本日は太宰治さんの101回目の誕生日であり、62回目の命日でもある。玉川上水に山崎富栄とともに入水自殺したのが6月13日だったが、遺体が発見された日がこの6月19日となっており、この日が公式的な命日とされている。今日は数年ぶりに、太宰治さんの菩提寺、三鷹の禅林寺に足を運んだのです。
毎年のように行なわれる「桜桃忌」のセレモニーには今回時間が合わずに参加できなかった。けれども彼の墓の周りには、常時10名程度のファンに囲まれ見舞われており、今更ながら太宰さんの人気の高さをこの目に植えつけたのである。交わされる会話を聞いていれば、太宰さんの古里、青森出身で東京の大学を卒業したという女性陣たちの姿が視界に飛び込んできた。20代と見える元文学少女たちである。たぶん全員が独身なのだと思われ、交わされる言葉も、男としての太宰治の評価に集中していたようだ。死してなお生身の女性に惚れられ親しまれるという文学者は、おそらく太宰治さんがその1等賞なのだろう。他には彼のような熱狂的ファンを想像するこささえ難しいくらいなのである。
ここ禅林寺は、太宰治さんに加え森鴎外(森林太郎)の墓がちょうど向かいに陣取られており、文学を巡るツアーの一角として重要な場所となっている。今日もまた口笛を携えたおばさんたち十数名のツアーにも遭遇し、些か面食らったものである。
「こちらがお父様。そしてこちらがお母様のお墓です。…」
と案内していたツアーの牽引おばさんは、ついでのように
「そしてこちらが、太宰治さんのお墓です。…」
などと、取り繕うような説明をしていて、おいらを含めて太宰治ファンからの抗議の視線を浴びせられることになったのである。