「絶望の国の幸福な若者たち(古市憲寿著)」を読みつつ年越し蕎麦をすする

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2012年を回顧しつつ年越し蕎麦をすすりながら、古市憲寿さんの「絶望の国の幸福な若者たち」を先ほど読み終わったところだ。生蕎麦を茹でて、具には葱と油揚げとそして、数の子入りの松前漬けをトッピング。いつもは松前漬けに数の子は不要と考えていたおいらだが、本日は特別な正月前の年越し気分も襲ってきていたのであり、数の子入りも年越し蕎麦には相性も良くグッドな感触なのだった。

本の帯には「26歳の社会学者による、大型論考の誕生!」と謳っている。若手の論客による「若者論」として、マスコミ媒体にて紹介されていたのが昨年のことだ。だがおいらはけっして、そんな耳目を集める若者論を読みたかった訳ではない。かえって話題づくりの書物に対しての嫌厭の情にとらわれていたのだ。それが先日は一転して同書を手に取り、読みたいと思う気持ちにおされて購入していた。話題の書としての評価以上なる関心を抱いたからに他ならない。

大手新聞紙上にての書評はいろいろ読んでいたので、内容に関するある程度の予測は有ったのであり、同書の趣旨の確認とともに、意外性の発見を得ながら読み進めていたのだった。一つの評価としての、若者論の終焉が同書によってもたらされるとか、ポスト・ロスジェネ世代による若者論、等々の評価以上に、いまどきの若者の国家観、戦争観に関する新鮮な分析的論考には心驚かされていたものである。

同書に関する詳細についてはこれからの節に続きます。

今年度、アンコウ鍋より前に口にした絶品の「(鮟肝)アンキモ」

冬の深海に生息し、この時期の味わいが絶品の鮟鱇(アンコウ)。今年も冬の間に「アンコウ鍋」など食したいと考えている。そんななか、アンコウの肝こと「(鮟肝)アンキモ」を食する機会に接し、なかなか絶品的味わいだった。

「(鮟肝)アンキモ」は、7つ道具と呼ばれる鮟鱇鍋の具材(ヤナギ、カワ、水袋、キモ、ヌノ、エラ、トモ)の中で最もポピュラーであり、それのみで逸品料理となる。だが逸品料理になるまでの調理的手間は相当な段階を必要とするのであり、鍋のアンキモとは違う絶品料理に生まれ変わるのだ。生のアンキモは、食に適しないところを除かれ、丸くかたどられて蒸し煮される。それを熱いままでなく冷まして提供されるのである。食の芸術として認定したい代表的料理ではある。

年末この時期の流行は「シクラメン」より「ポインセチア」

かつてはもしおいらの記憶が確かならば、年末のこの時期の流行はシクラメンであった。全ての花屋の店頭やショーケースにはシクラメンが溢れ、シクラメンの香りを失恋叙情に絡めて作られた歌謡曲が大ヒットして巷を賑わせていたものであった。

以上、アルチュール・ランボー風に回顧してみたのであるが、ここ数年間の間には人気アイテムの変更がなされているようであり、新たなブームは「ポインセチア」となりつつある様子である。

濃緑と鮮紅色とのコントラストが綺麗で、クリスマス的フラワーとしてはシクラメンの比ではないように勝ち誇っている。実際は花と見えるところは葉の形をした苞葉であると云い、緑色のところも同様の葉だということであり、まことに素人には理解しづらい植物ではあるが、赤と緑のコントラストの妙は、神技を感じさせる。かつての村上春樹さんの「ノルウェイの森」の装丁にて採用された赤と緑のコントラスト、コンビネーションは、ポインセチアの赤と緑がモチーフであるとさえ推察可能である。

「帆立貝柱の刺身」を食べると無性に青森が恋しくなる

「帆立貝柱の刺身」を食したのだ。白く透き通るように艶を発しているその姿かたちは、冬の味覚の風物詩的姿である。分厚い帆立貝柱を2~3枚にスライスして提供される、おそらくこの帆立貝とは青森県内漁港にて水揚げされたものであろうが、生きの良い帆立こそまさしく、北国青森ならではの「粋」を示しているのである。北国猟師の粋がこの帆立貝柱の味わいとして染み込んでいる。それくらいに帆立と青森との関係性は濃密なものである。

そう遠くない昔には、年末年越イベてントとして「かけこみ亭」というライブ会場にて開催された、その場には、青森出身のさっちゃん(活動休止中「花&フェノミナン」メンバー)の実家から届けられた帆立貝を味わうのがこのイベントのピークを演じたりしていたものである。さっちゃんや「花&フェノミナン」のライブ会場での出演予定が見れないのであり、今年の年末も「帆立年越し」のイベントは叶わないものとなってしまった。青森に行けばこの時季はまさに帆立貝尽くしの料理にありつける。さまざまある料理の中でもこの帆立貝柱を刺身で味わう以上の感動は生まれてはこないのである。そんな思いが去来しつつ、帆立貝柱を酒の肴に味わいつつ、青森への恋しさを強くしているのである。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?cat=37

「カレー鍋」は不味くは無いが子供向けの味

かねてより関心の的であった「カレー鍋」をつくって食したのだ。とはいえどもおいらはこれまで、ほとんど食べたという記憶が無い。少し前のブームをかたちづくったという全国的な鍋であり、何時か口にするだろうがなかなかその機会が無かったというメニューなのである。

最初に口にした先ずの感想は、想像通りの子供向けの味わいだったということだ。子供向けというのは日本人のポピュラーな条件にはかなっているがそれ以上ではないということ。冬に温まる鍋料理としては至極物足りない。

第二次安倍内閣発足の日の、百変化女史の喪服姿

自民党の安倍内閣が発足した。今宵はどこのTV媒体もこのニュースにがんじ絡めだ。観たくも無い映像を何度も垂れ流しにされ、聞きたくも無い政治評論家たちのくだらない口上を聞く羽目に陥るだけではあり、TVのチャンネルは切っておくに越したことはないのである。

ところで閑話休題になるが、今の職場には「百変化女史」と呼んでいるチャーミングな若手女史が居て、毎日毎日と趣向を変えたファッションを披露して くれている。秋には秋の落葉の光景にマッチする落葉ファッションをアピールし、冬には冬で毛皮コートを着飾ってアンニュイマダムを演出する。更には何気な いTシャツスタイルを着こなした時のテーマが「3ユーロのフレンチギャル」がテーマだったこともあり、すみには置けないファッションリーダーなのである。

そんな彼女が本日演じていたテーマが「喪服」であった。黒ずくめのスーツとパンツと黒ネクタイといった取り合わせが、厳かな雰囲気を醸していてとて も仕事場のファッションには相応しくなかった。それ故により一層の浮き立って違和感溢れる雰囲気を周囲にばら撒いて居たのである。

だがそんな彼女にも言い分や主張は有ったのであり、その説明が「安倍内閣の発足の日だから」というもので、おいらは゛その斬新かつ意想外の発想に、 喫驚の思いを累乗されていたのである。いつの日よりもその着こなしがエッジが強く立っていた。本日の若手女史のファッションこそ、稀に接する至高のアート には違いなかった。写真でお見せできないのが至極残念な今宵なのではある。

冷めても美味い「温泉卵」の艶に驚く

温泉の湯で卵を茹でるとこのような半熟卵が出来上がることから「温泉卵」の愛称で呼ばれている。通常、人が浸かる温泉は40度前後だが、温泉卵に適した温度は65~68℃程度だと云い、これに30分程度浸けておくことで理想的な硬さの温泉卵が出来上がるのだ。

通常の半熟卵との違いは、黄身が程よく固まっているのに白身がとろっと生煮えなことだ。ともにとろっとした食感で白身、黄身とも同様に味わえる。

温泉卵と云う名称とは多少イメージにギャップがあるが、冷めても美味いのがまた温泉卵の醍醐味である。冷えてつるっとして艶やかな温泉卵の白身を割って黄身を出すときのドキドキ感はまた格別な味わいである。

往年の人気作家こと松浦理英子さんの新作「寄貨」を読んだ

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書店で松浦理英子さんの「寄貨」という新作を目にし、迷うことなく購入していた。おいらの世代の文学愛好家にとってはおそらく、松浦理英子さんという名前には相当な畏敬の情を抱いているであろうと思われる。以前に掲示板上にて、博覧強記な某執筆者との会話などにてそのことを確認したという記憶が存在する。芥川賞も直木賞も受賞していないが、却ってそのことが当作家の経歴に箔を付けているかのごとくである。「ナチュラル・ウーマン」「親指Pの修行時代」等の代表作品により、変態的性癖を抱く登場人物達を独特の筆致で描く彼女の作品は、ファンである読者にとっては純文学の可能性を示唆していたのである。寡作な作家として目に触れなくなって久しかったのだが、本年8月には新作を発表していたということであり、実力派作家の活動再開に拍手を送りたい気分でいっぱいなのではあった。

先ずはこの作品中を流れる語彙の使用法に、おいらも懐かしい時代性を感じさせていた。昨今の流行作家達の使わない、ある種古色蒼然とした類の語彙が随所に散りまぜられている。若手作家のよく使う独りよがりの語彙は消えて、日本人の血脈を受け継いだ言葉によって物語が紡がれている。扱っている素材、テーマが女性の同性愛や変態的男性の関わりであるにせよ、言葉の紡ぎ方が、おいらの世代の文学愛好家達には心地よく響くのだ。

「奇貨」とは珍しい資質を持った人間存在のことを指しており、もとよりこうした希少な人材を手元に置いていくことで戦を有利に進めるべきだという故事の由来に依っている。だがこの作品中における「奇貨」というそんざいは、通常の人間関係においては成り立ちにくい関係性を有する存在であるということ。そんな「奇貨」を相手にしつつ、もう一人の主人公が人間存在の糧、云わば実存をかけて相対している。その関係性はとてもスマートであることが今風物語の限られた証拠の一つであると云えるだろう。

練炭が調理の決め手である「モツ焼肉」を喰らう

練炭が調理の決め手である「モツ焼肉」を喰らった。炭火の焼肉、殊にモツの焼肉は炭火で完成する。実は練炭料理の究極こそ「モツ焼肉」なのではないかと思っているところだ。モツに練炭は不可欠であり、モツ焼肉を美味しく食するのに練炭こそは必須のアイテムとなっているのだ。

職場の若手女子は先日「練炭を使った料理が食べたい」と、口にしていたので、興味津々のおいらは訊ねていた。

「練炭を使って何が食べたいの?」
「秋刀魚とか、焼き魚が食べたい」
「だったらガスコンロで焼けばいいだろ」
「ガスで焼くと煙が出るので、マンションで禁止されているの」
「そうか…、だから練炭が必要なのか…」

そんなこんなの会話を経てからと云うもの、美味しい練炭料理にありつくことを願っていたところ、思いがけなくも地元のモツ焼き料理店にてこの料理に出くわしていたという訳である。たしかに練炭が無ければ味わえない逸品メニューに違いないのである。

手帳の魔力と重み、軽みについてのエトセトラ

本日、2013年用の手帳を購入した。かといって其れは特別なものではなくて、何の変哲も無い普通の文房具店に並べられていた代物である。

話題の「ほぼ日手帳」やその他有名どころのシステム手帳に食指が動かなかった訳ではないのだが、結局のところで購入したのは、ダイゴーという会社製のポケットサイズの其れであった。

この手帳の基本的仕様はと云えば、月間及び週間のスケジュール記入欄が主を占めているということだ。シンプルに1週間のスケジュール記入欄が基本に置かれている点が何よりの好意的ポイントだ。

先ずは来月2013年1月の旅の日程を書き込んでいた。旅人の旅情を味わうには手帳の一言が何よりの定番的根拠ではある。そして少し先になるが、3月中の地元がステージとなる美術展のことも書き加えた。

日々の予定、スケジュールを立てるにあたり、週単位で思案することが多いのであるが、そんなおいらの基本的行動様式を形成している、云わば週単位的行動術を、この手帳に記入していくことから生じる将来的予測さえ立てることが出来るのではないかと念じているところだ。少なくともTV番組でのくだらない星座占い等よりは余程の根拠ある希望的観測である。

マヤ文明の終末予言は当たらなかった今日、おいらはしとどに酔っ払ってしまった

http://matome.naver.jp/odai/2133253091276802801

ニュースネタにもなっていた、マヤ文明の終末予言報道だが、その教えの終末のときは競うも無い。多少はおいらもこの予言のことを気にしていたので、心の平静をもたらしたいという思いを抱きつつ、途中下車をして、昔行きつけの居酒屋にていつもより長い時間を過ごしていたので、何時もよりは多少オーバー気味に、酔っ払ってしまっていたのだ。

しかもネットで調べれば、マヤ文明の教えは本日が終末ではなくて、新しい時代の始まりだなどと主張されるサイトも散見されており、何が何やらわからなくなってしまいました。
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↓新しい時代の始まり?
第5の時代が終わると言う事は、2012年に第6の時代が始まることを意味しているとも解釈できるのです。
より便利で人々の暮らしを変えるようなテクノロジーが生まれる可能性もあります。
2009年12月31日が終われば新たに2010年1月1日が始まるように。
時代の移ろいを示しているに過ぎないのかもしれないのです。
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具は「サメ(フカひれ)」だという「煮こごり」

魚類の身から溶け出したゼラチンが偶然固まって、そんな偶然に出来た料理が美味かったことから「煮こごり」という料理が誕生したという説明を以前に聞いていたが、昨今の「煮こごり」のレシピはそれとはちょっと違い、ゼラチンの元や寒天を加えて作るのだそうな。具もまた最初からゼラチンの出易い食材が選ばれるという。そんなことから昨今の「煮こごり」とは、「サメ(フカひれ)」を原料として作られているのだ。フカひれと云えば高級素材でなかなか口にする機会は少ないが、煮こごりの具材としてのフカひれならば、結構ポピュラーな酒のつまみであり、おいらもゼラチン補給食材として、度々食しているものなのでは在る。見た目からして透き通った琥珀色の入れ物に高級食材のフカひれが充溢しているとあれば、食欲を刺激すること、他に例を見ないくらいである。

牡蠣の独特のコクが引き立つ「牡蠣の黒豆四川炒め」

冬は牡蠣が美味しい旬の季節であり、おいらも牡蠣鍋、牡蠣フライ、牡蠣グラタン、等々いろいろ食して来たが、本日は中華四川の牡蠣料理「牡蠣の黒豆四川炒め」なるメニューに遭遇、想定外の出会いにしては予想以上のインパクトある味わいに、些か幸運の思いを強くしていた。

揚げた牡蠣を、黒豆を元にした四川の辛味調味料「豆豉(とうち)」を用いて炒めた料理だ。牡蠣の独特のコクが引き立っていた。ラー油、唐辛子の輪切り等々、辛味調味料も用いられ、四川料理の王道的味わいに満ちていた。これからの寒い季節にはもってこいの逸品なのだった。

気鋭作家、平野啓一郎さんの最新作「空白を満たしなさい」を読了

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気鋭の若手芥川賞作家こと平野啓一郎さんが著した新作の「空白を満たしなさい」を読了した。最初はみるからに人生訓的な匂いを発する同書の表題に引かれて手に取り、目次等に目をやりつつ、そのまま購入することとなっていた。

家族としての最も近しい身内の死や、関係する身内近親者の死者への対応等がテーマである。そもそも人間の「死」については、おそらくは人間である限りは誰もが考えあぐねる究極的テーマであり、この究極的テーマの設定に加えて、SF的エンターティメント的な設定に、最大限の興趣をそそられていたのであった。

何しろ購入したもう一つの重大な要素は、「復生者」、すなわち一度は死んだ後に生を受けて復活したという人々の集団が、重大なプロットとして設定され、ドラマが織り成されていくことが想定されていたからであった。生き返った男が、ドラマの重大な物語的設定の中で生きて、本来的な生者たちの心を掻き毟っていく、のである。エンターティメント的設定としては、これ以上無いくらいに満タンに整っている。

主人公的登場人物であり、死から生き返った設定の土屋徹生は、自分が自殺によって死んだということに納得できないでいた。事故死でもなく、殺人であるはずだという思いから、自分を殺害した殺人犯を追及していくのが前段である。然しながらその思いは打ち破られていき、自分が自死、自殺を図ったことを確認して唖然とするのだ。残された妻と子供に対する懺悔の気持ちと共に、自らの死について、検証しながら自問する日々が待っていた。

中盤の設定としては、自死した自分自身の葛藤に煩わされつつ、家族との絆を取り戻そうとしてもがく主人公がいる。人生訓的表題に対応する展開ではあるのだが、当該的展開は非現実的要素に満ちてあり、プロットも中だるみのロットも印象がぬぐえない。

終盤に来て物語は最後の盛り上がりに達し、其処でこの物語が示した世界観を、厚い筆致と共に受け入れることとなっていた。前段、中段の物語のプロットが非現実的夢想的であったことを残念に感じたものだが、終段の展開に心躍らせていたのだった。

鶏肉に塩麹を漬け込んで味わう「塩麹鶏鍋」にほっこり

昨日は一時のブームだった「塩麹鶏鍋」をつくって食した。外食で食べたことはあったが、調理したのは初めて。スーパーにて「塩麹鶏鍋」のセットと云うのが並べられていたのを見て、是非ともこの鍋を試してみたくなったという訳である。大降りにカットされた鶏のモモ肉に塩麹を30分程度漬け込む。話題の塩麹調味料を口にしてみると、予想したほど塩辛くも無く、しっとりした滋味を感じることができた。麹そのものを奥深い味わいを付与した趣きだ。

そしてその後は、普通の鶏鍋を調理する要領で、鶏肉を下に敷き、白菜、椎茸、等々の野菜を乗せて火にかけた。出汁は中華の基本である鶏がらベースの白湯スープ。スープも極く薄味である。塩麹に浸けた鶏と野菜が鍋の主役となるべき状況は整っている。カレーとかトマトとかいった色物的鍋料理ではないことは確認できたのである。鶏肉はよく云われるように柔らかくなりふわっとした食感を味わうことができた。塩麹の魅力が伝わってきたのである。鍋の〆は細うどんを入れて、喉越しよくつるっと味わった。完成度が高い鍋ではある。

野田佳彦はじめ野田内閣関係者の猛反省を望む

暗澹たる今宵は、我が家で初めての「塩麹鍋」で温まっているところである。塩麹は鶏肉を柔らかくさせ、ほっこりと温まっているのではあるが、そのあれこれは別日のブログで記していきたい。

総選挙当日の本日は、昼間は仕事や私用に追われつつ夕方の5時ごろ、地元の小学校の投票会場へと足を運んでいた。20代のころはずっと棄権し続けていた選挙に、これだけ思い入れをこめて投票したのはこれまでなかったことだ。そして大多数のマスコミの予想通りの自民党圧勝という選挙結果を、テレビ報道にて目にし、暗澹たる気持ちに満たされているという状況だ。満たされて良いのは幸福な思いであり、けだしこうした暗澹たる思いに満ちた今宵というのは、さしずめ、民主党代表の野田佳彦に対する絶望的な失望感に依っていることは強調しておかねばならない。鳩山内閣、或いは菅内閣に対してはこのような思いを感じることは無かったが、野田内閣になっての状況、成行に対しての失望感は甚大極まるものであった。この現実を野田が先ず受け止めて、反省することを望む。代表辞任は当たり前のことではあり、野田内閣の総反省を望むのである。

「第18回NANTO(ナント)販売展」別名「世界一小っちゃい?!ミニ絵画展」開催

「第18回NANTO(ナント)販売展」こと別名では「世界一小っちゃい?!ミニ絵画展」が、東京駅八重洲口近くの「ギャラリー八重洲」にて開催されている。

知人が出展していると案内をくれたのがきっかけで、昨年に続いて出かけたのだった。

漫画家、イラストレーター、画家、作家など、およそ100名程度の出品者がそれぞれに10点程度の作品を持ち寄って展示された、ユニークな展覧会なのだ。戸川昌子、杉田五郎、などの見覚えのある名前の作家による作品も目にすることが出来た。

作品が小さいというのが特徴であるからして、じっくりと観て回らないと何にもならないのだが、それが故に、作品に対しての集中力がましていく。好きになった作品に対しては、所有欲にも駆られたのであり、こうした小品を購入してみるのも悪くは無いと思った。

■第18回 世界一小ちゃい!?ミニ絵画展
ギャラリー八重洲・東京
2012/12/10(月) ~ 2012/12/23(日)
〒104-0028 東京都中央区八重洲2丁目1番
八重洲地下街中1号(外堀地下3番通り)
時間     開始:10:00終了:20:00
備考:最終日は16:00まで。
TEL:03-3278-0623

酒のつまみに意外といけた「にら納豆」

にらのお浸しに納豆を加えたシンプルなメニューが「にら納豆」。これが意外や意想外に結構いけたのである。

そもそも納豆大好きのおいらではあるが、酒のつまみに納豆という取り合わせの発想は、これまでほとんど無かったものではあった。謂わば未経験的取り合わせであったのであるが、此れににらのお浸しが一品目加わったことで、見事な酒のおつまみとして主張することとなっていたのだ。出されたメニューは丁寧にも、葱の微塵切りや鰹の削り節、生卵がトッピングされていて、なかなか深い味わいである。卵が入ったら粘り気は程よく中和するのであり、これまた納豆を旨くしている。これからおいらの好物になること間違い無しの逸品であった。

「動かすのは、決断。」という選挙公約をばら撒く野田佳彦の虚言

 

今回の選挙戦において民主党が最も資金的に潤っているのであろう。「動かすのは、決断。」という、気色悪い野田の顔面のアップの画像が迫って来るのであり、何とも合点がいかないどころか、まさしく屑的人間野田の屑的パフォーマンスを尻目にし、耳にして、途轍もない失望感にとらわれていたのであるが、そんなマイナス要因の心根も、ようやく決別のときを迎え得たようである。

改めて考えるに、民主党と云う政党への、たとえ一時的であれ支持していたおいらの誤り、やるせなさが込み上がってくる。何とも云いようのない想い出はあるが、今後の政治状況を想像するに、一時のやるせなさを悔いる気持ちの今日このごろなのである。

別名「バクダン」とも呼ぶ「ニンニクの唐揚げ」

「ニンニクの唐揚げ」を食した。メニューには唐揚げと銘打っていたが、丸ごとに素揚げしたものである。別名「バクダン」とも呼ぶ「ニンニクの唐揚げ」だが、予め底の部分に切り込みを入れて揚げる。バクダンのように爆発することもあるのだと云う。

生ではとても口に出来ないニンニクも、油でじっくり火に通すことにより、まろやかに甘みさえ感じさせる。ひと房まるごと、袋にして10個以上のニンニクは、この唐揚げくらいでしか食べられないであろう。精が付くことこの上無いくらいのスタミナ料理である。