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一部ではカリスマ的な人気を誇るパンク小説家、町田康氏の新著「ゴランノスポン」を読了した。7つの小・中編による作品集で、表紙カバーにはこれまたカリスマ的アーティスト、奈良美智氏の新作「Atomkraft Baby」が採用されており、至極目を惹かれることとなっていた。この表紙によって購入を決めたと云っても良いくらいだ。
表題作「ゴランノスポン」は雑誌「群像」2006年10月号にて「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」として発表されたものを改題してある。タイトルだけ見たら何を意味しているか見当もつかない様な可笑しなタイトルだが、かつての「群像」での作品名を知り、漸くその意味するところの合点がいったのだった。なった訳だが作者のほうは何故だか知らぬが、一般人には韜晦の至りかのごとくのチンプンカンプンな表題に変えて、敢えてその「意味の無さ、希薄さ」を表出させて愉しんでみたのではないかと睨んでみたところだ。こんな表題作に出来るのがパンク作家としての面目躍如といったところだろう。ご覧の様にスポンと落ちる。落ちます、落とします。スポンという擬態の音…。底を見せぬ闇の中へと連れ去って行ってしまいそうな、厳粛かつ滑稽な擬態の音だ。天使か悪魔かは知らぬが大きく両手を広げて手招いているかのようである。
少し前までは独特なボキャブラリと俗的世界の話題を操るパンク兄ちゃん、過剰な才能を持て余している一人よがりの空回り的存在、的な評価を抱いていた町田氏だったが、色々とこの世間とやらに対して挑発する様は勇ましくもあり、可能性をも伝えて来るものがある。
ある種の三文小説の落ちとも変わらないプロットやそうぞうしいばかりの展開やらには辟易していたが、つまりは、小説一つ一つの評価は、あまり点数を付けにくいのだが、読み終わってみればそれらを含めて現代作家たる才能を撒き散らしているということなのだろう。