八丈島の地元グルメ「島寿司」を味わった

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八丈島の地元が発祥という郷土料理の「島寿司」を味わった。江戸前とは異なる郷土色としての美味しさを充分に堪能することとなっていた。

そもそもこのメニューとは、白身魚のわらさを「醤油漬け」にしたものが素材である。一般的な握り寿司と異なり、わさびの代わりに練りがらしを用いているのも特長である。練りからしが握りの寿司に似合うことはこの島寿司を味わえば納得のかぎりなのであった。

新宿で話題の映画「愛の渦」を鑑賞

新宿の「テアトル新宿」にて「愛の渦」という映画を鑑賞した。
http://youtu.be/3ZgjONaGH1g

所謂「乱交パーティー」の現場が舞台となり、其の場所に集った10名+舞台関係者たちの、下関係に集中された人間模様が描かれている。男女の性欲とそれにまつわる遣り取りなどがテーマとなった映画である。ただし主には性交場面以上にタオルをまとった男女たちの会話が場面のほとんどを占めている。それほどにはエロ的な映画ではなかった。エロ場面ばかりを期待したら裏切られるだろう。

主役を張っていたのが、女子大生役の門脇麦とニート役の池松壮亮の二人である。恋愛やセックス事情には疎くて初々しいというキャラクターが設定されていた。どちらの役者についても詳しくはないが、女優のほうにはテレビCMで目にしていたという記憶が高かった。東京ガスのCMである。ダンスが上手で主役の座を争っていたという設定だったと記憶している。そんな門脇譲の演技はとても新鮮であり、おいらもまた、女子大生役という設定にも累乗されて役の設定以上の連想的な、あるいは妄想的なビジョンを露にしていたと云ってよい。

「とんとんのまち前橋」でマスコットの「ころとん」に遭遇

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何時からだったかは知らぬがおいらの古里前橋は、「とんとんのまち」と呼ばれている。とんとんとはすなわち豚のことを指しており、豚肉の飼育、生産量が多いということからこのキャッチフレーズが名付けられている。おいらの知る範囲で云えば、大胡周辺や赤城山山麓界隈にて養豚所が数多く存在している。空っ風に代表されるような上州の云わば厳しくもあり逞しくもある吹きっさらしの自然環境で育てられた豚は、主に食用に供されるのだが、大自然の環境で生育した豚肉はそれだけでも貴重な食材なのだから、これを前橋のシンボルとして打ち出そうと画した市の広報関係者たちの努力には敬服する次第である。近頃はおいらも、「とんとん」のポスターやのぼりが掛かるお店が在るとどんなもんかと足を踏み入れてしまうこと多かりしなのである。

ところでとんとんのまちこと前橋のマスコットキャラクターは、豚のぬいぐるみで此れの名前を「ころとん」という。丸々とした豚の姿のぬいぐるみである。前々から知ってはいたが、本日は初めて「ころとん」に遭遇することとなっていた。前橋市民にもなかなか人気が浸透していると見えて、同時にハグを求めたり一緒に撮影を願ったりという光景にも遭遇することとなっていた。

佐村河内守の「謝罪」会見パフォーマンスに一言

今頃になってのこのことマスコミに出てきた佐村河内守が謝罪会見をしたというニュースに接しておいらは、この男の精神分析には此後は特に関心を持って見て行きたいという思いを改めて抱くこととなった。謝罪会見の全てを目にした訳ではないが、一つにはこの男は自分自身の脳内空間には己の自己満足的完結にしか関心の的がないのではないかということだ。自己完結させた謝罪やら反論やら、新垣隆氏に対する恫喝めいた発言等々、まさに矮小な世界観を露わにしている。こういうものを滑稽至極と呼ぶのもまたさもありなんということなのか・・。

「八王子夢美術館」にて「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」を鑑賞

「八王子夢美術館」にて開催されている「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」を鑑賞したのだ。
http://www.yumebi.com/
昨日から開催されている「八王子画廊散歩」のイベントで、八王子市内9軒の画廊、ギャラリーをスタンプラリーで巡り、参加画廊全てのスタンプがたまると「八王子夢美術館」での鑑賞券が無料になると云ったイベントを利用しての鑑賞であった。本日の夢美術館におけるテーマは「黄金期の浮世絵 哥麿とその時代展」ということである。あまり気乗りはしなかったが、無料鑑賞券を求めて夢美術館の会場へと足を運んだ。

夢美術館の会場では、江戸時代の美人画の大家とされる喜多川歌麿を中心にして、彼の弟子や同時代の江戸期における浮世絵師の作品約120点が展示されている。これだけの点数の浮世絵師たちの作品を一堂に会して鑑賞したことはこれまで無かったことであり、けっして無駄な時間を費やしたということではない。これはこれで価値ある企画展ではある。

喜多川歌麿や彼の弟子たちによって描かれた浮世絵やら錦絵やらの女性は、顔は下膨れであり目元はぱっちりとは云い難い、云わば江戸時代にのみ通用する美人の条件ではあり、とても現代における美人の其れとは一致することが無い。下膨れの目元切れ長でどんより、その他多くの条件において喜多川歌麿の時代と今現在という時代とは、隔世の感がある。そんなことを印象深く抱いていた。

今年も恒例の「八王子画廊散歩」がスタート

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毎年3月になると開催される八王子のアートイベント「八王子画廊散歩」が本日スタートした。今回おいらが作品出展しているのは「ことのは」というギャラリースペースである。

■第17回八王子画廊散歩
3月6日(木)〜3月11日(火)
開廊:11:00〜19:00(最終日は17:00まで)
https://www.facebook.com/garousanpo

■ことのは
東京都八王子市万町38-2

地元八王子の美術作家の多くが参加するイベントであり、毎回少なからずの刺激を受けている。作品を前にして批評し合うやりとりもまた楽しいものだ。

映画「小さいおうち」の黒木華さんの演技にドキドキ

http://www.chiisai-ouchi.jp/index.html
山田洋次監督による映画「小さいおうち」を鑑賞した。この映画では家政婦を演じた黒木華さんがベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞したこともあり、ひっきょう初めから最後まで黒木さんの演技にドキドキ、ウキウキなのだった。けっして美人顔ではない黒木さんの独特な存在感、役柄に同化しきったプロ根性といったものには惹き付けられない訳にはいなかったのである。山田洋次監督の丁寧な演出に感心しつつ、黒木さんの役柄は彼女ならではのドキドキ感を感じさせるに充分なものだった。

物語の時代背景は支那事変から太平洋戦争へと突入する近代日本における暗黒の季節なのだが、戦争の足音をさりげなく小市民の生活感によって描いているのが秀逸である。プロパカンダにけっして陥ること無く、時代の生活感を皮膚感覚までに昇華して表現することに成功している。

物語の後半部分で、黒木さん演じる女中がはじめてと云ってよいくらいに唐突に、若妻こと松たか子に意見するシーンがある。困難な時代においても自らの恋心を抑えきれずに若妻を難詰する。緩やかに進行していた物語のトーンが一挙に緊張感を有して行く場面である。

小さなおうちに行き交う人々の愛と憧れ、そして若き人妻と美大出身の若き男との不倫関係、若妻に仕える黒木さん演じる女中と若妻との魂の交流や葛藤、等々のテーマが渾然一体となって、良質な映画らしい映画に仕上がっているのである。

春夏を告げる「空豆」の焼きを味わったのだ

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春から夏を告げる巨きな青い豆が「空豆」である。通常は茹でて味わうものだが、焼いても旨く、少々硬いが身が締まっていてかえってその野趣を味わうことができる。特に弱火でじっくり時間を掛けて焼いた空豆には頬が緩んでしまうくらいだ。さやごと火に掛けるので焦げたさやを目の前にするとグロテスクではある。それでも手で裂いてみれば、鮮緑色のはじけるような豆の生命感を感じるのであり、そんな豆の身を見るにつけ漸く春の季節の到来を実感することとなった。

見た目も青々としていて、豆類の中では大降りの存在感を示すのが、この季節の「空豆(そらまめ)」である。名前の由来は、豆果が空に向かってつくため「空 豆」とされたという説が有力である。これからの季節には、「空豆(そらまめ)」が酒場のメニューにのる機会が増えるのであり、チェックも怠り無くなるのだ。空豆については豆の大きさが特筆されるが、大きいことは良い事だということばかりではないのである。押しの強い見た目に加えて、ビタミンB群をはじめとす る栄養素豊富であり、食感もまた他には得がたいものがある。豆の生豆として味わうならば、空豆を第一番に推奨するのが常識的でもある。

Windows XPパソコンが急激なパワーダウン

おいらが愛用しているXPのノートパソコンが、最近になって急激なパワーダウン。長い付き合いのマシンであるが、此れまでサクサク動いていたマシンが、まるで何かの病気に罹ったかのような状況なのだ。ネットサーフィンさえままならなくなった急激なパワーダウンの原因は何なのだ?まさかとは思うが、この4月だかにXPサポートを終える為のマイクロソフトのパフォーマンスなのではないかと疑ってしまう。

村上春樹さんの「独立器官」という不思議な小説(1)

 

「月刊文藝春秋」誌に掲載されている村上春樹さんの「独立器官」という小説を読んだ。同雑誌における「女のいない男たち」というサブタイトルを冠したシリーズの4作目である。このところ文藝春秋誌を開けば村上春樹さんの連作作品に遭遇するのであり、些か此のパターンも飽きが来ているところである。

今、春樹さんが此処という状況の中で軽い連作を手がけているのかは、ほとんどぴんと来ることが出来ない。ノーベル文学賞候補作家であるならば、今此の状況下において、他にすべきことが大切な事柄が甚大に存在するのだろうと考えているからである。例えば「1Q84」の4章目、BOOK4の執筆である。オーケストラの大作が完結を迎えるには四楽章のスタイルを必要としていた。三楽章ではまだまだ大いなるストーリーを完結させるには不足なのである。これは特に、ノーベル賞関係者が多く棲息する欧州圏にて顕著なのであるからして、村上先生もそのところをじっくりと理解して対策を踏まえるべきであると考えている。

それはともあれ、小説のプロットは「渡会」という名の整形外科医と「僕」という物書きによるやり取りによって進行していく。この作品の冒頭では、渡会という外科医の人格的形容を「内的な屈折や屈託があまりに乏しいせいで、そのぶん驚くほど技巧的な人生を歩まずにはいられない種類の人々」と説明がされている。女性関係においても極めてクールで計算高く、独身主義を貫いている人物だという設定だ。食うには困らないという形容以上に芳醇な経済力を持ち、女に困ったことが無いという安易な遊び人以上の恵まれた異性関係をものにしている。主に既婚者や決まった恋人のいる女性とのアバンチュール、不倫関係に限った関係を続けていた。

そんなプロットが、途中でひっくり返ってしまうのだ。まるで読者が作者によって裏切られてしまうくらいに、一気にやってくる。そんな作品「独立器官」後半についてのあれこれについては後の稿にゆだねることにする。

キムチ鍋と稗そうめんはとても相性が良い

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冷蔵庫に残っていたキムチを使って「キムチ鍋」をつくった。キムチ鍋のもとと共に古漬け風のキムチの酸っぱい汁が良い出汁を出している。

具材は豚肉、白菜、葱、茸類などと当たり前のものだが、植物性乳酸菌の独特の酸っぱい出汁のおかげで食欲も上昇。具を食べ終わった後の〆には「稗そうめん」を用いたら、これまた酸っぱい乳酸菌の出汁を吸ってするすると良い音をたてながら喉に吸い込まれて行ったのだ。