今季初だが絶品の「サンマの塩焼き」に遭遇

たぶん今季初だろう「サンマの塩焼き」に遭遇した。大衆居酒屋で「600円」という値段は多少は高くもあったのだが、注文してみたところ、30cmはあろうかという大振りで活きの良いサンマが目の前に並べられていて、その時瞬間的に浮き浮き気分が襲っていた。

顔と目と鰓の部分を注意深く観察したところ、気が漲っているその様をイメージとして認識していた。旬と云うには未だ早いが、これこそがまさに「旬」の顔だろうと感じ取るのに充分なアピールを受け取らざるを得なかったと云うべきだろうか。そんな風に旬のサンマとは向かい合っていた。その目はまん丸でいて、これまた大海を泳ぎ続けてきた逞しさを感じ取らされるに充分な代物だったのである。

そしておいらは、東北大震災による漁場の復旧、復興をこい願いつつ、有り難く旬の味覚を味わっていたのだった。

思うに最初にこんな上物に出遭うの云うのは極めてラッキーだった。過年の記憶には、旬だとばかりに思い込んでいて箸を近づけたらば、目がだらんとたれて死んでいたり、肉をつまんだらかさかさとして冷凍フーズの食感にがっかりしたり、あるいは塩焼きを頼んだはずなのが揚げたサンマに出くわしてがっかりしたりと、この時期は実にさんざんたる経験をも経てきている。であるからに少々のことでは驚かないが、本日のサンマはニュースにしても耐えるくらいに美味であったのでこうして記しているのである。

旬の味覚的便乗商法とも紙一重のものであるが故に、何度となく不条理な場面にも遭遇してきた。今年は幸先好いぞとばかりに、何だかこれからの未来への意欲やら、希望さえもが湧き上がって来たと云えば大袈裟には違いないが、浮き浮きが希望を繋いだ、本日の宵の一齣ではありましたとさ。