井上陽水、栗田ひろみに対するオマージュの言葉、メッッセージ等を整理しようとしていたら、いきなり原田芳雄さん逝去のニュースが飛び込んできた。先日は原田さんが主演した映画「大鹿村騒動記」の試写会に、やせ細った姿で出席をしたというニュースもあったので気にはなっていたのであるが、まさかこれほど早く逝ってしまうとは思わなかった。死因は誤嚥性の肺炎によるものだという。
原田芳雄さんが出演した多数の映画には、おいらにも強烈な印象や記憶が刻まれている。中でも強烈だったのが「八月の濡れた砂」であった。学生時代に3度は鑑賞し、これまで4〜5回はその映画のドラマに接しているという最も鑑賞度の高い作品の重要な役者なのだ。けっして原田さんが主役という訳ではなく存在感ある中堅どころの出演者であったが、この時代のアバンギャルドを体現する役者としては、原田芳雄以上の存在を探すことが難しい。
実際に、同映画で主演したテレサ野田という女優のことはその後の活躍やエピソードを耳にしないし興味も生じさせることがないし、今では有名人の村野武範という役者の印象も薄いものである。それに対して原田さんは強烈なる存在感で映画館の視聴者たちを圧倒していたのだ。
その後、ある意味での牧歌的な学生時代を終えた後のおいらは、芸能記者としてのときを過ごしていたのだが、当時も原田さんの存在はぴか一に光っていたと云えよう。
アウトロー的な役を演じることが多かった原田さんだが、当時、悪童、異端児として恐れられていた松田優作が、原田さんだけは先輩役者として恭順の意を通したということで、原田さんの評価は一挙に上昇することになっていた。何しろ当時の松田優作と云えば記者泣かせで有名であり、文字通りパンチを食らわされて泣き寝入りした記者が相当数存在していたのである。文学界の中上健次先生とも並んで恐れられていた松田優作氏だが、原田芳雄さんの前では素直にしおらしく云うことを聞いていたのだという。腕力だけではおさえきれないものを原田さんには感じとつていたのであろう。「優作も原田さんには適わないな」といった評価が浸透して、原田さんはまた存在感を増していたのであったのである。
今日はここで原田芳雄さんへの哀悼の意を表するとともに、遺作となった映画「大鹿村騒動記」への興味関心がとても高まっていて是非観に行かねばという気持ちを強くしていることを添えておきます。