名脇役で散歩の達人こと地井武男さんの想い出

地井武男さんが主演した追悼TV番組「大崎郁三の事件散歩」(テレビ朝日)を見ている。テレビ朝日の案内によれば遺作となった主演新作と云うことだ。元刑事で、刑事事件に首を突っ込んで謎解きをする、地味だが中々味のある主人公の設定である。

名脇役が主役を張って、これだけ味わい深いドラマが成り立つのだから、ただのバイプレーヤーで無いことは確かである。

ところでおいらにとって、地井さんに関する最も想い出深い作品は、「放課後」という映画作品であった。

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主演を栗田ひろみ嬢が演じており、地井さんを誘惑するというコケティッシュな役割に胸時めかせていたのであり、その当時栗田嬢のファンであったおいらはと云えば、その相手役としての地井武男には嫉妬心さえ抱いていたといえるだろう。

彼はいい男、もてる男の象徴として映っていたのであり、それくらいに存在感ある役者ではあった。

人気番組「ちい散歩」で見る姿は、まさに元気はつらつを地で行くようであり、こんなに元気だった彼が逝ってしまった事をリアルに信じることが出来ないままなのである。

胸深く残る想い出に感謝を込めて、合掌。

御徒町の「佐原屋」が新装オープンで、新メニューに舌鼓なのだった

御徒町の「佐原屋」が新装オープンで、新メニューに舌鼓なのだった

御徒町ガード下の名店「佐原屋」は、このたび店舗改装を行ない、新装オープンを迎えたのだった。

何週間か前訪れた際には同店舗が閉まっており、よもや店を閉めたのではとの思いが去来したのだったが、そんな思いも杞憂と消えていた。

名店のアイドルの女将が入り口で挨拶してくれた。数週間ぶりの懐かしい出会いであった。

ここでは新しいメニューにも出くわしたのである。その最たるものが「御飯」であり、定番の「納豆とんぶり」をご飯にのせて、こりゃいつか夢にも見ていたような晩酌のつまみにもありつけていた。「とんぶり納豆御飯」がそれであった。

■佐原屋本店
東京都台東区上野5-27-5

暑い日に見た目も味も食欲をそそる「胡麻坦々麺」

昼の昼食時は暑い中に在り、食欲不振に陥ること多し。そんなときは兎に角街中を散歩してランチメニューを調査して回る。

ふと見かけた「胡麻坦々麺」の看板メニューにそそられて注文してみたところ、胡麻たっぷりピリリと辛味の尖った、しかも見た目もオレンジと黒胡麻の斑スープが麗しい逸品に出くわしたのだった。

元々は中国西安等の寒い地域が発祥のメニューであり、身体がほかほかにさせる効用が、一種の薬膳メニューともされるのだが、近頃では暑い夏にこそいける。汗をかきながら食べると身体の芯からリフレッシュさせてくれる。

辛さで暑い夏を乗り越えるのは決して易しい取り組みではなく、だからこそ舌に合うピリ辛メニューに出合うとそれだけで嬉しく感じるのであろう。

高田渡さんも愛した吉祥寺「いせや公園店」の灯がまた消えていく

吉祥寺の焼き鳥の名店「いせや公園店」の店舗が、今月6月末を限りに取り壊されるという。あと数日と云う期限を間際に、消え行く名店を訪れていたのであった。

ところがどっこい、この取り壊しのニュースを知ってか知らずか、店の前には数十人の行列が出来ていた。本日は給料日の2日過ぎであるが、花の金曜日でも無ければそれ以外に特別な暦ではない。それが行列の賑わいであることに先ずは吃驚したのである。

細かなことは省くが結局本日は、いせやの焼き鳥は味わうことなく同店を去っていた。これで最後の別れかとも感じてジーンとする思いでもあった。

取り壊しのあとには近代的な鉄骨立てのビルが出来て、いせや公園店も再開するのではあろう。然しながら、これまでの公園店の風情が消え失せることは間違いない事実ではある。木造のいせや名店の風情は、今後は復活することは無いのである。

民主党内、国会内の政局より、大切なのは国民の暮らし。監視すべきはハイパーインフレの流れである

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/consumption_tax/

小沢一郎らによる反対、造反により、本日の国会界隈は荒れ模様である。

与党が過半数を維持する為の54人以上の造反者が出たということであり、マスコミ等々では、野田内閣の崩壊とそれ以後の推測報道がひっきりなしの有様だ。

増税法案の可決は、けだし歴史の一里塚であり、必然ではある。

これを政局の混乱に利用した小沢一郎は、もはや政治家としての資格に欠ける唾棄すべき政治屋のごときではあり、早めに政界から追放するに越したことは無い。

だが問題はその後であろう。

消費税増税が消費の控えをもたらし、景気低迷への懸念が、一部のマスコミでは盛んに喧伝されている。だが重要な問題はそんなところには無いのだ。

最も懸念すべきは、消費税増税に便乗した、ハイパーインフレへの懸念である。中小・零細企業が便乗値上げをおこなう可能性は高いが、それ以上に財務省及び大企業の企みによるハイパーインフレである。この影響は、中小・零細企業による影響を遥かに数十倍以上に超えている。

ハイパーインフレが生ずれば、或いは財務省の企みによるハイパーインフレが可能になれば、国家財政、国家による負債は解決することになる。その反面で区民の生活は尋常ならざる打撃を受けることになる。

大企業や税金で食べている政治家、国家公務員らが安心し、得をする。こんなシナリオを可能にするのがハイパーインフレへの流れではあるのだから、最大限の監視と阻止をすべきなのである。

こんな財務省、野田内閣のシナリオに乗らないことが現在の国家国民の意識としては最も大切なのである。

手前的ゴーヤ料理の2品。ゴーヤの苦みがたまらないのだ

地元のスーパーで活きの良い鮮緑色のゴーヤを目にし、早速料理をしてみたのだった。特徴であるゴーヤのイボイボも感動的な位に際立っていていたのであり、このイボイボこそが身体を活き返させる苦さの源。浮き浮きとした気分で岐路についていた。

作ったメニューは「ゴーヤチャンプル」と「ゴーヤサラダ」の2種。一つは鉄板定番的に存在する一品、そしてもう一つが近頃入れ込んでいる「春雨」を使った野菜サラダ的メニューである。

どちらもこれからの夏には無くてならないゴーヤを素材に、その苦みを生かしたメニューである。TV料理番組等では、ゴーヤの苦みを消す料理法等と云った邪道的調理番組が蔓延しているが、ゴーヤの素材的魅力はあくまでもその苦みであり、その独特な苦みを舌で感じ、鼻腔で嗅ぐことこそがゴーヤ料理の味わい方の基本である。そんな基本的スタンスを抱きながら作ったメニューなのである。

■ゴーヤチャンプル

■ゴーヤサラダ

「無線LAN」設定で我家のネット環境は変わるだろうか?

我家もやっと「無線LAN」環境を獲得した。先日購入していた「無線LANルーター」の設定を、本日ようやく終えることが出来たのだった。

これで自宅のデスクトップパソコンを始め、ノートパソコン、iPhone、そしてマックPCが、どこでもインターネット接続可能となった。

ネットワークに関する知識はほとんど無き素人であり、ましてや無線接続などちんぷんかんぷんだったが、何とか設定に漕ぎ着けていた。

明日からはこれまでと違ったネット利用が可能になるかもしれないと、些かの期待を抱いているところであった。

「ミニトマトの串焼き」は居酒屋メニューに根付くだろうか?

トマトに体脂肪削減の効果があるとマスコミ発表されて以来、トマトの人気はいや増すばかりだ。従来からの我が国の所謂「和食」的調理法にとっては、ほとんど馴染みのなかった食材がトマトであるが、ここへきてそんな状況も払拭されつつある。

ミニトマトを串に刺して炭火で焼けば、トマトの串焼き料理になる。焼き鳥、もつ焼き、等々と合わせて食べれば、これまた新しいスタイルの串焼きメニューが愉しめるという訳である。

味付けはポン酢醤油と云うのがポピュラーだ。ミニトマトの皮が焼かれて鮮紅色が黒くなる直前に、炭火から放される。焼き色は付けないくらいに鮮紅色を保っているのが、美味い「ミニトマトの串焼き」の特長ではある。

和食と云うよりも居酒屋食としての「ミニトマトの串焼き」は普及しつつある。

豚肉等で巻かれたミニトマトは以前からあったが、最近はシンプルなミニトマトの串焼きが注目されている。

味わい的にはこちらのほうがより一層のトマトの酸味等々、ワイルドなエキスを味わうことが出来るのであり、お勧めである。

夏だけど春の香りが一杯の「桜海老のかき揚げ」

都内の居酒屋で「桜海老のかき揚げ」を食べた。

ほんのりと甲殻類特有のあまい香りが鼻腔を突いた。ピンク色の色合いから春の食材をイメージしていたが、実はそうでもないらしく、今頃が旬なのかもしれない。ピンクたっぷりのかき揚げを眺めていてそう思った。

都内で食べた桜海老はどこの出身なのかは判らないが、静岡県の由比地域では今頃は桜海老の豊漁が続いているのだ。多分この辺りの漁港から運ばれてきたものであろう。

刑事被告人による判決文的、東京電力による事故調査報告という欺瞞

東京電力は20日、福島第一原発の事故調査について最終報告書を公表したという。

http://www.asahi.com/politics/update/0620/TKY201206200550.html

その内容たるや、まさしく盗人猛々しき様なり。何しろ重大事件の被告人が何を思ったか、被告の座に座ることなく重大事件に関する判決文を認めていたということなのであるからして言語道断であり、こんな代物を発表させた東電当事者たちの人間性を疑うものである。

こうした報告はまさしく、刑事被告人に対して判決文を書かせるというに等しくナンセンス極まりないものである。マスコミもどの程度この現実を認識して報道しているのか、はなはだ疑問が生じているのだ。

そもそも国会や民間の事故調査に東電関係者は取材拒否をしていたらしい。そんな集団が、自らの調査報告を出すこと自体がおかしい。おかしいと感じないらしい当事者たちの非人間性は筆舌に値するものがある。

以前も書いたが、勝俣東電元会長の刑事的責任は免れない。法曹関係者は何よりもまずこうした責任者を刑務所に入れる手段を講じねばならない。そうでなければ我が国の司法の意義は無いと云って良い位である。

宮古市「浄土ヶ浜」の絶景についての考察

昨日はトラブル続きの東北新幹線内の作業にてアップできなかった、宮古市内「浄土ヶ浜」の絶景をアップしておきます。

訪れたのは一昨日の午後3時ごろであった。雲は素早く流れていき、それに伴い島々への光さす風景は常に変化していたのであった。光景の変化はすなわち此処「浄土ヶ浜」の魅力でもあり、時間時間で刻々と変化する光景に見惚れていたのである。

此れこそは圧倒的な自然の営為に基づく風景(ビジョン)なのである。数多の芸術作品がその全てを人間個人の営みに負っていることを考えれば、大いなる自然の描いた絶景的風景は、人間の営為を軽々と越えていると云ってもよいかもしれない。それくらいに圧倒的な光景に遭遇していたのだった。

被災地「宮古」で食べた復興の「磯ラーメン」

東日本大震災による甚大な津波被害地の宮古市を訪問した。死者、行方不明者あわせて1000名を超える犠牲者を生んだ、最も過酷な被災地の一つである。

宮古駅を降り、先ずは景勝地として名高い「浄土ヶ浜」へと徒歩で向かった。バスやタクシーを利用すれば10分少々の場所柄であるが、自分の足で歩くことを課していたのだった。そしてその予測的被災風景は、途中の魚市場周辺にて出合うこととなっていた。

宮古市内での最大被災地「田老」地区では、日本一との謂れの防潮堤を易々と津波は乗り越え、その最大潮位は37.9メートルにも及んだとされる。魚市場のある宮古漁港界隈は、巨大な港の津波の猛威に為すすべもなく侵食されてしまったことがうかがえる。

かつてTVニュースで流れた宮古を襲った津波の映像の多くは、宮古市役所庁舎から撮影されたものであり、市役所の1、2階は泥流で押し流されており、死と隣り合わせの建物であったことが推測されるのである。

港の市場にあった「シートピアなあど」という施設は未だに営業再開には至らないのだが、「なあど食堂」という仮店舗の店がオープンしていたので、立ち寄ってみることにした。

地元民に愛された食堂らしく、ラーメンや丼ものメニューが並んでいた。おいらは「磯ラーメン」を注文し、その磯の香り漂うラーメンを満喫したのであった。青海苔、芽昆布、イカ、海老、ホタテなど、磯の香りの食材をふんだんに使って独特の味わいである。中でムール貝ににた貝類がトッピングされていたのでおいらは「この貝は何という名前ですか?」と問うてみたところ、

「この辺りでは『しゅうぎ』と呼んでいます。外国では『ムール貝』と云う名前の貝です」

とのこと。地元名が冠せられていることは取りも直さずポピュラーな食材だということを示している。ムール貝が宮古の周辺で溶け込んでおり、日常的に食されていることは驚きであった。

改めて記す必要もないだろうが、この「磯ラーメン」には満足至極。天晴れの称号を贈呈したいくらいだ。

岩手「夏油温泉」の自然の音楽で癒された

夏油温泉の朝は早かった。川のせせらぎ、鳥の鳴き声、喧しいほどのかえるの合唱、等の自然の音の響きを耳にしながら目を覚ました。未だ時間は5時に至らないときだが、窓外は日の光を帯び、部屋には薄日を運んでいた。前日の豪雨とはうって変わった好天気に恵まれた。

昨日は豪雨でゆっくり入れなかった露天風呂に早朝入浴することにした。ここでもかえるの合唱は喧しく、しかも傍を流れる夏油川は更に活発なる音を立て続けている。自然が醸す物音に諧調は無く恐らくは乱調ばかりなのではあり、それゆえに人間を素にしてくれるのだろう。整った音楽が醸す音色以上に乱調的自然の音色には癒される。

ところで、かつて江戸時代の温泉番付にて「東の正大関」との称号を与えられていたのが岩手北上郊外に位置する「夏油温泉」であった。称号授与された当時は横綱という位は無かったとみえ、温泉番付にて実質的な東のナンバー1と云って良いのである。

先日はつげ義春さんによる「つげ義春の温泉」の夏油温泉の写真を目にして以来、ずっと夏油温泉が恋しくなり、今回は云わば発作的に訪れたと云う訳なのである。つげ義春といえば秘湯温泉、秘湯温泉といえば秘湯のナンバーワンの夏油温泉、夏油温泉といえばつげ義春さんなのである。この鉄板の強固なる連想的トライアングルは、夏油温泉への愛着を一層高めるのであった。

テレビも無く、ネットも繋がらず、余りあるのが時間ばかりの昨晩は、地元産の清酒「鬼剣舞」のワンカップを数杯飲んで健やかな眠りについていた。早朝の目覚めはすこぶる快適な体験であった。こんな秘湯は滅多に無い。

宮沢賢治が愛した花巻の「イギリス海岸」を散策

東北岩手を旅しており、花巻市内の「イギリス海岸」散策した。

花巻は何度訪れても新鮮な出会いや発見に遭遇する古里であり、北上川の流れを前にした通称「イギリス海岸」は、そんな花巻の原風景を象徴している。

決して大河ではない北上の川の流れは人された工化形跡が少ない分に鮮烈であり優雅である。

賢治は遠い異国の風景の憧憬を込めて「イギリス海岸」と命名したが、異国情緒の故意風景が作家の、あるいは日本人の原風景として定着してきた経緯は甚大な関心をさそってやまないのである。

ラッキョウ間近の「エシャレット」の芳香なる味わい

何時もの居酒屋にてホッビーとエシャロットで一献。ラッキョウが早生的に刈られたものだと云うのだが、ラッキョウとはやはり異質の食物であるとの認識である。

酢漬けのラッキョウに比べて香味が豊かであり、更にはブーンと鼻腔に抜ける鮮度がたまらない魅力である。

脂っぽいつまみを食した後にはもってこいであった。今日は串カツを食べたのだが、久しぶりの揚げ物の諄さが緩和されていた。それどころか、まだ更に食欲を旺盛にしていたのである。

ラッキョウは生では食べ難いがエシャレットは食べ易い。そういう点では日本料理的食材である。

カツオの土佐づくりの脇役でもあるということであり、今度試してみたいという思いを強くしている。

つげ義春さんの文庫版新著「つげ義春の温泉」

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旅好き、温泉好きの漫画家、つげ義春さんの文庫本としての新著である。いつもの書店にて偶然に発見して買い求めていた。

岩手、青森等々の東北地方から始まって、関東・甲信、九州・近畿の、夫々の鄙びた温泉地の写真がまとめられている。それら全ての写真の撮影者がつげ義春さんであり、そのほとんどが、東北地方の湯治場温泉地で占められている。

つげさんによる写真画といった印象の一冊である。

昭和時代の湯治場温泉地の風情が滲み出ており、平成時代の今では懐かしい、全くといって良いほど異質的な昭和の風情である。

その画質はちょっとピンボケどころか、とてもアウトフォーカスが施されており、それは古きフィルムと古き良き時代のレンズによるものであることが推察されている。

猫も杓子もデジカメの時代にあって、このようなアウトオブフォーカスなるビジョンがもたらす懐古的ビジョンにはとても引き付けられるものがある。

おいらがかつて訪れた温泉地もあれば、未だ未訪問の地の温泉地もある。東北の温泉地でもまだまだおいらが未訪問の地は多く在った。

数ある写真の中でも注目したのは、岩手県の「夏油温泉」の写真群であった。湯治の場所としての風情は格別であり、しかもすこぶる開放的である。今年もまた「夏油温泉」を訪れたくなってしまった。

マグロは1番では無いが確かに美味い、ただし赤身に限るのだが

マグロはおいらことカツオの天敵ではあるが、確かに美味なり。

体長からして巨大であり、おいらことカツオはマグロの存在に怯えていると云ってもよい。

だが然しながら、俊敏性や活動力、等々においてはカツオのほうが勝っている。

マグロの特長はと云えば、ずんぐりむっくりの大洋航海のイメージ様が先ずもって浮かび上がる。

大洋を我物顔に泳いでいる姿である。こんな悠揚せまらぬ泳ぎの風情はマグロならではのものではある。大海を泳いで主役の有様なのだ。

サッカー日豪戦、実質的に勝っていた試合がドロー

サッカーアジア予選の日豪戦。ひょんなことからサッカーファンが大勢集う酒的交流場での観戦となっていた。サッカー日豪戦、実質的に勝っていた試合がドロー。とても後味が悪い印象の試合となってしまった。

実質的に勝っていたはずの試合が、審判の不可解な判定によるPKと、その結果としての同点弾の被弾。まさかのドローではあった。

アウェーでの試合ではドローもまた意義のある結果かもしれないが、それにしても勝てた試合であるのを審判のミスジャッジで駄目にされたのだ。納得いかないのは当然である。アウェーでのハンディなのか? 否、サッカー後進国のハンディーなのか?

晩酌の友としてもいける「五色納豆」

もともと納豆は大好きであるが、近頃は食する機会も減ってしまったようだ。朝御飯を焚く機会が少ないうえ、朝食も外食で済ませてしまう傾向が続いている。たまに「吉野家」等の朝定食で納豆を食するくらいに疎遠となってしまったのだ。

それかあらぬか最近では、晩酌の友に「納豆」の出番が増えたのである。焼酎、ホッビーを飲みながらの納豆のネバネバ感はけっこう相性が良い。ねばねばした口腔内を爽やかなホッビーが洗浄していくようでもある。これはご飯と納豆との関係以上の親密性かもしれない。

本日注文したのは、納豆とマグロ、イカ、タコ、サーモン、白身魚と云う五色の海鮮食材、さらに卵黄、葱、海苔、沢庵漬け等が一緒になっている。それを箸でかき混ぜれば、程よいネバネバの食感と共に、渾然一体となった納豆の香りが鼻腔を刺激するのだ。

海鮮ものと納豆との相性は頗る良く、手軽な酒のつまみでもある。朝食での登場が減った「納豆」という食材が、夜の晩酌の友として復活したのである。