西荻窪南口は、居酒屋「戎」の縄張りだった

西荻窪駅の南口という地帯一帯は実はおいらにとっての鬼門であった。そのむかし、西荻窪駅近くの「ほびっと村」にて写真展を行なった際、打ち上げ二次会パーティーをこの辺りのどこかの店で行なったのだが、その日その時間での小便タイムで場所を離れたのが最後で、二次会会場の店には戻ることが出来ずに慌てふためいていた。そしてついにはそのまま駅に辿り着いて中央線に飛び乗り、当時の我が家のある武蔵小金井まで帰ることになっていた。二次会会場には大量の酒等の贈答品物を詰め込んだバッグを置き去りにしてきたため気になってはいたのだった。なんとその置き去りにした忘れ物を、20数年ぶりに高校の同窓会で再会したばかりの同窓生が届けてもらいいたく感激していたというほろ苦い記憶が心の片隅にこびり付いて離れることが無い。行きはよいよい、帰りは怖いの、云わば鬼門的とおりゃんせ通りとおいらの胸中では呼ばれていて、長く近づくことは御法度となっていた。

さてそのような鬼門的界隈に何故足が向かったのかは判らないが、西荻窪駅を降りて少々右に行った界隈一角は、まるで「戎」の看板が何軒もの軒先にかけられてあり、云わば此処が「戎」の縄張りであることを知らしめされたのだった。人が肩をぶつけ合いそうなくらいに狭い通行路地の左右を挟んで4〜5軒の「戎」の店舗が、それも昔ながらの屋台店舗風の出で立ちで立ち並んでいたのである。

炭火を焼く串焼き屋台風店舗の暖簾をくぐると、中のカウンター席は相変わらずにむしむしとして暑苦しかったのだが、プーンと香る焼き物の香りに魅了されてもいたのだった。

豚の串焼きを頼んでビールで(ここはホッピーが置いていないのが最大の欠点なのだ)一服の喉を潤した後、「レンコン肉詰め」「ピーマン肉詰め」を注文。レンコンは塩で、ピーマンはたれでという店主らしき親爺のおすすめの通りに注文していた。生ではカサカサのレンコンが炭火で焼かれてジューシーな味わいになり、口に運ばれていた。レンコンの穴に程よく詰まっていた豚ひき肉の出汁がよくレンコンの身に絡まっていて美味であった。ピーマンの方は云わば普通の焼き物であった。おすすめのたれが良かったのか否かは判断が尽きかねているところだ。