思いの外にグッドなる「カレイの子持ち煮付け」

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白身魚の中でもポピュラーなのがカレイではあり、たとえば高級魚のヒラメと比較して、ポピュラーであることが評価的低位に甘んじているようであり、それは極めて不条理であることをここにリポートしていくのである。

カレイの煮付けには、カレイの魚卵の煮付けが添えられている。でありの「子持ち」であるのだが、しこしこのカレイの魚卵はとても風味抜群である。思いの外にグッドなのである。

思いの外にグッドなる「カレイの子持ち煮付け」なのであった。

「鶏皮餃子」は手羽餃子より確かにいけたのだ

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「鶏皮餃子」というメニューを食したのだった。

メニュー表を一見したところでは「鶏の手羽餃子」なのだろうと早合点していたのだが、よく見たところ手羽餃子ではない。手羽餃子はある種ポピュラーなメニューになりつつあるが、おいらはこれが中々合点がいかぬ、邪道的メニューとして捉えているところなのだ。

それにひきかえ出されていた「鶏皮餃子」は多分はじめて食する代物だったが、当初の予想以上に美味しくいただいたのである。

先ずとりあえずは口にしたところ、照りの利いた鶏皮の食感は、コラーゲン的潤いを彷彿とさせる味わいなのであり、軽く噛み切れるほどの弾力がナイスである。ナイスナイスを何度も口にしたくなるくらいにぐいっとくる。噛み切った奥には馴染み深い餃子のあんが待ち構えていた。

「コの字酒場案内」でみる「コの字酒場」の特別な魅力

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「コの字酒場案内」という本を読んだ。呑兵衛向けの酒場、居酒屋案内の書物であり、サブタイトルには「厳選! コの字カウンターのある酒場ガイド」とある。東京都内の「コの字」に設定された酒場、居酒屋を紹介しつつ、その独特の魅力について言及しているのだ。

「コの字」のカウンターと云えば、コの字の外側には酔客が並び、中では店主をはじめ酒場関係者が注文を受け付けていると云った光景が目に浮かび、古き良き酒場の伝統を今に引き継いでいるとも云うべき、象徴的存在である。

酒場のマスターはじめスタッフ達との密接で適度な距離感において向かい合い、客同士のコミュニケーションもとりやすい。そんな酒場のことを「コの字酒場」と命名している。此のカウンターにスポットを当てた同書の切り口には、流石の命名的センスを感じ取っている。

加藤ジャンプと名乗る同書の著者は、「コの字酒場探検家」を自称し、四半世紀にわたってのコの字酒場歴を経験するという猛者である。おいらも翻って考えてみれば、四半世紀以上にわたってコの字酒場には入り浸っていた呑兵衛の一人であることを、改めて思い至ったという、有り難い一冊でもある。

今年の「ワカサギ」も絶品の苦味と野趣性にうっとり

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大衆居酒屋にて「ワカサギの天ぷら」を食したら、また今回もという季節の味わいにうっとり。寒い湖底の中に生息するワカサギの姿は、その苦味とともに絶品の味覚を届けてくれる。

おいらの出身地の上州群馬県ではこの時期になると活き活きとしたワカサギ料理が目に付いてくる。上州のみならず東京都内の居酒屋でも、このワカサギ料理がポピュラーになったことは甚だ喜ばしいものではある。

このワカサギも多分、上州の榛名湖の湖底に生息していたものたちであろうという想像をたくましくしつつ箸を運ぶと、湖底のエキスさながらの苦味のエキスが口腔内を取り囲むように広がっていくのだ。

自家製の「きりたんぽ鍋」でほっかほかなのだ

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自家製の鍋といえば、おいらのところでは例えば「湯豆腐」「キムチ鍋」「寄せ鍋」というものたちがポピュラーだったが、今宵は少々赴きを変えて、「きりたんぽ鍋」をつくって食したのだった。

近くのスーパーマーケット店にて、きりたんぽの具のもりあわせを買い込んで、おそらくは初めての自家製的「きりたんぽ鍋」にチャレンジということになったのである。

自家製の「きりたんぽ鍋」でほっかほかなのだった。

川上弘美さんの傑作長編小説「真鶴」を読んだ

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川上弘美さんの長編小説「真鶴」を読んだ。

東海道線に乗って熱海の2つ手前の駅で降りると、真鶴港に向かう岬道が延びている。この小さな町が物語の舞台となっている。主人公の女性こと京は、夫に失踪されて12年が経つ。そしてあるとき元夫の書き残したメモに「真鶴」とあるのを発見し、真鶴への旅を繰り返すことになる。

「歩いていると、ついてくるものがあった。」「またついてくるものがある。」等々といった記述により、はじめはミステリー仕立ての物語かと思ったら、そのあと簡単に裏切られていた。夢かうつつの主人公に語りかける女の存在は、夫を奪った愛人なのか、或いは彼女自身の分身なのか…曖昧なままに、緩く進んでいくのだが、決してその流れは煩わしさもなく、かえって心地良さに満たされるかのようだ。

主人公の京には、現在進行形の愛人とも呼ぶべき編集者の青磁という男がいる。何回目かの真鶴訪問には、二人で訪れてもいる。過去と現在進行形との愛欲の交わりが、ストーリーに緊張感を生じさせるが、そんな設定も、物語を大部を占める緩やかさにとっての、脇役的な設定でしかない。

ぽつりぽつりと、言葉がこま切れに繋がっていくような、独特な言い回しもまた、物語をいっそう個性的な世界として浮かび上がらせるのだ。

文学評論家としての吉本隆明氏によれば、言語には「指示表出」的要素と「自己表出」的要素が存在しているとされる。当作品「真鶴」はまさに「自己表出」的要素の横溢した文体により創造でされた傑作である。他の作家の誰とも異なり、おそらく川上弘美さんの以前の作品にも無かったであろう、極めて純度の高い文体にまで昇華されている。その結果的に「指示表出」的な部分は影を薄くさせ、曖昧さが立ち上るのであるが、この香りこそが物語独特の風味となっていて、読者を魅了させていくことを感じ取らずにはいないのだ。

田中慎也氏の「共喰い」文庫版が発行。瀬戸内寂聴さんとの対談が面白い(2)

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昨日の、文庫版「共喰い」に関する記述の続きである。田中慎也氏による芥川賞受賞作の「共喰い」は、田中氏の日本語に対する稀有なる扱いの妙というものが見て取れるのであり、これは瀬戸内寂聴先生も認める才能である。然しながらに、小説家には扱うジャンルの向き不向きということが厳然として存在し横たわるのであり、田中慎也氏は、どうも恋愛ものを苦手としているようなのであり、寂聴先生もそんな田中氏に対して、愛情のこもったはっぱをかけているのだと、おいらは感じ取っていたのである。恋愛はもっとしなさいだとかいう寂聴先生が語った語感の端々にに、そのことが見て取れるのである。

芥川賞作家、田中慎也氏の文庫版「共喰い」が発行。瀬戸内寂聴さんとの対談が面白い

芥川賞作家、田中慎也氏の受賞作こと「共喰い」の文庫版が、角川書店の集英社文庫より発行された。

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単行版の書籍で同作品を読んでいたおいらは、この文庫版を購入することはしなかった。けれども後書きにて記されていたところの、瀬戸内寂聴さんとの対談頁にはすこぶる興味をそそられており、立ち読みにて読了したのであった。

当対談の実現は、作家の田中慎也氏が瀬戸内さんとの対談を希望して実現したという流れである。

内容の大部分については、「源氏物語」に関するやり取りでしめられている。天皇になれなかった光源氏が色恋沙汰の恋愛に没頭することかできたという、田中氏による独自の分析が開陳され、それに対して瀬戸内さんが軽く受け流しつつ、芥川賞作家の恋愛観なり女性観なりについて、縦横無尽に突っ込んでいるという箇所がすこぶる面白い。

春を前に味わった「ワサビ葉着け」は鮮度抜群

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綺麗な水で育成されるワサビは、一般的に食用にされる地下茎の部分以外に、葉の部分が所謂「ワサビ葉」として食される。春の味として定着していたのだが、春を待たずに漬物として味わうことができたのだった。

控えめの醤油にて漬け込まれていた「ワサビ葉着け」は、その独特な香りが強くて、辛さや激烈な刺激以上に、新鮮な春の味覚が横溢している。春を前に味わった「ワサビ葉着け」は鮮度抜群だったのである。

根っこの部分のワサビは葉の部分に比べて辛味的刺激度は低かった。地下茎として育つ前の部位ではあり、意外性に吃驚していたものではある。

「爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011」には、本音版的日本映画ファンの思いが凝縮している

「爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011」を読んでいたのである。インパクト強く、編集スタッフの思いれぎっしりの一冊ではあった。

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表紙には若手有望株の浦島ひかり主演映画「愛のむきだし」のスチール写真で構成され、最初の扉ページには、「幻の湖」で疾走する南條玲子さんの写真がアップにて踊っているのだったのであり、このスチール写真にはいささかおいらも興奮の思いを禁じえなかった。これはまさに日本国のメジャー映画界のおきてやしきたりに反している。のみならずに、我が国の映画愛好家たちとは一線を画する評価基準が見えており、非常に面白いのである。

我が国の映画愛好家としてピックアップするならば、例えばネット掲示板界の第一人者として一世を風靡していた「赤煉瓦掲示板」主宰者の今井正幸氏は、たしかおいらとの掲示板上のやり取りの中で、「幻の湖」を観たことがないと語っていたのだった。こんな実験的意欲的作品を、こともあろうに映画マニアを任ずる今井氏が見ていたなかったということはすこぶる驚きではあった。しかも当時、何の興味も示さなかったことは、驚きを通り越して失望の思いを強くしていたものではあった。

南條玲子さんのデビュー作品である「幻の湖」は、それだけ意味のある日本映画界の鬼作的作品なのである。鬼作的逸品な「幻の湖」を再評価することにより、日本の映画界にも新たな光が垣間見えていくことになるだろう。「幻の湖」は日本映画界の名作にあたいする。

大根が入って2倍美味い「ブリのあら煮」

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冬はブリが美味しい季節なり。出世魚の代表格であるブリは、年を重ねるごとに脂身を増していくのであり、人間にとっては美味い条件を増していく。

そんな冬のブリのうまみを、これまた最大限に生かした料理は「ブリのあら煮」ということになる。

ブリのカシラを素材にして、日本食のベースである醤油と砂糖と味醂といった調味料でじっくりと煮込まれてつくられる。美味いあら煮には、ブリの旨味をたっぷりと吸った美味い大根が副菜的に添えられていて、この大根はえもいわれぬ冬の絶品料理なり。

大根が入って2倍美味い「ブリのあら煮」を食して、冬の味覚に温まっている。

都内下町の「串揚げ」を味わったが「レバ揚げ」には納得だ

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そもそもはおいらは揚げ物は嫌いである。揚げ物としてトンカツや牡蠣の揚げ等は美味いと感じているのだが、それ以外の一般的な揚げ物はあまり食したくない、いわば嫌いなものになってはいるのだ。

だがしかし、「レバ揚げ」というめにゅーは逸品であると常々思っていたのであり、今回もなかなか美味い「レバ揚げ」メニューに接していたので、これこそは飲兵衛御用達的メニューとして主張すべきと思い、ここに記して生きたいと考えたのである。

レバーの生臭さを払拭してこくを出すという「レバ揚げ」はすごい的なメニューではあった。

「巨人、大鵬、卵焼き」のヒーロー、大鵬関が逝った

「巨人、大鵬、卵焼き」の何よりのヒーロー、元横綱大鵬が逝った。長嶋茂雄氏は元大鵬の逝去に対してコメントを発表している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130119-00000047-dal-spo

大鵬関と長嶋茂雄氏といえば、「巨人、大鵬、卵焼き」として名声を極めた我が国のヒーローの一角を成していた。王貞治氏を加えた3大ヒーローではあるが、紛れもなく強いヒーローがかつての我が国にはいて、国民が鼓舞されていた。戦後のある時代を生きてきたおいらにとっては、「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉とともに、大鵬の偉業は記憶にやきついているのであり、それは昨今の五輪受賞者たちの比ではないのである。

東松山焼鳥のルーツは実は寄居町にあるという説に納得

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先日は埼玉県寄居町「金太郎」にて美味い焼鳥にありついたのだった。

だが「焼鳥」とは名のみで実は、豚のモツが主材料の「焼きトン」というべき料理なのではある。豚の「カシラ」「タン」等々の部所に軽く塩をまぶして丹念に炭火で焼いていく。炭火で時間をかけて程よく焼いていくことで芳ばしい香りが立ち上っていき、注文を待つ客には否が応でも食欲を刺激されていくこと必至といった成り行きである。

カウンターに出された豚モツの「焼鳥」を眺めれば、もう口腔内はの涎たらたら寸前的状態。ぐっと喉を引き締めて、豚モツの焼鳥を食らったのであった。

焼鳥とともにカウンターに添えて出されていたのが、特性味噌だれである。赤唐辛子がたっぷりの辛味味噌であり、焼鳥に乗せればピリリとしてひき締まった味わいに変貌するのだ。

ところで豚モツを使った焼鳥と辛味味噌といった取り合わせはといえば、辛味味噌をなめたときにぴんときていたのだが、「東松山」で食する焼鳥と瓜二つではある。ぶりだったろうか、数年懐かしい味わいをほおばりつつ、店長に辛味噌だれのことをあれこれ尋ねていたら、やはり東松山焼鳥との接点が浮かび上がっていたのであった。

店長から聞いた話の要点は以下のとおりである。

そのむかし、寄居町には沢山の豚モツ的焼鳥店が存在していたという。当時はまだ水道のライフラインもままならなかったので、溜めた水で食器を洗ったりしていたのだったが、戦後のある時期に保険所のチェックが厳しくなり、寄居から東松山に移っていたのだという。東松山で「焼鳥店」を経営している多くは、もとは寄居の出身者によるものだというのだ。

鮮度の良くぷりぷりと噛みごたえも麗しいモツの串焼きと、ピリリと刺激度満点の個性的「焼鳥」のルーツは、寄居町にあるということのようである。

■金太郎 寄居駅前店
住所 埼玉県大里郡寄居町寄居1227
TEL 048-581-5005
営業時間 17:00~22:00

http://kintaro890.com/omise2.html

秋葉原「缶’s Bar」の新メニュー「AKIBA飯(アキバめし)」

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秋葉原のランチタイムに「AKIBA飯(アキバめし)」を食したのだった。

レタス、きゅうり等のたっぷりのサラダと特製そぼろ肉の上に、スープと魔法(?)のチリ風ソースをかけて味わう新感覚どんぶり、という説明が踊っている。まずは、そなえ付けで出された中華風スープを少々かけて混ぜ合わせる。すると下に居座っていたご飯が顔をのぞかせている。その上から、インドネシア産特製のチリソース(サンバルソース)をお好みの量をかけて、またまた混ぜ合わせて出来上がり。そしてスプーンで盛って口に入れてほおばる。

メニューの値は500円と手ごろ。コーヒーなどのセットドリンクが付いても600円なり。これにトッピングとして、スパム、やきとり、コンビーフ、さんまといった缶詰を乗せることもできる。缶詰専門店としてオープンした「缶’s Bar」ならではのメニューである。

味のほうは沖縄料理の「タコライス」に似ている。さしずめライトな味わいのタコライスといったメニューである。「缶’s Barオリジナルごはん」として売り出し中なのだった。

■缶’s Bar
東京都千代田区神田花岡町1-19
03-3251-8722
http://www.nre.co.jp/shop/db/detail_00599/

「戦場のメリークリスマス」には、名匠、大島渚映画監督の世界観的真髄が凝縮されている

昨日はパソコンの調子がすこぶる悪かったのであり、書いている途中で何度もキーボードが引っ掛かっていたのみならずに、投稿のアップロードもままならなくなっていたので、いささかなからずの混乱を極めていたの是トンだった。本日はそんな事情もあり、昨日の大島渚監督についての半端に途切れて 書ききれなかったことなどを中心に記していきたい。

大島渚監督作品のなかでひとつを挙げよと云われたら、真っ先に「戦場のメリークリスマス」だと答えるだろう。それくらいにこの作品は、大島渚という稀有なる映像作家の深遠なる世界観が凝縮されている特別な作品なのだということである。

出演者には、ビートたけし、デビット・ボウイ、坂本龍一等々の個性派が顔をそろえている。そしてそれに負けないくらいに同作品のテーマの重さが、げんぜんと圧し掛かってくるのである。

反戦主義者として名高い坂本龍一氏をあえて軍国主義に染まった陸軍大尉ヨノイに起用し、現実的日本社会と映画的シチュエーションとの間に取り巻く緊張的関係性を深めていたのだ。こうした設定は、前衛的作品に挑戦し続けていた大島渚さんならではのものだ。彼の世界観、哲学というものを感じ取ると同時に、同映画には、映像的哲学とともにもっと広大なビジョンを観る思いで胸をときめかせていたことを、あらためて思い起こすのである。

我が国の名匠映画監督、大島渚さんの死を悼む

大島渚監督が逝ったという。享年80歳。肺炎が死因だという報道である。以前から脳梗塞による体調不良がうわさされており、リハビリに励んでいる姿などがよくマスコミ映像でみかけていたものである。肺炎が原因で命を終えるということは以前は考えにくいことであったが、近頃はリハビリ中の高齢者の死因の上位に「肺炎」が並んでいる。十分注意するに越したことはないのであろう。

大島渚監督といえば、「日本の夜と霧」「青春残酷物語」「新宿泥棒日記」等々の作品で注目され、「日本ヌーベルバーグ」の第一人者として日本の映画界をリードしていた名匠である。おいらも高校を卒業後には各地の名画座等にて大島渚監督の映画にのむさぼり観ていたものである。

赤羽「まるます家」の「鯉のあらい」は、呑兵衛にとっては特別の逸品だ

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上州の実家に帰省していたのだが、本日は大雪のために3時間数十分遅れで都内に到着、そしてふ と上野の手前の赤羽駅にて降車したくなり、つまりは赤羽の名店「まるます家」にて一献や りたくなっていたのであり、途中下車していたのだ。赤羽の「まるます家」と云えば、知る人ぞ 知る大衆居酒屋の名店である。都内の多摩地区に住むおいらにとってはなかなか足を運ぶこ とも難しいのだが、本日はちょっとした思い付きで足を運ぶこととなっていた。

以前も何度か立ち寄っている名店である。恋、いな否、鯉と鰻がとくに名物なのである。おいらは先ずは「鯉のあらい」を注文。すると、淡白な鯉の身がピチピチとはじけるようにして鮮烈な食感を楽しませてくれた。さすがに大衆名店の逸品だけのことはあるなと感動のメニューなのだった。

信州蕎麦屋で食した「けんちん蕎麦」は意外性の味わい

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信州蕎麦屋にて「けんちん蕎麦」を食した。そもそもけんちん蕎麦てはかけ蕎麦の熱い汁が「けんちん汁」風になっているというもので、あまり特別なメニューである訳ではなく、おいらも時々は作るし、外食メニューでもしばしば見かける。たまに見かければ食べたくなるといった程度のことから注文したのだが、これが意外にも深い感動と出会いだったという訳なのだった。

先ずもって意外だったのは、蕎麦汁がとても薄口だったこと。一般的なけんちん汁の醤油味に比べても極めて控えめなスープの味わいだ。牛蒡、人参、里芋、油揚げ等々の具材が、鶏肉ベースの上品な出汁で煮込まれている。そして蕎麦汁の表面には胡麻油が乗っており、風味と味わいに追い討ちをかけているといったかんじなのだ。胡麻油が温かく喉の奥を突き刺すようにして、たっぷりと温まっていた。東京の食文化とは異質な日本の蕎麦文化と云ったものを感じ取らざるにはいなかったのである。

かんじんの蕎麦がまた風味豊かだったのであり、信州蕎麦の面目躍如なのである。蕎麦を取り巻く食文化のバラエティは、想像以上に豊かで奥深いものがあるとの認識を新たにしていたのではあった。

「孤独のグルメ」の不思議な魅力

新装版「孤独のグルメ」を読んだ。久住 昌之の原作、谷口ジローの作画というコンビによる作品で、じわじわとファンを増やしたといういわくつきの作品だ。

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漫画を読むという行為はあまりなく、ほとんどの漫画に対しては「見る」あるいは「斜め読みとばす」という程度のものなのだが、「孤独のグルメ」には読むに値するものを感じとっていた。

町のちょっとした食堂、レストランでの料理を食する主人公は、何やらいわくありげな個人の貿易商といった設定だ。仕事で訪れた町をさまよいながら、ぶつぶつと何かを呟きながら、一期一会のグルメとの出会いを目指す。ただ食いしん坊だはからという見方もできるくらいに、強靭な胃袋と食欲を有している。ハードボイルドな仕草や出で立ちはドラマに緊張感を与えるが、主人公の背景が掘り起こされるといった展開がなされる訳ではない。ひたすら町を彷徨い、食欲と胃袋が満たされることを志向する主人公がいるだけのような気もしてくる。けれども何か惹かれるものを、この奇妙な漫画さくひんは持ち合わせている。

食事をする姿は人間の本能にかかわるものであり、恥ずべき要素を含んである。ぶつぶつと独り言を云いながら料理を食する姿は、そんな恥ずべき行為でありつつ、あえてそれを漫画の主人公の姿としてさらすことにより、共感を生み出しているのかもしれない。