夢を記述することの難しさ

夢を語ることは誰でも出来るが、夢を記述することはとても難しいものだ。おいらが十代青春期にシュールレアリズム宣言に出会い、傾倒するに伴い、自身の夢の記述が如何に難題であるかを思い知った。自身の夢の世界を描こうと思えば思うほどにその難しさに遭遇していたものである。それだけ「睡眠」と「覚醒」との距離が大きかったのだろう。

昨日購入した「EDGAR ENDE & MICHAEL ENDE」で父エンデが描いている世界はまさしく、夢の記述なのだが、父エンデの個人的な夢というよりも時代に抗う人類の姿がそのリアリズムの筆にて詳細に描かれている。まさに象徴化された世界像である。微細な夢の記述が人類すべての姿かたちを象徴しているとも見えるのだから、天晴れというしかない。父エンデが実はシュールリアリストと呼ばれることを嫌っていたというエピソードにも納得である。