意外な当たりだった「榛名ポークの角煮」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
分厚い豚(ポーク)の肉をじっくり時間をかけて煮込まれた角煮。角煮料理はその脂っぽいところが少々苦手で、おいらはあまり脂ぎった角煮という料理を食べることはないのだが、上州に帰省中に立ち寄った食堂では「榛名ポーク」というメニューに引かれて注文。久しぶりに角煮料理を食したのだった。

食べてみたらこれが意外や意外の当たりであった。そして何より「榛名豚」というブランドの地元食材に感心が高まっていた。

榛名山の山麓で生育した豚を指すということは以前から知っていたが、榛名豚をそれと意識して味わったことは無かったようなのだ。調べて見たところ、榛名山麓の加藤牧場で生育されている豚のことで、ランドレース、大ヨークシャー、デュロック、の3種豚の掛け合わせ。大麦主体の餌にもこだわりがあるのだとか。以前に食べた豚角煮に比べて脂身のしつこさがほとんどと云えるくらいに無い。赤身肉の味も煮込んだ甘辛味との相性が抜群だ。これならばギトギトした豚のしつこさなど気にならない。

豚の角煮は榛名ポークに限ると云ってよいだろう。

「ホタテ焼き」は酒の肴に持って来いの逸品的味わい

hotate01hotate02
殻付きのホタテを炭火で焼いて出てきたのが「ホタテ焼き」だった。

注文して焼き場をチェックしていたところ、殻付きのホタテが殻を開ける瞬間のパフォーマンスには魅了された。帆立貝の味わいがパックリと殻を開けて顔を見せたような、そんなパフォーマンスなのであった。実際に其の逸品的酒の肴的メニューを口にすれば、磯の香りを含んで味わい深いホタテの食感が喉の奥の味覚の園たちを刺激してたまらなかったのである。

貝柱は太くてコリコリとして、薄味ながら磯の香りが漂っている。寿司ネタとしては捨てられてしまうホタテの肝とくれば、その味わいは絶品である。ホタテの身は酒の肴としても逸品的メニューなのであった。

養老孟司著「『自分』の壁」は期待外れの一冊

[エラー: isbn:9784106105760:l というアイテムは見つかりませんでした]

養老孟司氏の近著「『自分』の壁」を読んだ。「バカの壁」というベストセラー作品を持つ著者の作品ということで些少の期待をもって読み進めたが、特に目立った主張、分析や切り口などはみることができず、期待外れに終わってしまった。

帯に示されている「『自分探し』なんてムダなこと!」というフレーズからも読み取られるように、同書の成り立ちは著者の企画ではなく編集者による企画による。世の中に蔓延る「自分探し」といったムーブメントに対するアンチのメッセージを発するということを一義的に目的とされ、企画から執筆、発行にまで至っている。事実、同書の「まえがき」「あとがき」以外の原稿執筆はゴーストライターによるものだということを著者が暴露している。

学者・研究者としてのエピソードを随所に散りばめているのだが、細かな事柄ばかり突くスタイルは大きなメッセージを発信することは不可能であり、養老本のある種の限界を明らかにしている。

自家製の「牛筋煮込み」でほっこりなのだ

gyusuji01

gyosuji02

地元のスーパーマーケットで新鮮な牛スジを仕込んでいて、自家製の牛スジ煮込みづくりにチャレンジしたのだった。購入した牛スジを3〜5cmにカットして、その他、人参、牛蒡、そして干し椎茸の具材を用意して、圧力鍋にて煮込んだのだ。味付けは少量の醤油と塩と生姜の細切れのみであり、牛スジから滲み出る出汁とコラーゲンが味の決め手となっていた。

おいらが好きな「煮込み」と云えば、一般的なモツ煮込みよりも「牛スジ煮込み」である。牛スジのゼラチン質や繊維質が豊富であり低カロリー、しかも馥郁とした出汁が味わえるというのであり、どこぞの酒場に足を運んだときには先ずは此の牛スジ煮込み料理を物色している。美味い牛スジ煮込みは其れくらいに求むべき酒のつまみでもある。一般的に「煮込み」という料理には「もつ煮込み」と「筋煮込み」が双璧をなしている。おいらの好みはといえば筋の煮込みの中でもとりわけ「牛筋煮込み」ということとなっている。牛筋とはアキレス腱の部分や腱がついた肉の部分を指しており、にはゼラチン質が豊富に含まれており、脂身は少ない。ホルモンの部位とは異なり、あまり小売 店のショーケースには並ぶことが少ないと云う。専門店での調理法が映える部位なのである。名店の「牛筋煮込み」は、ほぼ飲兵衛たちの支持によって長い命脈 を維持しているのだと云っても良いのだろう。近頃の好みは〆として素麺にかけて食べることだ。これも文句なしにGoodだった。

饗宴のあとさき

日本国民の多くがそうであるようにおいらも寝不足気味で体調不良である。早朝の5時に起きてサッカー観戦に興じてしまったのだから仕様がないのだが…。ワールドカップサッカーは数週間の饗宴を経て本日のグループリーグ戦敗退で、その宴を閉じた。マスコミの前評判が良かっただけあり、此の結果には落胆の思いを強くしていた。敗戦の要因は色々挙げられようが、攻撃的にパスを繋いで得点するという日本サッカーが、世界には未だまだ通用しなかったということだ。本日の試合の前半では攻撃的パス回しが機能していたが、見せ場を示すことなく、泣く泣く終わってしまった。

謝罪がパフォーマンスとなる此の国の行方

昨日から本日にかけてのニュースには、石原伸晃環境大臣の謝罪行脚とセクハラやじ゛都会議員の謝罪会見の映像で持ちきりの様相だ。謝罪がニュースになるのだから日本の国は平和なのかもしれないが、それでも謝罪者当人政治家たちのインチキさには怒りを覚える。石原伸晃は自らの子分とも称するべき政治家たちへの形式的な行脚をもって謝罪を終わらせようとしている。侮辱をし傷付けた東北の人たちへの直接の謝罪はパスしての謝罪行脚にはパフォーマンス的な意味合いしか持ち合わせていないのは明らかである。こんなパフォーマンスを見させられるくらいならば謝罪行脚など無くて宜しい。時間の無駄も甚だしいのである。そしてもう一人の謝罪パフォーマーの鈴木章浩には、呆れる以外の印象を有しなかった。この地方政治家に至っては、謝罪の意味さえもが取り違えられており、パフォーマンスの内容は非条理な自己弁護と下らない強弁に終始していた。謝罪がパフォーマンスに終始している此の国の行方に赤信号が灯っていることを痛感したのだ。

「金目鯛の一夜干し」というメニューについての謎

kinme01
おいらは金目鯛が好きである。高級食材としての希少性とともに上品な白身魚の味わいが類を見ないのであり、此れを口にしたときこそ食の醍醐味を感じ取ると云えるくらいだ。金目鯛を煮付けや刺身で食するのは王道だが、そんな機会は滅多に訪れることが無い。たまに金目鯛の開きを買って焼き魚として味わうくらいがいいところなのかも…。そんなところで「金目鯛の一夜干し」という奇妙なメニュー札を目にして思わず注文してしまったのは必定と云えるのかもしれない。金目鯛の頭とともに炭火で焼かれて提供されたのは、開きの半身の如くの外見ではあった。味もまたたまに食してきた金目の開きに似ていた。美味しいことには違いがないのだが、何か釈然としないものを感じていた。もう一つの半身はどこへ行き、果たしてどの様にして調理されているのか? という疑問に直面していたのである。所謂ひとつの謎なのではある。

赤羽「まるます家」の「鯉の生刺し」に舌鼓

marumasu01marumasu02
帰省していた帰りに赤羽で途中下車。目当ての「まるます家」に向かった。赤羽駅から4~5分歩くとその「まるます家」に到達する。赤羽の「まるます家」と云えば、知る人ぞ 知る大衆居酒屋の名店である。都内の多摩地区に住むおいらにとってはなかなか足を運ぶことも難しいのだが、帰省帰りの途中下車のお目当てのスポットでもあり、時間があれば立ち寄っている。

鰻と鯉が美味いと評判の店であり、鰻の肝料理などが食べたいと思っていたのだが、鰻の肝は無しだということで、鯉の生刺しを注文したのである。鯉料理は「鯉こく」「鯉の洗い」などがあり「鯉の生刺し」は同店ではもっとも高価なメニューに属する。洗わず、煮込まず、という鮮度も抜群であり、川魚としての鯉の味覚を生で味わえると評判も高いのである。

鯉の洗いとの違いとは、洗っていないことにより鯉の独特のコクの有る食感を味わえること。そしてにんにく醤油との相性の良さである。鯉をつまみに一献したくなる度に同店に立ち寄ってしまうのだ。ともあれ途中下車しても立ち寄りたいという気持ちを惹起させる名店の一つが、赤羽の「まるます家」だということは確かなようである。

■まるます家 総本店
〒115-0045
東京都北区赤羽1-17-7

ふうふうと汗をかきつつ「石焼ビビンバ」を喰らう

bibinba01bibinba02
地元の焼肉店で「石焼ビビンバ」ランチを食した。ビビンバというメニューは韓国一般の混ぜご飯のことである。モヤシ、ゼンマイほうれん草、大根、等々の漬物ことナムルを、コチジャン、胡麻等の調味料とともにご飯に混ぜていただくというのが定番。石焼ビビンバはそんな素材をざっくりと石鍋に盛り、それを火にかけて熱々にしたところでご飯と混ぜていただく。伝統的な家庭料理としては少々ならず贅沢な料理行程を踏むのである。ちゃんとこの行程を踏襲した料理であればこれがいただけないはずが無いのだ。

暑い季節に石焼メニューを食べるには少々の躊躇いがあるが、汗を大量にかきつつふうふうと熱い料理を口にするのも悪くは無い。運動不足のなかでは食事が発汗を助けることにもなるのだから、メリットととらえるべきだろう。家庭料理の王道を行くのが「ビビンバ」であるということはおそらく多くの関係者が認めるところだ。おいらも韓国家庭料理としてのビビンバのメニューを愛する一人であり、時々口にするのを楽しみにして過ごしている。

夏を前にして「自家製カレーモツ煮込み」で晩酌なのだ

motsucurry01m0tsucurry02
思いがけなく生のモツが手に入ったので、自家製の「カレーモツ煮込み」をつくったのだった。今回の食材は豚の小腸と胃袋。所謂モツとガツといった、謂わばモツにおける定番の部位である。他の食材には人参と玉葱をたっぷり使った。

此れらをもとにして先ずは圧力釜で20分ほど煮込む。圧力鍋を使用することで煮込み料理は短時間でつくれるのであり、この圧力鍋は欠かすことが出来ない。圧力鍋で煮込んで柔らかくなったところへ、カレーのルウを投入してさらに5~6分くらい煮込めば、おおよその料理の完成を見ることとなる。モツはとても柔らかくて歯の悪いおいらにもとても優しい食感だ。さらには玉葱はかたちを止めないくらいにトロトロになり人参もほっくりと柔らかな食感なのである。

カレー味にすることでモツの独特なくさみもスパイスに調和されて食べやすくなり、さらには日持ちもする。これからいろいろな料理に流用可能だ。一献終えたあとには、素麺にかけて締めとする。夏にはこれがたまらないのだ。多めにつくっておけば日々の料理に流用が出来てとても便利だ。

映画「アナと雪の女王」にみる悪魔性についての考察


先日は映画「アナと雪の女王」を鑑賞したのだった。おいらにとっては子供の頃には大いに興奮した想い出のある久しぶりのディズニー映画であった。実際にこの映画もディズニーらしさが至る所で展開されていていた。独特のテンポあるストーリー展開はディズニーのDNAを思い起こさせていたのであり、アニメーションの先鋭的なテクニックにも酔い痴れるに充分なものである。アニメーションの可能性を追求するという姿勢には、おそらく世界一の評価が与えられるであろう。

だがおいらの心中には釈然としない一抹の違和感が蔓延っており、これまでずっと其れらを消化できずにいた。それは一つには、女王の資質、接するものたちを凍えさせてしまうという悪魔的な資質を、素直に肯定することが出来かねていたからではある。

映画の中の雪の女王は閉ざされた城を出て、その喜びを歌い上げている。

♪ありの~、ままの~、姿見せるのよ~♪

女王であれ人間であるからには誰もが素直な自分自身の姿を、ありのままに見せ、生きていくことなどは当たり前のテーゼではある。ただしながら雪の女王には他者を凍えさせるという、悪魔的な特別な能力があったのであり、即ち自己を主張することが周りの人たちへの加害、攻撃に繋がっているという状況のなかで、そのままで肯定することは難しい。特別な能力を持つ人への不信感か、或いは人間存在の条件を超えているものへの距離感があるのだろう。そもそもは余計なる言葉だけの希望、現実味の無い妄想なんていうものは無い方がいいのである。

とろける「白アスパラのチーズ焼き」の食感にうっとり

aspara02
フランスでは重宝される食材だが、日本では、生の野菜としてはほとんど流通することのないのが白アスパラである。あまり食する機会は無かったが、本日は「白アスパラのチーズ焼き」というメニューで久しぶりに食したのだった。

口にして先ず感じたのは、何しろ白アスパラのとろけるような食感。まさに感激至極である。土の中に埋めて育てるのが白アスパラの育成方だ。つまり日光に当てないことから緑色ではない白色のアスパラが生産される。日光に当てて育った緑のアスパラに比べてビタミン、ミネラル類等の栄養素は少ないと思うが、それ以上にとろける野菜の食感には感激なのである。

「ウナギの肝焼き」の苦味に夏の栄養価を感じとるのだ

unagikimo01
ここ数年来のウナギの価格高騰にはおいらも気掛かりな事象の一つだ。夏の季節を乗り切る食材としては欠かすことの出来ないものであり、其れが手の届かないものになるなどとはあってはならないと感じている。今年は昨年よりは価格も落ち着きつつあるようだが、それでも国産のウナギの蒲焼きは1匹につき1000円は下らないよう。年に数回の贅沢食材だから美味しい国産ものを食したいものではある。

ところでウナギの料理は蒲焼きにとどまらない。特に肝の串焼きというメニューもポピュラーであり、おいらを含めて飲兵衛たちには身近かでもある。焼き鳥のタレで肝を串焼きにするという料理だ。そもそもウナギの肝とは「肝吸い」として調理されるのが一般的だ。ウナギの部位でも、ビタミンAやアミノ酸、ミネラル等々と特に栄養価が高い。苦味成分こそ栄養価のバロメータ、疎の独特の苦味がその栄養価の現れだとも思えるのである。

「冷やし中華」における胡瓜、ハム、錦糸卵の味覚トライアングル

hiyashichuka01
早くも冷やし中華が美味しい季節となった。梅雨の季節とはいえ猛暑日も多いのであり、今年も例年以上に猛暑との闘いを強いられることも必至の情勢である。

本日は今年に入ってたしか3度目の冷やし中華を食していた。定番の胡瓜、ハム、錦糸卵とトマトが豪勢に富士山型に乗っておりまさに理想的な姿を呈していた。赤、黄、緑といった色彩のトライアングルに加えて味のトライアングルが、冷やし中華と云うメニューの中で演じられているのだ。胡瓜のフレッシュさ、ハムの冷えて尚活きている濃厚さ、錦糸卵の甘旨さが、夫々に主張しつつ、夏の逸品メニューという全体的なトーンの中で協調しあってもいる。夏になって冷やし中華を食べたくなるのは必定であることを実感するのである。

さらに加えればタレは酢と醤油と中華スープのトライアングル。だがこちらは少々影が薄い。和辛子を加えるので和食的中華の象徴と云えるかもしれない。

故郷にて敗北の饗宴に接していたのだった

football01
週末の本日はいつものように帰郷の途についていた。上州群馬県の県都で駅を降りて市街地を歩いていると何時もとは異なって、賑やかな人の声のエコーがうなりをあげており、引き付けられるように歩を進めたところ、イベント会場で派手派手しい虹のアーチに迎えられており、喧騒の中に足を進めれば、所謂パブリックビューイングとの邂逅。ワールドカップにおけるジャパン戦がモニターに写されていたのである。

其処は県都前橋の臍とも呼ぶべきイベント会場でありながら普段は閑散としているシャッター商店街であるが、本日はおいらがこれまで経験したことの無かったサッカーサポータ達による饗宴のごときライブ応援会場であった。会場に着いて数分のところで熱い応援の声援が悲鳴にも聞こえるようなシーンが訪れていた。アフリカのコートジボワールによって逆転ゴールを受けてしまったシーンとともにあった。詳細は判らなかったが前半ではリードしていた日本のチームが逆転されたとして、がっかり悔しき声の渦に掻きこまれてしまった。日本の再逆転を願って重ねられた応援の声も最後の時間切れの笛と共に萎んでしまっていた。アフリカ侮ることなかれとは云われていたがそれにしても残念至極の光景なのではあった。云わば敗北の饗宴だったのかも知れない。

「焼き牡蠣」ならではの磯の香りにうっとり

yakigaki01

久しぶりに焼き牡蠣を味わった。焼いたばかりの熱や香りやらを目の前で感じつつ、おいらは想像していたよりも小ぶりの牡蠣の身を、醤油を数滴かけて味わってみた。やはり磯の独特の複雑な香りや味わいは牡蠣ならではのものである。その磯の香りがプーンと漂いつつ、極めてミルキーであるその磯に特有の風雅な香りにうっとりとした。これだけでも牡蠣を味わう意味があるのだ。「海のミルク」等とも称されるようであるが、蒸した牡蠣の風味豊かな味わいは特筆に値する。生牡蠣はよほど体調に自信がなければ口にしないいが、焼いた牡蠣はいつでもうれしいものだ。

ネバネバ感ただよう「スタミナ納豆」で一献

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
かつては朝ご飯の友として身近であった納豆だが、今では晩酌の友としての役割が高くなった。納豆そのものも良き友だがそれにマグロ、玉子、山芋、きざみ海苔、等々を加えればネバネバ成分がまして味もまろやかになる。ここ数年前からはとくに、晩酌の友に「納豆」の出番が増えたのである。焼酎、ホッビーを飲みながらの納豆のネバネバ感はけっこう相性が良い。ねばねばした口腔内を爽やかなホッビーが洗浄していくようでもある。これはご飯と納豆との関係以上の親密性かもしれない。それを箸でかき混ぜれば、程よいネバネバの食感と共に、渾然一体となった納豆の香りが鼻腔を刺激するのだ。

この味わいに目覚める前には、例えば「まぐろと納豆」というメニューをランチで注文するときなど別々に口に入れたほうが良いとしばしば思っていたのだ。けれども海鮮ものとねばねば食材は良く似合うということを実感した今、そんな思いは吹っ切れていた。夜には熱燗のつまみにして一杯。そしてその後は、御飯とセットで食したい一品なり。

青魚由来の栄養素豊富な「アジのタタキ」を食した

ajitataki01

アジのタタキを食した。新鮮なアジの身を包丁で叩いて細かくして提供される。刺身よりも味がまろやかになり、味わいも増す。アジという魚はイワシとともに青魚の代表種であり、此の青魚がもつEPA、DHAという必須栄養素の摂取のためにも定期的に採り入れるべき食材なのだ。血液サラサラにする栄養素としてEPA、DHAへの関心は高まっており、この栄養素を摂取するのに生のアジこそがもってこいなのである。

日本で食される青魚の代表でもあるのが鯵である。「あじ」という名の由来は一説によれば「味が良い」からだとされている。たしかに魚の特有なこくが程よくのっている、美味な魚の典型ではある。鯵の干物にしても、また鯵の丸干しにしても、魚の脂が程よく染みていて、美味しさが一段と増すのだ。身近すぎることからあまり気付かなかったが、この鯵の恵みをこれまでどれだけ享受してきたことだろうか。この青臭い風味というのか、あるいは骨臭い食感というのか…、このような魚の個性を認めずに、肉類と比較してコメントするなどとはもってのほかではある。

北千住「徳多和良」の肴に舌鼓みなのだった

tokudawara01tokudawara02tokudawara03tokudawara04
北千住駅から徒歩で数分歩いたところにある立ち飲み居酒屋の「徳多和良」。おいらも前々から評判を耳にしておったのであり、是非とも足を運んでみたい店の一つであったが、ついに其の望みを叶えることができた。

同店の開店時間は午後4時だが、4時半位に到着したおいらは行列に遭遇することとなっていた。久しぶりの行列に並ぶこととなってしまったが、評判の店の味にありつきたいという思いの呑兵衛たちが行列する姿を目にしたら、そんな間も期待が高まってしまうのである。

期待が高まったところで入店となり先ず注文したのが「鱧の湯引き」だった。先日放映された「みをつくし料理帖」を視聴したことにより鱧に対する関心が高まっていたのが最大の要因。白くてふわふわした外観とは裏腹に鱧の骨の特有な食感が喉の味覚を刺激していた。其の食感と味覚により鱧の味わいはいっそうに味わい深くなっているのだった。鱧料理の次に注文したのが「シラス刺身」。そして「白海老のかきあげ」。

東京の居酒屋ではなかなか入手できない新鮮食材を使った逸品メニューの数々である。これらもまた味わい深くに味わい食していたのである。少しばかり調子に乗って色々注文していたようなのである。

■徳多和良
東京都足立区千住2-12