久しぶりのホヤ酢ことホヤの酢漬けにありつくことが出来たのだった。酢の鮮烈さホヤの身の濃厚さとが抜群にマッチしている。主に東北地方で収穫されるホヤの身は大震災の影響もあり、なかなか口にする機会も減ってしまっていた。だが復興のシンボルとしてのホヤは、ようやく震災前の状況に復活しつつあるようだ。日本における主な生息地は東北の北東部であろう。一部では「海のミルク」などと称されることもあるようだが、決してミルクのような味わいはないだろう。むしろ、磯の香りがぷんぷんと漂っていて、とてもはじめての人にとっては箸を付けたくないような、そんな香りの肴なのである。外見はグロテスクなことからなかなか口にしない日本人も多いというが、この味を知ってしまったら食べないわけにはいかないと云えるくらいに逸品の味わい。軽く酢で〆たものが素材の味を引き立てている。東北の地場食材としてもっとも愛着に満ちた逸品である。まさに東北からの恵みの味だ。上京して間もない頃のおいらは、「ほや」は食べられなかったと記憶している。原始的記憶以降のものであるので、その信憑性は大である。いつから「ほや」が食べられるようになって、しかも何時からかは「ほや」こそ酒の肴の逸品であると思うようになったのであるから人生はまた不可思議なのである。日本における主な生息地は東北の北東部であろう。一部では「海のミルク」などと称されることもあるようだが、決してミルクのような味わいはないだろう。むしろ、磯の香りがぷんぷんと漂っていて、とてもはじめての人にとっては箸を付けたくないような、そんな香りの肴なのである。。
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玄米効果が現れたのだ
マグロのブツ切りで一献
焼きそばに紅ショウガはよく似合う
晩餐の締めにて焼きそばを食した。添えられていたのが定番の「紅ショウガ」である。千切りにされたショウガを赤い色素に染めてひときわ鮮やかな添え物としての紅ショウガが出来上がる。比較的脂質が多い焼きそばの脂っぽさを中和させる作用がある。云わば焼きそばに紅ショウガとはベストパートナー。焼きそばに紅ショウガはよく似合うのである。ショウガに接する機会と云えば、他にも寿司に添えられるガリがある。ガリの方が実際には色素や調味料を用いていないので、よりフレッシュな味わいだ。だがおいらは寿司のガリよりも焼きそば用の紅ショウガの方が好きなのだ。脂っぽい焼きそばとのコンビネーションに満足するからだろうか、或は別の理由があるのか知らぬが、此の紅ショウガを食べたくなったときに焼きそばを注文するというおいらの癖はこれからも継続して続いて行くのだろう。
漬物の定番「白菜漬け」は昔ながらの郷土食かもしれない
今年は富士山の方角に向かって恵方巻を食した
ブリの脂が染みて美味い「ブリ大根」
冬の定番メニューこと「ブリ大根」を味わった。出世魚の代表ことブリは今の冬が旬だ。冬のブリのうまみを、これまた最大限に生かした料理は「ブリ大根」ということになる。「ブリ大根」の基本とは、大きくカットした大根にブリの旨味を吸わせて味わうということになる。大根は大きくカットせねばならないのであり、薄切り などにされた大根では此の味わいは体験出来ないのである。そしてそれなりの調理時間を必要とされる。大根の煮時間も20分は下ることがなく、決して簡単レ シピではあり得ない。そんなこんなの条件を満たしつつ「ブリ大根」を調理。新鮮なブリの切り身を用意した以外は、取りたてての調理法を使った訳ではなかったのだが、程よいブリのあまさがおいらの喉を唸らせるに充分なる出来前ではあった。冬季の酒のつまみ的料理として、これ以上の 奥深い味は無いものだと実感させるに充分である。
アーツ前橋「音色を奏でる絵画たち」展で師の作品に触れた
前橋市内の「アーツ前橋」では、「音色を奏でる絵画たち」が開催されている。前橋市が収蔵する作品を中心にしながら、色彩や形がリズミカルな作品を展示しているというテーマに沿った企画展である。その展示内容はと云えば、パウル・クレーの水彩画の小品から始まって、ソニア・ドローネ、ジョアン・ミロ、難波田史男、等々の作品が展示されていたのだが、なかでも清水刀根、南城一夫、と云った、群馬県の前橋出身者や前橋市に縁のある作家たちの作品展示が中心である。
http://artsmaebashi.jp/
そんな展示会場を回っていたおいらに飛び込んできたのが、武澤久さんの「永遠慕情」という作品であった。おいらが高校一年生の頃に学んでいた美術の教諭であり美術部顧問でもあり、おいらがお世話になっていた、云わば恩師と呼ぶべき師の作品であった。武澤師の「永遠慕情」という作品は、色と形のとても明確な筆致が特長的であり、現代絵画のエッセンスを示した作品としてもとても評価されるべき作品である。おいらが師に学んでからもう数十年が経つが、師の明確かつ現代絵画のエッセンスを込めた作品に触れて嬉しく思っていたのである。