富山県高岡市から「世界遺産バス」に乗って白川郷へと向かった。白川郷とはこれまでずっと訪れたくて訪れる機会がなかった場所である。1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたこともあり、憧れの地としての評価が高まっていた。「日本の原風景」という一般的な評価が高まるにつれ其の思いは強まり、そんなことからもあり、富山県側からの訪問という、少々強行的な訪問となっていた。
到着した白川郷は、中国語、韓国語、タガログ語、等々が行き交うまるでアジアの異文化圏とも見紛うばかりの、特異な観光地としての趣きを呈していた。日本人よりも海外、特にアジア圏からの観光客が大挙して訪れていたのである。期待していたものとは少々異なる光景には流石に驚いていた。それはそれとして切妻造りに茅葺きの独特な家屋の様式が、白川郷の合掌造りとして大いにピーアールされていた通りに、合掌造りの民家が立ち並ぶその光景には、見惚れていたのだった。茅葺きの家屋の多くは雪に埋もれ、人々の足跡がそこかしこに残されており、住民と観光客らとの生活感を感じさせていた。合掌造りの家屋を介してそこは紛れもない生活の場所となっている。所謂観光地であり、それ以上の生活の場と云うべきだと強く感じ取っていた。
その後、五箇山の「相倉集落」に足を運んで、観光地化された白川郷にはなかった、より一層の生活の濃厚な息吹と足跡とがその集落の場から感じ取られた。聞くところによると集落の人達は年間のおよそ半分を雪に埋もれて過ごすという。雪とともに在り雪とともに生きる人々の生活が、合掌造り集落の景気に刻まれていたのである。