尾崎豊ハウスがホーメストの家に建て替えされるという

1992年(平成4年)4月25日に26歳と云う短い生涯を閉じた天才シンガー、尾崎豊。彼が最期の日に倒れていたのを見つけて手厚く介抱をし、病院への搬送を行なっていたのが小峰さんであり、小峰さん宅は今からもう19年と数ヶ月の間ずっと、「尾崎ハウス」と呼ばれ続け、その後小峰さんの家には、全国からの尾崎豊のファンが訪れるようになっていた。

その倒れていた日に運ばれた病院から何故か自宅マンションへと戻された尾崎豊はその日のうちに容態が悪化し、死ななくてよいはずの身であったはずだが基本的な生命維持の治療も施されることなくとても残念な不遇の死を遂げてしまったのである。

そんなファンにとっては忘れられない「尾崎豊ハウス」が改築されるというニュースに接したおいらは、おいらにとっても非常に思い出深い、古くからのそのハウスを目に焼き付けたくなり、訪れていたのだった。京成本線「千住大橋」駅から徒歩で5分程度の下町の住宅地である。近くには「中央卸売市場足立市場」という卸市場が控えている。もっとずっと前からその場所は通称「やっちゃば」と呼ばれる下町の市場であり、「やっちゃば通り」という歴史的街道も近くには残されている。戦時中の大空襲にも焼かれることなく下町住宅地の風情を今なお残している一帯に「尾崎豊ハウス」が在るのだ。

5~6回は訪れたろうか、その場所へ何年かぶりに訪れていた。ドア扉は締め切っており、中には人の気配は無かった。たしか4畳半の部屋の壁面には大きな建築計画の看板が掛けられていた。マスコミ情報によればこの9月末までに旧ハウスが取り壊されるとのこと。そして新しくホーメストの家が建立されることになる。

話はだぶるが、おいらも20年あまりの間に何度かハウスを訪れ、天才尾崎豊を介して、若い人たちとの貴重な交流を得ていた。若いファンがこの場に集どるのは尾崎豊さんだけではなくて、小峰さん家族の人たちの、厚い心により添って集まってくると云うものではあった。若い人、特に甚大な悩みを抱えている人たちをも、小峰さんが受け入れていたのだ。

つまりは此処は、そんな特別な場所だったのである。古き「尾崎豊ハウス」のレクイエムを歌いたい気分でこの場所を訪れ、そしてあとにしたのだ。近くの「やっちゃば街道」添いには地味だが白いユリ科の花が咲いていて来る訪問者を歓迎しているようだった。花言葉は「純潔」という。まさに尾崎豊さんのハウスに相応しい。