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東北旅行に旅立っていた途中に買い求めた一冊がこの「酒にまじわれば」(なぎら健壱著)であった。予想していたとおりに丁度軽いノリの彼是に、旅の途中の暇潰し的時間的利用術としてはもってこいではあった。
酒にまじわってしまった人々の滑稽なる仕草やエピソードを、色々な人間観察的視点で描いている。だが実際には酒にまじわった人々をそのままに著すのではなくて、可也の脚色を施していることが、その鮮やかなる落ちの切れ味にて見て取れる。事実的にはこれは、なぎら的お馬鹿な呑兵衛達への仲間意識から記された一冊ではある。
脚色によって面白可笑しく記されていた呑兵衛たちの姿であるが、同著の後半に或る一章にては、なぎら氏にとっての師匠でありおいらにとっての師匠でもある高田渡先生のエピソードが記されていた。同著の中での呑兵衛達は、某氏等の匿名的記述に満ちていて、其れこそが脚色的背景を明らかにしているのだが、こと高田渡さんの節こと「忘却とは……」においては、特記的に実名で記されていた。曰く…、渡さんは時として、朝7時ごろに酔っぱらってフォーク仲間に電話をかけることが良くあったという。機嫌が良い日は喋り続けて、そのうちに眠ってしまったという。電話の相手は「渡さん、渡さん」と呼びかけるのだが、返事はない。やっと声が返ってきてほっとしたところで、渡さんの一言があったと云う。
「え~っと、私は一体誰に電話をしているんでしょうか?」
なぎら氏は同節を「なんという、正しい呑兵衛の姿であろうか。」と〆ている。まさしく高田先生の存在感が際立っている、微笑ましいエピソードではある。