昨日は二戸市内の某和風旅館に宿泊した。そもそもぶらり旅の常としては宿の当たり外れは毎度の賭け事ではあって、お盆シーズンのピークに電話予約が取れたのは幸いであり、しかも当館は素泊まり3500円と格安料金なのである。実は内心「ラッキー」と一人ごちていたのではある。
投宿し、数分も経つか経たぬかのうちに、格安料金の理由は氷解していた。古くて奥ゆかしい佇まいがその理由を物語っていたのである。すなわち、古の日本旅館の風情が強く蔓延っているために、現代的旅人の感性やニーズやらとの乖離が見て取れたのである。事実、こんなお盆のハイシーズンと云うのに、外来の客はおいら一人であったのだった。相当な伝統的時間を誇る作りの旅館が、いシーズンにおいて旅行客をおいら一人しか持たないという不条理は、日本人の均一的価値観としてのグローバリズムの悪しき進入が背景にあることが考えられるのだ。
さてさて宿の値踏みをするのが当ブログのテーマではないのである。当ブログ本来の主要テーマのひとつとしての「食」について記していくことにする。
東北で食した地元食の中で、おいらがもっとも気に掛けていたのが「ひっつみ」である。東京でも或いは盛岡の居酒屋のメニューでも食することはできていたが、サイドメニューとしての域を超えてはいなかった。詰まりはひっつみという料理に満足したことが無かったということだ。
それが今回の旅にて「ひっつみ」の肝とでも呼ぶものが溶け出てきたのである。「ひっつみ」の具は関東の「すいとん」のそれとは異なっているということ。その肝は、捏ねて寝かせてちぎるという工程である。小麦粉等の素材を塩水で捏ねてから寝かして、それをちぎって出汁に投入するのが「ひっつみ」の正しいつくりかたである。そんな正しい「ひっつみ」のメニューを味わっていたのであった。