新秋津の大衆居酒屋「サラリーマン」の旨い肴で一献

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JR武蔵野線、新秋津駅前に「サラリーマン」という大衆居酒屋が存在する。大衆的な値段で旨い酒と肴を提供する地元の名店である。先日は久しぶりに訪問し、珍しい酒の肴達に舌堤を打っていたのだ。

同店の串焼きは、一般的な焼き鳥メニューの他に、日替わりで変わり串焼きとも呼ぶべきメニューがお目見得し、其れが狙い目でもある。先日食したそんな日替わり串焼きは、イカ軟骨とタコのゲソの2種類。どちらも程よく塩味で調理され、自家製の味噌が添えられていた。とくにイカ軟骨の串揚げは、普段コンビニで購入する酒肴の味とは比較できないくらいに生々しい軟骨の味わいである。更には海老とハゼと野菜を揚げた天ぷらのセットも美味であった。

■サラリーマン
東京都東村山市秋津町5-13-20

酢漬けとしての「ホヤ酢」は絶品なり

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ホヤの酢漬けにありつくことが出来たのだった。酢の鮮烈さホヤの身の濃厚さとが抜群にマッチしている。主に東北地方で収穫されるホヤの身は大震災の影響もあり、なかなか口にする機会も減ってしまっていた。だが復興のシンボルとしてのホヤは、ようやく震災前の状況に復活しつつあるようだ。日本における主な生息地は東北の北東部であろう。一部では「海のミルク」などと称されることもあるようだが、決してミルクのような味わいはないだろう。むしろ、磯の香りがぷんぷんと漂っていて、とてもはじめての人にとっては箸を付けたくないような、そんな香りの肴なのである。

外見はグロテスクなことからなかなか口にしない日本人も多いというが、この味を知ってしまったら食べないわけにはいかないと云えるくらいに逸品の味わい。軽く酢で〆たものが素材の味を引き立てている。東北の地場食材としてもっとも愛着に満ちた逸品である。まさに東北からの恵みの味だ。上京して間もない頃のおいらは、「ほや」は食べられなかったと記憶している。原始的記憶以降のものであるので、その信憑性は大である。いつから「ほや」が食べられるようになって、しかも何時からかは「ほや」こそ酒の肴の逸品であると思うようになったのであるから人生はまた不可思議なのである。日本における主な生息地は東北の北東部であろう。一部では「海のミルク」などと称されることもあるようだが、決してミルクのような味わいはないだろう。むしろ、磯の香りがぷんぷんと漂っていて、とてもはじめての人にとっては箸を付けたくないような、そんな香りの肴なのである。

「鰯の山椒煮」の奥深い山椒の味に驚く

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鰯の煮付けを食したのだが、其の味付けが一風変わっていて、山椒の葉を加えて煮込まれていた。甘辛の味付けに山椒の奥深さが顔を覗かせていた。山椒といえば其の実が貴重として珍重され、古くから香辛料のほか、薬用にも使用されてきている。夏の味覚の代表である鰻の蒲焼きには、山椒の実を摺ったものを振り掛けて味わうのが定番である。振り掛けのほかに薬味として添えられることもあり、ピリリとして辛く、鮮烈な味わいは夏の鬱陶しさを一時忘れさせてくれるに充分である。

近海の魚は高騰しているだが、こと「鰯(いわし)」に関してはそのような動きは無くて安定しているので、いつも普段も値段の事など気にせず注文できる。さらには、青魚の原点とも云うべき豊富なEPA、DHAが含まれており、成人病(生活習慣病)予防には必須の食材なのである。青光りとも称すべき光輝くいわしの光明は、呑兵衛のみならず生活習慣病予備軍の人々に対して相当なる光明となって一段と光輝くはずである。「弱い魚」などと蔑んでいる人はまだこの鰯の凄さを知らないのだというべきなのである。

代表的夏野菜こと茄子の酒肴は「茄子の素揚げ」がポピュラーだ

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今年も夏の季節に突入して、無性に茄子を食べたいという気持ちを強くする昨今である。

飲み屋へ行ってメニューを眺め、「茄子の素揚げ」があれば真っ先に注文してしまう。

鮮度の良い茄子の身に包丁の切り込みを入れてシンプルに揚げられる。植物油と相性の良いのが茄子だが、適度に油分を吸っていて尚且つ、ベタベタすること無くあっさりと食べられる。適度な脂肪分を補給しつつ、鮮度の良い茄子料理が味わえるのだから、此のメニューには特別に注目してしまうのだ。

少々の醤油に摺り下ろした生姜を混ぜたタレに付けて食べるのがとても良い味付け。シンプルでいながら夏季の和食の基本的な技が凝縮されているとみれる。

例えば冷やした素麺の具材として添えるも良し、或いは冷やし中華料理に乗せるも良し、冷や汁に加えるも良し。手軽に夏野菜を味わうにはもっともうってつけと云えるかもしれない。

夏の必須漬物は茄子、胡瓜、茗荷の浅漬け也

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代表的な夏野菜の茄子と胡瓜、そして茗荷を浅漬けにしたものは、夏の漬物の代表的な逸品である。茗荷が何しろ浅漬けの効果覿面。此の味覚がとてもフレッシュであり、清涼感が抜群なのである。個人的な事情になるが、このところ夏バテが続いているのでその原因を探っていた。一つには汗として放出されたミネラル、すなわち塩分の不足であると気付いたのは数日前。梅干を水割りに入れたり、料理に塩を大目に振りかけたりなどして危急の状況を凌いでいたなり。そしてもう一つの不足していた成分が「酢」の成分であったことが判明して、特別に米酢などを足してみたというわけなのである。

世界遺産の「富岡製糸場」に立ち寄った

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上州に帰省した帰りに、本年に世界遺産に登録されたという名勝地の「富岡製糸場」を訪れたのだ。一見すれば世界遺産というほどの迫力は無かったのだが、我が国における製糸業の典型的なスポットとなる遺産が残されていることが、世界遺産決定の決め手となったようである。群馬県出身のおいらとしてはとても喜ばしいことは云うまでも無い。もう何十年ぶりかという久しぶりに上信電鉄に乗って、上州富岡を目指した。所々に散見する田園の風景は、此の土地ならではのものではある。田舎と地方都会とが入り乱れていてとても稀有なる思いを強くしていたものではある。

(此の稿は続きます)

ジトジト雨模様に日々に「紫陽花(あじさい)」が見事に咲いている

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ジトジトして鬱陶しい雨模様の日々が続くが、活き活きした紫陽花を見ると思わず足を止めて見とれてしまう。雨がちょうど紫陽花を彩る化粧油のようだ。年間を通してこの時期ほど町の裏通りの景観に思いを寄せることはないだろう。ただ緑の植え込みだとして見過ごされるものが、色々とりどりの花やガク等を開いて人々の目を釘付けにするのだ。こんな景色はやはり散歩しながら求めていくしかない、季節の風物詩なのだろう。

漢字で紫の陽の花とは書くが、紫色のものばかりとは限らない。赤いもの、ピンクのもの、白いもの、赤青混色のものなど色とりどりである。一般的によく見かける手鞠に比せられるものは「セイヨウアジサイ」という品種だ。花弁のように見えるのは実はそうではなく「ガク」に当たる。本当の花弁はもっとずっと奥深くに隠れている。最近良く目に付く種類が「ガクアジサイ」と呼ばれる品種だ。花弁に見えるガクが取り巻いているその中央部分には細かな花弁が密集していて、生き生きとして微小に咲き誇るその様は見るものを釘付けにしてしまう。紫陽花の花言葉とは「移り気」「高慢」「辛抱強い愛情」等と云うことだが、場の状況や時間の推移とともに花の色を移り変えていくということからも「移り気」というのが最も的を得ているように思われる。何しろ「七変化」と云えば女性の心と紫陽花の花弁と考えていたほうがよさそうである。紫陽花とはこの季節でしかまぐわうことのできない花なのであり、特別な興味関心を持って追求していきたいと思うなり。

野々村竜太郎という馬鹿兵庫県議の泣き喚きパフォーマンスに関する考察

まるで馬鹿な駄々っ子の泣き真似のような会見模様。この泣き喚いていたのが野々村竜太郎という西宮選出の県会議員なのだそうである。この2~3日、ニュース番組を見れば当パフォーマンスビデオが席巻しているかのごとくである。馬鹿県議の会見パフォーマンスに過ぎないものがこれだけニュースネタとなって飛び交っていることは、当の馬鹿県議も予想だにしなかったに相違ないだろうが、これくらいに馬鹿の壁を目の当たりにするニュースネタはこれまで無かった代物のように思われる。東京都民だから関係ないことではあれ、あまりにも馬鹿げたパフォーマンスには一考の根拠もまた有りということである。通常はこの様な嘘泣きパフォーマンスに関してはある種の意図を感じとるものだが、おいらは今のところ、その意図が計り取れない。それくらいに計算されたパフォーマンスであるはずもなく、まるで馬鹿県議の一人玉砕なのかもしれないと今は分析するしかない。此のニュースネタは海を隔てたヨーロッパ各国にも配信されているという。馬鹿な県議の行状がまるで日本人の馬鹿さ加減を示すようなものではあって欲しくないのは当然だが、どんな国にもこの様な馬鹿の壁的人間は存在するのではあり、日本人の一人としては思いっきり笑い飛ばするのがまともな対応だとも考えるのである。海外にニュース配信されているからといって、此の馬鹿県議が日本人を象徴しているなどということは有り得ないのだ。お笑いタレントの面々としては大きなネタが出来たと見えて、アンガールズの物真似などが脚光を浴びているようである。馬鹿なネタは笑い飛ばすに限るということは真実の一端を示すのであり、もっと面白いお笑いパフォーマンスにも期待が高まっているのだ。ところで、馬鹿県議当人は滑稽至極ながら、当パフォーマンスにおける「言い訳」のあれこれには、多少の知恵を感じさせる。すなわち外部関係者からの入れ知恵といった類の代物の存在だ。記者団からの質問に対する当事者の答えが全く噛み合わなかったことと、外部関係者による入れ知恵の存在は関連付けて考察すべきではある。云いたいことを云うために、すなわち外部関係者からの入れ知恵による発言をするべく、当県議が馬鹿げたパフォーマンスに打って出たのだろうという推察が可能である。

バカ貝こと「青柳」のぬたを味わう

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青柳とはアサリやハマグリに似た二枚貝だが、いま一つマイナーな貝である。別名「バカガイ」とも呼ばれており、二枚貝の殻の中からオレンジ色の身を覗かせており、あたかも馬鹿な貝が舌を出している様子からこの呼び名が付いたとも云われている。今日はそんなバカ貝こと青柳のぬたにありつくことが出来たのだった。刺身でも食される此のバカ貝は食感もまたつるっとして独特の風味を感じさせてくれる。決して侮れないこと請負である。二枚貝の外見はと云えば、蛤にも似ており、其の昔は江戸前寿司ネタの主要アイテムであったと云うことだが、最近はそんな姿を隠してひっそりとしており、マニアックな食通の舌を唸らせるかのごとくである。

今回のぬた料理は、酢味噌を和えて食するメニューだということが特徴なり。ネギとワカメが添えられていて、三位一体の食材的ハーモニーがその旨味を際立てている。ぬたの調味料としての酢味噌はおいらにはとても甘いように感じ取れたが、バカ貝やネギなどの食材が此の甘味によく似合うということなのである。とろりとした甘い酢味噌味のおかげで、バカ貝が季節の旬のメニューに生まれ変わったと云えるのかも知れない。

美味い「カツオの刺身」に日本的薬味は必須

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本年はカツオが不漁というが、幸運なことに本日は美味いカツオにありついた。其のカツオの赤身がキラキラとしてまぶしく感じられるくらいである。カツオの赤身は透明感があり重々しくない、清々しいくらいのことが何よりの特徴である。こんな美味なる色味はマグロなどでは決してみることができないのだから、カツオの美味しさの希少性を示しているとも云える訳ではある。フレッシュさみずみずしさ至極であり、此の季節の食欲を謳歌させる食材にもってこいであった。

そして美味しいカツオを食するもう一つの条件が、薬味の存在。茗荷、大葉、葱、という日本的なる薬味の存在が、カツオの刺身をより美味しくさせる。カツオの刺身が逸品のメニューとなるためには此の薬味の存在は欠かすことが出来ないのである。本日のカツオ刺しにはこの薬味がたっぷり添えられていたのであり、たっぷりと美味しく味わうことが出来た。

マグロよりも小ぶりではあるが上品な味わいであり、人間の健康生活に必須の成分であるところのEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)の含有量が多いと云うことが挙げられる。しかも季節の旬を味覚で味わいつつ季節を愉しめるのだからこのうえも無い食材だと云って良いだろう。