「贅沢は素敵だ」の今日的な意味について。

最近「プチ贅沢」というのが流行りなのだそうな。不況のあおりでなかなか贅沢はできかねるが、かと云って禁欲生活を続けていくばかりでは心も萎む。良いことなど何にもないのである。おいらもたまにはプチ贅沢などしたく想い、通勤帰宅列車に特急指定席券など買い込んでしまうのである。本日もまたそんなプチ贅沢気分で帰宅したのでありました。東京駅発高尾行き中央ライナーの指定席に乗車。追加料金500円なり。

さて話は少々古くなるが、かつて「贅沢は素敵だ」というキャッチコピーで華々しい脚光を浴びていたのが、コピーライターの糸井重里さんである。いわずもがなの解説になるが、戦時中にはお上から強制された「贅沢は敵だ」をもじっている。一言「素」の文字が入っただけで意味合いは逆転する。過去のメジャーコピーは一転して古臭い黴臭いものとなり、新たなるコピーが活き活きしたものとなり蔓延するのだから面白い。歴史を茶化し、文明を茶化すこんな芸当は、糸井さんの専売特許と云っても過言ではない。

それにしても「贅沢は素敵だ」の社会は過去のものになりつつある。不況といった状況ばかりではない。贅沢を望まないライフスタイルは、今や珍しいものではない。おいらもまた贅沢な資本主義的生活は飽き飽きであり、もっとまともなる生活に切り替えていきたいと考えているところなのである。