下仁田産「下仁田ネギのかき揚げ」は、上州ならではの逸品メニュー

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上州に帰省するたびに食べたくなるのはと云えば、地元下仁田産の下仁田ネギ也。今回はそんな下仁田ネギのかき揚げ天麩羅にありつくことになった。

当ブログで何度も紹介しているが、上州下仁田産の下仁田ネギとは、他の品種のネギに比べて見た目は、幹が太くて身が短い。生食や薬味としてよりも、天麩羅や鍋の具材やらにて特に存在意義を増すという、個性的なネギの品種である。そしてなによりも存在感が他を圧倒していることが、最大の特徴である。

食べた「下仁田ネギのかき揚げ」は、青ネギ、白ネギとそれぞれの部位の甘味や辛味をしっとりと味わせてくれた。ボリュームがあって辛味、甘味の夫々のバリエーションも愉しめる。上州ならではの逸品のメニューのひとつであった。

海老不信の昨今に「アカ海老」の寿司を喰らう

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海老不信の昨今に居るなかで「アカ海老」という寿司だねにありついたのだ。生で食する食感を満たすようであり、ぷりぷりしすぎず、新鮮なる海老の甘味に魅せられていた。

高級中華料理店にて食材偽装事件が相次いでいるおかげで、海老料理に接するたびに、この海老は本物か否か? 偽装食材か否か? 偽装の手口は? 等々の猜疑心が湧き上がって仕方がない。中華料理の業界にとどまらず、大きな海老は「大海老」、小さい海老は「小海老」と表記して逃げているという外食産業の現状が垣間見れる。小さな海老が芝海老なのかバナメイエビなのかの違いは、食の素人こと大勢の一般人にとっては判別しがたい。さらにブラックタイガーと車海老の違いなど、調理皿に乗った料理を見て判別がつくものではない。そんな素人の弱みに付け込んだ食材偽造なのだから、極めてたちが悪いと云わねばならない。

アカ海老とは車エビ科に分類され、赤褐色の体色が特徴である。赤褐色の殻をむいてみると、白く身の締まったエビの身が現れる。これがコリコリしすぎずにエビの甘味をダイレクトに舌に伝わるのである。中華のエビ料理がつまらなくなる。やはり海老は生で食するに限るのである。

求めていた「ピカビア展 FRANCIS PICABIA」の画集をゲット

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先日は「ピカビア展 FRANCIS PICABIA」の画集をゲットしたのだった。フランスの画家、フランシス・ピカビア(FRANCIS PICABIA)の画集を、思いがけなく地元の古書店にてゲットしていた。1999〜2000年にかけて我が国で開催されていた「ピカビア展」の作品をまとめたものである。

ピカビアとは、20世紀芸術家の巨頭ことパブロ・ピカソと比べては2年程前に生を受け、前衛芸術家としてキュビズムやダダイズムの影響を多大に受けた後に、独自の展開を遂げた、希有な作家であった。

おいらもフランシス・ピカビアには以前から特別に注目し、影響をも受けていたが、なかなかまとまった作品世界に接することがなかったのである。今回は地元の足繁く通う古書店で同書をゲット出来たことは、近頃における行幸のひとつと云って良いのだろう。

画集の中には、修業時代のものから始まり、キュビズム、ダダイズムの影響を受けた後の様々な作品群がまとめられている。ピカビアの個性が光る作品群についても「怪物の時代」「透明の時代」「模索の時代」「具象の時代」「抽象の時代」とそれぞれにマーキングがされてあり、とてもアグレッシブにスタイルを模索していた作家の苦悩を見て取ることが出来る。スタイルというのは一過性のものであり、つまりは生涯をかけて様々な試みにチャレンジし続けていたアーティストの指標を見ることが出来る。

そして、ピカビアの魂に通ていしていたテーマはといえば、人間存在だったのではないかと思うのである。人間存在がアートのテーマにあり続けている。このことが画集全体から浮かび上がって来る。様々な肉体的表情から、喜怒哀楽全ての人間存在の表情が浮かび上がって来るのである。

ピカソやダダイストたちの影響を受けながらも、自らのスタイルを模索して作家活動を継続していたピカビアの作品を観るにつれて、アートはスタイルを超えること、スタイルを壊すことから成り立っていることを再認識させていたのである。

澄みきった「牛筋煮込み」のスープは絶品だった

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一般的に「煮込み」という料理には「もつ煮込み」と「筋煮込み」が双璧をなしている。おいらの好みはといえば筋の煮込みの中でもとりわけ「牛筋煮込み」ということとなっている。

牛筋とはアキレス腱の部分や腱がついた肉の部分を指しており、にはゼラチン質が豊富に含まれており、脂身は少ない。ホルモンの部位とは異なり、あまり小売店のショーケースには並ぶことが少ないと云う。専門店での調理法が映える部位なのである。名店の「牛筋煮込み」は、ほぼ飲兵衛たちの支持によって長い命脈を維持しているのだと云っても良いのだろう。

余計な調味料を含まない澄み切ったスープの中には、清々しいくらいの煮込まれた牛筋の姿があった。そんなスープの中には大根の姿が待ち受けていたのであり、おでんの具としては贅沢過ぎるくらいの大根おでんを味わうことが出来たのである。

コンタックスGシリーズレンズ「CONTAX Sonnar T* 90/2.8」は、デジタルでも良好の味わい

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クラシックなフィルムカメラとしておいらが愛用している1台が「コンタックスG1」だ。一眼レフカメラとは対極をなすレンジファインダーカメラであるが、徹底的に電子化を図った機種として特筆される。主にスナップ的撮影には最適なフィルムカメラである。

開発発売元は京セラという日本のメーカーではあるが、コンタックスのブランドは、ライカと双璧をなす、ドイツのトップブランドであり、とりわけ「ツァイス・イコン」としての秀逸なレンズ群によって世界屈指の支持を得てきている。「CONTAX Sonnar T* 90/2.8」とはそんなツァイス・レンズの中のひとつとして未だに写真関係者たちの注目の的となっている。

普段使いのオリンパス製のデジカメにこの「CONTAX Sonnar T* 90/2.8」をセットして撮影してみた。使用したのは、コンタックスGマウントのレンズをマイクロフォーサーズのカメラにセットさせる「KIPON」社製のアダプタである。その結果としてのところ、ツァイスレンズの想像以上の味わいが秀逸であった。アナログ的レンズの珠玉としての「ツァイスレンズの」は、デジタルのカメラと交じわうことにより其の一層の存在感を示していると云ってよい。

アナログ的なふわっとした描写ながら、その描写力はデジタル世代のレンズに決して引けを取らない。程よいコントラストと色彩再現性の高さは目を見張るものがある。普段使いのオリンパスやニコン製レンズでは表現出来ない味わい深い表現を、このレンズが可能にしている。

久しぶりに「タコの唐揚げ」の味に舌鼓

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近頃では時々は食らうこの「タコの唐揚げ」というメニュー。食感は生タコ、茹でダコよりも弾力がありもっちりしていて悪くない。しかも柔らかくもあるが、タコのもっちり感はそのままに残されているので、特別な食感を愉しむことができる。
注文して周りを見渡すと、隣のおやじは鶏の唐揚げを食っておった。鶏唐揚げこそはおいらも幼少の頃よりポピュラーであり栄養価が高く、文部科学省推薦のメニューだろう。
普通に調理して揚げた鶏の唐揚げはほとんどが、不味いはずが無いくらいに旨い。
鶏肉に代わるくらいにこのメニューが普及することはあり得ないということは明らかなのだが、それでも「タコの唐揚げ」のメニュー促進についてはこれからもっと気合を入れてアピールしていかなくてはならないということが云えよう。
そもそもタコを唐揚げにするという料理は、おいらの田舎には無かった。それどころかおいらが上京し、東京の都会の垢に染まりつつも都会生活の中で溺れていた時期においても食べたことは無い。
このメニューが全国的に注目を浴びたのはおそらく、菊正宗のCMであったのであろう。
生かあるいは茹でたタコを食するのが通常の市民の慣わしであった時分に、いきなり変梃りんなメニューがブラウン管を席巻していたのであり、驚きであった。

中野区沼袋のやきとん専門店「やきとん たつや」のやきとんで一献

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西武新宿線の沼袋駅で途中下車。中野区沼袋のやきとん専門店、やきとんが美味いと評判の店舗「やきとん たつや」で一献傾けていた。一本一本の串焼きを炭火で丁寧に焼いている様を眺めているときから、期待を裏切らず、評判通りの専門店ではあった。

カシラ、タンと云った定番ヤキトン串焼きを食した後には、里芋やタマネギやその他のユニークなメニューを注文していたが、概ね期待に違わぬ味わいであったのだった。

西武新宿線界隈には、隣駅野方に「秋元屋」があるが、「たつや」はその兄弟店か弟子店か舎弟店かの店舗らしい。だが然しながらたつやが劣っているということではないのだ。モツの素材の鮮度は秋元屋に歩があるが、意外なネタを使って炭焼きにして提供するユニークさ、面白さ、勉強熱心さにおいては秋元屋を凌いでいるのだ。また再訪したくなる店なのだった。

■やきとん たつや
東京都中野区沼袋3-27-6 1F
03-5942-9986

解禁されて間もない「ボジョレヌーボー2013」を飲み干した

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先日11/21に解禁されたばかりの「ボジョレヌーボー2013」を、今宵は飲み干していたのだった。今年のボジョレの産地のブドウは天候に恵まれ成熟したブドウがとれていたということであり、例年にもなく良質の風味豊かな「ボジョレヌーボー」が出来あがっていたということである。

スーパーを訪ねるとやはり「ボジョレヌーボー2013」のコーナーが設置されており、数年ぶりに購入して飲んでいた。おいらは毎年飲んでいる訳ではないので例年のボージョレとの比較はできないが、久しぶりに口にしてみたボージョレは、スカッとしてフレッシュなブドウの風味が体験できて、特別なるワインであることは間違いないのだった。

群馬で地産地消的「下仁田ネギの鍋」にほっこり

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故郷の上州こと群馬に帰郷する機会が多いのだが、思いがけなく「下仁田ネギの鍋」という逸品的メニューにほっこりと温まったのだ。鍋の具には上州下仁田町地域特産の下仁田ネギを中心にして、豆腐、油揚げ、そして麩といったシンプルな取り合わせ。

和風出汁によって煮込まれたその鍋料理はあっさりとしてしかもネギの風味がたっぷりと漂う逸品的メニューであったと云えよう。

おいらもこれまで、下仁田ネギが鍋の主役になるなどとは考えたこともなかったのだが、この「下仁田ネギの鍋」を食してみて、はじめてその事実、下仁田ネギが歴とした鍋の主役に相応しいということを理解したのだ。

それは例えば都内に流通している一般的なネギに加えて深谷のネギや京都の九条ネギ等々と云ったブランドネギにも成し得ない存在感を、下仁田ネギが持っているということなのだ。多品種ネギのように薬味としての使用以上にネギ自体の存在感を有しているのが下仁田ネギである。

他の品種に比べて極めて太く、加熱すれば甘みが増して出汁の味を吸収するといった下仁田ネギ特有の効能が生きたとても逸品の鍋料理なのであった。そしてこれはまさしく地産地消的なメニューだったのである。

2014年版のスケジュール手帳を購入

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年の暮れを意識するこの頃になると、文具店や書店には「手帳コーナー」がお目見えする。少し早いとも思えるのだが、コーナーで手に取っているうちに自然な流れで2014年版手帳を購入したのだった。数年前からずっとダイゴー社製のシンプルでコンパクトなタイプを使用していたが、今回14年版は、少し大きめ文庫本サイズの表紙カバー付きのものを選んでみた。文庫本を持ち歩く癖がついているおいらにとってはなじみ深いサイズである。TVCMでもおなじみの有名な高橋書店製の代物だ。

この手帳の中身の基本的スタイル、基本的仕様はと云えば、月間及び週間のスケジュール記入欄が主を占めているということだ。シンプルに1週間のスケジュール記入欄が基本に置かれている点が何よりの好意的ポイントだ。これについてはもう10年以上同様のスタイルを選択している。

スマホやパソコンでも出来るが、やはり毎日の予定確認やスケジュール管理、スケジュール作りにアナログの手帳は欠かせない。明日の為に欠かせないアイテムのひとつではある。

「昆布の味噌汁」で温かなほっこり感を堪能する

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昆布から摂った出汁をたっぷりと使って「昆布の味噌汁」をつくったのだ。乾燥した昆布から煮た昆布出汁をとって、出汁をとって柔らかな昆布を細切りにして具にしていた。合わせた食材はと云えば舞茸とほうれん草。昆布出汁にも相性バッチシであり、とても温かく食することとなっていた。

当メニューは時々思いついたようにして、此の味噌汁をつくって味わいたくなる。普段のかつお節味とはひと味ちがっていて味わい深く、ほっこり感はこちらのほうがはるかに上である。

これから「和食」がユネスコ無形文化遺産に申請されるということだが、カツオ出汁に加えて昆布出汁がまた、和食こと日本料理の基本であることは明らかである。そんなことを味わい深く感じ取っていたのである。

巨大な中国産の「ニンニク焼き」を食した

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巨大なニンニクの炭焼きを食したのだった。

近頃気になっている肝臓病対応のために、とりわけ気にして摂っているのが大蒜である。一房一房を串に指し、炭火でじっくりと焼き上げる。じわっとニンニクの実からエキスが漏れ出てくれたら食べ頃なり。食感も味わいも満足の逸品だ。

其のニンニクは通常のものの3倍くらいはある巨大なものであった。マスターに産地を尋ねると中国産だという答えが返ってきた。

巨大な国土を有する国だからニンニクが巨大に育つとも考え得難い。ある種の特別な特別変異があったのかとも想像されるが、確かな証拠はどこにも見当たらない。いったいこの巨大な大蒜の正体は?
とりあえず記しておくことは、その巨大な大蒜の味わいは充分に大蒜のそのままの味わいであり、美味だったということ。例えば不味かったとすれば却って論点が整理されたのだが、決して不味い食材ではなかった。日本の農家にでも作ってほしいと思われるくらいの代物であったのである。

秋の魚「サバ」は漸く最近になって美味くなってきた

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秋の魚とされる「サバ」は、秋が中々到来しなかったというこれまでの今年の状況から、漸く今頃になって市場に多くの姿を見せるようになってきている。

主に酢に漬けて「シメサバ」として提供されているが、中には生のサバに薄酢に浸したくらいの新鮮なものまである。そもそもサバは足が早いのでシメサバが定番となっているのだが、シメサバか刺身かにはこだわらず、新鮮なサバであるにこしたことはないのだ。青魚らしい鮮青色の身は秋魚の中でも特筆すべき味覚を主張している。

秋の魚「サバ」は漸く最近になって美味くなってきたということなのである。

冬本番を前にして、静岡風「黒おでん」にほっこり

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冬本番を前にして、静岡風「黒おでん」に食する機会がもてたのだった。静岡のおでんと云えば「黒おでん」が定番。黒おでんの特徴は、牛筋でとった出汁に黒醤油のスープである。黒々として脂もギトギトしていることからしつこいのかと思われがちだが、決してそうではない。定番的おでん種の大根をはじめとして黒い出汁に煮込まれたおでんは想像以上にほっこりと味わい深いである。

関東風のおでんよりもこくがありしかもあっさりと胃袋に染み渡る。今や静岡を訪れる機会はほとんど無くなったが、昨今では都内にもこうした静岡風おでんを提供する店舗があるので、これからの冬の季節には屢々通いたいスポットとなっている。

黒おでんに欠かせない具が「黒はんぺん」であり、此れもおいらが黒おでんを求める一つのアイテムである。ちょうど良いかたさの歯触りや魚介の風味が虜にさせるに充分なのだ。

秋味の王道はやはり「銀杏」の実を抜きにしてはありえない

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イチョウと云えば今のこの時季に銀杏の実が結実するという特別な樹木である。昨今では冷凍ものも流通するというのだが、今の旬の時季こそは、銀杏の実の炒め物や煎り物が美味しく味わうことが出来るのである。

昨日は秋の今年度の紅葉に対する批判的な書き込みをしていたおいらなのだが、秋の紅葉とそれに伴う味覚を支持する気持ちには変わりがない。ぶれることなど無いのであり、以前よりも高まっているくらいなのである。

秋味の王道はと云えば、銀杏の実を抜きにしては扱うこと等出来ない、あり得ないのだということは確実である。

麗しからざる紅葉の色彩に自然の異変を感じる

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都会で見る今年の紅葉はおしなべて麗しくない。むしろ汚い部類に属するのではないかと思われるくらいだ。赤色は鮮紅には程遠く赤黒く色付いてあり、黄色は黄金色には似ても似付かぬ枯色黄土食とも呼ぶべき色彩なり。こんな紅葉に接した覚えはこれまでかつて思い出すことが出来ない。やはりと云うべきか、自然環境の異変を実感させられるに充分な事象ではある。

今年の秋はまるで素通りされたようである。ずっと暑苦しい夏日が続いていたのが、秋を感じさせることなく急激な気温の低下とともに、冬の季節に突入したのだ。これでは秋を感じさせるいとまなど無きに等しい。悪い季節感をこれからは受領し続けなくてはならないのかと思えばとても心重苦しい限りなのだ。

マイブーム的「大なめこ」はこれから欠かせない食材

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一昔前に「なめこ」というのは小さくてぬめっとした感触が特徴ではあった。成長しきらない途中のぬめぬめ感を強調する様ななめこが、真空パック的な入れ物にてスーパーマーケットの食材コーナーには並んでいた。だが、近頃ではそんな昔式のなめこを横に見ながら、大きな生々しいなめこが見入られることが多くなっている。

実はおいらも近頃の大きななめこが大好物なのであり、味噌汁や蕎麦の付き合わせにはかかすことが出来ないのだ。

本日も味噌汁に大なめこを使用して、明日はたぶん、蕎麦かうどんの汁にこの大なめこを食べ尽くすのであろうと思うのである。

村上春樹さんの最新掌編「ドライブ・マイ・カー」を読む

現在発売中の月刊文藝春秋誌に掲載されている、村上春樹さんの最新掌編的小説「ドライブ・マイ・カー」という作品を読んだ。

そうは売れていない役者の主人公の男性が、ちょっとした交通事故をきっかけにしてマイ・カーのドライバーを募集して、若い女性ドライバーがひょんな経緯により紹介され採用される。そして役者と女性ドライバーとの、新しい日常が始まっていく。ドライブに関しては非常な才能を持つ女性と役者の男性とがうちとけてきたそんなときのある会話がきっかけとなって、役者男性の過去のエピソードが明らかに、詳らかにされていく、と云ったストーリーである。

ドライブを行ないつつある男と女と過去の恋愛事情が交錯する、男と女の恋愛の苦悩をテーマにした86枚の書き下ろし小説であり、恋愛小説的にみればオーソドックスな筋立てであり、あまり春樹さんらしくはない。それでもやはり一気に読ませる村上春樹ワールドは健在ではあった。

上野アメ横の屋台でエスニック的「マーランタン(麻辣湯)」を食す

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上野のアメ横界隈を歩いていると、先頃では中華屋台風の店舗に出会すこと多くなった。脂ぎっとりの肉食関係は控えているおいらだが、エスニックな香りにに惹かれて度々は屋台に立ち寄ってしまうのだ。今回立ち寄っていたのは「マーランタン(麻辣湯)」が看板にしていた台湾系のアジアン屋台店だったかと思う。焼き小龍包やら餃子、焼売類が豊富に提供される中でも「マーランタン(麻辣湯)」は一押しメニューであった。

「マーランタン(麻辣湯)」というメニューは、豊富なアジアン野菜類のスープに加えて春雨がただよっており、アジアンな極辛の辣油を調味料にして味付けがポイントのアジア的麺類の一種である。所謂中華料理とは一線を画しているから、アメ横を訪れる観光客の誰もに関心が持たれている、云わばアメ横的メジャーアジアン屋台の逸品である。

奇才ボリス・ヴィアン原作の映画「ムード・インディゴ〜うたかたの日々」を鑑賞

何しろ原作が奇才としてならしたボリス・ヴィアンによる「うたかたの日々」だというので、先日から観に行きたくてしょうがなかったのだ。同原作は「永遠の青春小説」と評価されフランスで熱狂的な若者の支持を受けており、400万部以上のベストセラーをはくしている。おいらもかつて青春の一時期に読んで心踊らせたことを懐古する。

10/5にロードショー公開されてからもう一月以上が経っていた。都内新宿の映画館での終了日を過ぎた今日、もう一つ上映中の渋谷の映画館「シネマライズ」に駆けつけたのだった。

いざ始まってみた映画は、原作のイメージを通り越してキッチュでポップでさらには人工的なシーンの数かすに驚ろかさせられる。時代背景近未来なのか、或はヴィアンが生きた時代のパリなのかさえ判然としない。まるで大人のおもちゃを持て余す登場人物たちは映画の中ではしゃぎまくる。恋愛に驚喜する姿がキッチュな映像となって流れていき、次第に映像世界に順応したという頃、例の睡蓮の病が主人公を襲うのだ。

前半の作り物玩具的シーンは影を潜めて、後半に入るとモノクローム調のねっとりと湿度の高いシーンが胸を襲って来る。見応えあるのはやはり後半部分だ。キラキラと煌めいていた愛の儚さがまるで夢から覚めた現実を受け止めるかのよう。原作者のボリス・ヴィアンはキラキラとした才能を振りまいたが、彼の魂の底流にはリアリズムのリズムが流れていたことを感じさせていた。

■ムード・インディゴ〜うたかたの日々
http://moodindigo-movie.com/

■シネマライズ
東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル
03-3464-0051
http://www.cinemarise.com/