今日あたりが高尾山もみじの見頃だという風聞を耳にして、高尾山に向かったのでありました。
そもそも東京都心の公園などで眺めるもみじは色付きがいまいちである。発色が鈍いばかりでなく、透明感がまるで無い。もみじは透明感が無ければ風呂屋のペンキ画と同じで、季節感もへちまもあったものではない。まるで、腐った林檎か柿の実がそのまま木に生っているような姿を見せ付けられているようであり、合点がいかないのだ。少年の頃は、古里に近い赤城山や利根の温泉地などで色鮮やかなもみじに接したものだが、それとはまったく異種のものが、都会で目にするもみじなり。
ある種の期待感などもあり、昔購入したが押入れの奥に仕舞い込んでいた一眼デジカメ(ニコンD50)を引っ張り出してのぶらり旅であった。
京王線「高尾山口」駅を降り歩いていくと、ケーブルカー駅前には群衆の群れが目に入る。そこを通り過ぎ、高尾山頂を目指したのだ。登山コースはいくつかあるが、おいらが選んだのは小川が流れる沢沿いを歩いていくコース。京王案内でのいわゆる6号路コースなり。案内書には3.3kmの90分コースとある。日常のおいらの運動量をはるかに超えている。山登りというイメージとは若干違い、ひたすら川のせせらぎを耳にしながら沢を登るのだ。山登りだからがけ下を目にして歩くコースもあり、道幅は1mに満たないところが頻繁に現れ、ちょっとの油断でがけに足を滑らせてしまいそうだ。
ハーハーと息を荒げて心臓も漠々になり、やっと辿り着いて眺めた八王子市内からもっと先の眺めは圧巻だった。頂上付近はまるで原宿かと見紛うくらいの人だかりで、もみじの美しさも目に留めなかったが、帰り道の薬王院近くに他とはまるで存在を異にするように佇んでいたかえでのもみじは、おいらが求めていたものだった。高尾山で、古き懐かしきもみじの記憶を今に蘇らせたのであるから、満足感もひとしおだったのでした。