こんなサムい雪の夜にはサムゲタン(参鶏湯)で決まりだな

本日は朝から雪が降っていたという仰天な気候に振り回された1日であった。ところでこんな日にこそ食べたくなるのがサムゲタン(参鶏湯)なのである。

本日はまたまた途中下車して高円寺の韓国料理の店へと向かっていた。サムゲタン(参鶏湯)は色々と食堂のメニューにも登場していてポピュラーなのだが、あまり満足したことが無いのもまた現実だ。例えば大手ファミリーレストランの「ガスト」でありついたサムゲタンは、何だかピントの外れたサムゲタンもどきだった様な記憶がある。本物のサムゲタンを食べたいと向かっていたのは、高円寺のガード下にある店舗であった。

韓国料理は辛いものだと決め込んでいるのはちょいと非常識のそしりを免れないことになるのだろう。サムゲタン(参鶏湯)という料理は、韓国では一般的な健康料理であり、数多の家庭で食されているものだが、こと「辛さ」という味付けは一切無いのである。

本日ありつけたサムゲタン(参鶏湯)は、鉄板の容器の中でグツグツと沸騰した鍋のようにしてテーブルに差し出された。沸騰した鍋にしばらく気を取られている間に、最後の調理がなされていたのであろう。こんなパフォーマンスも見事である。
そして沸騰した鍋が落ち着いてきたころ、鼻先には馴染みの鶏ガラスープの香りが漂っていた。とてもシンプルでかつ控えめなものであった。

そもそもサムゲタン(参鶏湯)という料理は、若い鶏を丸ごと使い、お腹を裂いて内臓部分に高麗人参、ナツメ、各種の雑穀を詰め込んで、じっくりと煮込むという料理である。とてもシンプルでありながら、中華料理の薬膳の思想にも繋がっているものがあり、それが故に極めて国際的なメニューなのだ。

若鶏のお腹を開いてみると、シンプルであった鶏の香りがとても重厚になるような体験に襲われた。鶏とプラスαの食材が、これほどまでにドラマティックな成り行きを示すとは想像の埒外であったのではあり、正しいサムゲタン(参鶏湯)の理解には、今回漸く辿り着いたと云うべきなのかもしれない。

特に雑穀と呼ばれている穀物の味わいは秀逸であった。鶏のお腹の中から取り出した雑穀たちが、こんなに風味強く味わい深く食することが出来たということが、とても感動的だったということを記しておきたい。

■オムニマッ(母の味)
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