下町四ツ木の居酒屋「ゑびす」を探索

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前々からとても気になっていた東京下町の居酒屋「ゑびす」を探訪した。「四ツ木」駅を降りて10分弱ほど歩くとその店は在った。訪れたのは開店時間に合わせて午後4時にほぼ近くの時刻。ちょうど店員が大きな暖簾をかけていた最中であり、そんなスタッフを横目にドアを開けたのだが、そうたところで「其処は常連さんの席なので、あっちから入ったください」という女将の声。云われるがままに反対側の扉を開けて席についた。

ところでさる本からの情報によれば、此処「えびす」は地元の呑兵衛たちに支持される名店だということだが、その実態が想像できないままにいた。何しろメニューの数がべらぼうに多いという。場末の居酒屋でまかなえる数ではないのかと感じていたのだ。そして実際にカウンターの前には膨大な量のメニュー短冊が掛かっていた。しかも其れを見て注文する客のオーダーに対しては全てを受けており、欠品は存在しないかのようなのだ。

大量のメニュー短冊の中からこれまで口にすることのなかった「カワハギの刺身」を発見したので早速注文した。出てきたものは肝付きであった。カワハギの肝を山葵醤油の中で交ぜて味わったカワハギの身は想像以上の美味。肝と身の相性が抜群であったのだ。さらに二品目には、常連客の注文が多かった「肉豆腐」にほっこり。薄めの味付けが優しくて玉ねぎの甘さがじんわりと出ていて、居酒屋メニューとしてはとても評価高なのであった。そしてさらなる三品目には今や珍しくなった「ドジョウ鍋」にもありつくことができたのだった。

もしかしたらこの「ゑびす」という居酒屋こそ、呑兵衛にとっての理想的な一軒なのかもしれないと思わせるに充分なのてあった。

■ゑびす
東京都葛飾区四つ木1-32-9

「生タコの刺身」の吸盤に舌堤みなのだった

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生きていた生のタコを切り裂いて提供される「生タコの刺身」とやらを口にしていた。調理場では数分前には生きていたタコがその身を動かす姿が見て取れていた。こんな生のタコを目にするのは、かつて北海道を旅行していた時以来である。

吸盤がコリコリしているのは今までも出遭っていたが、本日の吸盤はと云えば、コリコリに加えてシコシコとして吸着する粘力さえもが感じさせられていたのである。

通常的に食べている茹でダコの食感に比べて格段に、コリコリとした食感がとても食欲なりをそそぐのである。この写真を見てそのさまを判断していただきたいのだ。

これから冬にかけてこそ味わい深い「ホタテの醤油バター焼き」

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急激な寒さが関東を襲っているが、冬が近づいて旨くなるものの一つにホタテこと帆立貝が挙げられる。丁度そんなことを考えていたときに遭遇したのが「ホタテの醤油バター焼き」。口にしてみたらやっぱり期待を裏切らない美味なのだった。

二枚貝であるホタテを遠火の炭で焼き、醤油とバターで味付けをしたメニューであり、日本料理の王道的調理法でありながら、なかなかこの味は他の食材では生むことが出来ないものである。やはりこの時季からの帆立貝ならではの味わいだ。

しかも帆立貝と云えば栄養的にみて、低脂肪かつ高タンパク、低カロリーなのであり、日常的にダイエットに気を使うおいらにとっても特別な食材だということになる。

ホタテの貝殻に乗せられた引き締まった貝の身が見た目もそそる。これから冬にかけては逸品の、殻付きでこそ食べたいメニューなり。

「里芋と鱈の子の炊き合わせ」にほっこり温まった

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地元の居酒屋ではおすすめ的メニュー欄に「炊き合わせ」というメニューが載っていた。その食材等を聞いたところ里芋とあれこれということだったので、注文して味わったのである。

提供されたのは里芋、人参と、鱈の子供であり、所謂「たらこ」であった。おいらのような通風持ちには禁忌的な食材なのであった。幸いにおいらの身体には今までのところ異常が起きていないので、ラッキーであったというべきであろう。

我が家でもついに「NAS」システムを導入

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先頃から気になっていた「NAS」というシステムを、ついに我が家でも導入したのだ。「NAS」とはネットワークアタッチトストレージ(Network Attached Storage)の略称である。ネットワークに接続して使えるハードディスクドライブのことを指し、Wi-Fiシステムの普及とともに注目されているシステムである。

ハードディスクとネットワークインターフェース、OS、管理用ユーティリティなどを一体化した単機能サーバという位置づけから導入には専門の知識やノウハウが必要とされていたが、いざ導入に際してはそんな心配も無用となっていた。

通常のファイルサーバと同様、共有ディスクとして使用することができるのが特徴である。今や必需品的アイテムとなったスマホやノートパソコンからも容易にアクセスすることが出来る。「NAS」ならではの設定を活かせば自宅内のネットワークのみならず、外出先にてWebを活用してアクセスすることも可能になる。またひとつ、新しいITの活用手段が広がったということになるのだろう。

白子料理はポン酢にかぎる「白子ポン酢」に舌鼓

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冬が近づく今頃の季節になると、「白子ポン酢」というメニューがお目見えする。主に冬に収穫される鱈(タラ)の精巣がその身の食材である。ポン酢でしめたこのポン酢和えが一般的な料理ではある。見るだけで冬の到来を感じさせる。

近頃では鍋料理にもこの白子が使われるというが、勿体ないことこの上なく、やはり白子はポン酢に限るのである。

つるつるっとした食感に、奥深いほんのりとした甘さと旨み。たんぱく質が豊かであり、ビタミンDやビタミンB12といった成分も豊富な食材である。

最大の 難点は「プリン体」が多いということで、通風もちのおいらにとっては鬼門的食材なのだが、それでもたまには口にしないとおさまらない。有り難くもあり危険 でもある、扱いが難しいことこのうえないのである。

「マグロのユッケ」の美味さを発見

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牛肉のユッケは食べる気にならないが、マグロのユッケと云う興味深いメニューに遭遇し、注文してみたところ、これが意外や意外の当たりなのであった。

叩いたマグロの身を辛めのタレにつけて、その上にウズラの卵の黄身が乗っている。いつものマグロ刺身とは一風変わってマグロ料理の新しいハーモニーを奏でていたのを発見したのだった。卵の黄身はマグロの身をまろやかにさせてマグロの甘みを際立たせている。

朝鮮料理の調味料にはユッケダレというものがあることは知っていたが、まさか生マグロに似合うとは知らなかった。生マグロとこのユッケダレがあれば家でも簡単に出来る料理らしい。今度は家で調理してみたいと思わせるメニューなのだった。

第二の故郷こと上州「たくみの里」を散策したのだ

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おいらの出生は上州の都こと前橋なのであり、さらにその出生をたどるなれば、上州の旧新治村の「たくみの里」ということになる。

夏休みやその他定例の休暇があればよくこの場所に通っていたものである。夏休みの一時には必ず其の地に居を得ていたのだ。其れくらいにおいらと母の出身地であるたくみの里との繋がりは深いのである。

 

萩原朔太郎の処女作品集「ソライロノハナ」に出会った

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群馬県前橋市の「前橋文学館」では「詩壇登場100年 萩原朔太郎、愛憐詩篇の時代」という企画展が開催されている。

萩原朔太郎さんが詩壇に登場して100年の記念を込めての企画展示だということなのだが、些か無理強いしいの感がぬぐえないものがある。副題では「開館20周年記念」とあるが、実はこの記念展としての企画なのではないかと疑いたくもなる。

展示会場で初めて出会った展示物の中では「ソライロノハナ」という、朔太郎さんの初期作品を集めた自筆の歌集が目に留まった。朔太郎さんが本格的に試作を始めた時期に出版された、云わば処女作品集なのであるからそれなりの注目を浴びて然りではある。

その「ソライロノハナ」という作品集には、詠み捨てた千首の中から忘れがたいものや思い出深いものを集めて編んだという。初期の萩原朔太郎作品を知り理解する上での貴重な資料ともなる一冊である。

内容は序詞「空いろの花」「自叙伝」「二月の海」「午後」「何処へ行く」「うすら日」等々の短歌が書き込まれている。

ところで「ソライロノハナ」という朔太郎さんの詩集のタイトルが引用されて「カゼイロノハナ」という美術館の企画展が同時開催されている。同じ群馬県前橋の企画展ではありあまり批判等したくないのだが、郷土の巨匠の作品集のタイトルを一文一文字変えて別の企画展に援用するのはどう考えても合点がいかない。朔太郎さんへのオマージュ、尊崇を表すには、一文字変えるようなふざけた行為は慎むべきである。

老後本も使いようかと初めて「定年後のリアル」(瀬古浩爾著)を読んでみたのだ

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老後や定年後をテーマにした書物は今や書店に溢れるほど在るが、これまでまともに読もうとする気にさせるものは皆無であった。それは例えば五木寛之先生や今や亡き過去の伊丹十三先生の書物等を含めても読む気にさせなかったのだった。

そして今回、おいらが初めてまともに手に取り読了した本がこの「定年後のリアル」であった。これまでずっとマスコミ関連の雑誌、ムック、等々の内容はたびたび立ち読みにて把握していたのだが、老後の資金がウン千万円、生命保険の使い方、等々と云った内容には些か眉唾的な対応を禁じえなかったのであり、そんな内容に対するアンチ的なものを読み取って同書を手にしていたからなのでもあった。

読了した一読者としての感想を率直に述べるならば、とても薄っぺらい一冊であったというしかないくらいである。何の役にも立たない一冊である。何でこんな本を手にとってしまったのかという後悔さえ生じさせ得る位に役立たない内容がほぼ全編を埋め尽くしているといってよい。

一つの反省として、これからは「老後」「定年後」等々をテーマにしている書物を検証してみようではないかという気持ちにさせていた。やはりこれからおいらをはじめとして誰もが訪れる「老後」「定年後」を無視しては人生が成り立たなくなってしまっている。誰もが理想の人生を送れるわけでもなく、もはや誰もが老後の生き方には注視せざるを得ないのである。