TONTON(とんとん)のまちとして売り出し中の前橋で焼きトンを注文。出てきたのは「上州豚」をぶつぎりにカットして炭火でやきこんだという、とても質実剛健的な一品であった。
ばら肉を串焼きにしたものに加えて、レバ、ハツ、等の部位をたれで焼きこんだものも、シンプルな豚のモツ料理として堪能することとなった。古くから慣れしたしんだ故郷のあじである。
昭和の電気店そのままという風情を残した前橋市内の「TSUTAYA」という電気店がある。
かつてはおいらが少年時代をすごしていた頃には当たり前の店舗である。そんな店舗が注目を浴びた理由は、国際的な映画祭であるカンヌ映画際に「そして父になる」が、第66回カンヌ国際映画祭 審査員賞を受賞したことによる。つまり、前橋市内の「TSUTAYA」という電気店が、同受賞作品のロケ現場になったことにより、注目度が高まったという訳である。
店舗に近づいて中をのぞいてみると、古びたテレビジョンと共に関連する周辺機器たちが鎮座している光景に目を釘つげにされていた。いまどきのパソコンやらが置かれていたらば書いたいなという願いは適わなかった。いまどきの効率を度外視したかのごとくに存在するかのような電気店なのである。
いつからか上州前橋は「TONTON(とんとん)のまち」と呼ばれるようになったらしい。らしいと書くのは、おいらが青少年じだいを過ごしたころにはこうした呼び方はなかったからだ。ところがいまでは、帰郷色豊かなローカルフードなのだった。
前橋EKITAという駅前ビルの地下ではんばいされている。豚のロース肉を特製味噌だれに漬け、1枚1枚丁寧に炭火焼してお弁当にされている。味噌の甘辛味がなつかしい昔からの豚肉料理であり、販売元のシェ・スナガでは、同様の食材のお重が提供されている。今年の「第4回 T-1グランプリ」では決勝進出されたという人気のメニューだ。
シェ・スナガ 027-251-8311 群馬県前橋市石倉町2-4-1
川魚の代表格として挙げれば、やはり鮎なのであり、その料理も鮎の塩焼きにとどめをさすと云ってよいだろう。こと海無し県こと群馬県にて生まれ育ったおいらの事情を述べさせてもらうならば、日常的に鮎は食べたことがなかった。川魚といっても鮎は特別なのであり、鯉や鮒や虹鱒くらいにポピュラーだった川魚とは一線を画して高嶺の魚だったのである。であるからしておいらも鮎の美味さを知ったのは、高校を卒業して後のこと。しかもかなりの年月を経て20代も後半に差し掛かっていた頃だったと記憶する。先輩に連れられて訪れた居酒屋では、いくらだったかは失念したけれども、「鮎の塩焼き」はとても高価にメニュー表に映っていた。こんなに高い川魚と云う鮎の味はと云えば、当時の記憶では淡白な白身だったという思いがつのるのだが、やっぱりいま此処で味わう全身に塩をまぶして炭火で焼かれた「鮎の塩焼き」はといえばまさしく川魚の王者に相応しい。よくある鮎に添えられる蓼酢のような余計なものは無くてよし。無くて更によしの逸品の味わいなのであった。
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「島田雅彦芥川賞落選作全集」を読んでいる。何しろ同文庫を手にしてすぐに、島田雅彦さんによる「芥川賞との因縁」というタイトルの前書きにひきつけられてしまっていたのだ。
今や芥川龍之介賞を選出する権限を手にしている選考委員の島田雅彦さんであるが、若い駆け出しの頃にはさまざまな身の周りの不条理に悩まされていたのだった。人気作家こと島田雅彦さんは、過去の若い頃においては将来の文学界を担うべき作家として嘱望されていたのであり、6つの作品が芥川龍之介賞の候補作になりながらも、ついには芥川賞を受賞することが無かったという、ある種の勲章をいだいている。云わば芥川賞受賞に引けをとらないくらいの勲章にも値するしろものである。
数十年ぶりに読んだ初期の代表作「優しいサヨクのための嬉遊曲」は、島田雅彦さんの原点であるばかりか、既成の文学界といった枠をぶち破る資質を有していたということを思い知らせていた。
6作品をよみおえてはいないが、読み終える価値ある全集であることを納得させられたのである。
草間弥生さんといえば、信州松本出身の現代芸術家として名高く、先日訪れた「松本市美術館」の草間彌生展示室では、草間さんの独特な創造世界に接することとなっていた。まるで少女の頃からの特筆すべき創作のインスピレーションが、成人となって以降、或いは米国へ渡って以降、そして世界の名声を獲得して後の郷土の地に帰ってから以降…、といった全てが生々流転する草間さんの斑点のごとくに視覚化され、感じ取っていたのである。表現方法は絵画、ソフトスカルプチャー、コラージュ、版画、環境芸術、野外彫刻、映像、文学など多岐に渡り、それらの作品の生成過程を当美術館で目にすることとなっていたのである。
例えば「かぼちゃ」が此の地域の名産かどうかは知らないが、当信州松本においてはかぼちゃのイメージは、草間彌生さんの作品イメージに被っている。どうしても草間さんの作品イメージとかぼちゃそのものとを区分けしていくことが難しい。かぼちゃは信州松本においては郷土に密着した野菜であると共に、草間彌生さんという存在を通過して変容した「かぼちゃ」となって定着している。草間彌生さんの信州土着の創造性を存分に受け取ったのであり、また郷土松本との確執を経ての特殊な、云わば「関係の絶対性」というものを感じ取っていたのであった。
■松本市美術館
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/artmuse/
■松本市美術館 草間彌生 展示室
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/artmuse/p4/p3-html/p3-kusama.html
【追記】
撮影NGという規制のために当美術館展示室の模様を紹介することが出来なく至極残念である。公共的美術館がこのような固陋な規制に終始していることは納得できないということをここに記しておきたい。例えば岡本太郎さんの関連する美術館を見習ってほしいものである。
奥歯が疼きだして1~2週間になっていた。我慢できずに地元の歯科医の門をたたいた。4~5年ほど前に治療して以来のことである。某個人的な記憶では5年は経っていなかったはずだが、4年以上は経過していた。おいらの運転免許証の写真が歯痛に苦しんでいた時に撮られたのであるからその記憶は確かなのだ。
そもそも予約無しの訪問なのであり、予想していたくらいにはだいぶ待たされていた。近頃の歯科医の待合室にはテレビなども設置されていて、決して待たされて憤慨していた訳ではない。却って暫らくぶりの歯科医の施設内を面白く観察していたくらいなのだった。
しばらくは歯医者通いが続くかと思うと憂鬱至極なのであるが、この際は、早く虫歯が消えてなくなるのが大前提ではあるが、歯医者と云う人気商売の内情などを観察していこうかなどとも邪なことを考えているのでもある。
訪れた安曇野の風景は水田の風景が印象的であったのだが、其れとのコントラストを印象付けるかのごとく、大麦、小麦、そして山葵畑、等々の畑の農地に出くわすことになっていた。
水田と畑のどちらが主役と云うのでもなく、大麦、小麦、蕎麦、等々の田園風景は共存してマッチしていたという印象がとても強くある。豊穣な水を有する地域でありながらも、乾いた畑を農地として有効活用している。これは現代的農業にとっては画期的なる現象ではなかろうか。
麦茶の原料となるのであろう大麦畑はちょうど刈り取り期にもあたり、刈り取りの現場に遭遇することが出来たのだった。水田に取り囲まれた大麦畑に、近代的なトラクタが走っていた。水もなく乾いた畑では一目散に刈り取る収穫の工程が繰り広げられていたという訳なのである。
そして安曇野では何度か蕎麦を食したが、その全てにちょこんとして添加されていたのが安曇野名物の山葵である。摩り下ろして蕎麦に乗せたり、蕎麦湯に混ぜたり、或いは細かく細切りにした生山葵を掛蕎麦に添えたりと、食べ方は決まりきったものなどはなく、思い思いの蕎麦店の創作的メニューとなって愉しませてくれたのである。
数年ぶりに信州長野県の安曇野へと向かった。この季節の日本の田舎はどこも田植えを終えた水田に満ちており、春から夏への日本の典型的な風景が望めるのである。この時期にこそ日本の原風景に接することが出来るということもあり、とても心躍らされる体験となっている。
この地域の光景が日本の原風景だとされる所以は多々あれども、かつて黒澤明監督による「夢」という映画作品が此処安曇野の「大王わさび農場」という場所で撮影されたということが、安曇野の風景を国内に「原風景的風景」として有名にさせている。北アルプスの山々から伏流水として届けられた清らかな川の水を目にすると、確かにこの土地ならではの日本的原風景を、充分極まりないくらいに目に記憶させてくれたのである。
田植えを終えて田んぼに水が張っている水田はとても瑞々しい日本の原風景である。これから水田が健康に育っていくことを願いつつ稲が発芽、成長している姿は、安曇野と云う一地域の事情を超えて日本の国土の成長を見るくらいの思いなのである。
夏に最適なメニューの代表的存在はなにを置いても「素麺」なのである。夏バテで食欲が低下したときなどにはとても重宝する食材だ。市販されているもののほとんどが小麦粉を原料としているが、我が国の伝統的な雑穀の「ひえ」を原料としてつくられた素麺がある。岩手県軽米町の「古舘製麺所」が製造する「稗(ひえ)素麺」がそれだ。
稗(ひえ)とは、米、麦といったメジャー穀物に比べて実が小さいぶん生産効率には劣るがとても栄養価が高くまた食物繊維も豊富な穀物としての評価が高く、健康食物として注目されている。
細長く素麺状にして自然乾燥された「稗(ひえ)素麺」は、大地の恵みをしっかりと舌とのどとであじわえる。これから夏本番を迎えるにあたってとても頼もしい食材なのである。
■古舘製麺所
〒028-6302 岩手県九戸郡軽米町軽米第8地割139
0195-46-2301
http://www.hattouya.com/
ウルトラブック「ASUS ZENBOOK」を購入した。これまで使用していたノートパソコンの力量不足をずっと感じ取っていて、ずっとストレスの種であったことがきっかけとなっている。
さらに加えて、実家に居る時間が増えてその場所でも仕事ができる環境を構築していたいという思いからも、今回の購入に踏み切ったという訳なのである。
最新の「Windows8」ではなくて「Windows7」が基本OSであるということもまた購入のきっかけになっていた。「Windows8」は不完全的なOSであり、さらにはこれまでのアプリケーションとの親和性が低いということがあり、これまでのソフト的資産を無駄にしないためにも「Windows7」ベースのウルトラブックが欲しくなり、目を付けていたのであった。
何度か目になるが、文庫版「白痴」に収録されている坂口安吾さんの「戦争と一人の女」を読んだ。
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先日鑑賞した「戦争と一人の女」にこころ踊らされたにもかかわらず、胸の奥深くにとどまって咀嚼できないでいる小骨があり、なんとかその飲み込めずにいる小骨の正体を知りたいと考えたからでもあった。
http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=7733
もっとも違和感として残っていたのが、安吾さんの分身である作家の野村が、戦後まもなくヒロポン中毒が原因で死んでしまうというくだりである。このストーリーは正しくないばかりか安吾さんの生涯的生き様を無視しスポイルしている。作品中の主人公、江口のりこ演じる飲み屋の女将と同様に、原作者の坂口安吾さんは戦後をしぶとく、逞しく生きたのである。それを脚本家の恣意的な操作でヒロポン死というわい小なストーリーにアレンジさせた事実は、安吾ファンの一人として容認することはできない。
若松孝二監督の弟子に当たる井上淳一が脚本を書きメガホンをとっている。戦後生まれの映画監督が描く「戦争」のビジョンは観念的であり浮ついている。とても安吾さんの達観したリアリズムをうけついでいるとは云い難い。単なる編集、アレンジを逸脱しており、原作者に対する尊敬の念も欠いた恣意的な脚本であると云わざるを得ないのである。