絵画制作における原風景についての論考(2)

近頃はといえば、おいらの住処がある東京都八王子と群馬県とを行き来する中で、独特な磁場に引かれるようにして、古里である群馬に対する思い入れやこだわりを強くしている。それは正しくおいら自身の中にある原風景のビジョンを培った古里、郷土にあらためて向き合いながら、生涯逃れ得ることの無い原風景としてのビジョンを鮮明化させていきたいと考えているところである。かつてわが故郷では里山や里にまつわる自然が存在していた。里には街があり、人々の濃厚な息遣いが存在していた。子供心に未知なる神々しい自然を感じ取って、そんな神々しい自然と対峙して生活していたものなのである。それらはおそらく遠くに在って惹かれる郷里の風景、風土に相対して、近くで向かい合いながらの営為ではある。そんな、原風景を絵画作品に定着させようと悪戦苦闘してきた自身の過去を見つめ直しながら、活動の新しい一歩にしていきたいと思う昨今なのである。そもそも絵画の制作という行為は極めて個人的なものであるが、そんな極めて私的な行為を通して、ダイナミックに魅力あふれる故郷としての上州と繋ぎ合っていきたいという希いにかられているところなのである。

絵画制作における原風景についての論考(1)

絵画制作という創作活動を行っていく中で、原体験、原風景というものは、常に活動を導くものとして存在している。おいら自身が生をうけて育った古郷で体験した事柄とその記憶やビジョン等の数々は、創作活動を支えるものとして大きな影響を与えずにはおかなかったものなのだ。薄暗い記憶の中から仄かに立ち現れては消え去っていくそれらの記憶やビジョンは、決して心地良い代物ばかりでは無い。ときには脳裡に付きまとっては離れず、神経を逆撫でする様に居座る厄介な代物たちである。そんな脳裡に居座り続ける「原風景」とも呼ぶべきビジョンを追いかけるようにして、絵画の創作活動を続けてきたものである。記憶の奥深くに焼き付いている里山や街並みへの憧憬、正体不明のけものたちとの遭遇体験とそれらへの畏れ、……そんな生涯逃れ得ない原風景のビジョンを、もっと鮮明化させていきたいという志向性を持ちつつ、新しい表現世界にチャレンジしているのである。