終日の雨模様であり、まさしく花散しの雨となっていた。
だがそれにも増して目を惹いたのが「躑躅(つつじ)」だ。仕事先へ向かう途中でつつじの花群に出逢った。真紅な花弁を咲き猥らせている、さる瀟洒な庭の花壇の一隅に咲き誇っていたつつじなのだった。生け垣に棲息する躑躅の樹々はよく手入れされていると見え、花びらは雨滴に打たれてしっとりと艶やかであった。
雨の日と躑躅の花びらはとても相性良く見える。生垣から真紅の花弁を広げるつつじの花は、都会のモノトーンに潤いをもたらしてくれるのでもある。
本日は休日だとかという案内があれども本日は曇り空の空模様が影響していて何処へも出かける気分にはなれなかった。これで夕食時分になつてようやく散歩を行っていた。何時もの居酒屋にてホッピーと酒の肴を注文していた。帰ってきたときに見たTVでは宮川一郎太の残念な恋のやり取りが放映されていたのではあった。結局のところは振られた一郎太さんの残念な心情のやり取りが、公共のTVを介してやり取りしたということに尽きるのであり、おいらはこんなことにかかわりたくないのは当然である。宮川君は恋の番組に出るべきではないのであり、こんな馬鹿げた事態に関わりあってしまっておいらもまるで残念至極なのである。
マックハンバーガーのコマーシャルでアボカドのメニューが流れていることもあり、アボカド希求の思いを強くしていた昨今、大田区内の居酒屋にて「アボカドサラダ」に遭遇し、一も二もなく注文してみたら、此れが意外性のもたらす美味さであった。あるようで未だお目にかかったことの無かったメニューでもあった。
そもそもアボカドと云えば、植物性の脂身が豊富な食材であり、果実なのに脂肪分が多く、別名「森のバター」と呼ばれることも納得なのである。脂肪分が豊富でありながら生活習慣病の原因とされる脂肪成分をほとんど含まず、脂肪成分のほとんどがDHAなどと同種の不飽和脂肪酸であり、普通に食するにはあまり気にする必要はない。しかも其のまったりとした食感やほのかな旨さなどが、鮮度豊かな刺身類にも比較されるくらいに日本人の味覚にマッチしている。こんなメニューならば自宅キッチンでも容易に出来るのであり、近く試そうと考えている。
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甘酸っぱい香りがぷんぷん漂う当書籍掌編小説のスタイルは村上春樹作品に特有のものではあるに違いないが、掌編集の中の「女のいない男たち」という作品に限ってみれば、春樹さん個人の肉声が詰まったあたかもエッセイのように語りかけてきたのだった。おいらにとっては不意打ちの如き想定外の驚きを伴って襲い来た体験ではあった。軽々とした物語を紡いでいる春樹ワールドとは異質の何か、小説世界のビジョンとはまた別種の世界観のようなものを訴えかけた作品のように受け止められていたのである。
そもそも本書籍にまとめられた作品を含む春樹さんの近作諸々に関しては、近い将来に春樹さんがノーベル文学賞を受賞し得るか否かの判断材料ともなる極めて重大な意味を持つ作品たちなのである。であるから尚更に、扱うテーマに関しては重大な要素を伴うものとなっている。誰かも知れぬ欧米出身のノーベル賞審査員たちの支持を得るものであるのか否かには否応にも関心を抱かずには居られないのだ。もしかしてこれらの春樹さんの近作が、軽佻浮薄な、浅薄至極な、或いはそれらに近しいという印象を与えてしまったならば、ノーベル文学賞候補作家としての春樹さんの評価をおとしめる材料にもなりかねないからである。そうなってしまったら身も蓋も無いと云うべきである。
「女のいない男たち」というタイトルに示されているように、近作にて春樹さんが追求しているテーマは「男と女」「恋愛」「性と愛」等々に収斂されていると思われる。此れ等のテーマ性がはたして、欧米出身の審査員たちの支持を取り付けることが出来るのか否か? いま此処にて発表される近作のテーマ性は、作家の評価に関してあたかも海中に沈まれつつ在る錨の如くに重くあり、評価を得る上でも甚大なものがある。
そんな村上春樹さんの近作における、まるでエッセイのようにも綴られた肉声に込められたものたちに対して、しつこくなるくらいに向かい合って検証してみたいと考えているのである。
(此の稿は続きます)
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今月に発行されたばかりの村上春樹さんの新作本「女のいない男たち」を読んだ。久しぶりの短編集だと云うことである。地元の書店でもイチオシ的パフォーマンスを展開している。ハルキストの春がやってきたという光景が垣間見られている。
同書はテーマを同じくする6話が盛り込まれている連作集と云う体裁であり、なかの4話は「月刊文藝春秋」誌にて発表済みである。おいらは文藝春秋誌にて掲載された4話をすでに読了しており、其れ以外の2話については書店での立ち読みにて対応仕様と考えていた。村上春樹さんの本はどれもが好きであり、おいら自身がハルキストの末端を占めているのだという自覚もある。だが然しながら短編2話を読むのに1700円ばかりを支出するにはちょいとばかり深刻な、個人的な経済事情が関与していた。だが実際に同書を手に取り、書き下ろし作品としての新作「女のいない男たち」を読み進めるなり、其んな個人的経済事情を打ち破るくらいに、持っておきたい、購入したいと云う思いが満いつしたからの購入ではあった。
(此の稿は続きます)
今月の9日からは「Windows XP」へのサポートが終了したのであり、おいらが使用しているXPパソコンを使い続けるべきか否かについて思案していた。XPパソコンは通常的に使用するならば現役のマシンとして使い続け得るものではある。然しながらサポート終了以後のXPは、セキュリティーにとって不十分であり、関係する他のユーザーに対しても迷惑を掛けてしまう可能性があるという。こんなにセキュリティーに関する脅しのようなメッセージを浴びてしまえば、早晩新マシンに移行することは既定の代物ではあった。おいらが今回購入したのは、所謂MARマシンである。専門店においては格安の値段で購入することができる。セキュリティーに関連するあれこれは不明だが、これからWin7マシンとして充分なパフォーマンスを期待するには充分ではある。
春の味覚の代表としての「初カツオ」を味わった。その身の色は鮮度まばゆい赤色に占められている。魚の青味を内に含んだ赤味とでも云おうか。大きく切りさばかれたカツオの身は、フレッシュさみずみずしさ至極であり、春の食欲を謳歌させる食材にもってこいであった。
マグロよりも小ぶりではあるが上品な味わいであり、人間の健康生活に必須の成分であるところのEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)の含有量が多いと云うことが挙げられる。しかも季節の旬を味覚で味わいつつ季節を愉しめるのだからこのうえも無い食材だと云って良いだろう。
「目には青葉 山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)」という山口素堂の有名な句に象徴されるように、「初ガツオ」といえば春を告げる味として有名だ。脂身濃厚なモドリカツオは、例えてみれば中トロのマグロではあるが、鮪の赤身以上のフレッシュさを味わうことができるのが、初カツオなのである。近頃では春というより も、現代では5月から6月にあたる、初夏に近い季節の味として広くいきわたっている。
晩餐の締めにて焼きそばを食した。添えられていたのが定番の「紅ショウガ」である。千切りにされたショウガを赤い色素に染めてひときわ鮮やかな添え物としての紅ショウガが出来上がる。比較的脂質が多い焼きそばの脂っぽさを中和させる作用がある。云わば焼きそばに紅ショウガとはベストパートナー。焼きそばに紅ショウガはよく似合うのである。
ショウガに接する機会と云えば、焼きそばの他にも寿司に添えられるガリがある。ガリの方が実際には色素や調味料を用いていないので、よりフレッシュな味わいだ。だがおいらは寿司のガリよりも焼きそば用の紅ショウガの方が好きなのだ。脂っぽい焼きそばとのコンビネーションに満足するからだろうか、或は別の理由があるのか知らぬが、此の紅ショウガを食べたくなったときに焼きそばを注文するというおいらの癖はこれからも継続して続いて行くのだろう。
昨日見つけたのだが、庭のチューリップが漸く花を咲かせていた。例年に比べると1週間以上は遅い開花である。
そもそも本年は50年ぶりだという大雪に見まわれており異常気象の寒気到来、全くと云って良いほど手入れもしないで放置していたチューリップが花咲かせることも無いだろうと、半ば諦めていたなかでの、思わぬ発見ではあつた。
実は一昨日の夕刻には、チューリップの蕾を発見していた。雨模様の日の夕暮れ時でもあり、甘露が乗った花弁の儚さにはじんわりと感じ入ったりしていたものではある。異常気候の日々を経て、一昨日には雨模様の中での寒気にも耐えて花を咲かせたチューリップはとても愛しく感じ入っていたことは云うまでもない。
注目してみるとまだまだ他にも開花を待つチューリップは我が家の庭を席巻していたのであり、これからの成長が益々に愉しみなのである。異常気象の年のチューリップの生命力には天晴れなのではある。
渋谷界隈へと外出し用を足した帰りに足を伸ばし、東急目黒線武蔵小山駅近くの「牛太郎」を訪れた。店の扉を開くと土曜の休日だというのに席を待つ人々の集団に遭遇することとなっていた。滅多に見ることのなかった満席状態である。店内のカウンター席に陣取って待つこと30分以上、漸く席が開いて、お目当ての酒の肴を注文することとなった。
先ず注文したのが同店の看板メニューこと「とんちゃん」である。メニューの名前はおちゃらけているが、味のほうは決しておちゃらけている訳ではない。ガツをはじめとする数種類のモツを味噌や生姜に漬けてそれを焼いて提供される品物であり、口にして逸品の味わいである。煮込みのモツより食感が強くてしかも味噌仕立ての味わいが濃いのであるから、おいらを含めて呑兵衛たち好みの、極めて個性派のモツ料理であることは明らかである。あまり訪れることのなかった東京都南部の名店の味は期待に違うことないものであった。
モツ以外のメニューについても、メニューの数は多くないが、おいらが注文したポテトサラダをはじめ、東京近郊の居酒屋メニユーの基本を踏襲しており、酒が進むことこのうえないのではある。
おいらが外出するとき、特に外泊を要するときに忘れることが出来ないツールの一つがウルトラブックだ。おいらが現在愛用しているのが「ZENBOOK」という機種なのだが、此れが実際、おいらが数年前に購入して以来、有したウルトラブック史上の最高の代物なのである。
何よりも先ずはCore i5のプロセッサーを搭載しているのでパフォーマンスに不満が無く、そして堅牢性に優れている。ASUS社のHPによれば、堅牢性を確保するためにアルミ板1枚から形成されるユニボディを採用しているらしい。実際にこれまでおいらが外出先でZENBOOKを使用している際に、トラブルは無かった。他の機種では有り得なかったメリットではある。
然しながら此れら二つのメリットを有しながらも、サイズ的には少々大きいのが難点なのだった。簡単に云うならばB5に収まらないのだ。B5の上のサイズA4でスムーズに収納出来て持ち運びが良いバッグを欲していたのだ。
そんなところで偶然にも思いがけなく手にしたのが、A4のウルトラブックパソコンが収納出来て、とても軽くて、バッグインバッグにもなり、ショルダーベルトにも対応する、キャリングポーチだ。近場の外出にはショルダーベルトを掛けて持ち運び、遠出の外出や旅行にはバッグインバッグとしても重宝出来るのだ。おいらのウルトラブックとのベストパートナーと云えるのだろう。
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日本全国にある路地には夫々に特別な地場ともいえる特別な趣が存在している。おいらは全国各地を旅するたびに、そんな路地に接してきたが、此の一冊はそんな個人の思い入れを遮断するほどの重みを有している。おいらがスローな旅で味わっている趣とは異次元の現実である。
全国の中にて「路地」と呼ばれる場所の一部には、被差別部落が在るのだということを、同書は示している。其の呼称の元の一つは、亡き小説家、中上健次さんの記述に依るものであるということなのである。被差別部落出身の中上健次さんが「路地」と呼んだ場所を、同じく被差別部落出身の上原善広さんが旅をしながら、ノンフィクションのルポルタージュとして纏めたものが本書の成り立ちである。
ただし、同書の中にては具体的な被差別部落の名称や場所を特定することは無い。おいらの出身地である群馬県内の路地を扱っている章を読んでみても、具体的な地名は確認出来ないし思い浮かべることも無かった。暗く重たく負のエピソードを抱えているとされる全国の路地を、作者はまるで巡礼の旅を行なうようにして歩きながら、レポートしている。
焼き鳥の部位には様々ある。今日は鶏肉の稀少部位「せせり」を焼き鳥で食したのだった。ねぎ間、手羽先、といったオーソドックスな部位にも負けず劣らずの味わいではある。上の写真の手前にあるものがせせりである。
此の「せせり」とはそもそも鶏の首の剥き身であり、一羽からわずかしか取れない希少な部位だという。ネック、あるいはそろばんなどとも呼ばれる。鶏の首まわりの部所であることからもっとも運動量が多いのであり、それかあらぬか様々にある焼き鳥の具としても此のせせりが最適だという意見も多いのである。これまでなかなかこの部位にはありつけなかったからか、最近は地元焼き鳥店を訪れるたびにしばしば注文してしまうのである。
春の川魚としてもっとも印象的なのが鮎である。鮎の塩焼きを味わえば春の訪れを実感することこのうえないのであり、鮎は川魚のなかでも特別なのであり、鯉や鮒や虹鱒くらいにポピュラーだった川魚とは一線を画して高嶺の魚だったのである。この季節は日本の河川にて鮎漁の解禁日が目白押しとなる。九州、四国など南国温暖の地区が早いようだが、細かく見てくるとそうとばかりは云えない。河川の周辺住民の意向や地域的文化事情、歴史事情等が絡んでいるようだ。おいらの出身県の群馬県でも鮎漁は盛んであり、これから鮎の本場を迎える。海無し県の川魚として鮎はとても愛されてきた魚なのである。
今回の鮎の塩焼きもまた、絶品の味わいであった。何よりもまずは食材の鮮やかさが引き立っていた。繊細な食味でありながら、大衆的な人気食材でもあり、この季節には積極的に味わい尽くしていきたいものなり。鮎という川魚はシンプルに塩焼きにして食するのが最も味わい深い。これは他の川魚である虹鱒、岩魚、等々の川魚においても云えることなのだ。
上州群馬に帰省していたとき、ふと立ち寄った蕎麦屋にて「おっきりこみ」という、おいらもかねてからの関心高き注目のメニューを食らうことが出来たのだった。幅広の麺が特長的であり、此の時期には冬から春に掛けての野菜がふんだんに用いられている。白菜、人参、牛蒡、蒟蒻、等々といった根菜を初めとした野菜類がその生命のピークを迎えるのだが、そんな野菜根菜類のピークを食材にしてメニューに取り入れた郷土食には、先ずは何よりの天晴の思いを強くしていたのだったのである。上州のおっきりこみについてはよく比較されるのが、甲州山梨県が発祥の「ほうとう」である。ほうとうの方が有名なことから、群馬の「おっきりこみ」が「ほうとう」の真似ではないかという根拠の無い疑いさえ掛けられていたものである。だが上州の「おっきりこみ」には甲州の「ほうとう」以上の要素があることは此処で示しておきたいと思うのだ。先ずは日本人にとってもっとも親しき醬油ベースの味付けであるということ。此れが大きい。ほうとうの基本的味は味噌であるが、此の味噌味が中途半端なものであることを体験しているのだ。だが上州の「おっきりこみ」については、基本的な出汁の味についても醬油の味付けに関しても、特段の異議などは提出されてはいない。格別なるライバルとしての「ほうとう」についてはおいらもとても好意的に捉えており、決してほうとうが邪道だと云うつもりも無いのである。だが上州発の「おっきりこみ」の旨さ、素朴さ、他に無いオリジナリティー性、等々についての関心を深めて行きたいという思いを強くしていた。そんな今宵なのではある。
上州こと群馬県の隠れた名湯「四万温泉」に旅したのだった。JR吾妻線の中之条駅からバスで40分程度を進むと、四万川に沿って趣きある温泉街が並んでいる。さすがに国民保養温泉第一号だけのことはある。由緒正しい温泉街の光景が迎え入れたのである。バスの終点から徒歩で数分を要したところに、積善館本館が在る。現存する日本で最古の湯宿建築なのだといい、群馬県指定重要文化財に指定されているという、これまた由緒正しい温泉旅館なのである。アニメ映画「千と千尋の神隠し」で描かれた宿泊所「油屋」のモデルとなったとされることでも有名である。
赤い橋を渡って辿り着いた積善館の、同館の昭和5年に建てられたという元禄の湯は、広い空間の中に5つの湯舟を並べた独特の形状であり、四万温泉の象徴とも呼ぶべき温泉のビジョンを示している。自然光の輝きが湯船を照らしている様はまるでアニメ世界を具現したような趣きを醸しており、特別な入浴体験を味わうこととなっていたのである。
玉ねぎ、キャベツといった日本の日常的な野菜にも旬の季節が存在するのだ。春の季節の野菜は多々あれども、春キャベツ、春玉ねぎたちにはこの季節でしか出逢うことができないのである。いわば春キャベツ、春玉ねぎたちは季節の旬的食材の類いに分類することができるのだ。こんな旬食材を放っておく手は無いのであり、旨そうなメニューを見れば注文したくもなること、人の基本的ならいなり候。
という訳で先日に出逢った「春キャベツ、玉ねぎのチーズ焼き」には、特別な思いを刻んでいたのだ。特別な春の味を受け取ったと云うべきである。基本はグラタンなのだが其のソースは非常に薄くシンプルであり牛乳に少々の欧風出汁を付け加えた程の味付けだったのであり、シンプルであり春味の鮮烈さを感じることができたのだ。