冬の夜に「牡蠣鍋」がすこぶる美味いことに関する一考察

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本日は年に一度の「冬至」ということであり、おいらは本日を迎えるよりも初めから冬支度をしながら朝を迎えていた。早朝は寒かったが日が昇るに連れて温まっていた。冬至を感じるには些か条件不足であったと云えるのかもしれない。実際においらが訪れた公共の某入浴施設には期待に反して柚子が入っていなかつた。この期に及んで云うべきではないのだろうが、冬至のお湯には柚子が不可欠であるべきでありながら、何も冬至の恩恵を受けることなく、冬至という本日が終わろうとしている。

さてさてと気を取りなおして夜の酒場に出てみたら、休日の繁華街の横丁の居酒屋で、そこそこと美味なる「牡蠣鍋」に遭遇することとなった。冬の季節に牡蠣鍋が美味いことは論をまたないが、本日という冬至の日日に、其の夜間において、牡蠣鍋は特別な存在感を示していたことを記しておきたいのである。なんとなれば冬の寒気には牡蠣の苦味とコクがとてもおいらの喉に心地よく触れていたということなのだ。冬の夜に「牡蠣鍋」がすこぶる美味いことには理由がある。

其の訳の一端として考えられるのが、豊富なるカルシウムの存在である。牡蠣は冬季の主役になり得る食材である。社会一般的には「海のミルク」等とも呼ばれるが、コクや味の個性においてミルクの比ではなく優れている。薄曇り色していた牡蠣のむき身が、熱湯をくぐっていたその先には、ぷっくりとして白鮮やかな牡蠣の身が、視線を和ませてくれたり、美味しさの手引をしてくれたりと、大活躍なのではある。だからこその「牡蠣鍋」を十二分に味わえる季節は、今を置いてないということが云えよう。