組んだフォークの曲で“中野 阿佐ヶ谷 高円寺”って兄が買ったシングルがあったのですが人にあげちゃいました。
ということで今日のBGMは
今陽子“東高円寺”
やさしい悪魔(3分36秒)
作詞:喜多條忠/作曲:吉田拓郎/編曲:馬飼野康二
この曲は日本のフォーク史上最大のヒット曲だろう。
衣裳はアン・ルイスが担当。
アンドゥトロワ
この曲も たくろう作曲である。
年輩の人は井上順「ミッシェル」でフランス語
を覚えただろうが私はこの曲である。
ジャグバンドブルース
日本だったら山本コウタロウ武蔵野たんぽぽ団かも
しれないが
英国だとシド・バレット(ピンクフロイド)
ジャグバンドブルースが伝説
シド・バレット(ピンクフロイド)
ジャグバンドブルースです。
↓
僕を覚えていてくれて本当にありがとう
そしてばくがここに居ないことを明らかにしてくれたことに関しては感謝の念に耐えません
そして僕は知りませんでした
月がこんなに大きかったなんて
僕は知りませんでした
月がこんなに青かったなんて
そして僕は最大限に感謝します
僕の古い靴を投げ捨ててくれたこと、ぼろきれを着せる代わりにここに連れて来てくれたこと!
いったい誰がこの歌をつくったんだったっけね?
お日様が輝かなくっても知れたこと
無一文でも知れたこと
君とキ☆ガイになったって知れたこと
冬にはまた恋を始めるさ
海は緑ではなく
僕は女王に恋をする
確かなものは夢
確かなものは戯れ言
(つづきはツイッターで)
https://twitter.com/naoreko/
その後、高田渡は中川イサト、シバらと伝説のジャグ・バンド〈武蔵野タンポポ団〉を結成するが、フォークからロックには移行せず、そのままルーツを辿る形でジャグ・バンドのスタイルを追求するというところが彼らしい。 …
ジャグ・バンドとは・・
ジャグバンドの編成はまちまちであるが、ジャグ (瓶)、ウォッシュボード (洗濯板)、ミュージカルソー (ノコギリ)、カズー(ストーブの煙突、櫛、ティッシュペーパーを使ったもの)、ウォッシュタブ・ベース (洗濯桶とモップから作ったベース)、スプーンなど、身の回りにあるものから作られた手製の楽器を多く使うのが特徴と言える。これらの楽器にハーモニカ、バンジョー、ギター、マンドリン、アコーディオンなどの楽器が加わる。音楽的には、トラディショナルなジャズ、ブルース、カントリーなどを基調としたものが一般的である。
スキッフルとはトラディショナル・ジャズ・ブームから生まれたイギリス独特の音楽である。もともとはアメリカ南部の黒人たちがギター、ハーモニカを中心に洗濯たらいを利用したベース、洗濯板、ジャグ(大きな瓶の口を拭いて独特な音を出すこと)などを使って演奏した‘ジャグ’という音楽をヒントにしたもので、これにフォークやブリティッシュ・トラッドの要素を混ぜ合わせ、ロックンロールやリズム・アンド・ブルースを演奏した音楽
「このスキッフル・バンドを結成するには、ミュージシャンとしてのテクニックや高い楽器代は必要なかった。安物のギター、使い古された洗濯板、シンバル、茶箱に長ほうきをを取り付けて弦を張ったもの(これがベースの代わりになった)があれば輝かしいスターの座に向かって、やかましい騒音をかき鳴らすことができた。」
日本のシド・バレット野澤享司(野沢享司)プロフィール
1950年12月23日宇都宮生まれ。中津川フォークジャンボリーを経て72年「白昼夢」(URCレコード)でデビュー。斉藤哲夫、渡辺 勝、カシブチ哲朗などが参加したこのアルバムは、純日本産のアシッド&サイケデリック・フォークの最高峰といえる名盤である。90年の小来川フォークジャンボリーなどで中川イサト、高田渡、シバなどと再会。新境地を開き精力的なライブ活動を再開した。