寿司店にてしゃこ(蝦蛄)の握り寿司を味わった。実はしゃこの美味しさに気付いたのはそう遠くない。おいらが子供のころから上京してだいぶ経つまで、寿司屋のネタケースでしゃこを見る度に目を逸らしていたというのが実情だった。
何故か? それはひとえに江戸前の代表的な種であるしゃこが、東京湾のヘドロまみれになっている姿を想像したからである。少年の頃の想像力というものは馬鹿に出来ないものがあり、良きにせよ悪きにせよ、しつこく評価基準を左右する根拠となって記憶の底にこびり付いてしまう。一旦こびり付いてしまったイメージを払拭するのは、決して容易いものではあり得ないのだ。
おいらが子供の頃の東京湾といえば、海底に潜れば真っ先にヘドロに出会うというくらいにヘドロまみれ、公害まみれの海だった。寿司ネタの中でも特にしゃこの姿こそが、一見にしてグロテスクであり、ヘドロの海に棲息する、いわば汚い生き物の象徴として印象的インプットされてしまった。アサリや海苔は大好物で日常的に食してきたのに、しゃこばかりが悪しきイメージを代表して来たのだから、しゃこには罪なことをしたものだと思う。子供の誤ったイメージ形成の見本とも云えよう。
海老と同じ甲殻類だが、しゃこと海老とは別種である。砂地に穴を掘って棲み、全身を覆う殻は分厚く、性格は凶暴だとされている。寿司屋では茹でて甘ダレを塗って出されるのがポピュラーとなっている。香ばしい身を齧ればその筋肉質の身の味わいにうっとりとされてしまうものだ。