キャンバスにアクリル他ミクストメディア F10号
先日、従姉妹の家族が我が家を訪れたおり、作品が飾っている居間に腰を掛けるとおもむろに、「何故、活っちゃんは精霊ばかりを描いているの?」と問われ、ちゃんとした返答ができずに、しどろもどろになってしまいました。その反省などから、近頃になって考えたこと等を述べていきたいと思います。
改めて考えてみました。まずは、そもそも何故に僕が「精霊」をモチーフにしているのか? ということについて。僕の描く対象はといえば、かねてから、「野獣」「猛禽」等々であったのですが、そもそもモチーフとなっていた彼ら野獣、猛禽たちは、現実に存在する対象ではなくして、僕の想像上の生物でもありました。その延長上として数年前から「精霊」たちがターゲットとなったのです。
そのきっかけは、振り返ってみれば、稀有な偶然が重なっていました。その数日前の僕の夢では、夢の世界中ではもう数十年前からずっと旧知であった妖怪たちからの、歓迎の宴にまたまたのようなノリで招待されていました。天然野菜中心の御馳走でもてなされた後に、何人かの妖怪さんたちに紹介されたりしていました。「何人」と書いたのは、勿論妖怪さんたちは人間ではないのですが、かといってそれ以外の言葉が見つからなかったということなので、細かいことを気にする人には容赦願いたいのですが。それはそうと妖怪さんたちはその日もとても友好的に対応してくれたので、とても有難く思ったことを覚えています。そんなこんながあり、夢の気分が収まらなかった或る日に、これまた偶然にも、まさに日中の実生活において、とても稀有な出逢いがあったのです。それは白日夢のようでもありました。
推察するには、未だ成仏できないであろう昆虫類や猛禽類たちが僕の住処に押しかけて、この僕に成仏のための読経を求めたのです。それは突然のことではありましたが、自身に顧みても思い当たる節がないこともなくて、喜んで読経に参加していたのでありました。臨席したお坊さんには面識があり、とても親しくしていただいたこともあり、読経の言葉一つひとつにうっとりとなっていたのですが、まさにその時に、ドラマが起こったという訳です。読経に参加していた猛禽たちや妖怪たちが、こぞって口にしていた言葉でした。「精霊 Lives Matter!!」 「精霊たちの命は大切だ!」 といった言葉のうねりが一気に沸き起こったのです。言葉のうねりが共鳴のうねりとして、人間の一人である僕に襲い掛かっていました。
実は妖怪たちの世界でも、精霊たちは絶滅危惧種として、特別な存在とされてきました。決して精霊たちは妖怪の世界の優等生ではないのです。特に近年は、一部の心無い人間たちからのいじめや暴力が相次いでおり、精霊らしさを発揮する機会が失われているのでした。彼ら妖怪たちが一気に声を上げたのには、そんな背景があったのです。元々はかたちを持たない精霊たち、妖怪たちには、生命の保証はありませんが、彼らの命こそが、我々人間たちにとっても重要なのだというとてもエキサイティングな主張でした。読経の後に巻き起こった「精霊 Lives Matter!!」 「精霊たちの命は大切だ!」 といった言葉のうねりといったうねりは、参加者たちを奮い立たせ、精霊たちを決して絶滅させないことを確認し、終了したのでありました。
或る日中に引き起こされた、云わば白日夢的なドラマの概要は、以上の通りです。それは新型コロナという疫病が猛威を振るっていることの予兆のような光景でもありました。災厄発生の瞬間の記憶が、デジャブとして鮮明化されたのかもしれません。デジャブ、あるいは白日夢にうなされた後に、僕が瞬間的にとった手段はといえば、そんな記憶を定着させるために、その物語的主人公の精霊をモデルにして、絵画的手段によって描くことでした。そうして現在の「精霊」シリーズの制作につながっていると云ってよいでしょう。